油断
かなりの距離を歩きとうとう畑が無くなった。ここからが迷宮本番だ。そう言わんばかりに目の前では戦いが繰り広げられている。と言っても相手は最も弱い雑種最下級の魔物だ。粘性体、小鬼、犬獣、猫妖などに手古摺ることは相当戦闘が苦手でなければ難しい。
「ここは人が多いから城目指して進むぞ」
これ程人が多いのでは獲物の取り合いが起こりそうだと考えながら毒蛇の後を追う。しかし、ただ移動するだけではなく周囲の人たちの様子を観察する。
多くいるのは探索者だ。チームを組んでいるのか四人から六人の集団で狩りをしている。他に目立つのは学生だろうか。複数の教師に引率されて魔物を相手にしていた。最後に目につくのは一人の者だ。彼ら彼女らは粘性体ばかり狙っている。
「毒蛇さん、あの人たちは何をしているんですか?」
「生徒か? あれは魔物に慣れるための課外授業だろ」
「いえ、そっちではなくてスライムばっかり倒してる人たちのことです」
「そっちは小遣い稼ぎの奴らだな。ここの魔石は一つ最低一〇〇円だから五〇体も倒せば五〇〇〇円だぜ。ゴム手袋付けてスライムから魔石を抜くだけで稼げるんだからやらない手は無いな」
粘性体は粘性を持つゲル状の魔物だ。ゲルには物を溶かす性質があるがそれほど強力ではないため手袋で防げるのは有名である。また魔物には必ず魔石が存在する。それが粘性体の身体が半透明という理由もあって容易に視認できるため対策をしていれば子供でも倒すことが出来るのだった。
「確かに良い稼ぎになりそうですね」
魔石とは魔物にとってなくてはならない物だ。そのため魔石が砕かれる又は摘出されることは正しく死に等しい。
「二級の探索者になれば一体の魔物で数万、数十万とか余裕だけどな。装備も碌にしてないやつらがこれだけ魔物を相手に出来るのは深度一迷宮がある八王子と札幌くらいだ」
それからも二人は話をしながら迷宮の奥へと足を進めた。半刻も歩けば目先に樹々が乱立し始める。真っすぐ進むのではなく林の外周に沿って歩いて来たので人の数も大分少ない。これなら獲物の取り合いは起こらないだろう。
「ここらで一度魔物と戦ってみるか」
「やっとですね! 何時でも行けます!」
空跳の声に反応してか丁度、樹の影から一体の魔物が現れた。小鬼と呼ばれるその魔物は八〇センチ程度の身長で肌は薄緑、醜悪な顔には小さな牙が見える。服や武器は何も着けていないが魔物には生殖機能が無いので裸とはいえ小鬼のアレを見ずに済む。
「じゃあ、あのゴブリンを倒してみろ。異能は禁止な」
「え、まあ、ゴブリンなら大丈夫だと思いますけど」
異能力の使用を禁止された空跳だったが小鬼相手なら問題ないと腰から短剣を引き抜いた。
「グッギィ? ギィ!」
相対した小鬼が剣を構えた空跳を見てニタリと嗤う。両手をあげて威嚇をするさまから分かる通り確実に敵対心を持っている。
最初に動いたのは小鬼で片手を上げて走り出した。走る速度も遅い。子供が向かって来ているようなものだ。異能力を使用した戦闘訓練として執行部の面々と模擬戦を続けている空跳からすれば欠伸が出そうになる。
小鬼が空跳に近づき、上げていた拳を振り下ろす。しかし、その程度の攻撃が空跳に当たるはずもなく一歩後退することで躱して見せた。小鬼はまさか攻撃が当たらないとは思っていなかったのか大きくつんのめる。隙を晒すことになった小鬼はそれを最後、死を迎えた。
「転移なしでも、これくらいなら問題なさそうです」
