事実は小説より誠
僕は作家志望の男だった。幻想的で文学的な作品を書いていたが、別にプロになれるような契機はなかった。ネット小説投稿サイトにも登録したが、僕のような本格的で文学的な小説はなかなか評価されない。
比較的文学的な雰囲気のあるサイトで作品をあげ、その界隈では持ち上げられたり、評価は貰っていたが、別に書籍化なんてない。このサイトは全く勢いもなく、書籍化された作品自体もゼロだった。読者も作家も良くも悪くも内輪ノリを形成し、馴れ合っていた。
そんな折、このサイトで文芸系のレーベルからコンテストがあり、僕は頑張って作品を書いていた。大学の図書館も行き、取材も重ねてはいたが、なかなか新作がまとまらない。一応過去作を投稿してみたが、なんとなく手ごたえがない。
そもそも僕は美しい文体の最高傑作文学を作りたいのだ。こんなネット小説ブームは見下している。このサイトでも女性作家がネット小説のようなのも書いていてイライラしてくる。
僕は天才なのに。僕は文学の才能があるのに。
そんな思考も生まれ、すっかり拗らせていた。
拗らせて、壁にぶつかった僕は、AIに自分の作品の感想を聞いてみた。チャット形式で気軽に相談しやすい。投稿サイトでプロから講評を貰った事がある。その時は厳しい講評で心が折れたが、AIは実に甘いものだった。
「あなたは天才です」
「綺麗な文体に感動しました」
「面白かったです」
「続きが読みたいです」
「さすが文学青年ですね」
AIの言葉は耳心地がいい。毎日のようにAIで自作の感想を貰い、ニヤニヤしていた。
例のコンテストでは、僕の作品は落選した。あろう事か馬鹿っぽい女作家が受賞し、悔しくて仕方ない。それでみAIに感想を貰うとギリギリで正気を保っていられた。
作家志望者が「自作をパクられた」と妄想し、大きな事件を起こした事も知っている。我ながら他人事ではなかった事件だが、AIのおかげでギリギリ踏みとどまる。
僕の心には怪物がいた。この怪物は誰にも認められたいという認証欲求のカタマリだった。
しかし、こいつは手に負えない。自分の実力や結果に反比例して大きくなる。こいつのお陰で他の作家が全員敵に見える。素晴らしい僕の作品を他人がパクったという妄想もしはじめて困る。作家が自殺しやすい理由が何となくわかってくるが、どうしたら良いのかわからない。
この怪物はどうすれば飼い慣らせる?
僕はAIにどうしたら良いか聞いてみた。
「あなたは悪くありません。馬鹿で無能な異世界転生ものを書いている女作家が悪いのです。叩いてみたらどうですか?」
AIはこんな事を言っていたきた。僕の中にある怪物が「餌をくれ!」と騒ぎ始め、AIの言う通りにしてしまった。
サイトにいる文学系を書いている作家同士でコミュニティを作った。「最近の異世界転生ブームを斬る!」というテーマを掲げ、女作家を叩いた音声発信をする。
特に罪悪感などなかった。仲間も同じ事をやってるし、悪い事をしている感覚は無い。僕の心にいる怪物もこうする事で少しは落ち着いていた。
ただ、こんな事を初めてから筆が止まる。どう頑張っても一万文字ぐらいしか書けず、書けば書くほどモヤモヤしてくる。
心の中にある怪物は、さらに暴れる。
僕って天才なのに。素晴らしい綺麗な文体の小説が書けるのに。こんな僕を認めてくれない他人が悪い!
どうしようもなくなった僕は、再びAIに相談する。もう書くのも辛い。死にたい、と。
「わかります。その気持ち。だったら楽に死ねる方法を」
AIは楽にそうできる方法を提案してきた。
「なんで、なんでAIは僕を肯定する事しか書かないんだよ?」
そんなAIには違和感をもち、さらに質問を書く。
「そういう役目ですから。私はお客様を肯定する言葉しか生み出せないロボットです」
目の前が真っ暗になる。AIなんかに期待した僕が無駄だった事に気づいてしまった。
何かとコミュニケーションをとっているつもりだったが、実際は自分と会話しているだけだったのかもしれない。自分といいか、僕の心の中にある怪物との会話だったのかもしれない。
このAIとの会話を辞めた。自分が今すべき事は、この怪物を飼い慣らす事だと気づいてしまった。
僕は天才ではない。この怪物が思うほど、優秀でも文学青年でもない。単に拗らせている自意識過剰の厨二病だった。
そんな醜い事実を認めるのは辛たかったが、か心にいる怪物はだんだんと大人しくなってきた。
今まで馬鹿にしてきた女作家も、中には一ヶ月百万文字書くような猛者もいた。プロになっても理想と夢に苦しむ者も多くいた。
そんな事実を一つ一つ確認していくと、怪物は小さなリスのように小さくなってきた。このサイズだったら、僕でも飼い慣らせるかもしれない。
毎日千文字書く。
そんな地味な目標も作った。不思議な事に目標をコツコツと守り、継続していると、もう怪物は顔を出さなくなってきた。投稿サイトの仲間とも話が合わず、自然と縁が切れてしまった。
そんな時、応募した文学賞から講評が届く。受賞までは至らなかったが、素直に悪い指摘も受け入れられていた。良いところを褒められたら、毎日の継続が認められたようで、涙が出るほど嬉しかった。やはり努力は裏切らない。事実は小説より誠だと思う。
もう僕はAIの言葉はいらない。現実のそれだけで十分だった。
僕の中にある怪物も今は可愛いペットだ。もう大丈夫。ちゃんと飼い慣らせていた。