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梁間さんの『お兄さん』  作者: 紀山 康紀
文化祭騒動編
8/17

第6話「待つと待たざるに関わらず、まさに祭りはやってくる」(台高祭①)

自称凡人主人公の青春ミステリ、久々の更新です!

夏休みが終わり、いよいよ文化祭が始まる。

今日はその前日準備。梁間たち化学部の面々は、その展示準備に追われていた。

何事もなく穏やかに文化祭を乗り切りたいと願う梁間だが、果たして......!?


   ーー「才能」という言葉を、貴方はどう解釈するだろう。


    辞書を引けば「生まれつき有している能力」「個人の持つ素質」などと定義されているが、現代日本ではその意味を誰もが大人になる過程で自然に、あるいは経験的にいつの間にか理解していると言って差し支えないと思う。


    そしてその意味を理解した凡人は、もれなく才能に憧れる。


    自分と同年代でありながら各業界で活躍する「才能」に溢れる芸能人やアスリート達をテレビの画面越しに見ながら、ある者は「自分にも何か才能があればなあ」と箸を片手に呟き、またある者は「活かす機会に恵まれなかっただけでもしや自分にも何か秘められた才があるのでは」などと顎を上げて夢想する。もしくは「自分にも才能があるのだ」という根拠に乏しい幻想を抱いたまま花開かぬ道をひた走るケースも珍しくない。そのような者を「凡人」と言うのだと、自分は思う。


    だが、凡人だからといって彼らをおとしめる気は毛頭ない。自分も「凡人」のひとりであるし、何より「凡人」でない人間を人混みの中から見つける方が困難であることは想像に難くないだろう。「才能」のある人間が極度のマイノリティなのであり、改めて言うまでもなく「凡人」の方が大多数であるのだ。


    ところで、「才能」ある人間にも大きく二つのパターンが存在すると自分は考える。

    一つは、自身の「才能」を自覚した上でその分野の能力を大きく伸ばす者。

    もう一つは、自身の「才能」に気づかず、その分野の能力を伸ばす機会に恵まれなかった者。

    前者は一般的に天才という言葉で評されることが多く、我々が何か媒介を通じて活躍を知る人間のほとんどがこれにあたる。後者は、残念なことに本人が自覚しないままに我々「凡人」と同じくくりで扱われてしまうようだ。

    少なくとも自分は、おそらくどちらでもない「凡人」だろうと自覚している。


    「凡人」は「才能」を有する人間にその特定の分野で勝ることは不可能なのか。

    熱血論じみているようだが、そのために「努力」という手段が我々「凡人」には用意されているらしい。

    努力。努力あるのみ。努力した分だけ、人は伸びる。

    このシステムに異論は無い。しかし、考えて欲しい。


    「天才」が努力してしまったら、我々は彼らにどう勝てるのだろうか。

    「天才」を上回る努力をするしか無いだろう、と思われるかもしれない。ならば「天才」も同等の努力をしてきたら、どうだろう?

    人間ができる「努力」という行為には、どう足掻いても時間という限界が付き纏う。


    人生を捧げるほどに「凡人」が限界まで努力しあらゆるものを失い犠牲にしてまで獲得した能力でさえ、「天才」が上回ってしまったのなら。


    そう考えた時、悔しさや嫉妬のような比較対象を要する感情よりも、持ちうる時間の全てを使って積み上げてきた物がどうやら無価値だったらしいという自分自身への空虚さが勝ってしまう気がするのだ。ーー



 感情に任せてノートに殴り書いたつもりだったが、自分でも驚くくらいには文字が整っていた。

 不満足を書き出して満足したのか、気持ちは不思議と落ち着いている。

 人に見られて恥じるものでは無いにしろこれを手元に残しておくのは少し気持ちが悪いかもしれない。これが何者かに発見された時、論じて弁解するのは面倒だろう。

 そう思いノートの中からそのページだけを丁寧に破り取り、両手で軽く丸め込んでから足下のゴミ箱の中に落下させる。

 準備と工作は既に済んでいる。後は実行するのみ。

 机の上を煌々(こうこう)と照らすランプに指を軽く触れ消灯すると、部屋の中は一瞬で漆黒の闇に包まれた。



1

     ー 台高祭前日 15:30 ー 南校舎1F 化学実験室


 ......外がいやに騒がしい。


 校舎に溢れかえった喧騒けんそうの波が校内の廊下をつたって、南校舎1階の外れ、僻地へきちであるこの化学実験室の戸を叩いていた。大声の会話、何か大きな物を運ぶ音、どこからか聞こえてくる管楽器の音色。そういった活力ある音が振動となって、この部屋の戸や窓を小刻みに震えさせている。

