ヤンデレお兄様に殺されたくないので、ブラコンやめます!
私が所謂前世というものを思い出したのは、12才のときでありました。お兄様が庭にいくのについていってたら、足を滑らせ、庭の池にどぼーん、と落ち溺れて死にかけて思い出しました。
私が生まれたのは、剣と魔法の世界。
イエーーーー異世界転生だ、ひゃっほぅ! ……なーんて、喜べたらどんなによかったか。
思い出したのは、残酷な運命。転生先は、義兄イアンの恋人オーロラを苛めて、ヤンデレな義兄に闇に葬られる、悪役令嬢でした。
そりゃあね。お兄様からしたら、小さい頃からちょこまかちょこまかと付きまとわれて鬱陶しいことこの上ないのに、闇の世界から救ってくれた愛しい恋人を殺されかけたら、殺しちゃおうかなー、とか思っても仕方ない。 って、納得できるかぁー!
むりむりむり。死ぬとかむり。
私、ヴァイオレット決めました! 今日からブラコン辞めます。
私こと、ヴァイオレットはお兄様のことが好きだった。その好きはライクではなくラブだ。
だから、恋人になって愛されているオーロラが許せなくて、妬ましくて、いじめる。
前世を思い出して、ちょっと落ち着きが前よりなくなったけれど、ヴァイオレットの本質は変わらない。このままお兄様を好きでい続けて、オーロラをいじめないなんて絶対むり!
嫉妬に狂い、いじめて、いじめて、いじめたおしちゃうだろう。
だからこの恋心、スパッと諦めます。
まずはその第一歩として、宣言通りブラコンをやめる。
1 お兄様の後ろをついて回らない。
2 夜会のダンスをお兄様とだけじゃなくて、他の男の子とも踊る。
3 新しい人に恋をする。
この3つをとりあえず、心がけていこうと思う。
「よし!」
思ったよりも、大きな声をあげてしまった。その声に気づいた侍女たちが集まってくる。
「お嬢様、目を覚まされたのですね! すぐに旦那様たちをお呼びします」
どうやら、私は池に落ちた影響で一週間ほど熱に魘されていたらしい。お父様とお母様には大変心配された。
それに、お兄様も。
「心配したよ、ヴァイオレット」
そういって、眉を寄せるお兄様は本当に心配しているように見える。けど、前世を思い出した私はそんなお兄様に抱きつかずに、少しだけ冷静に観察できる。
心配したというわりには侍女たちによるとお兄様は私がうなされている間、一度も見舞いにこなかったらしい。
うん。このことから、だいぶ疎まれていることがわかるね!
もうお兄様ったら、素直にいい気味だぜ! くらい言ったらいいのに。素直じゃないんだから。このこの。
なーんて、口が裂けてもそんなことは言えないので──言ったらそれこそ殺されそう──素直にお礼を言う。
「心配してくださってありがとう。お兄様、もう大丈夫よ」
「ほんとうにもう大丈夫なのかい?」
抱きつかない私にいぶかしげな顔をしたお兄様に謝る。
「大丈夫。それからごめんなさい。もうお兄様には、付きまとわないわ」
「……え?」
お兄様がとっても驚いたように、口をあんぐりとあけた。そんなお兄様の間の抜けた顔は初めてみる。お兄様でもそんな顔するんだね!
「ヴァイオレット、やっぱりまだ熱があるんじゃない? 僕はヴァイオレットに付きまとわれているなんて思ったことはないよ」
またまた。お兄様ってば嘘がお上手なんだから。
「僕たちはいつも一緒の仲のいい兄妹だったじゃないか」
表向きはね。お兄様が私をただの妹としてさえ思ってないこと、私はちゃんと気づいてたよ。それでも好きになってほしかったの。でも、この想いはもうおしまい。
「ええ。これからも仲良しなのは変わらないわ。ただ、ちょっと今までの私は距離が近すぎたなって」
私がそういうと、お兄様は奇妙なものを見るような目で私を見たあと頷いた。
「寂しいけど、兄離れの時期が来たんだね。わかったよ。おやすみ、ヴァイオレット」
「おやすみなさい、お兄様」
よーし、明日から新たな恋に、魔法に。頑張っちゃうぞ。
翌朝。
「お嬢様、もう体調はよろしいのですか?」
「ええ、大丈夫」
家庭教師のメイリーに、心配そうに尋ねられ深く頷く。以前の私なら、まだ体が辛いからなんてことを理由に今日の授業も休んでいたと思う。でも、今はお兄様に向けていた情熱をもてあましている。この情熱が勉強に向けば、お兄様にとっても、私にとってもいいことなんじゃないかと思う。
「じゃあ、今日はお嬢様にとっての初めての魔法のレッスンをしましょう」
やったー! 異世界転生といえば、これだよね。
そして渡されたのは、毛糸と編み針。
「?」
「さぁ、やりますよー!」
いや、そんなに意気込まれても?????
けれど、私が?マークを頭に浮かべるのと同様にメイリーも?マークを浮かべていた。なんで、これで気分が上がらないのかと。
いや、あがらないでしょ! なんで、魔法で編み物がでてくるのさ。
「だって、お嬢様。魔力を編むのと、編み物はとっても似ているんですよ。きっと、マフラーを一本編み終わる頃には、お嬢様の魔力操作も上手になっていることでしょう」
ちなみに、ここで残念なお知らせ。ヴァイオレットは刺繍の先生に匙を投げられるほど、不器用である。
……魔法、終わった。
「……はぁ、ぜぇ、はあ」
「すごいです! お嬢様。ついに、マフラーを完成させるなんて!」
メイリーはめちゃくちゃ誉めてくれるけど、できあがったのはぼろ雑巾のようなそれだった。……残念ながら、私に魔法適正はなさそうだ。魔法は潔く諦めて、恋愛にいこう、恋愛!
鏡の前でため息をついていると、侍女のアーシャが心配そうな顔をした。
「どうなさいました?」
「いいえ、なんでもないの」
今日は、王城でのお茶会の日。感情を切り替えて笑みを作る。うん、可愛い。私は、貴族だからか結構元はいいのよね。それに身分だって、公爵令嬢だ。あわよくば、王子様だって狙えるんじゃない? なーんてそこまでうまくいかなくても、そこそこの地位をもった優しい人に恋をしたい。
そうと決まれば、レッツお茶会!
