第108話 お乳の味
朱雀院彩華は、祭壇の前で一心に祈っていた。
サトウキビの蒸留酒――カシャーサと、葉巻の煙をエシュに捧げ、跪いて指を組んで手を合わせる。
「エシュ様……。どうか、あなたのお子を――。私の子を復活させるために、お力をお貸しください……」
18歳になったばかりの身体で、おなかを痛めて産んだ、わが娘。
産声をあげることもできずに石化してしまった。
彼女をこの世で生きられるようにすること。
それだけが今の彩華の望みだった。
かわいそうに。
かわいそうに。
かわいそうに。
お乳の味も知らぬまま、20年以上も石の姿でいるのだ。
きっと母の――私の胸に抱かれたいだろう。
乳を飲み、愛情に包まれて育ちたいだろう。
それはもうかなわない。
だけど――。
スライムの中に保存されている、大平深夜の死体。
あれに、娘の魂を移すことができれば――。
私の娘は、人生を取り戻すことができる――。
それには、必ず、あの特SSS級の魔力を奪わなければならない。
「エシュ様……あなた様と、私のあいだの子です。私の身はどうなってもかまいません。どんな痛み、どんな苦しみを私に与えてくださってもかまいません。どうか、どうか、私の――あなたの娘のために、私に力を――」
そのとき、カシャーサの入っていた壺が、ゴボッと音をたてて揺れた。
傍らに控えていたセーコが壺を覗くと、そこに入っていたカシャーサが空になっている。
火をつけておいてあった葉巻が、ジジジッと音をたてて燃え始めた。
葉巻というものは紙巻きたばこと違って燃焼剤が入っていない。
火をつけて置いてあっただけではすぐに火が消えるはずだった。
だが、それがどんどんと燃えていき、多量の煙とともに、ついには吸い口の近くまですべて灰になった。
彩華はエシュの存在を感じた。
20年以上前、身体を交わして以来、エシュの力をこんなに感じることはなかった。
きちんとした赤ん坊を産めなかった自分に、エシュが失望したのではないかとずっと彩華は不安であった。
それが、今はエシュを身近に感じていた。
私のすぐそばにエシュ様がいる、と思った。
葉巻の煙がいっそう濃くなった。
その煙が意志をもつように彩華の身体を包む。
「ありがとうございます、ありがとうございます、エシュ様……」
私のかわいい赤ちゃん……。
待っててね……。
今から楽しい人生が待ってるわ――。
ママが、必ずあなたを幸せにしてあげるから……。
もう少し、待っててね……。
★
「ソワタヤ ウンタラタ カンマン!! 南無倶利伽羅龍王!」
零那が叫ぶと、その手に持った錫杖から炎が巻き起こった。
ダンジョンの床は溶岩のように沸き立ち、ドロドロに溶けていく。
床が溶けきり、下層階の通路が見えた。
「つららちゃん!」
「うん!」
つららが溶岩に向けてフーッと息を吹きかけると、溶岩はたちまち冷えて、石のスロープとなった。
〈なんだこれ〉
〈まじでなんでもありだな〉
〈こんなダンジョンの潜り方、ある?〉
〈すごい〉
「みんな、画面下の広告クリックお願いよ! さあ、コーちゃん、オツちゃん、ヘイちゃん、テイちゃん! 行くわよ!」
零那の掛け声に、四頭の牛が「モー!」と鳴いて、零那の乗った自転車を引っ張って行った。
ヤミに刻まれた、『完遂された呪いの刻印』の霊力を感じ取り、まっすぐ目的地へと向かう。
この調子で進めば、ものの数時間もたたぬうちに、目的地へとたどりつくだろう。
最終決戦は、すぐに始まる。




