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種明かし

作者: うえの彩月

 ユーリは登校初日から全学生の注目のまとであった。


 卒業まであと半年という時期外れの編入生であること以外にも、なによりその容姿が人目をひく。

 神秘的な黒い髪、濡れたような瞳、涼やかな佇まい。


 いわく、コリンズ男爵の隠し子なのだという。

 これまで庶民として暮らしてきたが、母が亡くなり孤児になりかけたところを当主がようやく探しだし、じぶんのもとに引きとった。

 そのため教養などはまだ至らぬ点もあるが――アリアが怒っているのは、そのことではない。


 彼女は編入早々、アリアの婚約者と看過できぬ接近の仕方をみせているのである。


 ボナベンツァ伯爵家に産まれたアリアには、家同士で定められた婚約者がいた。

 それがラドハンス侯爵家のアランである。ラドハンス侯爵といえば現国王の信任も厚い宰相であり、アランはその次男にあたる。騎士の道にすすんだ兄とは異なり、父親譲りの思考回転のはやさと論点の鋭さで、すでに文官としての将来を約束された秀才であった。


 感情家のアリアと理論家のアランは妙なところでよく馬があった。幼いころに見知って以来、付き合いも長い。

 そのアランに呼びだされたのは、学園に入学するすこしまえのことである。


 顔を見合わせるなり人払いを済ませたアランは、いつもと変わらぬ冷静な口調で、じぶんたちが婚約したことを告げた。

 アリアにすれば意外ではない。

 いずれだれかと政略結婚をする心づもりはできていたし、その相手が気心の知れたアランであるなら異を唱える理由はなかった。


 ただひとつ気になったことといえば、

「お父さまのことですから、婚期の限界まで引きのばされるものかと思いましたわ」

 ボナベンツァ伯爵の、一人娘への愛情の傾け方は尋常ではない。アリアも注がれる愛情を自覚しているからこそ、あの父がこうも早く婚約を決めるとは思っていなかったのである。


「さあ。詳しくはおれも知らないが」

 アランは首をかしげたが、すぐに姿勢をもどすと、そっとアリアの手をとった。

「正式な婚約発表は卒業後だそうだ。とはいえこれは周知の事実でもある。きみもそのつもりでいてくれ」


 ――が、この現状である。


 教室の窓から中庭を見ると、木陰で立ち話をしているアランとユーリの姿が目にはいった。

 なにかの書面をふたりして覗きこんでいる。授業内容の確認か、それにしても距離がちかい。


(はしたないわ。育ちがどうあれ今や男爵令嬢ですのに、婚約者のいる相手と公の場で、あのような。――)

 アリアは、おもしろくない。

(アランさまもアランさまだわ。わたくしには分別のある行動をせよとおっしゃるくせに)

 しかし口論でアランに勝てる自信もなかった。こちらがなにを言ったところで容易に言いくるめられてしまうであろう。


 となれば、標的は一人である。



 アリアはせっせと手紙を書いていた。

 宛名はすべて同一人物、コリンズ男爵令嬢である。


 目下、アリアが学園でいじめぬいている相手でもあった。すれちがえば嫌味をいい、ときには呼び出して嫌味をいい、とにかく顔をあわせるたびに嫌味ったらしく声をかけてやるのである。


 一方、手紙の文面はというと、まるでちがう。


 ――あなたはだれよりも気高く、おどろくほど優しく、花のように可憐な人だ。その横顔がくもるところをこれ以上みたくない。どうか忘れないで。わたしはあなたの味方です。


 まるで密かにユーリを想うような内容だが、それこそが狙いである。

(無名の手紙で毎日励ましてくれていた相手が、じつはこのわたくしだと知れば、立ち直れないほどに落ち込むはず。――われながらぞくぞくする計画だわ。いつ種明かしをしてやろうかしら)


 アリアはにんまりと笑い、ふたたび紙面にペンを走らせた。



 ある日ユーリが人気ひとけのない図書室で件の手紙を読んでいる場面に出くわしたアリアは、今がチャンスと見、物陰から飛びだした。


「あら、奇遇ですこと! ずいぶんと熱心ね。なにを読んでいらっしゃるの?」

「アリアさま。――最近よくお会いいたしますね」

 手紙から目をあげたユーリは、やわらかく笑うと席から立ってアリアと向かいあった。女にしては背が高い。自然と見おろされるようなかたちになり、それもアリアの気にくわない点のひとつである。

「お恥ずかしいところを見られてしまいました。これは大切な方からいただいた手紙なのです」


「大切な方?」

(かかったわ!)