お茶会では、私と同じぐらいの年齢の女の子たちが目をギラギラとさせて、王子様の登場を今か今かと待ちわびている。すごい、みんなやる気に満ちてる! 私も負けられないわ。
そして、ついに王子様──アシェル殿下が現れた。アシェル殿下は金色の髪に澄みきった青の瞳をしている。
……すごく、かっこいい。
「殿下は、どんな紅茶がお好きですか?」
「殿下は、楽器は何を嗜まれますの?」
「殿下は──」
だめだ! この輪の中に入れる気がしない!! 諦めて、殿下の側近候補が集まる方へ行く。
うーん、話しかけやすそうな雰囲気があるのは、誰だろう。
「ヴァイオレット」
「!?」
耳元で名前を囁かれ、ビックリして飛び上がる。すると、くすくすと後ろから笑い声が聞こえた。振り向くと、お兄様だった。
「……あ、お兄様」
そうだ。そういえば、お兄様もアシェル殿下の側近候補なのよね。
それにしても、こんなに楽しげなお兄様初めてみたわ。お兄様ってば、よっぽど良いことがあったのね。けれど、そのことを聞こうとしたとき、
「イアン」
涼やかな、声だった。思わずその声の方に私が呼ばれたわけでもないのに振り向くと、澄みきった青の瞳と目があった。
「────」
すごい、近くで見るとこんなにアシェル殿下の瞳って綺麗なんだ。思わず興奮して頬が紅潮する。アシェル殿下から、目がそらせない。けれど、アシェル殿下もなぜか私から目をそらさなかった。
時間にして何秒か、何分か。私を現実に引き戻したのは、お兄様の声だった。
「……ト。ヴァイオレット」
お兄様の声でようやく、瞬きをする。
「どうされました? アシェル殿下」
そうだった、アシェル殿下はお兄様に用があったんだった。
けれどアシェル殿下は首を振り、私に微笑んだ。
「いや、なんでもない。……ところで、イアンの妹君、私と少し話さないか?」
えっ、えええええっ!? そんな、王子様と話すなんて恐れ多い。なんていうわけがない。これは願ってもないチャーンス! アシェル殿下が無理でも、アシェル殿下と親しくなっておけば側近候補のいい人を紹介してくれるかもしれない。
「よろこん……もがっ」
私が満面の笑みで答えようとすると、お兄様に手で口を塞がれた。
「申し訳ありません、アシェル殿下。妹はまだ未熟なので、何か失礼があってはいけませんから」
なるほど。確かに私がやらかして、お兄様の出世に響いたら困るよね。えー、でも、せっかくのチャンス。ものにしたいんだけどな。
「……構わない。今回の茶会はそもそもがそんなに堅苦しいものではないからな。だから、妹君。私と話さないか?」
そういわれれば、お兄様も私の口から手を離すしかなかった。私はもちろん、笑顔で頷きましたとも!
私は数多くの突き刺すような女子たちからの視線を感じながら、アシェル殿下とお話をする。
「妹君」
「はい」
「私は、アシェル。あなたの名を教えてもらえないだろうか?」
私は公爵令嬢で、アシェル殿下が私の名前を知らないはずがない。けれど、あえて尋ねたということは。いや、深く考えすぎか。
「ヴァイオレットと申します」
「ヴァイオレット、良い名だな」
かっ、かっこいいーーー!!!! いま、ふ、って微笑んだ。これが王子様のきらきらパワーなのね。
「ヴァイオレット、と呼んでも?」
「もちろんです」
深く頷くと、では、ヴァイオレットと一通の手紙のようなものを差し出された。
「これは……?」
私が受け取ってもいいのだろうか。
「私の13の誕生日に行われる夜会の招待状だ。あなたに、ぜひ、来ていただきたい」
「よろしいのですか?」
招待状は、我が公爵家にも届くだろう。大切なのは、アシェル殿下から招待状が渡されたという事実。
「私は、あなたに祝ってもらいたいんだ」
「ありがとうございます。ぜひ、出席させて頂きます」
家に帰ったら、大騒ぎだった。
「まさかヴァイオレットがアシェル殿下に気に入られるなんて!」
「なにをいってるのよ、あなた。ヴァイオレットはこんなに可愛いんだもの。当然よ!」
お父様とお母様は私がアシェル殿下に気に入られたことを、肯定的にとらえているけれども。
「お兄様?」
お兄様、なーんか、不機嫌そうな顔してない? もしかして、私がアシェル殿下の前で何かやらかさないか心配なのだろうか。そしたらお兄様の出世にも響くものね。
「……ヴァイオレットは自分に王妃がつとまると本気で思ってるの?」
おっ、王妃!? アシェル殿下は、王太子だ。確かに、アシェル殿下と結婚すればいずれは王妃になるだろう。でもちょっと気に入られたからって、そこまでいくかな。と疑問に思わないでもないけれど、うまくいった前提で話す。
「それは勉強すれば……」
幸いなことに王妃に魔法は必要ない。勉強は努力次第でどうにでもなると、私は思っているので頷く。
「甘い考えだね。そんな考えなら、やめておいたほうがいい」
うっ、ど正論! でも、なんか言い方に棘がある。
私、お兄様に実は嫌われてるもんね!
だから、そういう言い方されても仕方ないんだけれど。なんか、お兄様の言葉にひっかかる。
「お兄様、私がアシェル殿下とお話をするの嫌だった?」
そもそも失礼があったらいけないという理由で、口を塞がれたぐらいだ。
「……っ、そんなわけない! それじゃあ、僕がまるで──」
まるで、何だろう。首をかしげると、お兄様は舌打ちした。ひいっ、お兄様が舌打ちするなんて珍しすぎる。
「……僕はもう、部屋に戻るよ」
そういって、すたすたと歩いていってしまった。どうしたんだろう。
つい、いつもの癖で、お兄様の後ろをついていってしまいそうになり慌ててやめる。もう、ブラコンからは卒業したんだし、それにお兄様だって一人になりたいときはあるよね!
けれど。それからのお兄様の様子は、ちょっと変だった。目があったかと思うと、すっ、てそらされるし、私が話しかけようとしてもどこかにいってしまう。
おいおい、お兄様、そりゃないよ。
今までいくら私のことを嫌いでも、上辺だけは取り繕ってきたというのに。こんなにあからさまに避けるなんて、初めてだ。
よっぽど、王妃に対する私の認識の甘さが気にくわなかったんだな。
でも、謝るのはなんか違う気がするし。
どうしよう。家族なんだし、このままの状況が続くのは流石に気まずい。
なんてことを思っているうちに、ついに、アシェル殿下の誕生日を祝う夜会の日になった。
「アシェル殿下、ご招待頂きありがとうございます。また、お誕生日おめでとうございます」
挨拶回りをするお父様たちについていって、アシェル殿下に挨拶をする。
「来てくれてありがとう、ヴァイオレット」
アシェル殿下が柔らかく微笑む。きゃあっと、遠くで悲鳴が上がった。
アシェル殿下、本当に王子様みたい。いや、王子様なんだけど。
お父様の監督下のもと、アシェル殿下としばらくお話を楽しんだ。
アシェル殿下はピアノが得意なんだって。今度、聞かせてもらう約束をしたのでとっても楽しみだ。
アシェル殿下と別れ、食事コーナーにいく。わぁ、流石王家主催のものだけあって、とても美味しそう。何から食べようかな。
きょろきょろと辺りを見回しながら、歩いていると急に誰かに手を引かれた。
「?」
顔をあげるとお兄様だった。
「ヴァイオレット、アシェル殿下とお話して楽しかった?」
ひっ、お兄様!! 目が笑ってないよ!!!
