大江山の鬼退治 ②
連れてこられた宿は、丹波で一等立派なところだった。
三階建ての楼閣には煌々と明かりが灯され、装飾から店員のもてなしからすべてが一級といえる。マツタケモドキを出す店とは比べるのも失礼なほどの絢爛豪華さであった。
そして豪華な調度品の置かれた廊下を進み通されたのは、講堂のように広い部屋。
「若ぁ、どこに行ったかと思えば、まぁた女引っかけて来たんですかい」
部屋には、双雲や他にも牛若の部下たちが数名控えていた。
「人聞きの悪いことを言うな。俺がいつ女を引っかけてきた。それにこれは人助けをしてきたのだ」
そうだな、と牛若が同意を求めてくる。心は、はいと応えるしかない。
「ありゃ? よく見りゃあんた、天みつ堂の女中か」
双雲がしげしげと心の顔をのぞきこんできた。図体がでかいだけに圧迫感がすごい。
「こんなところまで一人で来たのか。お嬢ちゃん」
「ここは昔から湯治に……よく来るんです」
心が後退りしながら言うと、牛若が心の肩を抱き寄せた。
「皆聞いてくれ。この娘を、鬼退治に連れて行くことにする」
心を含めその場にいた全員が牛若の顔を見た。
「何言ってるんですか」
心と双雲の声が重なる。
しかし牛若は悪びれもせず続ける。
「鬼は女、子どもを狙うというからな。早い話が囮だ。だけど安心しなさい。君は俺たちが必ず守る」
何てことだろう。そんなことをされては身動きが取れなくなる。任務遂行は困難だ。
心は一瞬白目をむきそうになったが、魂が抜けかける寸前あることを閃いた。
(逆に一緒にいることを利用すればいいのでは)
このまま牛若たちと行動を共にすれば、彼らの動きは筒抜けだ。鬼と幕吏両方相手にするより、幕吏たちに紛れ鬼だけ相手にする方が明らかに楽である。大きな立ち回りはできなくなるが、討伐は彼らに任せてしまってもいい。
こんなうまい話があるだろうか。
心は内心にやりと微笑みながら、顔面には殊勝な少女の顔をはりつけた。
「わかりました。私に囮役が務まるか分かりませんが、背一杯やらせて頂きます」
牛若はその言葉を聞いて、ご満悦な表情になる。
「よし、では鬼討伐の段取りを説明する」
作戦はいたって単純なものだった。心も特に異論なく、というかあっても意見することなどできるはずもなく。作戦会議はすぐに終わった。
そして、会議が終わるやいなや、広間に豪華な馳走が運ばれてきた。あっという間に広間は宴会会場になる。こういう場が苦手な心はすぐさま広間の隅っこに移動して、ちびちびと馳走をいただくことにした。
◆ ◆ ◆
決戦前夜は宴会、と相場は決まっているものだ。
つい先刻まで硬い表情で顔をつきあわせていた面々が、うまい酒と馳走にすっかり心をほだされていた。双雲を筆頭に、腹踊りやらなんやらどんちゃん騒ぎである。
そんななか牛若は静かに杯を置くと、部屋の隅でうずくまっている少女のもとへ向かった。断固として宴会の輪に入ることを拒否した少女は、薄暗い壁際で干し柿をかじっていた。
牛若は少女の近くへ移動すると、隣にそっと座った。少女はちらと牛若を見たがすぐに干し柿に視線を戻し、またちびちびかじりはじめる。まるで野生の栗鼠を見ているようでおかしい。
(こうしていれば)
ただの大人しい少女である。まさか手練れ剣士十数名を蹴散らした忍びだなんて、誰も思わないだろう。
(さすがに丹波にまで現れるとは思っていなかったが)
これは好機である。彼女もまた鬼退治に関わるつもりだったのだろう。うまくすれば鬼と狐、両方を捕らえることができる。
これまで何度もうまくかわされてきたが、今度こそ――。
牛若は自分が手柄をあげているところを想像して思わず口角があがっていた。だがこれは獲らぬ狸の皮算用。牛若は緩んだ口元を引き締めなおすと、今度は美しい相貌を微笑みに変えて少女を見た。瞬間、どきりとする。
大人しい少女が、じっとこちらを見ていたのだ。刃の切っ先のように鋭い目で。
牛若は思わずさっと目を逸らす。が、動悸がとまらない。
(何なんだ)
ひょっとして、こちらの魂胆に気づいたのだろうか。
まさか忍びは人の心まで読めるというのか。
(とにかく何か)
何でもいい。気を逸らせる話題を。
「そういえば……。まだ名を聞いていなかったな」
今更ながら、牛若は少女の名を知らなかった。女の名前などすぐに忘れてしまうから、とこれまで尋ねもしなかったのだ。ひょっとすると天みつ堂の女将に聞かされた可能性はなきしにもあらずだが。記憶になかった。
