携帯がこわれました。
はあ、と溜息を吐いてみても生活は続く。
夕方だというのにすっかり灰色の駅のホームで、制服姿の高校生たちに混じって次の各駅停車を待っていた。いつもより少し早い時間帯なのは、途中で電車が止まったときにバイト先に遅刻の連絡をする手段がないから。
十二月。コートの襟をすり抜けて入り来る風に首をすくめれば、ポケットの中に入れた硬い板が腰の骨に当たる。いつもの癖で取り出して電源ボタンを押してみるけれど、やっぱりそこに明かりは灯らない。
完全に壊れた。家を出るまでの数時間でパソコンを使って調べ物をした結果、私はそう確信するに至っていた。
ただ電子書籍を読んでいただけなのである。ただそれだけなのに、いきなりふっつり画面が暗くなったと思ったら、電源ボタンを押しても引いてもまるで画面に電気が走らなくなった。こんな理不尽なことがあるわけがない、ただのちょっとした間違いですぐに直るに違いない(こういう考え方を正常性バイアスと呼ぶらしい。ウィキペディアとかに書いてある)と悪足搔きを繰り返したけれど、半日も潰せば現実を受け入れるには十分だろう。認める。私の携帯は壊れた。
高校生たちが部活の複雑な人間関係について語るのを聞きながら、携帯ショップに行かなくちゃいけないな、と思う。携帯がないと一般的に不便だろうし、それに携帯料金はたとえ本体が壊れていても毎月かかるのだ。九十円のカップ麺と八十円のカップ麺を同時に持ってどちらの方が一円あたりのカロリーが高いか毎日計算している人間にとって、それは無視できる出費ではない。
しかし同時に、いじける気持ちもあった。以前にパソコンが壊れたときもそうだった。
こんなもの必要か?と心の中に住む邪悪な自分が語り掛けてくるのが聞こえる。携帯があるとかないとかそんなことどうだっていいだろう。現代社会に毒されるな。誰からもアクセスされない権利が人にはあるんじゃないのか。大体なんで機械ってこんな簡単に壊れるの? 私が悪いの? もう意味わかんない! 壊れたときに自分の手で直せないものに執着するのは悲しみを生むだけだからやめにしないか。
うん。私もそう思う。捨てるわ。
と言っていきなり線路に向かって携帯をぶん投げたら、隣にいる高校生たちはどんな顔をするんだろう。たぶんびっくりするとは思う。そして動画を撮られてSNSに「こいつやばw」ってアップされたりするんだろうなあ。もう社会に頭がおかしい人のための居場所は残されていないんだ。悲しいね。
さすがにそこまで追い詰められているわけでもないので、大人しく携帯をポケットにしまう。それからぼんやり考えた。携帯がないと何が困るんだろう。
ひとつめ。連絡がつかなくなる。しかしこれはその連絡経路の問題だな、とすぐに反論も浮かぶ。確かに、一部の人たちとは連絡が取れなくなった。おそらくこのまま電話帳やら何やらが吹っ飛んだ場合、一生連絡が取れなくなってしまう人もいるだろう。しかしそれは連絡先の交換を複数媒体で行っていなかったのが理由であって、実際SNSで繋がっている相手であればインターネットにアクセスできる環境に行けばそれはそれなりに連絡可能なのだ。
ふたつめ。便利機能が使えなくなる。メモとか。検索とか。改めて考えるとあれは便利だなあと思う。メモ帳をいちいち取り出すのは結構面倒だし、読み返すときもページを捲って探さなくちゃいけない。咄嗟に検索できるかどうかというのも(インターネットに即時にアクセスできるかどうかというのも)大きい。大抵の物事というのは思い立って十分もするとどうでもよくなってしまうので、知識の獲得機会がめっきり減少する。そんな気もする。気持ちの問題かもしれないが。
みっつめ。電話番号が持てる。これにより人は社会的信用を得る。だってどんな種類の申し込み用紙を見ても電話番号の記入欄があるもの。あれが空欄だったらたぶん多くの人がぎょっとするもの。
ひとつめとふたつめは、おそらく図書館に住むことで解決する。厄介なのはみっつめである。問題なのは社会的ステイタスなのである。私は自分の意思で携帯を持っているわけではなく、社会からの要請により携帯を持たされているのだ。
許せねえ、社会!
