第115話 コルポ・セコ
羽衣は自分が跨っている巨大なカブトムシの頭をペチンと叩いた。
「ウゴゴゴ……」
カブトムシがうめく。
ただの巨大カブトムシではない。
それは蟲使い。
無数の蟲を使役し、その蟲を敵の体内に潜ませることで相手を操る、恐るべきモンスターなのである。
実際、羽衣も一度、幻覚を見せられて姉の零那に襲い掛かったことがあるのだ。
羽衣も修行を積んだSSS級の山伏である。
その彼女を一度は操るほどの力を持っているのである。
ただし、二度目に羽衣たちと出会ったときは法術で対策をとっていた零那と羽衣に全くかなわず、結局は零那に角を持って振り回されて投げ飛ばされた上に羽衣から式を打たれ、服従を誓うことになったのだが。
いまや羽衣のペット――いや、家畜同然の扱いをされていた。
「やれ!」
羽衣が叫ぶと、カブトムシ――蟲使いの腹部から、多数の小さなゲジゲジのようなものがウジャウジャと這い出てきた。
それに対して。
死体の塊、その頭部にいるセーコ。
ピンク色のドレスに身を包んだ彼女は、歪んだ十字架を手に持ち、羽衣に向けた。
「蟲使いなど。私の敵ではありません」
セーコがそう言った次の瞬間、セーコの持つ十字架からドレスと同じ蛍光ピンクの光線が発射された。
空気を切り裂く、耳をつんざくような轟音。
光線は羽衣が乗っているカブトムシめがけてまっすぐに突き進んでいく。
「ドーマン!」
羽衣が錫杖を振るうと、青い光の格子が目の前に現れ出る。
光線は格子に阻まれると、ギィン! と大きな音とともに跳ね返され、通路の壁を破壊した。
そのあいだにもゲジゲジがセーコと死体のかたまりへと迫っていく。
セーコがゲジゲジに向けて光線を放つが、なにしろ何百、何千といるゲジゲジである。
何十匹かは焼き殺したが、すべてを殺しつくすことなどとてもできない。
無数のゲジゲジたちが死体の塊を這い上っていく。
そして、ひとつひとつの死体の口の中へと侵入していく。
死体は死体である。
すでに魂は彩華によってエシュに捧げられていた。
自我を持たない、ただの物体にすぎない。
生きている人間と違って、幻覚を見せて操るということはできない。
しかし、自我を持たないということは、逆に屈服させるべき自我、つまり障壁そのものがないということである。
簡単にその死体を〝支配〟することができるのだ。
蟲使いにしてみれば、これほど簡単な操作はないと言っていいほどだった。
蟲使いの能力は生きている人間を操るだけではなく、死体までを操れる、ネクロマンサーとしての一面も持っているのだ。
ゲジゲジが侵入した死体が呻き始める。
「グギャギャギャ……」
「ガバアバアバアバ……」
「グヒェグヒェグヒェェ~……」
「グフーグフー」
死体たちはヤミの死体のようにスライムで保護されていたわけではない。
半ば腐り、半ば白骨化しているものもいる。
それらがいっせいに声を出し始めたのだ。
羽衣ですら顔をしかめてしまう光景ではあった。
だが、そのおかげでセーコは死体たちの制御を失いつつあった。
セーコは歯をむき出しにして怒りの表情を見せた。
ゾンビのように干からびた顔で憤怒をあらわにするその様子は、離れてみていた虹子の背すじを寒からしめるほどであった。
「やめろ! この死体どもは私の死体ですっ!」
セーコが歪んだ十字架を振り回す。
「エシュ様、私に力をっ!」
崩れ落ちつつあった死体の塊が一瞬持ちこたえる。
だがそこまでであった。
羽衣が錫杖を掲げる。
「カブトムシには私の力も貸してあげてるんだよ? ご遺体を自由にしなさい!」
「クッ……なんという力……! やってくれますね……!」
死体の塊が崩れ始める。
「人間のご遺体たち……返してもらうよっ!」
そして羽衣は宙に四縦五横を描き始めた。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!!!! セーーーーーーーマン!!!!」
ゴッ! という音をたてて、火花を散らしながら青く輝く直径五メートルほどの五芒星が具現化すると、バチバチッ! と爆ぜながらその場で回転を始める。
その回転はどんどんと速度を増し、まるで電動丸ノコのようでもあった。
羽衣は目をすがめてセーコの顔を見る。
「……あなたも死体、のようだね……。あなたごと! 成仏させてあげるよっ! セーマン!」
キュイーン、という鼓膜を破るほどの音を立てながら五芒星がセーコ目がけて飛んでいく。
「こんな攻撃……! 私は土に還ることすら拒否された死体……。あなたごときに……!」
セーコはそのセリフを最後まで言うことができなかった。
なぜなら、回転する五芒星がセーコの首に当たったからだ。
「ガアアアアアッ!」
セーコが絶叫する。
ギャリギャリッ! と五芒星がセーコの首を削っていく。
それもほんのコンマ数秒のことであった。
ついにはセーコの首は胴体と別れる。
五芒星はそのままはるか数十メートル先まで飛翔していって天井にあたり、石材を切り刻んだ。
大きな石材の破片が轟音をたてて床に落ち、ダンジョンの床まで揺らした。
干からびたセーコの頭部が石の床の上をゴロゴロと転がっていく。
「アアアアアアア!」
同時に、塊となっていた死体たちも叫びをあげながら崩れ落ちていった。
床に落ちたセーコは、首だけになりながらも、さらに表情を歪ませて憎悪の視線を羽衣に向けた。
「私は……何物にも……土にすら受け入れられぬ者……! まだ……まだ……!」
羽衣はセーコとは対照的に静謐な表情と声で静かに言った。
「……土に拒まれたなら、荼毘に付すしかないよね……。ソワタヤ ウンタラタ カンマン!!! 南無不動明王!」
羽衣が錫杖を持って叫ぶと、錫杖から炎が巻き起こり、哀れな死体たちを燃やし始める。
肉は焼け落ち、骨は灰となり、灰すらもさらに熱せられて蒸発していく。
羽衣は念珠を持った手を合わせ、静かに呟いた。
「南無……」
そのとき、羽衣の背後から声が聞こえた。
「羽衣! そのゲジゲジ、こっちにも頂戴!」
零那の声だった。