 勝ちほこったアリアは高らかにさけぶ。

「ならば聞いておどろくがいいわ。その手紙は――」


「ここは図書館ですよ。お静かになさい」

「も、申しわけありませんわ」

 司書からの叱咤にたじろぎ、すなおに謝罪すると、笑みをふくんだユーリの目線とぶつかった。


 馬鹿にされた、と感じたアリアは反射的に、

「なんですの、その目は。不愉快ですわ!」

 先ほどの注意もわすれ指をつきつける。


「気に入らないわ。わたくしをだれだとお思いですの?」

「それはもちろん、ボナベンツァ伯爵家の」

「そのとおりです! わかったのなら早くその笑いを――」


「アリアさん、同じ注意をもう一度せねばなりませんか?」

 司書の低いささやきにアリアは身をふるわせた。

 ついにこらえきれなくなったのか、ちいさく笑い声をたてたユーリをつよく睨む。


「いいわ、場所をかえましょう。わたくしの話はまだ終わっていませんもの」

「そうですね。ここではまたアリアさまが怒られてしまうかもしれませんから」

「――あなた、わたくしを馬鹿にしていて?」

「とんでもありません」

 どこまでも食えないユーリ・コリンズを苦々しくうながし、ふたりは中庭へ向かった。


(中庭なら人目につきやすいわ。大勢のまえで真実をつきつければ、どんなにみじめに思うでしょう。覚悟するがいいわ)



 それが、なぜこうなったのか。


 結論からいうと、混乱させられたのはアリアのほうであった。

 目立つ場所で意気揚々と手紙の差出人を名乗りでると、予想に反し、ユーリはうれしそうに目を細めたのである。

「知っていました」

「なんですって?」


「ところで、これは」

 ユーリが一枚の紙片を開く。

「アリアさまが以前わたしを旧校舎に呼びだしたときの手紙です」

「それがなんだというの?」

「同じなのですよ。――筆跡が」


 この名無しの手紙と、とユーリは今度こそにっこりとした。

「どちらがほんとうのアリアさまなのか、初めはわかりませんでした。あなたはわたしのことがお嫌いのようでしたから、なにか新しい罠かとも思いました。しかし」

 一歩、距離をつめられる。

「毎日おくられるこの手紙は、わたしのことをとても細かく見てくださっている。たとえば、ほら、読みましょうか。“昨日ボナベンツァ伯爵令嬢に指摘されてからすこし喋るのを気にされているようですね。たしかにあなたの声は令嬢にしては低いが、すくなくともわたしの耳にはとても心地よく聞こえます”」

 また一歩。


「お、おやめなさい」

「なぜ? わたしはとても励まされました。ほかにもありますよ。“この国の貴族の風習にやや疎いところがあるようですが、わたしが初めてあなたをお見かけしたときから比べると大変進歩なさっています。どうぞ自信をもってください。あなたは素晴らしい人です”――」