 実験室が静謐せいひつな空間であるだけに、この実験室の中と騒がしい外の世界では時の流れが違うのではないかという錯覚さえおぼえた。

 明日が文化祭初日、今日はその前日。

 この放課後が前日準備の時間であるということを差し引いても、この騒々しさはいかがなものか。なぜ廊下から時々、獣の咆哮ほうこうのような声が聞こえてくるのだろう。どこぞの興奮した男子生徒の奇声か、もしくは我が友、李徴子りちょうしか。


 台泉だいせん高校文化祭、通称「台高祭だいこうさい」。

 県内有数の進学校としてその名をせている我らが台泉だいせん高校なのだが、その一方、生徒たちの奇行きこう奇癖きへき奇矯ききょうぶりにおいても名をとどろかせている。「猿の惑星」「ヒュー・ジャックマンがいないグレイテストショーマン」「類人猿しかいないサファリパーク」など地域の皆様から浴びせられる蔑称べっしょうのレパートリーにことかない。

 そんな台高だいこう生が日頃溜め込んでいる若いエネルギーが一挙に放出されるのが、明日から三日間、土日月と盛大に開催される「台高祭だいこうさい」だ。文化系の部活はもちろん、運動部や有志の団体が様々に出店や展示を行う。俺たち化学部もその例に漏れず、ここ化学実験室で見栄えの良い実験を客に披露し、いかに化学が素晴らしいかを世に知らしめる伝道師になる。......梁間はりま雪彦ゆきひこの柄には合わない役割だ。

 とにかく台高だいこう生は今日、来たる台高祭だいこうさいの前日準備に追われているのだ。


 嫌でも耳からなだれ込んでくる高校生の活力を感じながら、俺は実験室の一角いっかくにある黒光りした大きな机の上に立って手を動かしていた。机の硬い感触とひんやりした温度が靴下から伝わってくる。

 台高祭だいこうさいで化学部が披露する実験の一つ、『ルミノール反応の実験』で使う暗室を作っていた。化学反応で発光する液体を見せるのだから、暗闇の中で見せた方が見栄えがいい。そこでこのプレハブ暗室の出番だった。

 普段は実験室の棚の上でほこりを被っている、高さ30cmほどのコンテナたちを積み木のように机の上に積み上げて柱にし、物干し竿を柱と壁側の棚の上に渡して暗室の骨格を組み立てる。そこそこ重いコンテナを積み上げていくのだから、中々の重労働だ。マインクラフトのように簡単にはいかない。

 コンテナを4つほど積み上げて一息ついたところで、机の上から実験室をぐるりと見渡す。普段置きっ放しになっている実験器具やガラス器具は隣の化学講義室に全て移動させたので、小ざっぱりとしていた。薬品やその他で机や壁にこべりついたカラフルな汚れも雑巾で綺麗に拭き取った。

 8月も末だというのに残暑は未だ厳しく化学実験室にこもった嫌な熱気は窓を開けても逃げていかないようで、気がつけば額や腕に汗が浮かんでいる。首元から一雫、足元に落ちた。......エアコンの一つや二つ、設置してくれてもいいだろうに。教育委員会のバカヤロー。

 ......思えばこの夏、肉体労働ばかりしている気がする。夏休み前は部室でもの探し。夏休み中は動物園で迷子の保護者を探し、合宿で訪れた旅館では手紙探し。探し物ばっかりしていた夏だった。そんな高校1年生の夏も、もうすぐ終わろうとしている。