え、なんで、なんで。アシェル殿下と話すときだってお父様の監視下で話したし、特に失言はしてないはず。
「ええ、楽しかったです。お兄様の将来に関わるような失言は、ありませんよ?」
だから、その手を離して欲しいのですが、お兄様。
「別にそんなことを心配してるわけじゃないよ」
でも、でもね、お兄様。お兄様の赤の瞳がとっても危険な色をしているのですが!
「じゃあ、なぜ……」
「なんか、気にくわないんだよね」
気にくわないとは私のことだろうか。私のことだよね! うん! 知ってる!!
「それは……、ごめんなさい」
もう出来るだけお兄様の迷惑にはならないようにはしてるつもりなんだけどな。
「そうじゃなくて。ヴァイオレットと殿下が楽しそうに話してるのが、気にくわない」
!?!?!?!?
それって、もしかして。いや、言わない方がいいよね。
「お兄様、もしかして、妹離れができてないだけなのでは?」
い、言っちゃったー!!! ついぽろっと、思ったことがでちゃった。
「なんだって?」
ほらー! お兄様の目が、細められた。そんなはずないもんね。お兄様、私のこと嫌いだし。でもさー、実際嫌いでも付きまとってたのが急にいなくなったら、ちょっとだけ。ちょーっとだけ寂しく思うこともあるんじゃないかと思うの。
「いや、でも。ヴァイオレットの言う通りかもしれない。僕は思っていたよりも、妹思いなのかもしれないな」
そういってお兄様は、黒髪をかきあげた。
「だからこの際もっとはっきり、言うけれど。ヴァイオレットには王妃は務まらないよ。せいぜいが公爵夫人くらいじゃない?」
この国の我が家以外の公爵子息をざっと思い浮かべて見るけれど。全員婚約者がいた。つまり、これは遠回しに、お前は結婚できねーよ、と言われてる!?
がーん、と傷ついているとお兄様は、なぜか、顔を赤くしたあと早口でいった。
「今のは失言だから。忘れて」
そういって、すたすたと歩いていってしまった。
?????
お兄様が顔を赤くする要素が、どこに? と思うけれど、そんなことより受けた傷口の方が大きい。私はいじけながら、ご飯を食べ──あっ、このお肉美味しい! ご飯の美味しさに没頭しているうちに、その違和感をさっぱり忘れてしまったのだった。
あの夜会から、お兄様の様子がなんだかおかしい。
「ほら、ヴァイオレット。ヴァイオレットの好きな、甘いケーキだよ」
「ありがとうございます、お兄様」
……甘い、甘すぎる。いや、ケーキも甘いんだけれど。甘すぎるのはお兄様だ。今だって、お兄様が私にケーキを食べさせている。いわゆる『あーん』をされている状態だった。
「美味しい?」
素直に食べた私にお兄様は、満足そうに首をかしげる。
「はい。美味しいです」
美味しいんだけどさぁ。お兄様、態度が変わりすぎたよ! あれか!? いままでものすごく嫌いだった反動で、ものすごく好きになったとか?
だって、これじゃあまるでお兄様、シスコンじゃない。
「ヴァイオレット」
「はい」
「今、何考えてた? もしかして、アシェル殿下のこと?」
ひっ! 怖い、怖いよ。お兄様、本当にいったいどうしちゃったの。
「違います。お兄様のことです」
あわててぶんぶんと首を振ると、お兄様はそっか、と嬉しそうに頷いた。
「ところで僕がなんだって?」
「ええと、その、あの。お兄様が、ものすごーく、優しいなって」
汗をだらだらと流しながら、かろうじてそう言った。
「僕の可愛い妹であるヴァイオレットに優しくするのは、当然じゃない」
そういってお兄様がにっこりと微笑む。美形だからその笑みも様になるんだけれど。いや、本当に誰だよ! 本当にお兄様なの!? お兄様も前世でも思い出した???
「はー、ヴァイオレット。可愛いね」
可愛い、可愛い、といいながら今度は私の頭を撫でくり回す。
しばらくされるがままになっていたけれど、いい加減疲れたのでお花を摘みにいく、というとようやく解放された。
「……はぁ」
トイレの個室に入り、息つく。
「どう、しよう」
自分でも、顔が真っ赤なことがわかった。お兄様のことを好きだった気持ちをスパッと封印する、といったってずっと好きだったのだ。実は結構難しい。ましてや、あんなに甘やかされたら。
妹の心、兄知らずよね。
そう思いながら、深くため息をついた。
私がお兄様に出会ったのは、四歳のころのこと。
私が難産だった影響で、お母様がもう二度と出産できない体──たとえ魔法の補助があっても──であると医師に宣告されて、一年がたったころのことだった。
今日は、いつもより良い匂い。たくさんの豪華な食事の香りに私は、なにか良いことが起こるという予感をもっていた。
そして、それは現実になる。
「ヴァイオレット、彼が今日からあなたの義兄になるイアンよ」
女では爵位を継げない。お父様、お母様は悩んだあげく、遠縁の親戚から養子を迎えることにした。そこで白羽の矢が立ったのが、私と一つ違いという兄弟としての年齢差も丁度良い、お兄様だった。
「よろしくね、ヴァイオレット」
お兄様が柔らかく微笑む。けれど、その目には絶望が映っていた。
お兄様の実の両親には、多額の借金があり、お兄様を養子に迎えることが、融資の条件だったのだ。
借金のかたに売られてきたようなものだった。もちろん、お父様とお母様は私とお兄様、分け隔てなく愛情を注いだけれど。
私は、誕生日にお母様からもらった、ウサギのぬいぐるみを抱きしめながら思った。このひとをひとりにしちゃいけない。
まるで、ひとりにしたら、死んでしまうみたいに、見えたから。
だから、とにかく彼の後ろをついて回ることにした。
でも、今にして思えば、余計なお世話だったのだと思う。お兄様は自分の置かれた立場をちゃんとその年で理解していた。だからきっと、私がなにもしなくても、自殺するような真似はしなかっただろう。それにお兄様は私がついて回る度にはっきりと拒絶はしなかったけれど、困った顔をしていた。
でも、一度そう決めたら後は意地のようなもので。お兄様がお手洗いやお風呂にいくとき以外は、ずっとそばにいた。
そばにいるうちに、私の方がそばにいないとダメになってしまった。私がついていくと、困った顔をするくせに、少しでも離れると心配して怒る優しいお兄様だったから。
でも、私の恋は、終わった。終わらせた、はずだ。それなのに。
流石に長時間トイレにこもりすぎだろう。心配してメイドが駆けつけるころあいだ。だというのに、私の顔の熱は一向に収まらなかった。
お兄様がシスコンになったのなら、それでいい。私がその距離の近さを、お兄様がまるで私のことが好きみたいだと、勘違いをしないように。自分に釘をさし続ければいいのだから。
でも、やっぱり、そのためには新たな恋よね。
はやく、新たな恋をしよう!
