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梁間さんの『お兄さん』  作者: 紀山 康紀
1年生・前半
7/17

第5話「時をかける宝」

夏休み後半。梁間たち化学部4名は、日名川部長の計らいで彼女の親戚が営む民宿で二泊三日の合宿をすることになった。広い客室、最高の温泉、振る舞われる料理...これらが無料で提供されるなんてうまい話があるのだろうか。梁間の悪い予感は的中し、化学部の面々は得体の知れない宝探しに巻き込まれていく。


1


 「夏といえば海」などという浮ついた言い回しが世間を徘徊する今日この頃、そんな時勢に逆らうように俺たちは海から遠ざかった。ひとつ具体的に言うなら、山にいたと言うべきか。梁間はりま雪彦ゆきひこに夏の輝く海は似合わない。それが自他共に認める一面の真実であることに間違いはないのだが、この薄暗い物置の中で体をいじめながら労働することを望んだ覚えは一片たりともない。今、この物置に俺以外の人間の姿は見当たらない。そのせいか、肉体的精神的疲労からくるため息が大きく聞こえた。


 思えば、夏休み直前も化学部の部室で同じように探し物をしていた気がする。あの時は日名川ひなかわ部長の勅令ちょくれいを受け、倉橋くらはしと共に部室でダンボールを片っ端からひっくり返し、実験で使用する暗幕をひたすら探していた。結局、暗幕は部室には無く、その後暗幕の行方を辿るうちに面倒ごとに付き合わされたのだった。

 日名川ひなかわ部長に転がされるとロクなことに巻き込まれない、とは高校入学から4ヶ月あまりで得た我が経験則だが、今回の一件でその法則がまた一つ補強されたことは間違いない。

 今回も半ば強引に日名川ひなかわ部長の命令で物探しをしているのだが、条件が少しばかり異なっている。場所は山間の民宿、探し物は手紙、探すのは化学部員、探す理由はずばり、「遺産のため」。


 物置の戸の近くに立てかけてあった背の高い脚立を足場にして、自分の頭より高い棚の上からダンボールをよっこらせと抱えて下ろし、箱の中を物色する。箱の中身は色あせたカーテンだった。手がほこりまみれることに嫌悪感を覚えながらも両手でカーテンを広げ、目的の手紙がどこかに挟まってやしないかと確認するが、これまたハズレ。カーテンをもてあそたびほこりが空中に舞い、差し込む光で輝いた。朝からずっとこんな調子である。


 適当に働いていてもそれをとがめる人間は近くにはいないのだが、これは対価としての労働だ。働かざる者食うべからず。宿泊させてもらっているのだから、その恩義には応えねばなるまい。ひたいの汗を肩でぬぐいながら、俺は昨晩のことを思い出していた。

 

2


 合宿初日。

 俺たち台泉だいせん高校化学部総勢4名は、台泉だいせん駅から発車するバスに揺られること1時間、目的地であるここ春伊はるいまちに到着した。春伊はるいまちは温泉で有名な土地だ。名湯として全国に名を馳せているだけあって、数多くの旅館やら入浴施設やらがひしめき合って密度の高い温泉街を形成している。俺が住む台泉だいせん市の中心地からもそう遠くないこともあり、市民に広く親しまれている観光地だ。


 俺たち化学部員は、日名川ひなかわ部長の発案で合宿を行うことになっていた。合宿の拠点は春伊はるいまちにある民宿。もちろん温泉付き。合宿とは名ばかりの慰安旅行なのではないかという疑念は未だ晴れない。日名川ひなかわ部長の親戚が春伊はるいまちで民宿を営んでいるらしく、無料で宿を提供してくれるという話だった。今にして思う、タダより高いものなど無いのだと。


 宿に到着し、階段を上って男女で別々の部屋に通された。二泊分の荷物が入ったリュックを肩から下ろしようやく人心地ついたところで、軒山のきやま壮一そういちが口を開いた。

   「いやあ、まさか温泉宿に来られるなんて思わなかったよ。日名川ひなかわ部長のことだからどこかの研究機関にでも押しかけて、理系()けにされるものだとばかり思ってた。まあ、僕はそれでもいいんだけどさ」

