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山姥伝説 ①

 今日も一任務終えた(うら)は、自分の長屋に帰ってきた。

 この前やってきた朝日のように爽やかな青年、牛若彦はまた来るなどという不穏な言葉を残していったものの、その後天みつ堂には現れていなかった。


(もう忘れてくれたかな)


 逢引きのことだってきっと気まぐれで言っただけだったのだろう。あの顔だもの、手当たり次第女を誘うのが日課なのだ。と、信じたい。

 (うら)は無理やり牛若のことを頭から追い出した。

 これから任務後のお楽しみ時間が始まるのである。もう余計なことは考えたくない。


 戸棚に向かった(うら)は、昨日、天みつ堂でもらってきたおはぎを取り出すと、それをそっとちゃぶ台の上に置いた。


 「ぐふふ」


 夜、一人で甘い物を食べるのが、(うら)にとっての至福の時だった。

 艶やかに輝くおはぎを見ているだけで鼻の下がだらしなく伸びてきて、口のなかに唾液があふれる。やわらかいおはぎを優しくつまみ一思いにかぶりつけば、頭の中にぱーっとお花畑が咲いた。四畳半一間のぼろ長屋が一瞬で天竺(てんじく)となる。


 すっかり気分が良くした(うら)は、読みかけの読本(しょうせつ)を引っ張り出し、夜更けまで続きを読んじゃったりして――。



 翌朝、(うら)は寝坊した。

 俊足で店に向かったが時刻はもう昼前。他の女中たちの視線が痛い。でも旦那さんと女将さんは「たまには仕方ない」と大目にみてくれた。基本的に二人は怒ることを知らない人たちなのである。


 とはいえ申し訳ないと思った(うら)は、罪滅ぼしに普段はやらない接客も手伝ってみた。が、それはやめておいた方が良かった。


「やあ、元気にしていたかな」


 茶を運びに行った先には、朝日のように爽やかな青年と、熊みたいに大きな男が座っていた。しかもどこから連れて来たのか大勢の女たちに囲まれている。


「君は、双雲と会うのは初めてだったな」


 牛若に紹介してもらい、(うら)と双雲は互いに頭を下げた。正直いまさらな感じはするが、()()()()初対面なのだから仕方ない。

 双雲の紹介が一通り終わると、牛若はところで、と話題を変えた。


「逢引に行く話は考えてくれたかな?」


 牛若はその透き通るような瞳で、じっと(うら)の目を見つめてくる。

 (うら)はこの目が苦手だった。なんだか心の内まで見透かされそうで居心地が悪い。おまけに今日は、牛若の周りにいる女たちまでもが一斉に(うら)を見つめていた。


(こわい)


 色んな意味でこわい。逃げたい。

 ちらと背後に目をやって退路を確認するが、真後ろには旦那さんと女将さんがニコニコ微笑みながら立っていた。背水の陣である。

 (うら)は渋々牛若に向きなおった。


「大変光栄なお話ですが、私いろいろやることがありまして。逢引に行くような暇は……」


 遠まわしに断っていると、団子をほぼ丸飲みにしながら双雲が言った。


「若。いきなり女子(おなご)を逢引に誘うなど、失礼ですぞ」


 この双雲という男、がさつそうに見えて案外気が利く男らしい。助かった。


「ふむ。なら今日は諦めよう。その代わり君もここに座りなさい」


 (うら)は強制的に牛若の隣に座らされる。しかもがっちり肩に腕をまわされ身動き一つできない。

 助かったどころかむしろ状況は悪化した。

 取り巻きの女たちは(うら)を品定めするように見たあと、牛若の注意を自分たちに向けたいのだろう、牛若の袖を引っ張って言う。


「ねえ、牛若様。早くこの前の捕り物について聞かせてくださいな」

「私も聞きたいわ。御所に出たっていう妖狐のお話」


 今京では、御所に出た狐面の話で持ちきりになっていた。女官を暗殺し護衛の兵を幾人も蹴散らし逃げた、恐ろしい忍びの話。そして噂話にはいつしか尾ひれがつき、今では「宮中にはびこる怨念から生まれた狐の化け物」なんて話にまで変わっていた。

 牛若は取り巻きたちの話を聞きながらくすくすと笑い声をもらす。


「御所に出たのは妖狐ではないよ。れっきとした人間の忍びだ。それもずいぶんとやり手のね」

「今の世にも忍びっているのね。どんな者でしたの? 大男? 熊みたい?」

「牛若様はその忍びをどんな風に撃退されたの?」


 女の好奇心というのは湧き水のごとくである。


(まさかその忍びがここにいるとも知らずに)