それから、何日か後。アシェル殿下から、お手紙が来た。約束のピアノを聞かせてくれると。
わーい。アシェル殿下と恋愛的な意味で上手くいかなくとも、年の近い友人になれたらいいな。
そんなことを思いながら、スキップをしているとお兄様に捕まった。
「どうしたんだい、ヴァイオレット」
なんか、お兄様の赤い目が怪しく光ってるよー!! 私は無害なのに!
慌てて後ろ手に隠した手紙をひょい、と捕まれた。
「ふぅん、アシェル殿下からのお誘いか。僕もいくよ」
流石にお兄様、シスコンが過ぎませんかね。そう、シスコン。お兄様はシスコンになられたのだ。間違っても私のこと好きな訳じゃない。頭のなかで何度もその言葉をぶつぶつと呪文のように唱える。
すると反応がない私を不思議に思ったのか、お兄様が私に顔を近づけた。
「ヴァイオレット?」
近い、近いよお兄様!!
慌ててお兄様から距離をとろうとすると、その距離を更につめられた。
「熱でもあるんじゃないの?」
そういって心配そうな顔をして、私のおでこに手をあてた。一気に私の体の体温が上がる。
「熱い。ねぇ、ヴァイオレット、やっぱり──」
「気のせいですよ、お兄様! ちょっとこの部屋が暑いだけです」
お兄様からさっ、と離れた。
「そう?」
お兄様は不思議そうな顔をしたけれど、確かに少し暑いね、と言って窓を開けた。
はぁ。本当にお兄様の豹変にはなれないなあ。
そして、約束の日。お兄様と一緒に、王城にむかう。事前にお兄様と一緒に登城することは許可してもらっていたので、すんなりと通される。
「ヴァイオレット」
涼やかな声で名を呼ばれて、微笑む。
「はい、アシェル殿下。お招きいただき、ありがとうございます」
「イアンは呼んでなかったはずだがな」
アシェル殿下はお兄様を見たあと、呆れたような顔をした。
「ぜひ、聴かせていただきたいと思いまして」
お兄様とアシェル殿下は気安い。そういえば、二人は友人なのよね。
「まぁ、いい。ヴァイオレット」
名前を呼ばれて首をかしげる。
「あなたのために練習したから、ぜひ聞いてほしい」
「はい、ありがとうございます」
そして、アシェル殿下は、ピアノを弾きはじめた。
すごい。あんまり音楽の教養がない私でもわかる。アシェル殿下、めちゃくちゃうまい。
それに──。
アシェル殿下は魔法が使えるのだ。アシェル殿下はピアノの音色に合わせて魔力を編んでいるからキラキラとした光の粒が舞っている。
思わず息を飲むほど、その演奏は素晴らしかった。
最後の音が消えるのと同時に、光の粒も金色の光を放ってかき消えた。
「どうだった、だろうか?」
少しだけ不安そうに尋ねられたアシェル殿下の声にはっとする。拍手も忘れるほど、綺麗な演奏だった。慌てて拍手しながら素直にそういう。すると、アシェル殿下は嬉しそうに微笑んだ。
「……そうか。ありがとう」
「こちらこそ、こんな素敵な演奏を聴かせていただき、ありがとうございます!」
興奮して頬を紅潮させながら、深くお辞儀をする。
「とても素晴らしかったです」
音楽にうるさいお兄様も素直にほめた。
「そうか、イアンがそういうのは珍しいな」
「僕は素晴らしいものには、素晴らしいといいますよ。それでは、僕たちは失礼させていただきますね」
「お兄様!?」
いくら友人でも失礼が過ぎるよ、お兄様!!
けれど、アシェル殿下は怒らず、笑うと私の方を向いた。
「イアンは帰るそうだが。ヴァイオレット、あなたはどうする? 庭に青と紫の薔薇が咲いたんだ。見ていかないか?」
青い薔薇。それは、確か不可能だって言われてた奇跡の薔薇だよね。前世の世界では科学の発展により、なし得たことだけれど、この世界では魔法でも使ったのかな。
「ぜひ、見てみたいです!」
私が頷くと、アシェル殿下は微笑んだ。
「では、二人で見ようか」
「殿下、私も──」
「イアンは帰るのだろう。案ずるな、無事に公爵邸まで責任をもって送り届ける。……今は、な」
そういって、ふっといたずらな笑みを浮かべると、アシェル殿下は私の手をとった。アシェル殿下はかっこいいので、そんな表情も絵になる。──と、ぼうっと見とれているうちに、いつの間にか庭園についた。
「わぁ」
アシェル殿下のいった通り、そこには青色や紫の薔薇が、一面に咲いていた。思わず歓声をあげると、アシェル殿下は紫の薔薇を手折り、トゲを抜くと私の髪に飾った。
「……あなたの瞳と同じ色だな」
そういって笑うアシェル殿下のなんて格好いいことか。
「ここに来たのは、他でもない。話をするためだ」
「!」
はっ、とする。この世界もそうかわからないけれど。薔薇の下でって、言葉はその場でした話は秘密っていう意味があったよね。と、そんなことを思い出していると。アシェル殿下は私に甘く囁いた。
「なぁ、ヴァイオレット。ヴァイオレットは、イアンを好いているのだろう?」
「え──」
驚いて目を見開く私に、アシェル殿下は笑った。
「図星か」
もしかして。もしかしてなくても。かまかけられた!?
自分の単純さが恥ずかしくて、一気に頬が熱くなる。何か反論しようと口を開けようとしても声にならない、悲鳴が上がるだけだった。
「ーーーーっ!」
「ここには、私とあなたしかいない。だから、そう恥ずかしがらずとも良いだろう」
私とアシェル殿下しかいないっていったって、遠くにはしっかりばっちり護衛だっているというのに。
「そんなあなたに提案だ。私の婚約者にならないか?」
アシェル殿下に言われた言葉をもう一度頭のなかで繰り返す。
私の婚約者──つまり、アシェル殿下の婚約者。いずれは王妃になれということ!?
えっ、えええええええ。
アシェル殿下、私がお兄様のことを好きだと知った上でそんなことを言い出すなんて。何を考えているのだろう。
そんな私の考えが顔に出ていたのか、アシェル殿下は答えてくれた。
「あなたが今、誰を慕っているかは関係ない。いずれ、私を恋慕うようになるからな」
わぉ! 自信家ですね!! さすが王子。でも、王子ならこれくらいの自信がないとやっていけないのかもしれない。
「それにあなたは、イアンには想いを告げられない理由が何かあるのだろう」
そうだ。今はまだであっていないけれど。お兄様が15のときに現れるお兄様の運命の恋人オーロラ。彼女に嫉妬し、お兄様に殺されるのは御免だった。
「アシェル殿下が、私を婚約者にと望まれる理由は何ですか?」
そうだ、そこそこ。アシェル殿下が私を選ぶ理由は、身分くらいしか思い浮かばない。魔法適正もないもんね、私。あとは、お母様譲りのこの整った顔が殿下のお好みだとか?