   「勘弁してくれ。どうせかるなら俺は温泉にかりたい」

 手近にあった座布団を半分に折って頭の下に敷き、バス移動で固まってしまった身体をたたみの上に放り出す。

   「なんにせよ、だ。この民宿、おかしいよね」

 窓から外の景色をうかがっていた軒山のきやまがこちらを振り返ることなくそうつぶやいた。

   「おかしい?」

   「変だと思わないかい。今は夏休み。宿泊施設も観光地もき入れどきだ。現に、この春伊はるい温泉も浴衣美人でごった返してる」

   「最高だな。美人は好きだ」

 軒山のきやまの目が追っていたものの正体を察して、俺も窓際に近づいた。

 なるほど。

 窓枠の外で、温泉街を縫うようにうねる道が遠くのホテルの影まで続いている。どこぞの旅館で貸し出しでもしているのだろう、白っぽい浴衣を着た女性達がこの民宿の反対側の道を歩いているのが見えた。

 惜しむべきは双眼鏡を持ち合わせていないことだろう。ちくしょう。

 夕日で輝く温泉街に映える浴衣姿を見送りながら、軒山のきやまの次の言葉をうながした。

  「それなのにこの民宿、僕たちしか泊まっていないみたいなんだ。つまり貸切」

  「確かにそれはおかしいな......ん?ということは...」

 俺の台詞せりふ軒山のきやまいだ。

  「色気ムンムンの風呂上がり浴衣美人との遭遇イベントがこの宿では発生しない」

  「なんて悲劇だ。そんなの温泉じゃない」


 言葉ではおどけてみたものの、俺は、おそらくは軒山のきやまも、この合宿に違和感を感じ始めていた。高校生4人の合宿のためだけに宿を貸し切りにするなんて、そうそうありえることではないだろう。俺たちはまた、日名川ひなかわ部長に踊らされているのではないか。


 そんなことを思っていると、不意に部屋の入り口が開け放たれた。

   「喜びなさい、後輩ども。美人ならここにいるじゃない。それも二人」

   「そろそろ夕飯の時間っす!下の大広間に行きましょう!!」

 日名川ひなかわ部長と倉橋くらはしらんが、腕を組んで仁王立ちしていた。


 階段を下って1階に降り、前の3人に続いて広間に入る。俺たちが割り当てられた客室も二人で使うには余りあるほど広かったのだが、この広間の床面積は客室の2倍はありそうな広さだ。宴会もできるという。

 部屋は和の造りになっており、奥には高そうな掛け軸といかにもな雰囲気のつぼを伴ったとこの間が控えている。壁の柱の高い位置にかけられた円形の時計とその下にある正方形の日めくりカレンダーが、部屋の和の印象から少し浮いているような印象を受けた。白い壁と障子しょうじふすまに囲まれる広い日本空間の中心を黒光りする長方形のテーブルが陣取っている。

 テーブルの上には山の幸を中心とした料理が4人分、所狭しと並べられていた。これだけの食事が無料で振る舞われるなんてうまい話が果たしてあるのだろうか。

   「ひゃあ、美味しそうだねぇ〜...よっこらしょ」

 なんとも若々しさに欠ける声を漏らしながら腰を下ろす日名川ひなかわ部長にならって俺たちも各々(おのおの)座った。俺と軒山のきやまが隣りあい、卓を挟んで日名川ひなかわ部長と倉橋くらはしに向かい合う形になった。彩り美しい皿をいざ目の前にすると、上等な外食に馴染みがないので若干萎縮(いしゅく)する。

   「それじゃあ皆の衆、早速いただこうじゃないか」

 日名川ひなかわ部長の挨拶を皮切りに夕食が始まった。俺もいただきます、と手を合わせて箸に手をつけた。


 食事が終わった頃、この民宿の女将おかみ夫婦が広間に姿を現した。緊張と罪悪感から姿勢を正そうとしたが、楽にしてくれていいよ、とさとされその言葉に甘えることにした。

 夫婦共に歳は30代半ばといったところだろうか。

妻の方は桜色の着物を着こなし、つやのある黒髪を後頭部でまとめあげている。老舗旅館の若女将(おかみ)か、あるいは小料理屋の女主人といった印象を受けた。

   「改めて挨拶させてもらいます。杉原すぎはら洋子ひろこです。あかりちゃんから見たら叔母おばね。この民宿の女将おかみです」

 膝を折り、畳の上で深々と丁寧に頭を垂れて洋子ひろこと名乗ったその女性は日名川ひなかわ部長の叔母だった。そう言われてみれば、確かに目元のあたりが部長に似てなくもない気がする。

   「んで、俺は杉原すぎはら和夫かずお。この民宿の主人で、洋子ひろこの旦那さ。遠いところわざわざすまんな」

 男性の方は親指で自分の顔を差しながらそう言った。立派な顎髭あごひげをたくわえており、法被はっぴの上からも分かるガタイの良さもあいまって熊のような力強さを感じる。この二人が並ぶとまるで和製「美女と野獣」だなと思った。


 俺たちも順に名乗ってお互いに挨拶を一通り済ませたところで、自慢の顎髭あごひげをさすりながら和夫かずお氏が話を切り出した。

   「さて、早速本題に入ろうと思うんだが...お前さんたち、あかりちゃんから話は聞いてるか?」

 話?

