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五条大橋の辻斬り

「どうにもうまくいかない」


 牛若は、所司代屋敷の自室でひとり唸っていた。

 山姥の件は結局、狐面に関する情報は得られなかった。からくりの城でもせっかく狐面と遭遇したというのに、うまく逃げられてしまった。

 なかなかに手強い相手である。

 しかし牛若は、狐面の捕獲をあきらめるつもりはなかった。

 

 牛若は立ち上がると、障子を開け外廊下に出る。広い庭では、双雲が薙刀の素振りをしていた。


「双雲、狐面は何に惹かれる人間だと思う」

「なぁんですか、藪から棒に」

「いいから答えろ。お前が狐面なら何に興味を持つ」

「そうですなあ。あれだけの手練れとなれば、同じく武芸に秀でた者には興味があるでしょうな」

「なるほど」


 牛若はその美しい顔に、いたずらっぽい笑みを浮かべた。



◆ ◆ ◆



 (うら)は、今日も天みつ堂でせっせと菓子を作っていた。


「まいどー」


 裏口から声がかかる。問屋の丁稚(ばいと)の声だ。

 (うら)が振り返ると、そこには丁稚の横にもう一人立っている者がいた。牛若である。


「やあ、この荷物はここでいいのかな」


 牛若は当たり前のような顔をして、問屋からの荷物を(きっちん)に運び入れる。

 (うら)がその様子を見て絶句していると、丁稚が言った。 


「このお方さ、おいらが荷物運んでたら大変だろうって手伝ってくれたんだよ」

「子どもには、少々重そうに見えたからな」


 牛若は得意げに言ってみせる。


「そうでしたか。それはありがとうございました。では」


 と(うら)は頭を下げた。別れのあいさつのつもりだったのだが。牛若は帰ろうとしない。


「なんだか喉が渇いたなあ……」


 とつぶやきながら作りたての饅頭を見つめている。

 (うら)は軽く牛若を睨んでみるが、牛若の方は何やら余裕の微笑みを携えたまま見つめ返してくる。(うら)は心の中で帰れ帰れと唱えてみたものの、効果はなかった。諦めた(うら)は小さくため息を吐き出すと、手早く茶の用意にとりかかる。こうなったらさっさと茶を出して、さっさとお帰り頂こう。


 女将さんに見つかると話が長くなるので、牛若を裏庭の腰掛けに座らせ、茶と饅頭を出してやった。


「ところで君さあ、最近五条大橋に出る辻斬りの話、知ってるか?」

「知りません」


 そっけなく応える。が牛若は案の定、(こた)えている様子はない。


「その辻斬り、百人切りを目指してあらゆる剣客に喧嘩を売っているらしい。なんでも自分は天下一の剣豪だとうそぶいているそうだよ」

「へえ」

「面白そうじゃないか?」

「いえ全く」

「全く? 全く興味ない?」

「はい。全く」


 そう言い切ると、さすがに牛若も堪えたらしい。すねたように顔をしかめた。


「だったら君は、何に興味があるんだ……」

「私の興味なんて気にしてないで、早くその辻斬りを捕まえてくださいよ」


 百人切りの辻斬りなんて放っておいたら危なくてしかたないだろう。こんな菓子屋へ来ている暇があったら、さっさと仕事をして欲しい。それが(うら)の本心からの願いだった。しかし牛若の方はというとどうにも煮え切らない様子で、君が興味を持つと思って用意がどうのこうのと独りごちっている。よく分からないが、その捕り物についてもっと相談したかったということなのだろうか。


 ならばと(うら)は一つ提案してみた。


「懸賞金でもかけてみたらどうですか? そうすれば誰かが勝手にその辻斬りを狩ってくれるでしょうし。牛若様の手を煩わせることもないでしょう」


 すると牛若はハッとしたように顔を輝かせた。


「懸賞金か。なるほど」


 元気を取り戻したらしい牛若はさっと立ち上がると、走ってどこかへ消えてしまった。



 数日後、牛若は本当に辻斬りに懸賞金をかけ、街中にふれこんだ。

 するとたちまち辻斬りの話は京中に知れ渡り、帝の耳にまで届く。そして帝は(うら)に辻斬り討伐の命を下したのであった。


 (うら)は墓穴を掘ったなあと思いつつ、辻斬り討伐の任に向かう。


 場所は鴨川にかかる、五条大橋だ。

 何はともあれ、まずは遠くから偵察である。物陰から五条大橋周辺を見ててみれば、橋の真ん中に男が一人立っていた。深編笠(おおきいかご)を頭に被った虚無僧である。ただその手には尺八ではなく、薙刀が握られていた。しかも目を見張るような大柄……。


(ってあれ)


 牛若の側近、双雲だった。深編笠で顔は見えないが、体格や薙刀を持った立ち姿から明らかに彼である。


(どういうことだ)


 (うら)は牛若が言っていたことを思い返した。そしてある答えに辿り着く。 


「なるほど。捕まえたいのは、狐面(わたし)か」


 辻斬りはそのために牛若がでっちあげた偽物だ。となればこのまま、のこのこ出て行くと面倒なことになる。

 (うら)がどうしようかと考えていると、近くで女の悲鳴が聞こえた。一本隣の筋を覗いてみると、女が酔っぱらいにからまれていた。


「いいじゃねえか。え? あんたも嬉しいんだろ」


 げへへ、と酔っぱらいは下衆な顔を女にすり寄せる。女は誰かお助けを、と泣きそうになっている。 

「嬉しいはお前だけだ」


 言いながら(うら)は男のちょんまげを引っ張った。


「いてえっ! 何すんだてめえ!」


 男はふり返ると(うら)に殴りかかろうと拳を振り上げた。瞬間、(うら)は刀を抜く。男の首筋、皮一枚のところで刃を止めた。男の額から一筋、汗が流れる。


「ひっ。ゆ、許してくれ」

「一つ頼まれてくれれば、許してやってもいい」


 (うら)は仄暗い笑みを浮かべると、狐の面を懐から取り出した。



 五条大橋のたもとに戻ってきた(うら)は、先ほどと同じように物陰から橋の様子をうかがった。しかし先ほどと違って、(うら)は忍び装束を着ていない。それを着ているのは、女に絡んでいた酔っぱらい男である。狐の面も彼の顔に取り付けられている。そして彼は今、五条大橋を渡らんとしていた。

 橋の真ん中に立っていた双雲は、狐面がやってきたのに気づくと薙刀を構えた。するとその後ろから、牛若も走ってくる。どこかで隠れて見ていたのだろう。しかし二人とも狐面には切りかからず、何やら揉めはじめた。


 まあ不審に思って当然である。


 華奢な(うら)のために作られた衣装を腹の出た男が着れば、ぱっつんぱっつんになって長けも足りていない。いつもの狐面と違うことは一目瞭然だ。牛若たちは恐る恐るといった感じで、狐面の男に近づいていった。そしてそっと狐の面を剥がす。


 こっそりその様子を見ていた(うら)には、ばっちり牛若の顔が見えていた。酔っぱらい男の顔を見て、驚愕する牛若の顔が。


「ふふっ」


 (うら)は笑いを堪えながら五条大橋に背を向けると、自分の長屋へ戻った。


「さ、帰って饅頭でも食べよ」


 しかしこの後しばらく、目を血走らせた牛若にしつこくつきまとわれることになった(うら)であった。

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― 新着の感想 ―
だんだんと常連客になりつつある牛若さん……がんばれ……美味しいものの話が一番食いつくのでは?みたいなことを思ったりしました
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