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飛花

 

 __ピピピピ、ピピピピ


 機械的なアラームで僕は目を覚ました。今日は入学式か。顔を洗って、歯を磨いて、まだ汚れ一つない綺麗な制服に袖を通す。


 アパートからここへ引っ越す時に捨てた中学の制服は気づかないうちに糸が解れ、色あせていた。特に変わったこともなく普通に生きてきたつもりでも、そこそこに破れていく。この綺麗な制服もきっと。


 中3の冬に味がわからなくなるまでは毎日早起きして弁当も作っていた。中学の頃は料理は好きでそれを趣味にもしていたくらいだった。


 けれど、突然お米は無味の粘土のようになった。魚は生臭いだけで、出汁をとってもその生臭さが移るだけ。


 そんな食事に嫌気が差して、僕は自分で何かを作ることをやめた。


 けれど、この早起きの習慣だけはその時からずっと残り続けていた。時計の針は午前6時を指している。洗濯も3日に一度ほどで間に合うので今朝は取り立ててやることもない。


 母さんが事故で他界したのは1年前。こういうふとした瞬間にキッチンに立つ母さんの姿を未だに思い出してしまう。僕は母の手料理が好きだった。好きだったことは覚えているのに、もう味噌汁の味も思い出せない。


 前に住んでいたアパートとは間取りも、壁の色も、窓から見える景色も違うけれど、『ご飯よ』という母の声が今にも聴こえきそうで。


 そんな苦しい想像に体が耐え兼ねたのか、胃の中から何かが上がってきた。トイレに駆け込んだが、吐き出せるようなものも入っておらず、泡立った胃液をなんとか押し出すだけだった。


 もう一度鏡に写った制服姿の自分を見る。正直、似合っていない。中学に入学したときは写真を撮ったけれど、僕一人で写真を撮るような気分にはとてもなれなかった。


 __もう学校に行ってしまおう。


 学校まではそこまで遠くない。徒歩でも10分ほどで着く距離だ。9時に集合となっているのに7時前に家を出ている。学校が好きでもないのにこんな時間に部屋を出るなんて馬鹿みたいだと自分でも思う。



 ぼんやりと歩き続け、偶々見かけた公園のベンチに座った。この時間の公園には流石に誰の姿も見えない。


 自動販売機で買ったお茶は苦味のない風味だけの水みたいだった。最近は慣れてこれでもマシだと思えるようになった。お腹は空いているが、何も食べたくなかった。多分、今何かを食べたら吐いてしまうだろうから。


 ブランコから見上げた公園の桜は少しずつ散り始めていた。頭上から落ちてくる花びらはゆっくりと踊りながら足元に落ちる。


「なーにしてんの?」


 突然の声にブランコから転げ落ちそうになった。悠里はそんな僕を見てクスクスと楽しそうに笑う。


「悠里、 そっちこそどうして」


「朝早くから制服着て出て行ったゆずが見えたから。で、こんなとこで何やってんの?中二病ってやつ?」


「違うって。ただ朝早く目が覚めたから早く部屋を出ただけだよ」


「へえ、次の日が入学式で緊張して眠れなかったんだ。可愛いとこあんじゃん」


 そう言って悠里は僕の隣のブランコに座る。


「中二病よりはマシだけどさ……」


 隣のブランコに座る悠里をチラリと盗み見る。悠里はブランコをゆっくり漕ぎながら公園の桜並木を見つめていた。


 それほど大きく、ブランコがポツンとあるだけの公園。今日初めて来たから愛着があるわけでもない寂しい公園。それでもこの桜並木は好きだと思った。


「桜、綺麗だね……」


「うん、綺麗」


「私さ、これくらいの方が好きなんだ。こうやって花びらを落として、実をつける準備をしてる。子孫のために自分の美しさも捨てているって思うと落ちてくる花びら一つ一つがすごく美しいものに見える気がするの」


「……すごくカッコいい考え方だと思う。あと、悠里って見かけによらず優しいよね」


 悠里の言葉は衝撃だった。落ちる花びらなんて僕の中ではこぼれ落ちたものというイメージしかなかったから。どれだけ大事に留めておこうとしても掌からこぼれ落ちてしまうもの。その先に待つのは昨日感じたような砂漠。


「見かけによらず、ねぇ。そこは普通に優しいって言わないと。それにまず制服を褒めないと。モテないよ、柚月ちゃん」


 からかうように言う。バカにしたような表情も様になっているのが羨ましい。


「ちゃんはやめて」


「いいじゃん可愛くて、私はいいと思うけどな」


「それにそんなチャラチャラした人がモテてたって羨ましくありません」


「そっか、まぁあれはチャラチャラした人がモテてるんじゃなく、顔が良くてモテてる人が調子に乗ってるだけだからね」


「じゃあ僕がやったらただの痛い人ってことじゃん」


「それはそうかも」


 そう言って2人で笑う。母さんのことがあってから父さんはあまり笑わなくなった。こんな風にまた誰かと笑い合えることが楽しかった。


 一頻り笑ったところでふと腕時計を確認すると針は8時を回っていた。早めに着いておくにしても、この時間なら十分だろう。


「そろそろ行こうか。学校」


 僕がそういうと悠里は目を丸くした。


「えっ?もうそんな時間なの?ゆずのせいで朝ごはん食べ損ねたんだけど。お詫びとして帰ったら奢ってね。優しい柚月くん」


 悠里はバッグを持ち、ブランコから降りて歩き出す。

 僕もそれに続いて歩き出す。


「どうせ僕は優しくないよ」


 そんなことを話しながら2人で歩く。こういう時間を大切にしたいと、僕は思った。



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