コオロギ食についての個人的な所感まとめ、とか
前置きとして、最安が昆虫食なら、一択だとしか言えない。
基本ベースが最安なら、そこから加工して色々と味付けや多様性、季節の新商品とか作り易くて良いだろう?って。
色々なモノが馬鹿みたいに値上がりしてるんだから、基本ベースとなる昆虫食は推したい気持ちは分かる。
あとイメージとしては昆虫を食べるのも(ゲテモノを普通に食べられる人種なので個人的には良いのだが)大抵は粉やペースト化して、クッキーやカロリーメイトみたいな、そんな風になるだろうと予想しているが、間違いか?
あと昆虫食によって、旧世代の遺物のような食品産業を再編する契機にもなって良いと思っている。
既に利権が固まってイノベーションもなく、凝り固まった構造が日本は勿論、世界中にあるから。
EV、電気自動車が、実は採算がなくて割に合わないのに、なぜあんなに推されているか?
実は、既に利権化して凝り固まった構造を根底から破壊して、強制的に新陳代謝を促すからだろう。
例えば、日本の自動車産業、日本は高齢化して世界的に見て老害、は言い過ぎにしても衰退気味国家であるのは、流石に言い訳できない事実だろう。
ちょっと話はソれるが、ここで説明というか語らせて欲しい、後で話を纏めるのに円滑になるので。
上ではああ言ったが、日本は高齢化しても文化レベルが高いので、実は世界的に見ても十二分に優秀だったのだ、がソレは、ここ十年くらい(?)のITの発達で無しになった文脈らしい。
どうやらITで、日本以外の文化レベルが急速に上がった気配がある。
日本の文学やオタク文化やテレビ文化や日本語や、色々と世界的に見ても優越的な文化っぽかったが、
代表的な事例は、ドキドキ文芸部とか? 日本のオタク文化凄いっ!の、海外から見た奴、アレだわな
でも、このITという奴は文化レベルを根本的に、しかも加速度的に引き上げるレベルの起爆剤や特異点のようなものだったらしい。
最近は中国のソシャゲやらゲームやら、日本は負けっぱなしだろう。
ITが発達してなければ、コツコツと文化レベルを上げていった日本の底力がモノをいうフィールドだったろうが、
ITやネットワーク、そのコミュニティー形成のアレコレ、によって加速度的に技術が模倣され、研究・応用・独自の発展が促された感じだな。
オマケにプログラミングの世界は、文学の世界を無価値・無意味にするほどの、娯楽的な発展を遂げた感もある。
もちろん資金力の差も、人口パワーも、日本から直接的・間接的レベルで流出したクリエイターやエンジニアも、僅かじゃない量でいるだろうと予測されるし、日本の劣化も込みだが、それでも負けすぎように思われるのだ(当方主観(笑(苦笑)))。
つまり日本に優越的な所は少なくなったような奴で、感じなんだな。
さてもう日本は色々と期待できないし、こうなったら早々に退場して、その地位を第三世界とまでは言わないまでも、他の国に譲るべきなのは、もう言うまでもないって流れなわけ。
世界はそう思ってるんだよね、うんうんって。
もちろん、日本の自動車産業とかが自ら新陳代謝して、イノベーションして、若い世代に利権を譲ったりして若返ったり、有能な人材や後継に道を譲るとか、そういう話なら、生き残ったりするのか?