 二の腕までまくったYシャツの袖に濡れたひたいこすり付ける。

 そうしていると、入り口近くの実験机に陣取っていた軒山のきやま壮一そういちが声をかけてきた。

   「いやあ、悪いねえ。暗室作り、やってもらっちゃって」

   「......別にいいさ。俺にできるのはこれくらいだからな。コンビニのアイス一本で手を打ってやる」

   「わかったよ。僕がハーゲンダッツを食べるところを見せてあげよう」

 白衣姿で試験管を振る軒山のきやまからの安いねぎらいの言葉を軽く流し、コンテナの上に手を置いてみせた。事実、俺には日名川ひなかわ部長や軒山のきやまほどの化学知識が無いのだから、こうして汗を流して働くことでしか部に貢献できない。俺が担当する『スライム作り』のブースは大した事前準備を必要としないので、軒山のきやまの担当する『ルミノール反応の実験』の準備を手伝っている。


 コンテナはまだまだ残っている。暗幕を作るには柱が足りない。溜息を一つ吐き、さて作業に戻ろうかというところで、今度は実験室の前方から張りのある元気な声で呼びかけられた。

   「お二人!始まったっすよ!」

   「始まったって、何が?」

 同じ1年生部員、倉橋くらはしらんの激しい手招きに誘われて、軒山のきやま、机から降りた俺という順で、別の机で作業していた彼女の元へと歩み寄る。靴を履くのが面倒だったので、かかとを潰しスリッパを履くようにしてビタビタと近づいた。......しっかり者の妹が見たら「ちゃんと履きなさい!」と俺を叱るだろう。

   「これっすよ!夕方のテレビ!台高祭だいこうさいの宣伝してるっす!」

 実験用教卓の上に置かれた横向きのスマートフォンを、ちょうど3人で囲んで上から覗き込む形になる。どうやら地上波で放送されているテレビ番組が見られる機種のようだ。

 ......倉橋くらはしのツインテールがプラプラ揺れて俺の視界をさえぎるので、とても見辛い。

 画面に映っているのは馴染みのある、夕方の地元バラエティ番組の生放送だった。人の往来が激しい台泉だいせん駅の見慣れたペデストリアンデッキを背景に、ポスターを持った女子高生に女性リポーターがマイクを向けている。

   『......おばんです〜!さあ、本日は台泉だいせん高校から、なんと!この方にお越し頂いております!!』

   『皆さん、おばんでーす!台泉だいせん高校の、白鷺しらさぎ美樹みきでーっす!』

 白鷺しらさぎ美樹みきと名乗ったその女子高生はなんとも慣れた様子でカメラに向かって手を振り、自然な笑顔を浮かべていた。首元のボタンこそ開けているが、シャツにスカート、台泉だいせん高校指定の夏服を身に纏っている。パーマがかった亜麻色の髪を後ろからまわし、左肩の上から胸元まで伸ばしていた。

 営業スマイルだろうと思われるその屈託なさげな笑顔からは底抜けに明るい印象を受けるが、しかし身に纏う雰囲気には不思議な落ち着きがあるように見える。

   「ああ、白鷺しらさぎ先輩が宣伝に行ってるんだ」

   「まあそうっすよねえ。宣伝するなら白鷺しらさぎ先輩が行くのが妥当っすね」

   「実行委員会も抜け目無いね。今年の台高祭だいこうさいも本気だなあ」

 画面に目を留めたまま独り言のように言葉を交わす軒山のきやま倉橋くらはしならって、俺もつぶやく。

   「へえ。こんな美人がうちの学校にいるんだな」

 刹那せつな軒山のきやま倉橋くらはしは同時にバッと頭を上げ、信じられないといった表情で俺にってかかってきた。胸ぐらでもつかまれるのではないかという勢いで。

   「嘘だろ梁間はりま!?まさか白鷺しらさぎ先輩を知らないわけじゃあるまいね!?」

   「あの白鷺しらさぎ美樹みきさんっすよ!」

 そのあまりの剣幕に俺は一瞬(ひる)んだ。

   「ああ、シラサギミキさんね。もちろん知ってるさ。あれだ、野鳥の会の」

 そう言うと、軒山のきやまはやれやれといった具合にかぶりを振り、眼鏡をクッと持ち上げると呆れたように教えてくれた。

   「2年8組、白鷺しらさぎ美樹みき。帰国子女で英語が堪能たんのう。日本人離れしたスタイルと美貌で中学からモデルとして活動していて、今はこの地方のテレビで活躍するタレントさ。台高だいこうはもちろん、台泉だいせん市じゃあかなりの有名人。これ、一般教養だよ」