 さらに一歩。


「おやめになって!」

 すでにアリアは耳まで真っ赤になり、針でつつかれればすぐにでも破裂しそうである。謎の気恥ずかしさに屈する寸前であった。


 ユーリは余裕の態度を崩さず、最後の一歩をつめ、アリアのちいさな顎に指をそえた。

「な、なにをなさるの」

「わたしはうれしかったのです。編入してきたばかりのわたしをここまで真っすぐ見つめてくださったのはあなただけでした――アリア」

 顔が近づく。吐息がふれ、睫毛のふるえさえ見てとれる距離である。

 アリアはおもわず目をつむった。


 そこへ、

「なにをしている、ユーリ」

 不機嫌な声が割って入る。


「アランさま」

 アリアが真っ赤な顔でか細く名前を呼ぶのと、

「アランか。いいところなんだ、邪魔をしないでくれないかな」

 ユーリが顔をしかめるのはほぼ同時であった。


「邪魔者はどちらだ? 人の婚約者に手をださないでもらおう」

「婚約者? 候補者のまちがいじゃないのか」

「結果はおなじことだ」

「さて、どうかな?」


 呆気にとられるアリアを置き去りにし、アランとユーリの舌戦はつづく。

「王族が隣国の伯爵家に降家するなど非現実的すぎる。いい加減あきらめたらどうだ」

「僕は四男だし、幸い兄上はみな優秀でね。ありえないこともないさ」

「認められるか」

「きみに認めてもらう必要があるかい?」


「――お、お待ちくださいませ!」

 やっとのことで我にかえったアリアは、必死の思いで仲裁にはいった。

 その場の視線が一斉にアリアに向かう。

 いまだに真実をつかみあぐねているアリアは、まず、おそるおそるユーリに尋ねた。

「ユーリさまは、男のかた、なのでしょうか」


「そうだよ」

 あっさりとした肯定にアリアは眩暈をおぼえた。

「で、では、なぜ女装をなさっておりますの?」

「その問いに答えるには、おそらくきみの次の質問も必要になるかな。言ってごらん」


「ユーリさまが、王族――隣国の殿下であられるという今のお話は、まことなのでしょうか?」

「そうだね」

 これも随分とかるい返答である。

 成りゆきを見守っていた周囲の生徒たちが、そろって息をのむ気配がした。いつの間にか見物が増えている。


 じぶんが今まで散々嫌味をぶつけてきた相手が隣国の王族と知り、アリアの内心は一刻もはやくこの場から逃げ去りたいという恐怖に支配されていた。

「申しわけございません、わ、わたくし数々のご無礼を――」


「いいよ。それよりも質問に答えてあげる」

 ユーリの表情はかわらない。

「僕の国では、王族はみな成人をむかえるまでは本来のじぶんを隠して暮らす。王族の成人の儀は〈魂の定着〉と呼ばれ、成人まえの王族の不安定な魂は悪意をもつ他者から非常に狙われやすく、また魔にも見いられやすいといわれているからだ。だから儀式が済むまでは異性の服を身につけ、名前も隠す。僕は今ユーリと名乗ってはいるが、本名は僕と父上しか知らない」


 そういった隣国の風習は聞いたことがあったが、まさかこの季節はずれの編入生がそうであるとはだれも思うまい。


「コリンズ男爵家は、先代当主の奥方がわが国の出身でね。僕の事情もよく知っている。それで留学にあたり、ちょっと協力してもらったんだ。そのほうが表向きにもいろいろと動きやすかったから」

 背の高さや声の低さはユーリがじつは男だったためであり、この国の貴族の作法に疎いのも当然であった。


 ユーリはおのれの制服の裾をもちあげ、

「それにしてもこの学園の女子の制服は、裾が踝まであるからありがたいよ。留学先にこの国を選んだのは正解だった。――アリアにも会えたしね」

 そもそもが女と見紛う美貌である。

 意味ありげにほほ笑まれ、アリアはうろたえた。


 その動揺を察知したのか、すかさずアランが口をはさむ。

「おれの婚約者に余計な色目を使うなと言ったはずだが?」

「ああ、そうか。そういえば婚約者候補がいたね。すっかりわすれていた」


「あの、あの、アランさま。候補というのはどういうことですの?」

 疑問はまだ残っている。

「わたくしとアランさまはすでに婚約者同士のはずでは――?」


 アランが口を開くよりも先に、ユーリがさも愉快そうに笑った。

「きみ、まさかアリアに黙っていたのか!」

「部外者は黙っていてくれないか」

「僕が部外者かどうかを決めるのはアリアだ。きみじゃない」


「アランさま」

 またもや言い争いが始まりそうな空気を、アリアはあわてて遮った。

「まだお答えをいただいておりませんわ」


「――」

 アランはやや言いにくそうに視線をそらし、

「嘘をついた、と言ったら、きみは怒るか?」


「嘘を?」

「そうだ。きみの父上は、きみの予想通りまだ婚約の話を認めなかった。しかし学園で妙な男に言い寄られることも嫌がった。そこで白羽の矢を立てられたのがおれだ。どこの馬の骨ともわからない相手よりはよほど良かったんだろう」

 つねに冷静で表情もめったに動かさないはずのアランが、目を伏せてアリアのほうをまったく見ようともしない。


「要するに虫除けだ。――願ったりかなったりだった。婚約者候補、といいだしたのがきみの父上のほうだというのも都合がよかった。おれは交換条件をだした。この三年間、おれが問題なくアリアを守り、またおれ自身もボナベンツァ伯爵が納得のいくような成長を遂げることができたなら、本物の婚約者として扱ってほしいと」


 すべてが初めて聞く話である。

 アリアは目を白黒させた。


「さすがの伯爵も、虫除け云々の思惑をきみに知られたくはないだろう――そう思って、おれはそれを利用し、わざと嘘を告げた。思った通り、きみは疑いもなくそれを受け入れた。すこしはふしぎに思ったようだったが」