 頭の上にクエスチョンマークが出たのは俺だけではなかった。軒山のきやま倉橋くらはしも首をかしげると、二人同時に俺の方に視線を向ける。もちろん俺も何も知らないので、小さくかぶりを振った。テーブル越しに日名川ひなかわ部長がニヤニヤしているのがなんとまあ小憎たらしいこと。

   「いえ、日名川ひなかわ先輩からは何も聞いてないです」

 困惑する1年生を代表して軒山のきやまが答えると、和夫かずお氏の横で控えていた洋子ひろこさんが呆れ顔で日名川ひなかわ部長の方を見た。

   「あかりちゃんもイジワルねえ...皆さんに何も教えないで連れてきたの?」

   「イヒヒヒヒ、その方が面白そうだったからねー」

   「まったくもう...相変わらずそういうところは姉さんそっくりなんだから...」

 こめかみを押さえながら諦めたように言う洋子ひろこさんとは対照的に、日名川ひなかわ部長はいたずらっぽい笑みを浮かべながら両手で両足のつま先を抱えて楽しそうに揺れている。これは何か面倒ごとに巻き込まれたのではあるまいか。

   「そういうことなら、俺の方から説明しよう。今回君たちに来てもらったのは他でもない。すこーし手伝って欲しいことがある」

 和夫かずお氏は組んでいた腕をほどき膝に手を当て、こちらの方に顔を少し近づけ、わざとらしく声を潜めて言い放った。

   「お宝を探すんだよ」

 静寂の中、カチ、カチ、と壁にかかった時計の針の音が大きく聞こえた。


3


 主人の話を要約すると、つまりこういうことだった。


 俺たちが宿泊するこの民宿「桜ヶ根(さくらがね)山荘さんそう」は元々、和夫かずお氏の父親、杉原すぎはら十蔵じゅうぞう氏がここ春伊はるい温泉街に開いた宿であった。

 一代で民宿を起こし経営を安定させた十蔵じゅうぞう氏だったが、今から2週間ほど前に病気で他界してしまう。先日のことだそうだ、和夫かずお夫妻が氏の遺品を整理していた折に氏の記名と日付が入った一通の手紙を発見した。

 この手紙とは別に十蔵じゅうぞう氏は自身の遺産の配分やら契約やらを明確に示した遺言書をきっちりと用意していた。新たに発見された手紙の日付が、その遺言書よりも新しいものだったという。

 あまり詳しくないのだが、遺言書というのは日付が最も新しいものが有効になるらしい。その手紙の内容によっては、前の遺言書に記された遺産の相続に変更が生じることにもなりうる。しかし。