 へえ、そんなのがおるのか。

 ふーん、と適当な俺の相槌あいづちを挟んで軒山のきやまが続ける。

   「おまけに成績優秀、スポーツ万能。その上芸術的センスも抜群で美術部に所属。写実的な表現が達者で、彼女の作品を集めた個展が今度開かれるほどだ。非の打ち所がないとはこのことだね」

 まるで神話でも聞いているかのような気分になってきた。完全に雲の上の人だ。話に現実感がない。

 天は二物を与えずと言うが、何物与えられればそのようなことになるのだろう。俺には一物もくれないのに。神様、ぜひ俺に大きな一物をください。

 今度は倉橋くらはしが画面を指差しながら興奮気味に口を開いた。

   「見てくださいよ、この小さいお顔!キラキラした綺麗な髪!神スタイル!世の女子高生の憧れでもあるんすよ!!あーあ、自分もこんな風に身長伸びないっすかねえ......」

 そう言って自分の頭の上に手を置く彼女は、小学生に間違えられてもおかしくない、なんというかちんまりした外見をしている。頭の横で揺れるツインテールが彼女を幼く見せているのかもしれない。

 画面に映る白鷺しらさぎ美樹みきは、歯切れ良く台高祭だいこうさいの宣伝を続けていた。

   『...と言うわけで明日からスリーデイズ、台高祭だいこうさいが開催されまーっす!アタシが描いた絵も展示されるんで、良かったら見にきてくださいネっ!お待ちしてまーっす!!』

 そう言って彼女が再びにこやかに手を振ったところで中継が切り替わった。どうやら宣伝コーナーが終わったようだ。

   「今年は白鷺しらさぎ美樹みきの宣伝効果で来場者数がドン!と増えてもおかしくないねえ」

 軒山のきやまが独り言のようにつぶやいた。そんな尾田栄一郎みたいな。

 

 しかし、ただでさえ土日の休日が潰れるというのに、その上忙しくなるのか。嫌すぎる。本当に勘弁してほしい。

   「梁間はりまくん、顔に出てるっすよ」

 倉橋くらはしに言われてはじめて、自分の顔が引きつっていることに気づいた。多分、すごくイヤそうな顔をしてしまったのだろう。

   「いや、働きたくないな、と思っただけだ。本当にもう限りなく純粋な気持ちで」

   「またそんなこと言って......部長にでも聞かれたらどうするんすか......あっ」

   「別にどうもせんさ。働きたくないものは働きたくないんだもの」

 やる気のない相田みつをのような本音を漏らすと、軒山のきやま倉橋くらはしが突然ハッとしたような表情になった。おや、俺は何か驚かせるようなことを口走ったかなと首をかしげたのもつかの間、ドスッという鈍い音と共に脇腹の辺りに軽い痛みが走った。


   「はーりまく〜ん。いっそ清々(すがすが)しいねえ。じゃあ続き、働いてもらおうかにゃ」

 振り返ると、いつの間に後ろにいたのだろう、日名川ひなかわ部長が怖いくらいニコニコとしながら立っていた。ただ立っていたのではない。腰を深く落とし、その右の拳でまっすぐに俺の脇腹を突いている。会心の正拳突きだった。

   「あ、部長。帰ってきてたんですね。連日の部長会議お疲れ様です。今日はどんな会議だったんですか?」

 脇腹をさする俺をよそに、何事もなかったかのように軒山のきやま日名川ひなかわ部長に声をかけた。

   「台高祭だいこうさい前日だからね、実行委員長様との最終打ち合わせとかそんなとこさね」

 さすが、各部のおまとめ役は大変な役目だ。この高校生活、絶対に部長にはなりたくない。

   「へぇ、これまた面倒そうな会議ですね。部長達は全員出席してるもんなんですか」

   「基本的には部長は全員出席してたねえ。あとは実行委員長。どこの部活も忙しいのに、これに出ない部活は参加資格を剥奪するって実行委員長が強気なのよね〜ん......まあ、大事なことなんだけどさ」

