第1話 田舎娘はパチンコにはまる
萬代橋マンションの404号室。
零那は、そのドアの前に注文されたモクドナルドのラッキーセットを置く。
そしてインターホンを一回押した。
これで、配達完了だ。
18歳になったばかりの三日月零那は、ウービーイーツの配達員だった。
配達バッグを背中に担ぎ、長い黒髪のポニーテールを風になびかせて、今日も自転車を走らせる。
彼女はお金がほしかった。
いっぱいほしかった。
なぜなら、大学進学を目指す妹の学費を稼ぎたかったからだ。
時計を見ると、もう午後九時になっている。
もっと稼ぎたかったけど、部屋で待っている妹をずっとひとりぼっちにしてはおけない。
ウービーのアプリ通知をオフにすると、零那は愛する妹が待つアパートへと自転車を走らせた。
★
六畳一間のアパートのドアを開けると、妹の羽衣が部屋の真ん中にローテーブルを置いて勉強していた。
「あ、お姉ちゃん、おかえりー!」
我が妹ながら今日もかわいいなあ、と零那は顔をほころばせる。
女性にしては高身長の零那と違って、羽衣はちっこい。
長いふわふわのウエーブした髪の毛がキュート。
身に着けているのは着古したトレーナーだけど、それがまた華奢な体つきの羽衣に似合っていてとても愛らしい。
いや、羽衣は何を着ても似合うんだけどね!
零那より二つ年下の16歳、目に入れても痛くないほどの大好きな妹だ。
「お仕事お疲れさまー!」
にこやかに言う羽衣。
「ただいま。あんたもちゃんと勉強してた?」
「うん、もちろんバッチリ!」
羽衣は参考書の表紙を零那に見せる。
その参考書には『中学二年生数学』と書かれている。
「早く高校レベルに追いつかないとね」
「うん! だから頑張って勉強しているよ!」
零那と羽衣の両親は、いわゆる毒親ってやつだった。
普通の学校には通わせてもらえなかった。
宗教にはまっていた。
それも、新興宗教とかじゃない。
いや、そっちのほうがましだったかもしれない。
その宗教とは……。
修験道。
それってなにかと言うと、千数百年も前から日本に伝わる、由緒正しき宗教なのだ。
もともとあった山岳信仰に、仏教やら道教やらが混じりあったもの。
山奥にこもって修行し、神秘的な力を得よう、という信仰だ。
修験道の修行をする者は、修験者とか山伏とか呼ばれる。
両親の修験道へのはまりようと言ったら異様なほどで、山形県にある出羽三山――月山、湯殿山、羽黒山の三つの山の総称だ――の、山奥の修行場に家族でこもり、幼い頃から立派な山伏になるための修行をさせられていた。
「山伏て」
思わず呟く。
我が人生ながら、何かのギャグかな? と思わずにいられない。
キラキラの女子高生時代を過ごすべき年齢に、零那は山奥で修業させられていたのだ。
「なにー? お父さんとお母さんのこと?」
零那はもちろん、羽衣も幼い頃から修験道を学ばされていた。
学校にもろくに通わせてもらっていない。
だから、羽衣はもう16歳なのに中学生の参考書で勉強しているのだ。
これでもだいぶ追いついたのである。
なにしろ、最初は小学生の算数ドリルから始めたのだから。
立派な山伏になるため、とか言って勉強させられたので、漢字だけは苦労しなかったけど。
「山伏ってもともと女人禁制なのにねー」
と羽衣が言った。
零那は大きなため息をついて、
「今は山も男女平等だからね……。おかげで私たち、苦労したよね。私らの両親って、どうかしちゃってるよ……」
その両親は、今も山奥で修行中だ。
零那が18歳になったときに、
「立派な山伏になるためには外の世界も知っておかなければならない」
とかなんとか言って、出羽三山から一番近くのそこそこの都市――新潟で三年間だけ、一人暮らしをすることを許してくれたのだ。
仙台という案もあったけど、『都会すぎる』という理由で却下された。
地下鉄に乗りたかったのになあ、と零那は少し残念に思う。
新潟って、人口はそれなりにいるけど、『大きな田舎』って感じで、都会ではないのだ。