「心です」
少女は短く応える。
「字はどう書くんだ? 仮名か?」
少女は膳の汁物にちょんと指をつけると、懐紙に文字を書いた。
「『心』という字を書いて『うら』と読みます」
「珍しい読ませ方だな。当て字かな」
「いえ、正当な読み方らしいです。語源は表裏の『裏』と同じだとか」
牛若が首を傾げると、心は説明を続ける。
「人の心は表からは見えないでしょう? 人の裏側に隠れたもの。だから『心』は『うら』と読むそうです」
なるほど。先人は洒落たことを考えるものだ。
(それにしても)
名は体を表す、とはよく言ったものである。
と牛若は大人しい少女の横顔を見つめながら、しみじみ思ったのだった。
◆ ◆ ◆
翌朝、心は着替えをすませ、宿の外へ出た。朝の陽光が目に沁みる。
たまには太陽も休めばいのに、と思いながら心は着物の裾を整えた。今心が身に着けているのは、歩きやすいよう裾を短かくした小袖だ。それに長旅用の杖を一本。女の旅支度としては一般的な恰好である。まあ、あくまで見た目に限っては、の話だが。
「心」
名を呼ばれ振り返ると、朝露に濡れる新芽のように爽やかな青年が、ぼろい麻の袴を着て立っていた。討伐隊と知られては鬼が出てこないかもしれない。ということで変装していくことになったのだが、ぎりぎり浪人に見えるだろうか。一方、その隣にいる双雲はまた虚無僧にふんしており、その他の面々も、商人や浪人風にうまく変装していた。
(きびだんごは持ってきてなかったけど)
なんとまあ、お供がたくさんできたものである。
まずは商人風の男が、斥候として先に出た。次に心と牛若が出発する。
あとは脇道に二人、心と牛若を守り、殿は双雲が務める。
心は、大江山に来るのは初めてだった。想像していたよりは歩きやすい山道である。心は風呂敷から兵糧丸を取り出すとちびちびかじりながら歩いた。
「何を食べてるんだい?」
牛若が興味津々に見てくる。
兵糧丸は忍びの携帯食であった。昔は武士も持ち歩いたというが、戦のない世では兵糧丸の存在自体知らない武士も多い。
「私の故郷の伝統食ですが、食べます?」
心は兵糧丸を一つ牛若に渡してやる。牛若は兵糧丸を受け取るとさっそく半分かじって咀嚼する。
「ぅくっ! 何だこの甘さは」
兵糧丸には、もち米に蓮の実、すり胡麻、数種の生薬、に大量の氷砂糖が入っていた。
「残したら駄目ですよ」
冗談のつもりだったが、牛若は眉をひそめながらも全部飲み込んでいた。
ちょっと可哀そうに思って、心は牛若に水筒を渡してやる。
「ところで今から退治しに行く鬼というのは、どのようなものなのですか」
里から情報は得ていたが、牛若たちがどこまで把握しているのか確認しておきたかった。
「詳しくは分からないが、頭領は酒呑童子と呼ばれているらしい。さらに荒事が得意な部下も数人いるという話だ」
酒呑童子とは大昔に京を騒がせた鬼の名だ。その名の通り大酒飲みで、女、子どもをさらって喰っていたという。
「牛若様は……。本当に鬼がいると思いますか」
「さあ、どうだろう。少なくとも鬼がいないことは証明できないからな。ただ何にしても、女や子どもが消えているのは事実だ」
そう。角の生えた鬼の仕業かは別として、大江山で女や子どもが失踪しているのは本当だった。しかもなぜか、女は全員無事に帰ってきて、子どもたちだけが未だに行方不明という奇妙な状況であった。
「恐くなってきたか?」
牛若は意地悪な笑みを浮かべる。
心としては「鬼よりあなたの方が怖いです」と言いいところだったが。
「もう足が、がくがくです」
とだけ応えておいた。
心たち鬼討伐隊は、山の奥深くまでやってきた。
山の天気変わりやすい。よく晴れた日だったのに、辺りには霧が立ち込めて薄暗い。
しかも深部に進むにつれ、だんだんと霧が濃くなってくる。
(これはよくないな)
霧の濃い場所では、敵どころか仲間の位置を知るのも困難だ。こんなところで接敵すれば、同士討ちの可能性もでてくる。
もうすでに隣にいる牛若の姿すら霞んできていた。ここは一旦退くべき、と心が思ったとき。
前方から誰か駆けてくる音した。
牛若が刀を抜く。
霧の向こうに目を凝らすと、現れたのは斥候として出ていた牛若の部下だった。
「出ました! 鬼です!」
酒呑童子は美青年だったという言い伝えもあります。さて、心と牛若が出会う酒呑童子はどのような姿をしているのでしょうか。