 やっぱり管理職は上と下の板挟みだな......。この高校生活、絶対に部長にはなりたくない。

 実験室をぐるっと見渡すと、部長は続けた。

   「それより遅くなってすまないね。してして、皆の衆、準備の進みはどんなもんかね?」

 上官に従う軍人のごとく右手を目の横にピシッと持ち上げ、倉橋くらはしが答える。

   「余計なものは化学講義室の方に移動させたっす!あと残ってる作業は、展示実験で使う薬品の準備と梁間はりまくんにやってもらってる暗室作りっす!」

   「うんうん、ご苦労ご苦労。本当はもっと人手があればいいんだけども新入部員は君たち3人しか釣り上げられなかったからねえ。最低でも来年はあと2人欲しいなあ」

   「しかも釣れた3匹のうち1匹は目が死んでますからね。来年は是非、活きのいいのを釣り上げましょう!」

 軒山のきやまが釣り竿を立てる仕草で軽口を叩く。目が死んでて悪かったな。

   「あれ?そういえばうちって部員が4人しかいないっすけど、ちゃんと部として認めてもらえてるんすかね?」

 倉橋くらはしがふと口にした言葉を聞いて、俺と軒山のきやまはハッと目を合わせた。

 ここまで特に疑問も持たずに3年しかない高校生活のうちの半年を化学部に捧げてしまったが、確かに改めて言われてみれば、部員の総勢が4名というのは少なすぎやしないか。部として承認されるために必要な部員の最低人数が、校則か何かで決まっていたような気がする。

   「ご心配なぁ~く!我らが栄えある化学部はちゃあんと部として承認されてるよ~ん」

 腕を組んだままおどけてみせた後、日名川ひなかわ部長は小声でボソッと付け足した。

   「......今はまだ」

   「今は!?」

 軒山のきやまが素っ頓狂な声を上げる。

   「”今は”ってことは、もしかして来年は部として存続できないってことですか!?」

   「大正解!台泉だいせん高校の鉄の掟によれば、部員が5名未満の状態が3年続けば同好会に格下げだ!だから来年もし新入部員が一人も入らなかったら、極貧の同好会生活が待ってるぜ!!」

 両頬に手を当てあわわわわと震える倉橋くらはし。片手で頭を掻く軒山のきやま

   「実は今年の4月も格下げされた部があるんだ。少人数での抗議運動も虚しく、生徒総会で可決されて少林寺拳法部と家庭料理部が同好会落ちした。これで部員の数が5人を下回っているのは地学部と美術部、そして......」

 部長は一度言葉を切って、ニヤリと笑い床を指差して続けた。

   「うち。化学部だけなのん。そしてうちは今年で2年目だ。崖っぷちなのんなー」

   「ヤバいっすよ!今からでも新しい部員を確保しないと!梁間はりま君、分身とかできないんすか!?」

   「できるわけないだろう。落ち着け」

   「じゃあドッペルゲンガーとか、生き別れの双子の兄弟とかは!!」

   「いるかもしれんが俺は知らん」

 ぎゃいぎゃいわめ倉橋くらはしは、両手で部長の肩をガっと掴んでゆっさゆっさと揺さぶった。部長の頭が赤べこのようにぐわんぐわん揺れる。

   「部長、どうするんすか!このままじゃ化学部無くなっちゃうっすよ!!!」

   「あ~。ゆーさーぶーらーれーるぅぅぅ」

   「あっはっはっは、こいつは愉快だあ」

 血も涙もないような言い方だが、俺は別に化学部に執着があるわけではない。しかし、あらゆる活動が盛んでいずれかの部活動もしくは同好会への所属を義務付けられている我が校において、言ってしまえばこれほどぬるい団体が他にあるとは到底思えない。俺も現状に甘んじてはいたい。

   「それで。どうしてそんな話を今するんですか。来年の春に新入生勧誘を頑張るしかないってだけの話でしょう」

 自分を揺さぶる倉橋くらはしの手を止め、わざとらしく咳払いをひとつすると仰々しい様子で部長はこう切り出した。

   「うむ。いい質問だねえ梁間はりまくん。君の言うことはもっともだよ。新入部員を確保するなら来年の新入生を何人か捕まえて入部させればいいだけなのだから、半年も前のこんな夏の暮れに持ち出す話題ではないだろう、と」

