第102話 さようなら
あ、これ、開放骨折っていうんだよね、と虹子は思った。
虹子の足はふくらはぎのところで90°近くに曲がり、皮膚と肉が裂け、中身が見えていた。
ボキリと見事に折れている自分の骨が見える。
自分の骨って初めて見たな、と虹子は思った。
案外痛くないな。きっと脳みそでアドレナリンが出まくってるんだろうな、と冷静に分析する。
そして顔を上げた。
通常の通路と同じように、天井や壁がかすかに発光していて、周りの状況がわかる。
落とし穴の底は十字路の真ん中になっていた。
すぐそばでアルマードベアがこちらをじっと見つめている。
やはり虹子の手榴弾程度では威力が足りなかったのだろう、まったくの無傷であった。
「フシュー、フシュー……」
アルマードベアの吐息がやけに大きく聞こえた。
すぐには襲ってこないようだった。
「こんなところで……やられてたまるか!」
虹子はすぐそばに落ちている小銃のところまで這いずっていく。
右足はほとんどちぎれかけていて、それが床にひっかかって這いにくい。
やっと小銃に手を伸ばすと、マガジンを装着しなおし、アルマードベアに向ける。
「フシュー、フシュー……」
アルマードベアはただ黙って虹子を見ている。
なんの表情もない。
だが、虹子には自分をあざ笑っているように見えた。
「来るな……来るな!」
虹子は連射モードにして小銃をアルマードベアに向けて発射する。
これだけの至近距離である。
弾丸はすべてアルマードベアに命中していく。
だがそのすべては、鎧のように固い体毛に阻まれてはじき返されていく。
マガジンの弾丸はすぐに空っぽになった。
アルマードベアが一歩虹子の方へと踏み出す。
「来るな! 来ないで! お願い!」
今度は拳銃型の魔導銃を構える。
パン! パン! パン! という音がむなしく響き、もちろん弾丸はまったく通用しない。
「フシュー、フシュー……」
アルマードベアがすぐそばまで寄ってきていた。
そして折れて中の肉と骨が見えている虹子の足に鼻を近づけ、
「フン、フン、フン……」
と匂いを嗅ぎはじめた。
「や、やめ……やめて……」
虹子の言葉が届くはずもない。
アルマードベアは舌を出して開放骨折している虹子の足をなめ始めた。
死ぬ、死ぬ、食われて死ぬ!
もう虹子の身体は動かなくなっていた。
ただ茫然と自分の血液をなめとるアルマードベアを見つめていた。
履いているズボンが濡れ、下半身が暖かくなるのを感じた。
さっきおしっこしたばっかりなのに、と思った。
「ガフガフガフ!」
アルマードベアは虹子の足に噛みつき、首を振った。
一部の皮膚と肉でかろうじてつながっていた虹子の足の先がついにちぎれた。
アルマードベアがそのちぎれた足をポイと投げ捨てる。
それは虹子の目の前にポトリと落ちた。
「足! 私の足ぃ!」
虹子は自分の足を抱える。
なんだろうこれ、本当に現実なの?
「あはは、痛くない、なんでだろ? えへへ、熊さん、私、おいしい? もうそのくらいで満足してくれないかなあ……あはははへへへへひひひひゃひゃひゃ!」
アルマードベアの背後に、背中に口の開いた巨大狼が降りてくるのが見えた。
おわりじゃん。
おわりじゃん!
おわりじゃん!!!
「ひゃひゃひゃひゃ! いいなー私もおなかすいたよ……えへへへひゃひゃひゃひゃ」
もう虹子はすでに正気を失っていた。
キブングの方がアルマードベアより格上なのだろう、キブングがやってくるとアルマードベアは場所をゆずる。
キブングは虹子の肉を食おうとはしなかった。
そのかわり、虹子の履いているズボンのベルトを嚙み切ると、濡れているズボンを器用に脱がし始めた。
「えひゃひゃひゃひゃ、わんちゃんはどうしたいの? あれえ……? 君、男の子なんだねえ……? うひゃえひゃひゃひゃ。私を食べるのかなあ? どういう意味で食べるの? えひゃひゃ。私もハンバーガー食べたくなっちゃったよ、うひひ、注文しちゃおうっとひゃひゃひゃ」
虹子はキブングが自分のズボンや下着を脱がしていくのにもかまわず、スマホを取り出してウービーイーツのアプリを立ち上げた。
「うひひ、来てくれるかなあ?」
★
「おつまみもいるわね」
彩華はナッツを口に放り込んだ。
ボリボリと音をたてて咀嚼する。
強いお酒とナッツはよく合うわね、と彩華は思った。
そして、誰に言うともなく、ひとりごちた。
「私は神の使いである精霊様、神聖なるエシュ様のお子を産んだけど……。ふふふ、そういえば人間って下賤なモンスターとの子供って産めるのかしらね?」
★
キブングの背中からのびる巨大な舌が、今はなにも身に着けていない虹子の下半身をベロリとなめた。
「はー、はー、はー……。ひゃひゃひゃ。みんな、ごめんなさい……」
虹子はスマホを投げ捨てる。
それはカラカラと音を立てて床を転がった。
傍らに落ちている魔導銃を握る。
キブングは前足で虹子をうつぶせにすると、今度は両前足を使って無理やり尻を突き出させた。
虹子は魔導銃に弾を込め直す。
急がないと、と思った。
早く、早く。
魔導銃を自分のこめかみに当てる。
モンスターごときに辱められるなら、死を選ぶ。
正気を失っている中でも、それだけは譲れなかったのだ。
母親の顔が浮かんだ。
藍里の顔も思い出した。
零那や羽衣、それにトメ……。
「みんな、ほんとにごめんね、……さようなら」
そして引き金を引こうとした瞬間。
果ても見えない長い通路の向こう側から、何かが飛んでくるのが見えた。
パン! パン! パン!
という耳をつんざくような轟音。
虹子には分からなかったが、これは物体が音速を超えて飛翔するときに発生するソニックブームの音だった。
そしてさらに聞こえる鳴き声。
「ニャオーーーーーーー!」
やってきたのは。
二羽の、鳥だった。




