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御所に舞い降りたくノ一 ②



 御所の小屋から火の手が上がった。警備兵たちが慌てて小屋へと集まっていく。


 (うら)は小屋から離れると、今度は御所内で焚かれていた松明に、懐から取り出した粉末をかけていった。すると赤く燃える松明の炎が、青色に変わっていく。

 その異様な色の灯りを目にした公家や女官たちは、呪いだ祟りだと言って騒ぎはじめた。


 (うら)は物陰に隠れ、御所内が騒然となっていく様子を眺めていた。

 女官の死を偽装し、御所内を混乱させた。これであの女官が逃げる時間は十分にかせげたはず。

 だったのだが。


(おかしい)


 予想していたより警備体制が乱れていない。これだけの騒動が起きれば、いつもの近衛兵たちなら機能不全を起こすはずなのに。


(……誰か、優秀な指揮官が就いたか)


 兵の動きというのは指揮官次第でまるで変わるものだ。おそらく何者かが警備兵たちをうまく統率しているのだろう。

 (うら)は御所内を密かに移動して、兵たちに指示を出している者を探した。

 と、屋敷の一郭に、なにやら女官たちが集まっている場所があった。


(何だろう)


 (うら)はついでにそちらの状況を確認しに走る。屋根に登って上からそっと屋敷をのぞくと、女たちはある男を見つめていた。

 この騒動の中、よくもまあ男のことなんか気にしてられるなと呆れるが、女官たちの視線の先にいる人物を見れば、あながち女官たちが悪いわけでもないと分かった。


 視線を送られている男は二十歳前後の青年。

 すらりと背が高く、それでいて着物の上からでも鍛えていることが分かる筋肉質な体躯をもっている。亜麻色の総髪は後頭部の高い所で一つにまとめられ、すっと通った鼻梁に切れ長の目は、なんとも涼やかで理知的な印象を与える。


 麗しき方々が大勢いる京でも、これほどの美青年は見たことがなかった。


「侍なんかやめて、歌舞伎役者にでもなれば良かったのに」


 (うら)が皮肉を言いたくなったのは、なにも彼の美貌のせいだけではなかった。周りの兵たちの様子からして、彼が新しくやってきた指揮官であったのだ。彼がいなければ、今日の仕事はこれで終わりだったのに。


(放っておいたらまずいよなあ)


 このままでは、いつ女官に追手がかかるともしれない。

 (うら)は袋から狐の面を取り出すと、目立ちそうな場所を探した。


◆ ◆ ◆


 今夜は、牛若彦にとって、京へ来て初めての仕事だった。

 所司代の下で学ぶという名目ではるばる江戸からやってきたのだが、当の所司代はというと、次の出世までの腰かけ気分で仕事をしているぼんくらだった。

 今夜の御所警備も牛若に全部押しつけて、自分は商家の接待を受けに行ってしまったのである。

 仕方なく牛若は御所へ赴き、近衛兵の警備体制を見直していたのだが――。


「女官が呪われた?」

「はい。歌詠み会に参加していた女官が突然倒れ、しかも彼女を呪った藁人形が見つかったそうです」

「馬鹿らしい。藁人形で人が倒れるものか。で? その女官は今どこにいる」

「外れにある小屋へ移したそうです」

「分かった。そこへ案内してくれ」


 牛若が言い終わらないうちに、別の部下が血相を変えて駆けこんできた。


「も、申し上げます! 小屋が! 呪われた女官のいた小屋から火の手が!」


 牛若は弾かれたように立ち上がると、部下を追って火の手が上がった小屋へ駆けつけた。


 見上げた小屋は、すでに全焼といっていいほどに燃え盛っていた。幸いだったのは、周りに燃え移るものがなかったことだろう。


「三番隊から五番隊まで呼んで消火にあたらせろ」


 牛若は近くにいた部下に命じた。


 まったく着任早々、不吉なことこのうえない。牛若がこめかみを揉んでいると、また、取り乱した部下が駆けてきた。

 息絶え絶えの部下に牛若が声をかける。


「今度はなんだ?」

「御所内で焚かれていた松明が、次々に青色の炎に変わったと報告が入りました!」

「炎が青く?」

「赤子の呪いだ、と帝も大そう怯えていらっしゃるようです。公家の方々も取り乱しておられて。いかがいたしましょう」


 赤子とは一体何のことだろうか。女官が倒れたかと思えば、小屋の火事に松明の炎。おそらく誰かが意図的にやっているのだろうが、その目的が皆目分からない。


「何が起きていると思う。双雲」


 牛若は、今しがた隣にやってきた巨躯の男に話しかけた。その大男は薙刀を弄びながら、愉快そうに応える。


「そうですなあ。江戸から来られたあなた様をからかっているのでは?」

「ほう、これが京人のもてなし方とでもいうのか」


 牛若は自嘲するように鼻をならした。

 と、そのとき、中央の広場の方で声が上がった。牛若と双雲はすぐさま広場へ駆けつける。


 二人が広場に着いた時には、すでに集まっていた近衛兵や牛若の部下たちがみな上を見上げていた。彼らの視線の先を追うと、建物の上に誰かいるのが見える。

 真っ黒な装束に身を包み、顔には狐の面を付けている。


(あれが、騒ぎを起こしている犯人なのか?)