 捕まえるとは人聞きが悪い。導くと言ってほしい。......化学部に導きがあるとは思えないが。

   「だがしかーし!!それでは遅い!遅いんだよ!!来年の新入生はいまどこで何をしていると思う!?じゃあ、軒山のきやまくん!!」

   「ええと。今は中学3年生で受験生。中学なり塾なりで絶賛受験勉強中」

   「その通り!それじゃあらんちゃん、受験生諸君が志望先の高校を自由に見て回ることができるのはどんな時!?」

   「あっ、文化祭っす!!」

   「イエ~ス!ということはつまり、未来の新入生は台高祭だいこうさいにも来て......?はい、梁間はりまくん」

 軒山のきやま倉橋くらはしと順に指していた日名川ひなかわ部長の手がついに俺の方へ向けられた。

   「あー。いるかもしれないし、いないかもしれない」

   「ブッブー、不正解。間違いなく来るんだよ!いいかい、新入部員勧誘戦争は既に始まっているんだよ!だから我々は化学部の良さをこの台高祭だいこうさいで広く知らしめる必要があるんだ!!他の部に遅れは取れないぜ!」

 俺の顔の前に部長の両手で作ったバツマークが迫ってくる。

 近い近い近い。密です。密です。ソーシャルディスタンスを保ってください。

 眼鏡の位置を人差し指で直しながら軒山のきやまが冷静に言う。

   「つまり、この台高祭だいこうさい期間の化学部の展示発表は、来年の新入生に化学部への興味を持たせることができる最初のイベントってわけっですね」

   「そういうこと」

 まあ確かに、学校主催のオープンキャンパスのような堅苦しい催しよりも、生徒主導で自由な文化祭の方が中学生諸君も高校の雰囲気を直に感じやすかろう。未来の新入生に化学部の名前を売るチャンスではある。......売るほどのものがあるかどうかはさておき。

   「じゃあ、そのためにも準備をチャッチャと終わらせますか!......梁間はりま君もちゃあんと、働いてね?」

 日名川ひなかわ部長の合図で、俺たち1年生3人はそれぞれ自分の持ち場に戻っていった。

 

2


 暗幕を上から垂らす作業は一人でやるには困難だったが、軒山のきやまに手伝ってもらってようやく暗室が完成した。遮光性を高めるため暗幕のつなぎ目の部分にガムテープを使用しているので、外見がなんだかみすぼらしく見えるのはご愛嬌あいきょう。ここが化学実験室でなければ、タロットや水晶が似合う「占いの館」か何かと間違えられてもおかしくない見栄えだ。

   「ようやく完成したねえ」

 白衣を羽織はおり直した軒山のきやまが暗室を見上げて言った。

 我ながらよく頑張った。ピラミッド建設に携わった労働者達もこんな気持ちだったんだろうか。いやしかし、彼らは正当に十分な報酬をお偉いさん方から得ていたらしいと最近聞いた。俺に物質的な報酬が無いのは、やはりこれが化学部員としてやるべき仕事だったからだ。......そう考えると、割とホワイトな環境で働いていたらしいピラミッド作業員が敵に思えてきた。

 時計を見れば、もう夕方の6時を過ぎている。窓から差し込む夕陽ゆうひの日が赤く眩しい。

 夕焼け小焼けでまた明日。これからもっと日の入りが早まっていくのだろう。

 夏の終わりがすぐそこまで近づいてきていた。

   「二人ともお疲れさん」

 不意に後ろから腰をポン、と叩かれた。こちらも白衣姿、日名川ひなかわ部長がニカッと笑っている。

   「とりあえず今日は、こんなところかい。あとは明日の朝に集まって準備しようかね。......梁間はりま君は遅刻しないよーに!」

   「ええ......名指しですか」

   「前科が複数あるのは知ってるからねぇ。遅刻したらハーゲンダッツ全員分ね」

   「夏の朝に食べるハーゲンダッツとは、これまた魅力的ですね。......梁間はりま、ちょっと遅れてくるがいい。おまえの罪は、永遠に許してやろうぞ」

 走れメロスか。軒山のきやま、お前はセリヌンティウスのポジションじゃなかったのか。

 返事をする代わりに、俺は鼻を慣らした。

 俺と軒山のきやまで暗室を完成させている間に、日名川ひなかわ部長と倉橋くらはしの二人で展示実験の準備をあらかた済ませたらしい。『亜鉛メッキ』に『ルミノール反応』、『テルミット反応』、『過冷却』、そして俺が担当する『スライム作り』......