 (うら)はかしましい女たちと牛若の間に挟まれ、小さく溜息をはき出した。

 牛若はそんな(うら)を片腕に抱いたまま女たちに応える。


「恐ろしく腕の立つ者でな。俺の優秀な部下たちでさえ手も足も出なかった。しかもあの狐面、どうやら女の忍びだったようだ」

「まあ! 女子の身で剣をふるっていたのですか?」

「俺も驚いた。男でもあれほどの達人はそういないからな」


 おまえもそう思うだろう、と牛若は双雲に話を振る。


「正直わしはあの狐面が女子だとは思えませなんだ。あの身体能力、太刀筋、どれをとっても戦場を生き抜いてきた猛者の風格。わしなど奴の剣技に見とれてしまい、思わず若を守ることを忘れておったくらいです」

「おまえ俺のこと忘れていたのか」

「一瞬でございますよ。最後はちゃんと助けて差し上げたでしょう」


 そういう双雲を一睨みして、牛若は女たちに視線をもどした。


「ではそろそろ、みんなは外してもらえるかな。俺はこれからこの娘と話があるから」


 と牛若は(うら)をさらに強く抱き寄せる。


「え、もう終わりですの? お話の続きがもっと聞きたいわ」


 女たちは口々に抵抗するが、牛若の気が変わらないのを察するとぶつぶつ文句を言いながら帰っていった。

 (うら)もどさくさに紛れて立ち上がろうと試みたが、この優男の腕力は想像以上に強かった。

 女たちがみんなはけてしまうと、牛若はさっそく(うら)に言う。


「今日はね。君だけに聞いて欲しい話があって来たんだよ」


 なんだろう。すごく嫌な予感がするが、聞かずにこの場を立ち去る選択肢はなさそうだ。(うら)はとりあえず黙って頷いた。


「君、山姥の話って聞いたことあるかい?」

「山姥って……あの山姥ですか?」


 山姥といえば、山で人を襲う老婆の化け物だ。実際に出逢ったことはないが、ものすごく足が速くて、ものすごく大食いだという話は聞いたことがある。


「そう。その山姥がつい先日、大文字山に出たんだよ」


 牛若の話では、最近大文字山の山道で、旅人や商人が山姥に襲われる事件が続いていたのだという。死人は出ていないが、みな荷物のほとんどを盗られたらしい。中にはかなり高価なものもあった。


「被害人たちが言うには、その山姥の(ひたい)には大きな(あざ)があって、髪は真っ白。着ている小袖はひどくぼろぼろだったらしい」


 所司代は寄せられた話を元に似顔絵を描かせ、山姥捜索に乗り出した。するとすぐに、ある密告がもたらされる。

――山姥が、大文字山の麓の小屋に住んでいる。と。

 同心(けいかん)をその小屋に行かせてみると、密告通り額に痣のある老婆が住んでいた。同心はすぐにその老婆を捕らえ、所司代屋敷まで連れてきた。


「確かに特徴は一致していたんだ。だが、彼女はとても人を襲えるような者ではなかった」


 腰は曲がり足は震え、歩くこともままならないような状態だった。明らかに他人から荷物を奪えるような身体能力はない。


「それでもその老婆が山姥だという者がいてね。所司代も、彼女を山姥として処刑すると言う始末さ」

「でも牛若様は、その老婆を処刑したくない」

「ああ。無実の者を処刑するなど間違っている。だが俺も所詮、所司代の下についている役人にすぎん。彼がやるというなら従うしかない」

「……どうして私にこんな話を?」

「ん? まあ、これはただの愚痴だ。横暴な上司がいると大変だって話を、聞いて欲しかっただけだよ」


 牛若はそう言って、からから笑ってみせる。

 愚痴を言いたいだけならさっきの女たちに聞いてもらえばよかったのに。というのが顔に出てしまっていたのだろうか。牛若が(うら)の顔を覗き込んできた。


「あの者たちではだめだ。口が軽すぎる。その点、君は口が堅そうだからな」


 牛若はそう言って、ふっとその美しい顔をほころばせた。

 

◆ ◆ ◆


 天みつ堂を後にした牛若と双雲は、所司代屋敷へ向かって歩いていた。


「若。あの女中のこと、えらく気に入っとるんですなあ」


 双雲が茶化すように言った。

 言われた牛若は、真剣な表情で応える。


「似てると思わないか。あの女中」

「似てるって誰にです?」

「狐面の女にだ」

「狐面? まさか。それは考えすぎでしょう」


 牛若も確信があるわけではなかった。だが、天みつ堂ではじめて会ったとき、あのおとなしい雰囲気とは裏腹に、瞳の奥で静かに燃える何かを見た気がした。そんな彼女の雰囲気が、狐面の女と重なって感じられたのだ。


(もし本当に狐面なら……)


 牛若はとかく、大きな功績をあげたかった。そうでなければわざわざ京へ来た意味がない。家を継げない武家の四男など、何かの役に立たなければただのお荷物である。何か功績を残して自分の価値を証明したかった。


 だから、狐面と出逢えたのはある意味幸運だった。

 女官を暗殺し、御所を大混乱に陥れた忍び。彼女を捕まえることができれば、功績としては十分だ。


 あの女中に難癖をつけてむりやり拷問にかけることもできるだろうが、牛若はそういうことはしたくなかった。捕まえるなら正々堂々、罪を暴きたい。だから牛若は山姥の話をあの女中に聞かせ、泳がせてみることにしたのだ。