 牛若が部下に捕獲を命じようとしたとき、先に声をあげた者がいた。


「化け狐だ! そなたら帝をお守りせよ」


 叫んだのは、牛若たちと同じくこの場に駆けつけてきた申泉成親であった。彼の声に煽られた近衛兵たちは、慌てて狐面の人物へ向かって弓をつがえる。


(駄目だ)


 あの者には、今夜の出来事について聞かねばならないことがある。殺してはいけない。


「待て! あの者を殺すな。捕らえて――」


 と叫ぶ牛若の声は、勇んだ近衛兵たちには届かなかった。

 無数の矢が夜空を切り裂く。

 到底、避けられる数の矢ではなかった。が、しかし、狐面は屋根の上を駆けながら全ての矢をかわしてみせた。そしてそのまま屋根から飛び降り、音もなく地面に着地する。


 急に目の前に現れた狐面に、近衛兵たちは後ずさりした。そして兵の一人が抜刀したのをきっかけに、恐れとも勇みともとれる声を上げながら、一斉に狐面へと切りかかる。


 鋭い金属音が響いたと思ったときには、近衛兵たちの刀が宙を舞っていた。瞬く間に、狐面の前に立っている者はいなくなっていた。

 狐面の人物が、ゆらりとこちらを向く。青い炎に照らされたその姿に、背筋がぞっとした。


「牛若様! お下がりください」


 牛若の部下たちが刀を抜き、牛若の盾となって狐面に向かい合った。

 一呼吸の後、部下たちが狐面に切りかかる。牛若の部下たちは近衛兵たちとは違って、江戸から連れてきた選りすぐりの精鋭たちだ。彼らなら奴を捕まえることは可能――。


 牛若は目の前の光景が信じられなかった。


 腕の立つ部下たちが、狐面の刃を受け次々と倒れていく。狐面は手練れ十数人を相手に息を乱すことなく、そのまま牛若めがけて一直線に向かってきた。奴と牛若の間にはもう障害となるものは何もない。

 鋭い殺気を放ちながら風のように駆け来る狐面の斬撃を、牛若はすんでのところで抜刀し受け止めた。


(くっ重い)


 華奢な身体から繰り出されたとは思えぬ斬撃の重さだ。どうやら軸足を起点として回転の力を利用しているようだが、分かったところで奴の隙は見つからない。


 迫りくる白刃をなんとか受け流す牛若だが、そこには歴然とした実力差があった。勢いづいた狐面が退く様子は微塵もない。

 牛若の脳裏に、己の、死の影がちらついた。走馬灯のように兄から聞かされた言葉が蘇る。


「いいかい牛若彦。京には、いまだ戦国の世の技を受け継ぐ忍びがいるそうだ。二年前に、京で略奪や辻斬りをしていた一団がいただろう。その団員三十余名を殲滅したのも、たった一人の忍びだったそうだ」


 姿を見たこともないその忍びと、今刃を交える人物の姿が重なって見える。

 面の隙間から見えた瞳には、静かに燃える青い炎が映り込んでいた――。


 と牛若はここで一つ手を読み違えた。もとより格が違う相手だ。狐面は牛若の悪手を見逃してはくれなかった。狐面が振りかざした刃が月光を受け、(ひらめ)耀(かがや)く。まさに紫電一閃。


 切られる、と思ったそのとき、頭上から地響きのような怒号が降ってきた。直後、狐面の頭上に薙刀が降り降ろされる。双雲が牛若の後ろから薙刀をふるったのだ。狐面は一瞬、その斬撃を受けたかに見えたが、すんでのところで後ろに宙返りし距離をとっていた。そして、懐から弾薬のようなものを取り出した。直後、辺りが煙幕に包まれる。


 その煙が晴れた頃には、狐面のすがたは忽然とその場から消えていた。


「逃げられましたな」


 双雲は悔しそうに言ったが、奴が逃げてくれなければ危なかったのはこちらの方だ。むしろ撤退してくれたことを喜ぶべきだろう。牛若は短く溜息をはき出すと、腹に力を入れなおした。