   「で、実際に出てきた手紙がこれよ」

 そう言うと和夫かずお氏はふところから薄茶色の便箋びんせんを取り出し、折りたたまれた紙を丁寧に広げてテーブルの上に置いた。俺たち4人が同時にその手紙を覗き込む。

   「...読めないっす......」

 倉橋くらはしうめくのも無理はなかった。素人目には達筆なのかそうでないのかよくわからないが、筆で走り書きされたかのような文章が縦に並んでいる。俺にも読めない。

   「崩し字...だね。それもかなりクセが強い。でもなんとか読めそうだ」

 ある種の尊敬を含んだ驚きの視線が軒山のきやまに集まる。

   「軒山のきやまお前、この字が読めるのか?」

 誇るでも縮こまるでもなく、さも読めて当たり前と言わんばかりに軒山のきやまは言った。

   「まあね。僕の祖父がこういう字をよく書くもんだから、いつの間にか読めるようになってたのさ」

 まだそんな才能を隠し持っていたのか。俺は内心、舌を巻いた。

   「それで、この手紙にはなんて書いてあるんすか?」

 寝る前に絵本の読み聞かせをせがむ子供のように続きを促す倉橋くらはしかされ、眼鏡を軽く持ち上げて見せてから、軒山のきやまはゆっくりと手紙を読み上げた。




   誰かがこの手紙を読んでいる頃には、私はもうこの世にはいないだろう。

   遺してやれる物が私にはあまりないのだが、我が財産については遺言書に記しておいた。

   好きに使ってくれ。

   洋子さん、それから和夫よ。最後の遺産をお前さんたちに贈ろうと思う。

   最後の遺産の所在だが...これとは別の手紙をこの民宿の何処かに隠しておいた。

   私の人生最後の悪戯よ。老人の道楽に少しくらい付き合っても罰は当たるまい。

   探すも探さぬも自由だが、まあいずれ必ず見つかるだろうから安心してほしい。

   お前さんたちの困り果てた姿をこの目で見ることなく逝くのは僅かばかり心残りだが、

   あの世から娯楽として楽しませてもらうことにする。


                                杉原十蔵




   「...と、いうわけなんだ。分かったか?」

 静寂を切り裂くように、和夫かずお氏が口を開いた。

   「事情は分かりました。それで一応聞きますけど、その最後の遺産とやらは見つかったんですか?」

   「見つかってたらこんなに苦労はしない」

 軒山のきやまの問いかけに、和夫かずお氏は首を振るばかりだった。

   「お義父とうさん...十蔵じゅうぞうさんは、それはもうイタズラが大好きな人でね。私たちだけならともかく、泊まりにきたお客さんにもイタズラを仕掛けてたわ。その度にカメラを向けて喜ぶのよ」

 はあ、とため息をついて洋子ひろこさんがほおに手を当てながらぼやく。

   「お尻を触られたり宿泊部屋にヘビのおもちゃを仕込んだりするのはまだマシな方。生きたカエルが入った箱をプレゼントされたこともあったわ。幽霊騒ぎの時だって、結局私が何度も何度もお客さんに謝って.....あの変態ジジィ...!!」

   「へ、へえ。なんか大変だったみたいですね」

 洋子ひろこさんの右の拳が語気と共に強く握りしめられていくのを見て、月並みなことしか言えなかった。怒らせると怖そうだ。テディベアのようにおとなしくしていよう。

   「まあそんなわけで、みんなには叔母おばさんたちの探し物を手伝って欲しいんだ。これが化学部の夏季合宿さね」

   「あの、部長。これが化学にどう結びつくっていうんですか」

   「それはあれさ。あれだよあれ。考える力とか考察力とかそういうやつさ」

   「部長、それ絶対いま考えたっすよね?とりあえず連れてきたっすよね?」

   「はい聞こえなーい、何も聞こえないよー」

 軒山のきやま倉橋くらはしが呆れ顔で日名川ひなかわ部長に噛み付くが、部長は耳をふさいでまともに取り合おうとしなかった。もうここに来てしまっているのだ、何を言っても無駄だろう。


   「こちらできっちり二泊分の世話はさせてもらうし、温泉だって入れる。もちろん金は取らない。さっきも言った通り、遺産の内容によっては相続人の間で揉め事にもなりかねない。それに手紙がお客の目につくところにあった場合、持っていかれることもあるかもしれない。だから早く見つけにゃあならん。今はとにかく人手が欲しい。ひとつ、頼まれてはくれないだろうか」


 和夫かずお氏はそう言って、両の拳を畳につけて俺たちに深々と頭を下げた。この問題がどれほど大きいものなのか、たかだか高校生の俺にはよくわからないが、その必死さが姿勢ににじみ出ている。

 人様の家の問題、それも遺産に関わるような問題に関わるのはあまり気が進まないのだが、テーブルの上にはからになった皿が並んでいる。どれも美味しかった。言うなれば、先に報酬の一部を頂いてしまったことになる。文字通り一杯食わされた。これで断るのでは筋が通らない。

 ちらと見れば、他の二人も同じ心らしい。

 かくして、俺たちは亡き老人の酔狂すいきょうにつきあうこととあいった。


4


 そして一夜明け、合宿二日目。

 例の和室で朝食を済ませた俺たちは早速、十蔵氏がこの民宿のどこかに隠したという手紙を発見するために動いた。この民宿、桜ヶ根(さくらがね)山荘さんそうは民宿というより旅館といった風貌ふうぼうの二階建て木造建築であり、客室は大小合わせて8部屋あるという。客室の他に男女別の浴場や宴会場にもなる大きな和室、応接室などもあるのだからそれなりに広いと言えるだろう。この中から手紙を探さねばならないのだから、まったく骨が折れる。