「勘だ」
うわ、すっごい、適当だった。
「適当ではない」
心の声がばれてた!? 思わず口を押さえると、アシェル殿下は笑った。
「あなたのそういう素直なところ。それから、私が王としてこの国にたったときに、側にあなたがいてくれたら嬉しいと思うだろうという、勘だ。まぁ、勘だな」
二回言った! よっぽど大事なことなのね。でも、勘ってそういうものだったっけ。
「答えは今すぐでなくとも構わない。だから、考えてみてくれないか?」
馬車のなかで考える。うーーーーん。
アシェル殿下との婚約かぁ。新たな恋をしなきゃって思ってたし、こういっては何だけどめちゃくちゃ丁度いいのよね。
それに、アシェル殿下のことを、私はまだ全然知らないけれど。だから知ってみたいとも思う。
でも、一つ引っ掛かるのは、アシェル殿下が恋をしているわけではないということ。いや、アシェル殿下が恋をしてくれるように、頑張ればいい! と前向きになればいいのだけど。
だって、理由が、勘だ。
勘はときに馬鹿にできないことがあると知っているけれど。もし、アシェル殿下が、別の誰かに恋に落ちて、ポイ捨てされたらめちゃくちゃ悲惨じゃない!? 小説のアシェル殿下って、どんな人だったっけ。
と、そんなことを考えていると。どうやら、家についたようだ。
「ヴァイオレット!」
王家の紋が入った馬車から降りると、お兄様に抱きつかれた。
お兄様の体は、少し、冷たい。
お兄様もしかして、家の玄関でずっと待っていたのかしら。まさかね。
「何か変なことはされなかった?」
「変なことも何も、薔薇を見て少しお話をしただけですよ」
だからこの腕から解放して欲しい。あんまり抱きつかれるとただのスキンシップなのに、勘違いしてしまいそうだ。
シスコンになられたお兄様は、少し冷静になったようで、ようやく私を解放した。
「なにをお話したの?」
「秘密です」
だから、何も言えません。そういうとお兄様は、
「僕とヴァイオレットの仲じゃない。それとも、僕よりもアシェル殿下との方が仲良しになったの?」
この人はまた。すーぐ、そういうことをいう。いつもなら、そんなことありません、って即答するけれど。今日は気が変わった。
「……そうかもしれませんね」
そういうとお兄様は、目を見開いた。
ふふん、アシェル殿下は私のことを素直だと言ったけれど。私だってその気になれば、お兄様に隠し事のひとつやふたつ、できるんだから!
なんて、調子にのっていた私は、お兄様の赤い瞳が怪しく光っていたことになんて、全く気づかないのだった。
婚約の件、どうしようかなぁ。お兄様には、公爵夫人がせいぜいだと言われたし、やっぱり私に王妃は務まらないかな。でも、アシェル殿下は、私ならできると思って言ってくれたんだよね。
うーーん。ごろごろと、広いベッドの上を転がりながら考えるけれど、答えはいっこうにでない。死にたくないし。でも、このままだとオーロラをいじめてしまうし。アシェル殿下になら、新しい恋ができるかなぁ。
私に必要なのは、新しい恋! そうだ、アシェル殿下はいずれ私がアシェル殿下に恋をするといってたし。
アシェル殿下と婚約してしまおう。そしたら、未練も消えるよね。
うんうん、そうだ、そうしよう!
そう決めて、私は目を閉じた。
翌朝。私を起こしたのは、小鳥の囀ずる声──では、なかった。
「おはよう、ヴァイオレット」
「おはよう、ございます……?」
なぜにお兄様の顔がどアップなのだろう。頭のなかが?でいっぱいだ。そんな私をどう思ったのか、お兄様は笑った。
「ヴァイオレットは、僕よりもアシェル殿下と親しくなったみたいだからね。でもそんなの寂しいから、おはようからおやすみまで一緒にいることにしたんだ」
!? な、なんだってー!?
お兄様は本当にシスコンが過ぎるよ!!
「……というわけで。よろしくね、ヴァイオレット」
お兄様はその宣言通り、四六時中私の側にいるようになった。まるで、以前の私たちの関係が逆転したみたいだ。お父様とお母様は、仲良しね、なんて笑っているけれど。
自分がされてようやくわかる、これってかなり大変だ。
好きなお兄様にされても大変なのに、好きでもない私からされたお兄様の気持ちは──。
嫌いになられても仕方ないね!
っていうか、お兄様が近すぎて、アシェル殿下にお返事ができない。直接会ってお返事がしたいんだけど、無理かな。手紙にしよう。
「ねぇ、誰に手紙かいてるの? もしかして、アシェル殿下?」
ひっ、怖い怖い! お兄様、目が笑ってないよ!! でも、お兄様は所詮はただのシスコン。私に恋心を抱いてくれているわけではないのだ。だから。
「そうです! 恋文を書くので、部屋から出ていってください!!」
「恋文?」
お兄様、声がデスボイスだよ! ひえっ、声で人が殺せるなら、確実に殺されている。でも、負けるな。私は新しい恋をするんだから!
「だから、部屋から出ていってください!!」
「誰が誰に書くって?」
「わ、私が、アシェル殿下に!」
いくら妹離れができていないお兄様でも、こういえば、さすがに離れてくれるだろう。
「ヴァイオレットは、アシェル殿下に恋をしたの?」
「これからする予定です」
「……ふぅん。わかったよ」
そういってお兄様は私から離れてくれた。でも、何でだろう。お兄様、元気ない?