「まずは医官を呼べ! 負傷者の手当が最優先だ。死傷者の数は確認でき次第報告しろ」


 これほどの被害を出してしまった責任は重い。近衛兵も、頼りにしていた部下たちも随分やられてしまった。

 唇を噛む牛若の隣で、双雲が慰めるようにいう。


「まったく奴は何者だったんでしょうなあ」

「分からん。だが……あれは女だった」


 最初は少年かとも思ったが、間近で見てみれば明らかに女の身体つきだった。

 双雲がさようでしたか、と返事をしたちょうどそのとき、走り回っていた部下が報告にやってきた。


「若様。負傷者は二十二名です。死者はおりませんでした」

「は? 死者はいない? 一人も?」

「はい。一人も」


 あの激しい戦闘のなか、一人も死者が出なかったのは不幸中の幸いである。しかし。


「重傷者はいただろう。明日まで持ちそうか?」

「それが、一番重傷の者でも軽い打撲くらいでして……」

「何を馬鹿なことを言っている。切られるところを見たぞ」


 報告に来た部下は困った顔をする。牛若は信じられないとばかりに負傷者のもとへ駆けつけた。


「傷を見させてもらう」


 言いながら部下や近衛兵たちの傷口を改めていく。


「どういうことだ」


 部下の言うとおり、みんな尻もちをついたとか転んだときにすりむいたとかそんな怪我だ。切られていたのは、着物だけ。体に切り傷のある者は一人もいなかった。


「これはしてやられましたなあ」


 がはは、と笑う双雲の隣で、牛若はうかつにもぽかんと口を開けてしまっていたのだった。 


◆ ◆ ◆


 御所の一件から数日たったある日の朝。

(うら)はいつものように、住んでいる長屋から菓子屋へ向かっていた。いつもの通勤路にいつもの光景が広がっている。はずだったのだが。

 菓子屋天みつ堂だけは、普段と様子が違っていた。


「ああ、やっと来た。お客さんがお待ちですよ。(うら)


(お客?)


 (うら)は訝しく思いながら、女将さんに引きずられるようにして店の中に入る。

 するとまだ開店前の店内で独り、茶を飲んでいる男の背中が見えた。


 着流しの上に仕立ての良い羽織をかけている姿は、品の良い商家の子息とでもいった風体だ。しかし、(うら)の直感が正しければ、その青年はけっして商家の子息などではなかった。


(何でここに)


 胸が早鐘を打っていた。隠れる暇もなく、青年がゆっくりこちらをふり返る。(うら)がさっと顔をうつむけると、彼は立ち上がってこちらに近づいてきた。

 目の前で立ち止まった青年は、すっと手をのばしてくる。縄でもかけられるかと(うら)が身体をかたくしたとき、彼の指先が(うら)の顎に触れた。

 そのままそっと上を向かされる。

 何もかも見透かしたような瞳が、(うら)の目を真っすぐ見つめてくる。


「君……どこかで会ったことが、あるような……?」


 青年が首を傾げる。

 彼は間違いなく、御所で兵たちの指揮をしていたあの青年だった。

 (うら)は全力で何のことか分からないという顔をつくって応えた。


「何かの間違いでしょう。私はお会いした記憶はありません」


 青年は(うら)の顎から手を離すと、今度は自分の顎に手を当てなにやら考えはじめた様子だったが。


「うん……確かに気のせいのようだな」


 すまない、と御所のときとは別人のように優しげな笑みをむけてきた。それはもはや犯罪級の笑みだった。女将さんなど危うく腰が砕けそうになっている。一方(うら)は別の意味で足をがくがくさせていた。


「あの。私仕事がありますので」


 所司代の役人に正体がバレれば、(うら)の命はない。ここは早急な撤退が吉とばかりにさっと踵を返した。すると後ろからぐいと腕をつかまれる。


「そんなに慌てて逃げなくてもいいだろう。まだ話は終わってないよ」


 ()()()()()()(うら)ではその手を振りほどけない。女将さんに目で助けを求めるも、女将さんはにやにやと嬉しそうに目を細めるだけである。

 仕方なく(うら)は、伏し目がちに青年を振り返った。


「何の御用でしょう。急いでいるので手短にお願いします」


 (うら)は努めて冷たい声で返したつもりだったが、彼は柔らかく微笑んだままだ。いやむしろ、さらに興味をそそってしまった感まである。


「この間注文した菓子を作ってくれたのは君だそうだね。さすが京の菓子職人だ。見事だったよ」

「それは、どうも……」


 江戸から来たおえらいさんというのは、この青年のことだったらしい。この若さで所司代の下に派遣されるとは恐れ入るが、(うら)にとっては災難以外のなにものでもなかった。


「話は終わりですよね」


 自分に言い聞かせるようにつぶやきながら歩き出そうとすると、腕をつかんでいた手に力をこめられる。そのまま身体を引き寄せられたかと思えば、耳元がぞくりとふるえた。


「今度、俺と逢引(デート)にいかないか」


 にっこり微笑む彼の顔を見上げた(うら)は、全身の毛穴からどっと冷汗が噴き出すのを感じた。


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してやられましたなぁ、声に出して読みたい日本語ですね…。着物だけ切られるの、いつでも倒せるんだぞって脅しのようで一番怖いな。「仲間の仇!」にもならないですし。
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