といきなり叫び出したら、隣にいる高校生たちはどんな顔をするんだろう。たぶんSNSにアップするんだろうなあ。なんて思っていたら電車が来た。こんなに取り留めのないことを考え続けているだけで時間は経っていた。何か無常なものを感じながら乗り込んで、奥のドアまで進んで陣取る。こちら側の扉は目的の駅まで開くことがない安全地帯である。
いつもなら携帯を使って面白いものを閲覧しながら、へへへ……と気色の悪い笑いを十五分ほど漏らす時間であるが、今日はそうもいかない。仕方ないから十五分にわたって気色の悪いことでも考えるか、と腕組みをしつつ、教育機会の均等が完全に徹底されるようになった世界において踏み躙られうる主義主張についてリストアップを始めたところで、ふと気付いたことがあった。
みんな携帯を弄っているのである。
ひとりの例外もなかった。これにはさすがに驚いた。私を除いた全員が、首を曲げてじっと手元の携帯を覗きこんでいるのである。たまたまだろう、普段だったら本を読んでいる人だっているし、眠っている人だっている。全員が全員というのは今日この時間この車両ばかりの限定的な出来事だろうと、そうわかってはいた。
しかしいい気分だったので、私はそれを見渡しながら気色の悪い笑みを浮かべた。愚かな人間どもよ。私は一足先にテクノロジーの呪いから解き放たれたぞ。それに比べてお前たちはどうだ? ありもしないものを必死に眺め散らかしよってからに。お前たちがそうして必死に視線を注いでいるうちのどのくらいが本当の意味でお前たちの人生に関わってくることなのだ? ありはしない。一片たりともありはしない。お前たちはただ社会に縛られて暮らしているだけで、その携帯電話とかいうやつはその社会と繋げられるがための首輪であり鎖なのだ。私はすでにそのことに気付いてしまったがお前たちはどうかな? まだそのレベルには達していないかな? ようし決めた。私はもう携帯なんて持たないぞ。社会なんて知ったことか。電話番号を持たない。それが悪いか。本当の世界に至るためには電話番号なんていらないんだ。というより持っていたら辿り着けないんだ。お前たちはそうして電車に運ばれながら携帯を眺めて暮らすがいいさ。私は道端で見かけたたぬきを追いかけてこの世で一番穏やかな花畑に迷い込みそれからはずっと幸せに暮らしましたとさめでたしめでたし。
自分で自分を哀れんでいたら次の駅に着いた。
各駅停車だから大して利用者のいないような駅にも止まる。特にこの駅はホームにおける『黄色い線の内側』ゾーンが人ふたりがすれ違えないくらいに狭く、誰も降りる気配がない。
代わりに、頭に金魚鉢を被った若者が乗ってきた。
とうとう自分の頭はおかしくなってしまったんだな、と思い少しだけ涙が出た。が、その涙を流すために二度三度まばたきをしたにも関わらずその若者は金魚鉢を被ったままで、はて幻覚というのはこんなに長く続くものなのだろうかと不思議がっているうち扉がぷしゅーと閉まり、電車ががたんごとんと動き出し、その若者は私の隣にあるポールを掴むためかものすごく近くまで寄ってきた。
まじまじ見るのも失礼だろう、という礼儀よりも、ひょっとしたらこれは幻覚ではなく本物なのかもしれない、そして本物だった場合刺激すると大変なことになるかもしれないと言う不安が、私に目を逸らさせた。この異様な人物の登場に、しかし周囲の乗客たちはまるで頓着しない。皆が皆携帯に視線を注いでいるから気付きすらしていないのだ。そんな馬鹿な。それがテクノロジーの加護なのか。許せない気持ちが湧いてきた。どうして携帯が壊れたという不運に重ねて、携帯を持っていないから異常人物の登場にたったひとりで立ち向かわねばならない、そんな試練まで課されねばならないのか。こっちは携帯料金を払って暮らしているんだぞ。
しかし落ち着いてみれば、何も見えたからといって相手することもないではないかと気が付いた。人々が仲良くお互いを尊重して暮らすというのは、理解し合うことによって達成されるのではない。適度に無関心であることによって成し遂げられるのだ。私は一日が午前午後の二分割ではなく四分割になった場合に、五時台という時間帯に自分がどんな感情を抱くだろうということについて考え始めた。
がたんごとんと列車は揺れる。
こぽこぽと呼吸音が響く。
してるのか。呼吸を。
さすがにちらり、と横目に見てしまった。目が合ったらどうしよう、という危惧がないでもなかったが、結果としてそれは杞憂に終わった。金魚鉢の若者も、自分の携帯に目を落としていたからだ。君もか、となぜか裏切られたような気持ちになり、同時にショックだった。金魚鉢を被っているような人物でも持っているようなものを私は持っていないのである。さっきまで携帯と社会の関りについて考えていたために、自分の方が社会から外れた存在であると宣告されたような気分になった。
目が合わなかったのをいいことにじっと見つめてみたら、それが自分の幻覚で間違いないと確証を得てしまった。金魚鉢の中には水がたっぷりと入っていたのだ。てっぺんの部分に少しだけ隙間があったけれど、それだけ。若者の顔はたっぷりと首まで水に浸かっている。こんな状態で生存できるのは魚人くらいのものである。そしておそらく電車に乗ってくるタイプの魚人はいない。これは幻である。
幻ということであれば多少の無体を働いても構わんのではないかと開き直った。そして行動に移した。具体的に言うと、その携帯の画面を覗きこんでみた。