小鬼の首裏から喉元まで貫通させた短剣を抜き取り、毒蛇を見た。流石に即死だったようで小鬼はうつ伏せに倒れ伏す。
「その調子でどんどん行こう。追加で三体来たぞ」
「いきなり複数ですか」
問題もなく小鬼を倒せたことで空跳には自信がついていた。だからこそ小鬼二体と犬獣を見て驚きはしても怯むことが無かった。ちなみに犬獣は小鬼と同程度の背丈を持つ二足歩行の犬型の魔物だ。
「バウバウ」
空跳に気づいた三体の内、小鬼よりも早く犬獣が空跳に向かって駆けだした。普段は二足歩行だが駆ける際には四足になる犬獣は直ぐに空跳との距離を詰め、跳びかかりと同時に右手の爪で切り付けた。
「少し速いだけ」
先程と同じように後退して攻撃を避ける空跳。だが、反撃をするより早く犬獣の二撃目が繰り出される。
「危ない、な!」
左手による攻撃を横に大きく跳んで回避した空跳が犬獣に剣を向ける。しかし、犬獣に意識を割きすぎてしまい小鬼のことが頭から離れていた。
「ギィ」
故に一体の小鬼が空跳に跳びついた。
「な!?」
やはり小鬼。最下級と呼ばれ大した力もない魔物だ。空跳に跳びついたはいいが致命傷を与えることなど出来はしなかった。しかし、腰にしがみ付くことで動きを大きく制限することには成功している。
「チッ、邪魔!」
「ギャァギィァ!」
小鬼に絡みつかれて焦った空跳はゴブリンを引き離そうとするが小鬼も獲物を離して堪るものかときつくしがみ付き、振り払うことが出来ない。だからこそ空跳は短剣を小鬼の背中に切りつけた。絶叫をあげながら空跳から離れる小鬼。その背中には痛々しい傷口が見える。
「まずはお前からって邪魔するな!」
傷を与えた小鬼に止めを刺そうと剣を構えるがタイミングが悪く最後の小鬼が殴りかかって来た。攻撃を避けてから反撃するべきか刹那の間に思考を巡らす。思考の末、今度は迎撃を選んだ。
「覇っ!」
小鬼の拳が空跳を捉えるより先に短剣の柄が小鬼の頭蓋骨を砕いた。骨を砕く音が響き、次いで柔らかいナニカを叩く音が鳴る。脳天を砕かれた小鬼は頭から血と脳ミソを垂れ流しながら絶命した。
「お前もこれで終わりだ」
背中に傷を負い、蹲る小鬼目掛けて短剣を振るう。冷たい光を宿す刀身は剣が持つ使命を果たすために抵抗なくゴブリンの右胸を貫いた。ビクリと小鬼の身体が痙攣し、僅かな時間を置いて力を失ったように力尽きる。
「ふぅ、危なかった。どうにかなっーー」
「グルゥゥガァ!」
戦場では残心を解いた者から死ぬ。小鬼の攻撃には焦ったがどうにか対処出来た。それはいい。しかし、小鬼のことで頭が一杯になり僅か数秒前の攻防すらも忘れていては先が短い。
隙を見計らっていた犬獣が飛び出し、跳躍からの攻撃を仕掛ける。
咄嗟のことに空跳は目を瞑ってしまう。不意を突かれ避けることすらままならないがどうにか両腕で頭だけは隠すことが出来た。
「クゥゥゥン」
待てども痛みや衝撃が来ない。そればかりか犬獣の鳴き声が聞こえた。目を開き、頭をかばうために掲げた両手を下げると剣に突き刺された犬獣が目に入る。
「あ、ありがとうございます」
「自信を持つのはいいが調子には乗るなよ? 魔物も異世界人も、人間だって殺すことに手を抜いてくれないぜ」
少し怒気を孕んだ声で毒蛇が告げる。空跳は肩を落とした。小鬼相手に勝利し、調子に乗ってしまっていたのだ。毒蛇の助けがなくともあの状況なら傷を負うが負けることは無かった。しかし、それは相手が犬獣だったからだ。敵が一つでも上の等級なら確実に死んでいただろう。