ここら辺の最適解は、ぶっちゃけ詳しくないので知らんが、適当に纏めます。
それで世界の劣化を、人間種の劣化を、こういう風に止めるのは、アリだと私は思っているので
昆虫食も、似たような流れで文脈、コンテキストとして、新たに出てきたものだと認識していくつもりだ、でーす。
さて、ここでやっと本題の昆虫食に戻ってこれた。
コレの前提としての危険性は、アレルギーの懸念以外には、個人的な視界からは見つからなかった。
他のデメリットとして挙げられるような懸念は、容易に十二分に回避可能なので
聞いた話によると、現在、食用として注目されているのは既にペットの餌としてかなり昔から養殖されてきた、ヨーロッパイエコオロギやフタホシコオロギらしい
これは何世代にも渡って家畜化されているので、生産においての衛生面は問題ないと思っていい、らしい。
あと生産コストが実は高くて、例えば太陽光発電の嘘のように、割にあわないとか噂で聞いたが、
どう考えても生産コストは優越している。
今現在においてですら絶対的に優越し、将来的にさらに水不足やその他の要因で、このコスト差は大きくなり続ける公算も高いのだ。
ようは金持ちが抵抗しているだけだ、というのが個人的な所感。
昆虫食なんて貧乏な人の為の政策だから、
そんなのに補助金やトレンドの軸を持っていってムーブメントを巻き起こすなら
高級食、豚肉とか牛肉とか、金持ちが食うモノを、もっともっと押して欲しいってのが本音だろうと思っている。
さて昆虫食の良い所ばかり、他の悪い所ばかり上げたような気がする。
もちろん悪い面もある、第一に総合的な生産含めた、消費者に届くまでの商品の流通ルート。
長く問題のなかった既存の手法に頼らず、信頼と実績があり、間違いのない品質を提供してくれる。
今の日本でキチンとソレを担えて期待できる、新興企業だったり、あるいは新規プロジェクトとして、昆虫食を抜かりなく進めらる企業、果たしてどれだけ居るだろうか(ちょっと余所見というか遠い目)。
劣悪なブラック企業が生産しているようなモノは、どんな危険性があるか分かったモノじゃないので(これは他の食品すべてに言える事だが)、
だから最初からある程度、信任と、保障のようなものがある大企業が望ましい(大企業じゃないと、問題が起こった時に賠償とかできなさそう...)。
そして昆虫食って入り口から若干のハードルの高さがあり、イメージで負けている。
ただ売ってるモノを買える状態にすれば良し、じゃない、商売として成り立たせるのに、全然問題ないとはお世辞にも言えない。
これが補助金(出てるの?(笑))とか国を挙げて(実は知らない、後々調べます)進めてる所以だろうなあ~、ってのが個人的な最終結論っす。
私的な結論としては、安ければ食う・買う、です
今の自分の食生活は白米とビタミン・ミネラル剤なので
食費が浮いて、安ければ何でも良いってのが第一ですね。
上の世代は食に娯楽を求めるなんて、低レベルな次元にいるので無理だろうが
そもそも食に娯楽を求めるのが大前提の間違い
ある程度以上の大人になれば、そんなモノに嗜好以上の娯楽を求めてはいけないと思っている
下らない人間を前提に考えてはいけない、これからの未来を生きる人間を見据えるべきなのだ。
だいたい豚やら牛やら色々いるが、あんなのはいらない、旧時代の遺物だと思っている。
焼肉とか、そういうの、下らない
作る人間がいるから、そういうモノが作られて、結局は押し売りのようになる構図がある。
それで普通に生きてたり、いや、ハイレベルに生きている人間か?まだ
足を引っ張られる結果になる、いらないモノを押し売りされているのだから、金が奪われるのと同じだろう
もっと言わせてもらえれば、旅行はいらないし、田舎もいらない、とか腐るほど出てくる。
そんな所に大事な労働力や資源や税金、貴重な人間の時間を、浪費しないでくれって(笑)
次世代の視点から言って、根本的に絶対的な無意味で、無価値なんだよ、ソレって(笑)
人間の本質的に、いらない事ばっかやってると、未来においてはアッサリと切り捨てられる。
つまり旅行はしなくて良いし、都市に集住して住めって、話し、単純な話しで結論。
世界三位の経済大国に甘んじて、何時までも不効率で不条理で不合理がまかり通ると思わない事です。
文化的なレベルが隔絶して、上位と下位に分かれても、何も良い事がない。
例えばアメリカのフロンティア開拓の歴史を紐解くと、なんの意味も価値もないと見做した、蛮族のインディアンを殲滅したような奴。
旅行して田舎に住んで、豚や牛を無意味に作って食べる、コレもう蛮族ですよね? うーん、成ると思うんですね~自分コレ近未来に、マジでガチで本音で本心で語っちゃうと(笑)
そもそも食品関係の仕事が全部いらない、無能な働き者レベルの存在だと思っている。
これから娯楽がインフレして、急速にヤバくなる現実世界に至り
悟りを開いて覚醒するような、俺のような奴が多くなるだろうが
加えて医療科学が発達すれば高齢者も長生きする、老人は大抵は悟りを開いて覚醒してるような奴が多いだろう、ソイツらも迎合する勢力になるだろう。
ホント無駄な金を、労力を浪費し、無駄にしている所を徹底的に排除しなければいけない
(”所”ってのが重要っ、”奴ら”じゃないよ(笑))
てーか、みんなはこれから仕事が無くなる事に自覚的だろうか???