『今どこにいるの?』
『見てるんでしょ?』
『返事しろ!』
『あなたは。自分の勝手な行動が、人にどれだけ迷惑をかけているか、わかっていますか?』
『自由とか、そういうことは、責任を果たしてから言え!』
ただちょっと気になっただけだったのだ。
頭に金魚鉢を被った人間がどんなものを見て、どんな風に社会と繋がっているのか、ふと興味が湧いただけだったのだ。
鉢にたっぷりと溜まった水は光を折り曲げて、内側にいる人がどんな顔をしているのか、正確には教えてくれなかった。
でも、歪んでいることは間違いなかった。
とん、と肩に触れた。普段だったら決してしなかっただろうけれど、今日だけは、今だけは、社会から疎外されている異常な人間という私であるから、そうすることができた。
その人の視線が、私に向いた気がした。そのときには、言うべきこともすっかりわかっていた。
「大丈夫、ですか」
ぴき、と甲高い音がした。それは一度だけでなく連続して、最終的にはぱりん、という音に変化して、床にガラスがきらきらと散らばった。
ぱしゃり、と水が跳ね散った。濡れ髪を晒した若者の顔は想像していたよりも幼くて、じっと両目で私を見つめていた。何かを言おうとして咳き込んで喉を押さえるのに、背中をさすると、そのまま力をなくして床に這いつくばってしまった。一瞬だけ、乗客たちが私たちを見た気がした。
「全然、大丈夫じゃないんです」
絞り出すように言ったのに、そうですか、と一言だけ応じて、落ち着くまではこうしてやろうと背中を弱くさすり続けた。その落ち着くまで、というのは結局終点に着くまで、ということになって、ふたりして改札を出たときにはすっかりあたりは暗くなっていた。お互い、金魚鉢から溢れ出た水で濡れたままで、意味もなく足踏みをしたりした。
「すみません、こんなところまでついてきてもらって」
若者は憔悴の残る声でそう言った。なあに、と私は返した。このあたりに住んでいるのかと聞けば、いや全然、と答えた。終点の駅なんかより私のバイト先の方がよっぽど近い……と思ったあたりで気が付いて、近くの公衆電話から欠勤の連絡を入れた。多少は怒られるものかと思ったが、まったくそんなことはなかった。所詮はバイトである。受話器を置いてみれば、申し訳なさよりも公衆電話なんてもの随分久しぶりに使ったな、という感慨が勝った。
「引き返そうか」
一応言ってはみたが、若者は首を横に振った。では歩こう、という話になった。どちらも知らない道だから、あてどなく彷徨うことになった。
「見たまえ」
私は冬の夜空を指差し、通り一遍と謗られても何も言い返せないような話をした。現代人というのは携帯があるために下ばかり見て歩いている。しかしこのようにして見上げないことにはあの美しい星だって見ることができないのだよ。冬の星座を知っているかい。オリオン座が有名だがね、この季節は犬の星座が見られるんだよ。あれはこいぬ座のプロキオン、向こうがおおいぬ座のシリウスで、こうして結べば冬の大三角さ。
「詳しいんですね」
「そういうバイトをしているんだ」
「そういう?」
「星の名前を呼ぶ仕事。あんまり長生きしているから、たまに呼んでやらないと自分の名前を忘れてしまうらしい」
若者は空を見た。忘れたいなあ、と呟いた息は白かった。
行ける限りのところまで行くと、どことも知れない路地の壁で止まった。街灯の仄かな明かりの下に、古錆びた自転車がぽつん、と佇んでいた。
「いいと思いますか」
好きにしたらいいんじゃないか、と私は言った。若者はそれを聞くが早いか、その前籠にぽい、と自分の携帯を放り込んでしまった。些細な仕草ではあったが、もう二度とそれを手にすることはないだろう、という決意を思わせる手つきでもあった。
帰り道で、私はつまらない話をした。携帯って結構高いんだぞ。下取りがなかったら三ヶ月分の食費くらいにはなる。若者は喜びからというには少し寂しげに笑い、いいんです、と答えた。
「今度は自分で、自分に必要なものだけを、」
その先は、言葉にしなかった。
それから数日の間、私は携帯ショップでの出費と向き合うのが嫌で仕方なく、どうにかしてこのまま日々を何事もなく過ごせないものかと何事もないふりを続けたが、バイト先から不便でしょうがないとの苦情を受けてついには観念することとなった。半月分の食費と引き換えに、あの苦悩の時間は何だったのかと拍子抜けするような速やかさで代わりの携帯がやってきて、再び社会に承認された。
ふと気になって店員に聞いた。何が原因でこわれたんでしょうか。何もしてないと思うんですが。
「水没です」
思い当たるのはあの金魚鉢が割れたときのことで、いいえ違いますこれが濡れたのはこわれてからのことだったのですと反論しようとしたところ、店員が訳知り顔で、
「何もしなくても泣き暮れる日はありますものね」
などと付け加えるので、まあそんなものかと妙に腑に落ちてしまった。
携帯の交換前後で何が変わったかと言えば何が変わったわけでもなく、その後私はバイトの出勤ギリギリの電車に乗り、他の乗客らと同じように首を曲げ、へらへらと画面を覗き込みながら周りにあるものすべてを無視する日々へと戻った。なんのかんのと言ってもインターネットとテクノロジーは大変便利であり、私の生活はそれがあればあるだけそれに満たされている。
たとえばほら、検索すればすぐにわかる。
春の大三角。スピカ、デネボラ、アークトゥルス。