それはともかく、家を出るとき両親とちょっとした喧嘩をして、そのどさくさに紛れて妹を連れ出してきて今があるというわけだった。
あんな意味のわからない修行で思春期を塗りつぶされるような真似、妹にはしてもらいたくない。
高校……はもう間に合わないかもしれないけど、羽衣には頑張って勉強して高認とってもらいたい。
そしていい大学行ってもらって彼氏とか作っちゃって。
仲間みんなでバーベキューとかしてウェーイとか言って青春を謳歌してもらいたい。
自分が過ごせなかった青春を、妹にはぜひとも楽しんでほしい。
そのためなら、身を粉にして働くつもりだ。
働くつもりなんだけど……。
だけど、零那には羽衣に言えない趣味があった。
絶対に知られたくない趣味。
隠し通したかったのだが、現実は残酷だった。
「こないだ参考書買いに行ったときに見たんだけど、お姉ちゃんってさ……」
羽衣が零那の目を覗き込みながら言う。
「ん、なに?」
「『パチンコパーラーパラパラ』とかいうとこに通っているよね?」
零那の全身が硬直し、その額から冷や汗が流れて床を濡らした。
「な、な、ななななんの話かな?」
平静を装おうと思うのに、声が勝手に震えてしまう。
一番知られてはいけない相手に、一番知られてはいけない店に通っているのを見られていたとは。
「へ、へえ、そそそれは私じゃないなあ、よく似た人だったんじゃないの」
「私がお姉ちゃんを見間違うわけないよ。あれ、なんのお店?」
いまや冷汗は零那の全身から噴き出し、着ている服をびしょびしょに濡らした。
「い、いやあ、なんのことだかわかんないなあ」
「お姉ちゃん、目が泳いでる。水府流太田派の古式泳法ですいすいと泳いでるよ……」
「い、いや、あそこはね、パチンコ屋というところで……。お金が稼げるの。ウービーイーツの仕事が入らない時間はよくあそこで稼いでるのよ」
「ふーん、どんな仕事?」
「えーとね、鉄球を……こう、より分ける仕事で……あとたまにエビとかタコとかを集めて……。魚群を発見するとテンションがあがる」
「あんなとこにエビとかタコとか魚群とかいないと思うんだけど」
「い、いるの! と、とにかく儲かるんだから!」
嘘である。
儲かってない。
なんなら、すごく損している。
しかし、羽黒山の山奥から出てきた田舎娘が、好奇心で覚えてしまった遊びにどっぷりはまるのは仕方のないことだとは言えた。
ホストクラブとかにはまるよりはいくらかましではあったが……。
「ふーん? まあ、私はお姉ちゃんが好きなことをして遊ぶのはいいと思うけど……」
「なにを言ってるのよ、し、仕事よ、仕事」
羽衣は冷蔵庫から納豆のパックを取り出しながらため息をついた。
「そんな仕事あるわけないじゃない……。そんなんで騙そうなんて、お姉ちゃん、私がまだ小学生だとでも思ってる?」
いやあ、体型は小学生のころから大きくは変わってないわよ、と零那は言おうと思って、でもそれを口に出したらさすがにやばいと本能的に感じ取ったのでやめた。
「いやほら稼げることもあるから仕事だって!」
「ほんとうにー?」
「トータルでは勝ってるから! トータルでは!」
羽衣は疑いの目で零那を見ながら、その小さな手で炊飯器を開け、ごはんをよそう。
「あ、ネギあるよ、お姉ちゃんもいる?」
「いる」
「まあ、大負けはしてないと思うけど……。こうやってごはん食べられてるしね。趣味があるのはいいことだと思うんだけどさ。それより、お姉ちゃん、私、お姉ちゃんばっかりに働かせていられない。私も働きたい」
「なに言っているのよ、あんたはまだ16歳なのよ、勉強するのが本分よ。あんたは私と違って地頭がいいんだから、勉強して大学目指せばいいの。お金は心配ない、私が頑張って稼ぐから」
「パチンコで?」
「う……」
羽衣は味噌汁を温めなおしながら、その大きな瞳で零那を見つめて言った。
「ウービーイーツじゃ大学の学費は厳しいよ。それに、私も自分で稼ぎたい。ね、私も手伝うから、ダンジョンに潜ってみない?」