仕事がなくなって、生活保護とか、取れば良いとか?そういう簡単な話しじゃないのだ
ベーシックインカムでも弱者救済の給付でも何でも、財源がなければ何もできない、無い袖は振れないのだから
社会に余裕があれば、あるいはベーシックインカムのような、本来的に不要で無用で、いらない人間にも人権を認めて、平等を維持しようとする、綺麗事がまかり通る余地もあるだろう、だが社会に余裕が無ければ、極限まで効率化と最適化がされていなければ、どうなるか? 考えるまでもないだろう。
給付はない、仕事はない、仕事はあっても長く続ければ体を壊すような劣悪なモノか、人間の尊厳を大安売りして、買い叩かれるようなモノばかりだろう。
結果として早死に、命を削って、合法的に殺されるような仕事、あるいは戦争に駆り出されるとか想像し易い。
もちろん人間としてのQOLを下げて、生きていられるだけで満足のような奴らはいるからな
一日12時間労働で、身内と下らない仕事をして、なんの知的生産性もない事を一生し続けるような奴だ、俺の両親がそういう人種だからよく分かる。
そういう仕事もなくなるのか知らんが
あるのならば、機械の歯車に徹して、社会を運営する道具として、徹底して従順に振舞う保証があれば、たぶん仕事としては残り続けるような気がする。
幾ら自動化しても人間が便利な事は否定できない
従順で、自我を無くしたように野心もなく、夢もなく、一つの組織で働き続けるような生き方も、両親を見てきた俺は十二分にありだと思っている。
だが両親の世代じゃない俺は、あの生き方は無理だ
どう考えても仕事よりも面白い事があり過ぎる、面白い仕事なら良いが、両親のしているような下らない面白くない仕事に人生は捧げられんからな
そういう仕事はないのと一緒、結果として将来的にはマトモな仕事がなくなる、イコールで仕事はなくなると確信しているのだ
他の視点もある。
そもそも現在、東側と呼ばれる陣営と、西側とか、俗にどちらも西とか東とか区別しなくても、別にいいのだが、とりあえずの対立軸として西とか東とか分かり易いので、持ち出すが
この対立は対立でしょうがないので、多くは語らないが
その中で、どれだけ膨大な理不尽と不合理と不条理が醸されて、生まれるか
現在もその片鱗が、個人的な主観なので、片鱗や氷山の一角や、僅かと表現するが、当事者にとっては世界の全てだ、もちろん出ている。
この対立による不幸を、どれだけ最小化するかは、できるかは、我々に掛かっているとしかいえない。
対立はなくせない、決して無くせない対立がなければ、絶対にいけない。
対立がなければ、上の上の、頂点で、穏当に手を組み、身内化して、馴れ合いの状態になり、結果として市場が独占されて、競争がなくなり、生ぬるい腐敗が醸されるからね。