 実験机に各実験で使う器具が並べられていた。薬品類は万が一のことがあってはいけないので、準備室の鍵付き薬品庫に閉まったようだ。

 本来であれば、夏休み前の契約に基づいて映画部の部員が手伝ってくれる手筈てはずだったのだが、あっちはあっちで準備が大変らしかった。我らが部長もそこまで鬼ではなかったらしく、映画部の前日準備を優先させてやったのだった。やはり、部員の人数が4人というのは心もとない。

   「はあーあ、ついに明日だよ。台高祭だいこうさい

   「楽しそうだな。というよりお前も手伝えよ」

 帰る前に実験室の戸締りを確認してまわる俺の後ろで、軒山のきやまが手近な椅子に腰掛けて薄い冊子をっている。どうやら台高祭だいこうさいのパンフレットらしい。朝のホームルームの時に台高祭だいこうさい実行委員がクラス全員に配っていたので俺も持ってはいる。表紙も中身もカラー印刷されたなかじのB4サイズ。もはやちょっとした雑誌だ。表紙には台高だいこうの「台」の字を額につけた赤いアメリカン風ヒーローが、こちらに向かって飛んでくるような構図でえがかれている。毎年印刷会社に依頼して作っているらしく、高校の文化祭のパンフレットにしてはったものだとそのクオリティの高さに驚いたものだ。


   「へえ、古本市にクイズ大会。バド部は毎年恒例のお化け屋敷。チョコバナナに玉こんにゃく......」

   「本当にいろいろあるんだな」

   「これを見る限りだと、40以上の部活がそれぞれ出し物をするみたいだね。まったく、台高祭だいこうさいの規模の大きさったらないねえ」


 パンフレットにまだ目を通していなかったので、どの部活が何をするのか全く知らなかった。

 なんなら一時間目の古典の授業で枕がわりに机にいて唾液を染み込ませてしまったので、最後の数ページが読めなくなっており、数百年後には謎を孕んだ奇怪な古文書になっていることだろう。子孫や未来人には悪いことをしたが、これはこれで古典っぽくなるだろう。まあ、パンフレットなんぞあっても俺が自主的に目を通すことはまずないだろうから、別に無きゃ無いで困らないのだ。冬の鍋敷きになるのが関の山。

 だがやはり目の前のパンフレットの中身が少し気になって、軒山のきやまの後ろから冊子を覗き込む。

 各フロアのマップに、団体の名前と説明書きが添えられている。説明書きは各団体で考えたのだろう、統一感がまるでない。

 『鳴かないよ トホホホホホホ ホトトギス』『イケメン、あります』『女の子のお客さん大歓迎!男は滅する』......説明文だけでは何をやるのか分からない部活がほとんどだ。彼女を募集する説明書きも珍しくない。混沌カオスだ。

 他には校舎2階の特設ステージのタイムテーブルや、各日程の最後に行われる夜祭やさいの予告、クラス壁画について掲載されていた。各ページの下には近所のラーメン屋や診療所、寺院など台高祭だいこうさいにお金を出してくれているスポンサーの広告がズラーッと並んでおり、実行委員の頑張りがうかがえる。

 溢れ出る高校生の活力に目眩めまいを覚え、パンフレットから目を背ける。

   「なんというか、凄いな。降参だ。投了。サレンダー」

   「いや何と戦ってんのか知らないけど、本番は明日からだよ」

 呆れ顔を浮かべた軒山のきやまが、丸めたパンフレットで俺の腹を小突いてきた。

 明日からの三日間、台泉だいせん高校は「青春」の二文字でいろどられるのだろう。なんの色も持ち合わせない俺は、この台高祭だいこうさいがどんな三日間になろうとも、多分何も変わらない。この台高祭だいこうさいに何も求めてはいないし、何かやりたいことがあるわけでもない。俺にとってはただの登校日に過ぎない三日間だ。だから。