(さて、どう動くだろうか)


 盗賊が盗んだ金品を狙うか、それとも……。

 と、そんなことをうんうん考えていたものだから、牛若は双雲の忠告をちゃんと聞いていなかった。


木乃伊(ミイラ)取りが木乃伊にならないよう、気をつけてくださいよ」


 この言葉が身に染みるのは、しばし先の話である。



◆ ◆ ◆



 (うら)はなんとなく、牛若が単に愚痴を言いに来ただけではないと感じていた。


(もしかして何か勘づかれただろうか)


 だがもしそうだとしても御所では面をつけていた。顔は見られていない。他にも正体が露見するような失態は犯していないはずだ。用心するに越したことはないが、考えすぎると逆に不審な行動をとってしまいかねない。


 忍びの訓戒は「恐れるな、侮るな、考えすぎるな」である。


 (うら)はそれ以上牛若のことを考えるのをやめた。気を紛らわすためにも菓子作りの仕事に戻ろうと暖簾をくぐりかけたとき、ある客が店にやってきたのに気づいた。


 ひどく痩せた、みすぼらしい恰好の男。


 普段、天みつ堂に来る客層とは明らかに違う。

 (うら)は気になってその男の様子を店の奥からそっと観察することにした。

 男は、店先に並んでいる菓子をまじまじと眺め、近くにいた女中に声をかけた。


「この(あか)いのくだせえ」


 男は、紅白饅頭の紅色の方を指さし、女中に金を渡す。

 すると女中は呆れた様子で、男に金を突き返した。


「これは紅と白で一組なんですけど。とにかくこれじゃ足りないよ」


 どうやらこの男、紅白饅頭の意味も知らないようだ。菓子屋へ来るのは初めてなのだろうか。


「分かった。足りねえ分はまたもってくる。だからなんとか一つ、この紅い饅頭もらえねえか」

「そんなの誰が信じるっていうのよ」


 女中は取り合う気はないとばかりに他の客の対応へ向かう。すると男は店先で土下座しはじめた。


「頼む! おっ母に食わせてやりてえんだ。殺されちまう前に……この店の饅頭、食わせてやりてえんだよ」


 店にいた客や通りの通行人までもが、男の大声に何事かと集まってきた。これ以上騒ぎになると、せっかく帰った牛若たちがまた舞い戻ってくるかもしれない。

 (うら)は目にもとまらぬ速さで店先に移動すると、男の腕をつかんで引っ張り起こした。


「静かに。あとで饅頭あげるから」


 とささやきながら男を店の裏に引きずって行く。

 木陰に男を座らせると、(うら)は男に問いかけた。 


「お母が殺されるってどういうこと」


 男は木にもたれうつむいたまま応える。


「おいらもよく分かんねえんだ。同心のやつらがいきなり家にやってきたと思ったら、おっ母のこと、やまんばだなんて言ってつれてっちまいやがった。ちがうって言ったって、だれも聞いてくれやしねえ。七日後には処刑……するって、言ってよ……」


 どうやらこの男、山姥として捕らえられた老婆の息子のようだ。

 (うら)は溜息をもらすと、男にここで待っているように伝え、饅頭を取りに店内に戻った。

 さっきの今でなんというめぐり合わせだろうか。正直、(うら)はこの件に関わりたくなかった。かわいそうではあるが、(うら)とて所司代が動いている件に首を突っ込むのは危険なのだ。しかも牛若に目をつけられたばかりだ。静かにしていたい。

 だから今は、あの男に饅頭を与えてさっさと帰ってもらうことにしよう。それでこの場は収まる。あとは何も聞かなかったことにして忘れてしまえばいい。

 (うら)は饅頭の代金を払って店裏に引き返した。

 あの男はこの紅白饅頭を受け取って、そのまま母親のところへ持って行くだろう。母親は息子からもらった饅頭を牢屋の中でおいしそうに食べる。そして母親は処刑される……。

 (うら)は手のひらの中の饅頭をじっと見つめた。


「いやなんで処刑前に紅白饅頭なんだよ」


 誰にか分からないツッコミを入れると、(うら)は店裏にいる男の元へ戻ってきた。男は(うら)が持っている饅頭を目にして嬉しそうな表情になる。が、(うら)は彼の目の前で、その饅頭をむしゃむしゃ食べはじめた。

 男は放心状態だ。


「……え、饅頭。くれるんじゃ……」

「この饅頭は牢屋で食べるもんじゃない」

「な! なんだよ、あんた……!」

「別にあげないとは言ってないよ。家で、お母と一緒に食べたらいい」

 男は目を瞬かせ、ただただ口をパクパクしていた。

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― 新着の感想 ―
デート回が今から楽しみですね。ねっ! たくさん召し上がられるようなので、お相手の財布が心配です
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