「……お兄様?」
慌ててお兄様のことを追いかけて、顔を覗き込む。
「恋文、書くんでしょう」
「書きます、けど……」
お兄様に、そんな顔をさせたかったわけじゃない。私がそういうと、お兄様は私をぎゅっと抱き締めた。
「……お兄様?」
「可愛い僕の、ヴァイオレット。……ねぇ、誰かのものになんてならないでよ」
なんて、自分勝手で残酷な言葉だろう。お兄様の言葉は睦言じゃない。ただのシスコンだ。それなのに、あなたにそう言われただけで、私は何もできなくなる。
そして、思い知らされるのだ。私がどれだけ、あなたが好きかを。
「……お兄様は、ずるいわ」
呟いた言葉は、あなたに届くことなくかききえた。
「……というわけで、大変光栄な話ではありますが、お断りさせ──」
「ヴァイオレット、あなたは馬鹿だな」
お兄様に見つからないように家をなんとか抜け出し、殿下に断ろうとすると、大きなため息をつかれた。
当然だ。私は、馬鹿なことをしようとしているのだから。
「それではあなたの気持ちをイアンにいいように搾取されるだけだぞ」
うっ、確かに。お兄様、あれだけシスコンめいた言葉をいってたくせに、いざオーロラをいじめるとポイ捨てどころか、殺しちゃうもんね。
「私で妥協しておけ」
「だ、妥協って」
天下の王太子様を捕まえておいて、妥協だとか、そんな贅沢な話なかなかないと思うの。
「ああ、贅沢だ。なら、いいだろう?」
アシェル殿下が、最高に格好いい顔で微笑む。お顔が眩しい。そういうアシェル殿下は私をポイ捨てしないのだろうか。
「私はこれと決めたものを、裏切らない」
力強いお言葉だ。
「だが、まぁ。いじめるのは、これくらいにしておこうか」
えっ、私いじめられてたの!?
「今は、筆頭婚約者候補という形で手を打とう。五年はそれで我慢する」
筆頭婚約者候補?
筆頭婚約者候補って、筆頭株主みたいな言葉だな……。
「その名の通り、私の婚約者候補として夜会でのエスコートを受けてもらうし、教育係もつける」
それって、筆頭とか候補とかついてるだけで、やってることは婚約者なのでは。なのでは!?
「まぁ、そうだな」
アシェル殿下は頷いた。
「あなたを五年の間で口説き落としてみせる。そのための猶予期間だ。反対に五年であなたのことを口説き落とせなかったら、あなたのことはすっぱり諦めよう」
わぉ、この言葉だけ聞くと熱烈だ。まあ、アシェル殿下はただの勘で、言っているだけなんですけどね!
「イアンではない男を好きになりたいあなたにとっても良い話だと思うが」
確かに。アシェル殿下に恋が出来たら、それが一番いい。
「……よろしくお願いします」
「ああ、よろしく頼む」
──そうして、三年が経った。
そして──。
小説のお兄様が、オーロラに恋をする運命の日がきた。
今日は貴族、たまに平民が通う学園の入学式兼、今年度の学園の生徒会の顔合わせの日でもある。
入学式を終え、生徒会室に向かった。私の席は、あそこかな。お兄様とアシェル殿下の隣だ。
ため息をつきながら席に座ると、心配そうな顔をされた。
「どうしたの?」
「いえ、何でも」
私がそういうと、お兄様はにこにこと笑った。機嫌が良さそうだ。この三年の間に、私の恋心は九割方諦める方向で固まっていた。残り一割は、ひょっとするとオーロラは現れないんじゃないか、という醜い期待だった。
けれど。
入学式で見てしまった。オーロラは、存在する。それに、オーロラの名前が書かれたプレートがお兄様の左隣にあった。
「遅れてすみません」
生徒会室の扉が開けられる。お兄様の注意がそちらへ向くのがわかった。
煌めく銀色の髪に、ブルーサファイアを閉じ込めたような青い瞳。間違いなく、オーロラだった。
その美しさと可憐さに、隣のお兄様がはっと息を飲むのがわかった。
はい、終了ーーーー!! 私の初恋は、終わった。
お兄様はこれから見た目だけでなく、オーロラの輝くような光属性の性格に恋をするのだ。
そして、鬱陶しいブラコンであり、愛しいオーロラをいじめた張本人である私はさっくりと闇へと葬られる。
まあ、お兄様もシスコンになったし、殺されることはないんじゃないかと思うけど。
でも、既にオーロラを妬ましく思っている時点で、私は危ない人だ。
もう、この恋心はいい加減手放そう。
これ以上、醜い感情と同居するのはごめんだ。
「……あの?」
皆の視線が集まっているのに気づいたのか、オーロラは不思議そうな顔をした。
「あなたが、オーロラだな? そこの空いている席に座ってくれ」
「わかりました」
会長であるアシェル殿下の指示に従い、オーロラが席に座る。
その後、他のメンバーも含めて自己紹介があった。けれど、お兄様はずっと上の空だった。
お兄様とオーロラが、テラスで仲睦まじく話している。お兄様とオーロラは、あの自己紹介の日に知り合ってから、急激に親しくなった。まるで、二人が惹かれあうのは運命みたいに。まあ、運命なんだけど。私がそれを遠くで眺めていると、黙って側にいてくれる人がいた。アシェル殿下だ。
「そんな心配そうな顔をしなくても、大丈夫ですよ」
普段自信に満ち溢れているアシェル殿下の見慣れない顔に笑うと、アシェル殿下は少しだけ肩の力を抜いた。
「大丈夫じゃないから、そばにいたいんだ」
そういって、アシェル殿下が私の手を握る。アシェル殿下の手は、暖かい。
「……ありがとうございます。アシェル殿下、もう少しだけ待っていただけませんか?」
私はある、決意を固めていた。
「あなたが望むならいくらでも」
アシェル殿下は、優しい。この三年で色々なことがあった。そして、その中で、アシェル殿下の様々なことを知った。意外と甘い食べ物が好きなこと、拗ねると少し早口になること。そしてなにより、優しいこと。
きっと、この人となら、穏やかな愛が育めるだろう。
だから。
とある、天気のいい日。天気のいい以外は特別なことは何もない日、私はお兄様のことを学園の温室に呼び出した。
「どうしたの、ヴァイオレット。話なら、今じゃなくてもできるのに。呼び出したりなんかして」
お兄様は最近ずっと上の空で、私の話なんてひとつも聞いていないじゃない。一瞬浮かんだ考えは、飲み込んだ。これで、最後だ。最後に嫌な女──いや、妹か。とは、思われたくなかった。
「お兄様と、薔薇が見たかったんです」
「確かに、この温室の薔薇は綺麗だものね」
お兄様は私の言葉に納得したようだった。お兄様と一緒に温室の薔薇を見て回る。お兄様と一緒に過ごす、久しぶりの時間だった。
「ねぇ、お兄様」
赤い薔薇の前で立ち止まる。
「どうしたの?」
お兄様が不思議そうな顔して、私を見た。私は自分のできる最高の笑みを何とか形作る。
「私、お兄様のことが、好きなの。ずっと、ずっと、好きだったの」
緊張で声が震えながら、それでも、笑う。これで、最後だ。
「突然どうしたの? 僕もヴァイオレットのこと、好きだよ」
違う、お兄様の好きと私の好きは違うんだ。でも。伝わらないなら、それが全てな気がした。
「……改めて、伝えておきたかったの」
「ふぅん。変なヴァイオレット」
そういって、くすくすと笑って、お兄様は私の頭を撫でた。
その後、他愛ない話をしてお兄様と別れた。
「アシェル殿下」