 たしかにあのとき、あの父がよく簡単に婚約者を選んだものだとおどろいた記憶がある。しかし、よもやこのような真実が隠れていたとは思いもよらなかった。


「正式な婚約発表をすぐにしなかったのは、単純に、おれたちが正式な婚約者ではなかったからだ」

 ようやく、アランの目がアリアをとらえる。

「わるかった。だが、これだけは信じてほしい。おれはこういう卑怯な嘘をついてでもきみの婚約者になりたかった。アリア、おれは――」


「そこまでだ、アラン。彼女の質問にはもう十分答えただろう」

 うむを言わせぬユーリの笑みに、アランは不快そうに唸った。

「どこまで邪魔をする気だ」

「さきに邪魔をしたのはどちらかな?」

 このふたりはよほど相性がわるいらしい。


「やめよう、あいにく僕はアランと仲よく話をするほど暇じゃないのでね」

 ユーリはふたたびアリアに向きなおると、

「アリア、きみは僕のことを女だと思っていた。婚約者――候補に不用意に近づく、さながら女狐のようだと」


「そ、そこまでは思っておりませんわ」

 急いで否定しておく。


「最初はどうでもよかった。いや、すこし鬱陶しかったな。でもこの手紙を受けとるようになって思ったんだ。なんておもしろい人なんだろうと」

「いえ、あの、なんとお詫びを申しあげればよいのか」

「気に病まなくていいよ、きみの誤解を考えれば仕方のないことだ。もちろんやりすぎた面もあったかもしれないが、気持ちはわかる。――それよりもあの手紙が、僕はうれしかった」


 おかしい、とアリアは思った。

 先ほどまでは女子にしか見えなかったはずのユーリが、今は歴とした男性にしか見えない。

 顔を寄せられ、つい後ずさりかけたアリアの腕を、おおきな手のひらが優しく引きとめる。

(ユーリさまの手はこんなにも男性らしかったかしら)


「卒業まであと半年というときに編入してきた、しかも庶民あがりの男爵令嬢だ。ふつうは積極的に関わり合うのを避けるところなのに、真剣に目くじらをたてる、きみのその馬鹿に一途なところがかわいいよ。会うたびに嫌味を言いながら、すぐにそれを否定する手紙を書いてよこす、子どもじみたところもかわいい」

 かわいい、を連呼され、アリアはいろいろな意味で失神しそうだった。


 ユーリにすっかり意識をうばわれていたアリアのもう片方の腕を、体温の低いべつの手のひらがつかまえる。

「アリア。おれを見てくれ」

「アランさま」


「謝らなければならないことがふたつある。ひとつは候補だということを隠して婚約者だと偽ったこと。もうひとつは、ユーリの件であらぬ誤解をきみに与えたことだ。おれは父から殿下のことをあらかじめ聞き、学園内での手助けをする役目を与えられていた。だが――きみがユーリにちょっかいをかけていると知ったときのおれの気持ちがわかるか?」


 謝りかけたアリアは、ちがう、とアランに首をふられ中途半端に口を閉じた。


「うれしかったんだ。すくなからず嫉妬してもらえたと。――きみはいつも感情的になるとまわりが見えなくなることがある。その感情の中心に一時でもおれをおいてくれたことが、たまらなくうれしかった」

 アランは、こうも情熱的な目をもっていただろうか。アリアには思い出せなかった。

 よく知っていたはずの存在が、急に見知らぬ男性になったようで、アリアはとまどった。


 ユーリが手にやわらかく力をこめる。けっして強すぎず、まちがってもアリアを傷つけない、しかしじつに雄弁に気持ちを物語る体温と力加減である。

「アリア、きみに興味がある。そしてもっと僕のことも知ってほしい。――僕を」


 アランの熱っぽい眼差しがアリアをまっすぐに射ぬく。アリアが初めて見る顔であった。この人はだれなのだろう、とアリアは思わざるをえない。

「ただの政略結婚にするつもりはない。ほかの男に渡したくない。――アリア、おれを」


「きみの婚約者に選んでくれ」


 ふたりの声が重なる。

 犬猿の仲のように見えて、なぜこういうときに一致するのか。


(お父さま。わたくしはどうすればいいの?)

 答えの見つからない混乱のなかに突き落とされ、アリアはついに意識をうしなった。

おそらくこのあとアリアのお父さんは暴れまわります。

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