   「まあ、俺は俺のすべきことをするだけさ」

 自分に言い聞かせるようにそう呟き、机の上から自分のかばんを手にとって肩に掛けた。


3


  「それじゃあ明日は朝8時に集合ね!」

  「えっ......いつもの登校時間より30分も早いんですけど」

  「遅刻した奴はハーゲンダッツの刑、そして私はストロベリー味!それでは、解散!!」

  「お疲れ様っす!!!」

 俺のささやかな抗議は夜の風に流されて消え、化学部総勢4名の前日準備は駐輪場前で解散となった。

 俺と軒山のきやまは自転車通学、倉橋くらはしは地下鉄通学、日名川ひなかわ部長はバス通学と帰る方角も手段もバラバラなので、4人は自然と散るような形になる。駐輪場の階段を上っていく他の3人の後ろ姿を見送り、駐輪場1階の隅の方、いつもの場所にある自分の愛車の元へと歩を進めた。

 肩にかけていたカバンを自転車のカゴに放り込みロックを解除しスタンドを蹴り上げ、サドルにスッとまたがってペダルを漕ぎ出す。半年の高校生活で身体に染み付き慣れた動作だ。校舎と職員用駐車場を右側に追い越し、北門から道路に出た。

 足がよく回る。身体は疲れていたが、準備を終えた達成感からかかろやかに動けている気がした。準備だけで達成感を得られるなんて、我ながら安い精神を持ち合わせているらしい。苦笑いを噛みしめる。

 いつも昼食の世話になっているコンビニの角を曲がり、薄暗い路地へと入っていく。路地を抜け小さい公園を過ぎれば、年季の入った一軒家が立ち並ぶ住宅街。等間隔に並ぶ街灯が進む一本道を先まで照らしてくれいる。

 汗でベタついた腕を、夏の夜のぬるい風がでていくのでそこまでの暑さは感じない。むしろ風が心地よい。見上げる夜空に雲は無かったが、住宅街の灯りのせいか星の光は弱々しく見えた。いつか見た夏の大三角形は以前よりも遠ざかっている。

   「今年の夏ももう、終わりだな」

 少し感傷的に出た独り言だったが、やはり夜の風に流されて消えていった。

 この夏に特別何かあったわけでも無いし目標も無かったのだが、言葉にすると寂しさが込み上げてくるのが不思議だった。

 16歳。高校1年生の夏。......テレビで甲子園の試合を見ながら、手にした棒アイスをひたすら棒まで舐めて最後にはかじっていた記憶ばかりが蘇る。思い返すまでもなく、非生産的な夏だった。これはこれで、梁間はりま雪彦ゆきひこらしい。

 今日はいつもより帰りが遅くなってしまった。妹たちは今頃、腹を空かせているだろうか。昨夜見た冷蔵庫の中身を思い出し、今夜の献立を頭の中で組み立てる。ハンドルを握っていた右手を前にひねり、自転車のギアを一つ上げた。足元でガシャリと鳴り、少し重くなったペダルに力を込める。

 速度を上げ、夜の住宅街を駆け抜けていく。


 明日からの台高祭だいこうさい。騒がしいのは正直苦手だが、それでも祭りはやってくる。

 楽に、静かに、穏やかに。

 不可避ならばせめて、何事もなく平和に過ごしたいものだ。

 

 

お久しぶりです!紀山康紀のりやま やすのりです!

ここまで読んでいただきありがとうございます!

前回の投稿から数世紀ほど開いてしまいましたが、台高祭編、いよいよ始まりました。

全7話ですので、お時間があれば最後までぜひお付き合いください。

自分で言うのもアレですが、今回の長編は結構自信があります。

ちゃんと物語中の伏線だけで最後には犯人を特定できるようにしてありますので、もし良ければ犯人探しをしてみてください。

第10話・第12話で後書きにて解説を掲載する予定ですが、それまでは御礼以外に書くことが特に無いので僕が使用しているポケモンの育成メモを載っけます。最近エースバーンが減りましたね。


投稿スケジュールは以下の通りです。

2020年12月26日 20時 6話(本項)

         24時 7話

      27日 20時 8話

         24時 9話

      28日 24時 10話

      29日 24時 11話

      30日 24時 12話

※作者の睡眠状況とポケモンへの熱によっては時間が前後する場合がございます。

 予めご了承ください。

    

ではまた、すぐにお会いしましょう!

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