その日のうちに、学園のアシェル殿下の教室を訪ねた。アシェル殿下に伝えておきたいことがあったから。
「……ヴァイオレット」
アシェル殿下に声をかけると、アシェル殿下は私の手を引っ張った。
「アシェル殿下?」
アシェル殿下に連れられたのは、空き教室だった。アシェル殿下は囁いた。
「他の生徒が入れないように、魔法をかけた。だから……もう、大丈夫だ」
大丈夫。
「大丈夫ですよ、アシェル殿下。私は──」
わかっていたことだ。お兄様が私を妹としてしか見ていなかったことくらい。
「我慢しなくていい」
アシェル殿下は私を抱き寄せた。暖かい。いつか、お兄様に抱き締められたことを思い出した。
『可愛い僕の、ヴァイオレット。……ねぇ、誰かのものになんてならないでよ』
押さえていたはずの、感情が溢れ出す。
「ずるい。……ずるいわ、お兄様」
誰のものにもなるななんて、言ったくせに。あなたはちっとも私のものになんてなってくれないじゃない。
淑女としてはあるまじき、わんわんと声をあげて泣いた私の背をアシェル殿下は黙ってずっと撫で続けてくれた。
「ありがとうございます、アシェル殿下」
恥ずかしく思いながら、お礼を言うとアシェル殿下は柔らかく微笑んだ。
「あなたの気がすんだのなら良かった」
かなりスッキリした。これで、私は前に進める。私の恋は終わったのだ。
アシェル殿下に微笑み返して、本来のアシェル殿下に伝えたかったことをいう。
「アシェル殿下、私、学園を辞めようと思います」
アシェル殿下は私の言葉に目を見開いた。
「決めたんだな」
「……はい」
「そうか」
貴族はだいたいみんなこの学園に通うけれど。それは、貴族としてこの学園での単位が必要だからではない。この学園での生活というのは、ちゃんとした貴族としていきる前の猶予期間のような、ものだった。
だから、そう望むなら通う必要はないのだ。
私は、本当の意味でお兄様の妹になろうと思う。それに、オーロラをいじめたくはない。けれど、このままお兄様とオーロラの側にいたら私はオーロラをいじめてしまうだろう。
そんなことをしないために。また、けじめをつけるために。
結果振られるのはわかっていたけれど。あの告白も、けじめをつけるために必要だった。
「それから、アシェル殿下。私を、あなたの婚約者にしていただけませんか? アシェル殿下がまだこんな私を望んでくださるのなら、ですが」
アシェル殿下を見つめる。アシェル殿下は素敵な人だ。お兄様とは関係なく。だって、あの恋はもう、終わったから。この三年間、今日のようにいつも側にいてくれたのは、あなただ。今度は私があなたを支えたい。
「……本当にいいのか? まだ、約束の期間まで二年もある」
私は強く頷いた。すると、アシェル殿下は微笑んだ。
「ありがとう。あなたの信頼に応える私であろう」
お礼を言うのはこちらのほうだ。ずっと、寄り添ってくれた人。あなたのおかげで、私は前に進める。
「末長くよろしくお願いいたします」
「ああ。こちらこそ、よろしく頼む」
──それから、一月後。私は宣言通り学園を辞め、王妃様直々の教育を受けるために、家を出た。
婚約こそまだ公に発表していないものの、皆の私への対応は、王太子の婚約者にむけるそれだった。あとは、教育を無事終え、正式に発表されるのを待つのみだ。
王城で与えられた一室で過ごしている。侍女はもうあとは寝るだけだからと、下がってもらったけれど。
もう少し、復習をしようかしら。
アシェル殿下自らが摘んできてくれたのだという花を眺めて、微笑んだ。
私も、あなたの期待に応える私でありたい。
「……?」
勉強はここまでにしよう。灯りを消そうとして、やめる。おかしい。妙に胸騒ぎがする。
なんだろう。首をかしげていると、その口を塞がれた。
「やぁ、ヴァイオレット」
「!?」
囁かれた名前に、驚く。この声を聞き間違えるはずがない。この声は、間違いなく。
暴れたり、悲鳴をあげるつもりがないとわかったのか、塞がれた手は離された。
「どうして……」
体を反転させて相手に、向き直る。何を考えているのかわからない瞳をしていた。
「どうして、お兄様がここに?」
ここは、王城の一室。扉の前には警備がいたはずだ。たとえ、お兄様が私の義理の兄だとしても、こんな夜更けに王太子の婚約者候補の元へ訪れることは許されることではない。
「何でだと思う?」
けれど、お兄様は質問を質問で返し、私の頬を撫でた。
「10秒以内に考えてみて。10……9……8」
カウントダウンは進み続けるものの、さっぱり理由が思い浮かばない。理由があるとすれば、それは。
「オーロラさんと何かありましたか?」
お兄様が夢中になっているオーロラと仲違いをしたとかだろうか。それを相談したいとか。
「不正解。正解はね……」
お兄様がじりじりと私のほうへ近づく。反射的に、後ろへ下がるとその距離を詰められた。
「ヴァイオレットが、僕のそばから離れたからだよ」
トン、と体を押され、尻餅をつく。尻餅といっても、近くにあったベッドの上だから、痛くはないけれど。
「どうして。どうして、僕のそばから離れたの、ヴァイオレット」
お兄様がそんな私に覆い被さるように、ベッドに手をついた。
おかしい。これは、いつもの兄弟の距離じゃない。経験がない私でもわかる。これは男女の距離だ。
でも、なんで?
「お兄様、妹離れができていないようですね。私たちは兄妹ですが他人です。同一人物じゃない。いずれ、違う道を歩くようになる」
私は混乱する頭で、それでも、お兄様を諭すような口調を心がける。
「だったら、他人なんて言わせない関係になればいいの?」
他人なんて言わせない関係? でも、それは。
「お兄様には、オーロラさんがいらっしゃるでしょう」
私がそういうと、お兄様は目を細めた。
「もしかして、嫉妬? 可愛いね、ヴァイオレット」
今の私に嫉妬という感情は存在しない。ただ、お兄様はオーロラに夢中、という事実をのべているのみだった。
お兄様がなんの目的で、この部屋を訪れたのかは、こじらせすぎたシスコンというところだろうけれど。この状況が続くことは、お兄様にとっても私にとってもよろしくない。どうしたら、穏便に帰って貰えるだろうか。そんなことをぐるぐると考えていると、お兄様は不機嫌そうな顔をした。
「……何を考えてるの?」
「お兄様のことを……それから、私のことを」
怪しげな瞳から目をそらさずそういうと、お兄様は満足そうに笑った。
「ヴァイオレット、お家に帰ろう?」
「帰りません。私はここで、やるべきことがありますから」
お兄様は所詮ただのシスコンだ。シスコンにもう、惑わされたりはしない。
「やるべきこと、ね。そういえば、さっきの質問に答えようか。彼女のことは──面白そうだと思った。実際、面白かった。このまま『愛』とか『恋』だとかをそれなりに、育む自分を想像してもみた。でも、彼女はヴァイオレットじゃない。ヴァイオレットじゃない他の誰かなんて、いらない」
いや、そりゃそうでしょお兄様。彼女はオーロラであって、オーロラ以外の何者でもない。私がどれだけ願ってもオーロラになれないのと同様に。この人、わかっていたけれども、シスコンをこじらせすぎでは……?