回避する手段は幾らでもあった。異能力を禁止されていたが自身の命を天秤に掛ければ転移で逃げることだって出来たのだから。
「もう大丈夫です」
剣を構えて周囲を窺う。落ち込むのは後。今は迷宮、敵地の中だ。気を引き締めた空跳は目視での確認と魔力による空間認識によってこれ以上近くに魔物がいないことを確認すると今度こそ戦闘態勢を解いた。
「敵の気配はありません」
「良い顔だ。そんだけ出来るなら問題ねぇよ。なにも初めはミスしてなんぼだからな。俺がカバーしてやるから今日はお前の好きなようにやってみな」
怒りの気配など霧散させ空跳を褒める。彼からしても一度も失敗するなとは決して言えない。自身も何度も失敗しているからだ。だからこそ空跳に任務が与えられるまで、時間の許す限り手ほどきをしてやろうと心に決めている。
歳は二〇ほど離れているがsandersoniaに入った時期は同じであり、幼い頃から空跳を知っている同期のよしみとして。
「と言っても魔物を倒したなら魔石を回収しないとな」
「確かゴブリンとコボルトの素材は魔石以外買取してないですよね?」
「奴らの右耳は討伐報酬として組合が報酬を出すが俺たちには関係ないことだから気にしなくて良いぞ」
空跳は小鬼と犬獣の死体を引き摺り、一か所に集めてから胸元に短剣を突き刺した。今回使った短剣は刀身が鋭いため容易く小鬼の皮膚を切り裂き、肉を断つ。それから切り口に手を入れ、体内から一センチ程の半透明な水晶を取り出した。少し黒く濁っている水晶こそが魔石と呼ばれる物で今では多くの場所で使用されている。
魔物や異世界人の出現によって土地を奪われ、外国との接触も大規模的に行えなくなった現在、人間が暮らすために必要なエネルギーを賄うのは難しかった。
しかし、魔道具の中には電気を生み出す物も産出されており、人力で動かすことも出来るが魔石を使うことでも魔道具は起動した。そのためエネルギー生産の観点から見ても魔石には大きな価値があるのだ。
「意外だな。ゴブリンとかの解体って最初は忌避するやつが多いんだよ」
「俺は何度も運営部の人と魔物の解体作業をやってましたから。人型でも問題ないですよ。確かに最初は気分が悪くなりましたけど」
「なら大体の魔物は解体できそうだな」
「任せててください」
「それなら期待しとくぜ。ただ、任務の時は拡張袋が支給されるがな」
全ての死体から魔石を取り出した空跳は拡張袋に魔石を仕舞い、汚れた手を仕舞っておいた水で洗い流す。魔物の討伐報酬は受け取れないので今の稼ぎは一〇〇〇円ほどだ。四体でこれだけ稼げるともいえるが解体の手間を考えると小遣い稼ぎにしかならないのは本当のようだ。
「魔物の死体は処理しないといけないんだが今日は俺がやっておく。適した異能を持ってないとこれが面倒ったらありゃしない。一々燃やさないといけないからよ」
そう愚痴を零しながら死体に向けて手を翳した毒蛇は掌から透明な液体を生み出した。液体だが先ほど見た粘性体のように粘性を持つ毒が小鬼などの死体を包むとプスプスと音を立てながら煙を生じさせる。
「こいつはもう放置で構わない。奥に行くぞ」
その後、空跳は異能力が解禁され、魔力が尽き、足が棒になるまで迷宮を堪能し尽くした。
【Tips:魔物には魔石が必ず存在する。人体で言い換えれば脳や心臓といった最重要器官であるため魔石が砕かれれば如何に強力な魔物だろうと待っているのは死のみである】