「僕を一人にしないでよ、ヴァイオレット。一生側にいて」
お兄様がふいに泣きそうな顔をした。
「お兄様、さっきもいった通り私たちは兄妹ですが他人です。いずれ違う道を歩くようになる。でも、私たちが兄妹だという事実は一生消えない。だから──」
そう寂しがることは何もないのだ。
けれど、そう続けようとした私を遮って、お兄様は私に顔を近づけた。
「だったら、兄妹という関係を上書きしてしまえばいい。例えば──こうやって」
キスしようと近づいてきたお兄様の口を手で慌てて押さえる。
「どうして、止めるの?」
お兄様が不機嫌そうな顔をした。お兄様は正気じゃない。それに。それに──、私には。
「お兄様、お兄様は混乱しているだけです。ただ、寂しくてそれを勘違いしてるだけ」
私に恋情を抱いてくれているのなら、嬉しくないといえば、嘘になる。でもお兄様は、そうじゃないし、もしそうであってもお兄様とはどうにもならない。だって、今の私には大切にしたい人がいるから。心の中で言葉にしてはっきりと、わかった。そうか。私、アシェル殿下のこと、大切にしたいんだ。
「寂しい。……そう、僕は寂しいんだ。ヴァイオレット。一人にしないで」
お兄様が子供のように私の肩に顔をうずめた。私はその背を撫で、できるだけ優しくお兄様に言う。
「お兄様、あのね。私は、ヴァイオレットは、お兄様のことが大好きよ」
子供っぽくて、自分勝手なお兄様。
「僕だって、ヴァイオレットのことが好きだ」
「私たちの繋がりは一生消えない。だから、お兄様。大丈夫、お兄様は絶対に一人にならないわ」
「……そうだね。わかったよ、ヴァイオレット」
お兄様は体を起こした。そして、私の手を引いて、私の体も起こしてくれる。
「ありがとう、お兄様」
「僕たちはずっと、一生、仲良しな兄妹?」
お兄様がすがるような目で私を見た。私はそれに笑って頷いた。
「ええ。ずっとよ。忘れないで」
その後、お兄様を何とか王城から公爵邸へ帰した。お兄様は魔法を使ってこの城に侵入したようだ。衛兵に見つかって私の迷惑になるようなヘマはしないから安心してと、言い残してからお兄様は、姿を消した。
さて。私もいい加減寝るとしよう。
その日、私は夢も見ないほど深く眠った。
翌朝、陽光で目を覚ます。スッキリとした目覚めだ。
「……よし」
今日も1日頑張らなくっちゃ。アシェル殿下が摘んできてくれた花に微笑んで、身支度を整える。
私は私のやるべきことを。きちんとやらなくちゃ。
「ヴァイオレット」
王太子妃教育も一段落した、ある日のこと。名前を呼ばれ、顔をあげるとアシェル殿下が笑っていた。
「アシェル殿下」
今日も花を持ってきてくれたのだろうか? アシェル殿下はとても忙しいことを知っている。それなのに、アシェル殿下はそんなそぶりを全く見せず、私に花を毎日贈ってくれた。
アシェル殿下はなぜか、緊張したように目をさ迷わせた。
どうしたんだろう?
「あの、だな」
「……はい」
躊躇いがちに切り出された話に耳を傾ける。
「私は今日、学園を卒業した」
「はい。とても素晴らしい答辞でした」
私も卒業式には、アシェル殿下の婚約者候補ではなく、婚約者として出席した。それが、どうしたんだろう。
「これで、私は名実ともに、王太子となった」
「……はい」
「私はあなたに言わなくてはならないことがあるんだ」
なんだろう? 学園で好きな女性でも出来たんだろうか。
「あなたに、嘘を一つついた」
「……え?」
アシェル殿下はとても誠実な人だ。嘘をつかれた覚えなど一度もない。
「私が、あなたを望む一番の理由は勘だと言ったな。でも、本当は違う。あなたが、好きだからだ」
「え──」
「私はヴァイオレット、あなたを愛している。初めて出会った日からずっと」
思わぬ言葉に目が飛び出そうだ。アシェル殿下は私を嫌っていないのは知っていたし、どちらかというと好ましく思われていると思っていたけれど。
「あなたにこの気持ちを告白するのが恥ずかしくて、嘘をついた。すまない」
「あ、頭をあげてください!」
そう、この人は王太子。軽々しく頭を下げていい人じゃない。慌てて近寄った私の手をアシェル殿下は握った。その手は、僅かに震えていた。
「こんな情けない私だが、私の妻になって、私の家族になってくれないか?」
「アシェル殿下、私──」
私もアシェル殿下に隠していたことがある。私はお兄様が私の元を訪ねた一夜の話をした。
「でも、アシェル殿下。私は、お兄様にキスされそうになったとき、お兄様のことよりも、あなたのことを考えたんです。私は、あなたが大切で。もっというと、あなたを愛しています。心のそこから。ずっと、側にいてくれて、ありがとうございます。あなたがいたから、私は、前に進めた」
アシェル殿下の手を握り返す。そして、私にできうる限りの最高の笑みを浮かべた。
「よろこんで。私も、あなたと家族になりたい」
遠くで私たちを祝福するように、鐘がなる。
「綺麗だよ、ヴァイオレット」
名前を呼ばれて振り向くと、お兄様が笑っていた。
「ふふ、ありがとう」
お兄様の言葉に微笑むと、お兄様はふと、真剣な顔をした。
「ヴァイオレット。僕はずっと本当は君に──」
お兄様は何かをいいかけ、そしてやめた。代わりに深い笑みを作る。
「……本当に綺麗だ」
「ありがとう。でも、変なお兄様」
そういってクスクスと笑うと、お兄様が確認するかのように囁いた。
「僕たちの絆は永遠?」
私はもちろん、満面の笑みで頷いた。
「何か良いことがあったのか?」
愛しい人と歩く。私はお兄様に恋をしたけれど、お兄様とちゃんと兄妹になれた。そういうと、愛しい人は複雑そうな顔をした。
「もし、何かがかけ違えば、ここにいたのは、イアンだったかもしれないな」
「それはありませんよ」
お兄様が私に恋情を抱くなんてありえない。
「……どうだか」
「大切なのは、今、私の目の前にはあなたがいて。私はあなたを愛していると言うこと。違いますか?」
「違わない」
そういって、噛みつくようにしたキスを受け入れた。
私は、幸せだ。
活動報告にルートB(if)があります。