 テーブルに置かれた民宿の平面図を6人で囲んで作戦を練る。平面図を見る限り、大蛇が現れそうな秘密の部屋も魔法の練習ができそうな空間も見当たらなかった。建物自体に怪しいところはないという。


   「叔母おばさん、十蔵じゅうぞうさんが手紙を隠したのっていつ頃なのか見当つく?」

 日名川ひなかわ部長の問いかけに、洋子ひろこさんはあごに人差し指を当てながら答える。

   「そうねえ...お義父とうさん、亡くなる直前まで元気に動きまわってたからなあ...ごめんなさい、分からないわ」

   「それじゃあ、十蔵じゅうぞうさんの行動で何か違和感を感じるところはありませんでしたか?」

   「元々落ち着きのない親父だったから、何をやっても別に変には思わなかった。それに何か隠すんだとしたら俺たちの目を盗んでやっているだろうから、俺たちはまず気付かない」

   「十蔵じゅうぞうさんはそんなに破天荒はてんこうな方だったんですか」

   「昨日も言った通りイタズラ好きなじーさんだが、一応は常識を持ち合わせていたと思うぞ。遺産分配に関する遺言書も形式にのっとって正しく書かれていたし、大好きなイタズラも人に怪我をさせるようなことは絶対にしなかった」

 軒山のきやま聴取ちょうしゅ和夫かずお氏はたくましい腕を組んで答える。しかし、これといって有力な情報は得られなかった。俺は慣れない早起きで頭が回らず、みなのやりとりをただただ聞いていた。


   「俺と洋子ひろこは、我々が生活している部屋や厨房あたりをもう一度探してみる。君たちには、お客さんの目につくような場所をお願いしたい」

   「皆さん、くれぐれも無理はしないでください。怪我はしないように。可能な範囲で構いませんから」

 日名川ひなかわ部長の指揮のもと、俺たち4人は場所を手分けして探すことにした。日名川ひなかわ部長と軒山のきやまは1階を、俺と倉橋くらはしで2階をそれぞれ担当して探す。

   「何か手がかりが見つかったら報告すること。危ない探し方はしないこと。以上!解散!」

 部長の声と柏手かしわでを合図に全員立ち上がって部屋を出ていく。俺も重い体にむち打ってのっそりと立ち上がった。あごを上げて壁の時計を見れば、まだ朝の9時だった。


 現在。

 取り出したカーテンをたたんでダンボール箱の中にしまい元々あった棚の上に箱を戻していると、元気な声が物置の戸の方に近づいてきた。

   「梁間はりまくん、そっちはどんな具合っすか〜?何かそれっぽい物とかあったっすか〜?」

 足場にしていた脚立に腰を下ろし、両手を広げてみせた。

   「収穫ゼロ、何もなし。そっちはどうだ。何か見つけたか?」

   「ふっふっふ〜。面白い物見つけたっすよ!」

 そう言うと、倉橋くらはしは背中に隠していた右手を俺の目の前に突きつけてくる。

   「ジャーン!見てください、けん玉っすよ、けん玉!」

 その手には、木製のけん玉が握られていた。玉の部分は赤く塗られ、胴体の部分は木目がむき出しになっている。なんの変哲も無い、どこにでも売っていそうな普通のけん玉だった。

   「お前マジメに探してたんだろうな」

   「自分はいつでも全力っす!探し物だって全力でやるっすよ!これはさっき、押入れから出てきただけっす。全然遊んでなんか無いっす」

 そう言いながら、倉橋くらはしはけん玉を構えている。胴体から伸びた糸がピンと張り、糸の先、床の近くで赤い玉が糸のねじれに従ってくるくると回っている。倉橋くらはしの目は真剣だった。その目に、思わず見入ってしまった。

   「......はぁっ!!」

 覇気のある掛け声とともに胴体を勢いよく持ち上げ、それに伴って胴体を中心に赤い玉が空中で大きな円を描く。充分な運動エネルギーを得た玉は倉橋くらはしの右手を大きく越え、勢い余って持ち主の頭部に襲いかかった。わずか一瞬の出来事だった。

   「...........っっ!!」

 声にならないうめきを漏らしながら頭を抱えてしゃがみこんでいる同級生に、俺はあわれみの視線を向けていた。ただでさえ小さい身体がいつもより小さく見えるのは、しゃがんでいるからという理由だけではないと思う。腕を伸ばし、彼女が手放して床に転がったけん玉を拾い上げながら声をかけた。

   「そりゃあ、あんだけ勢いよく回したら痛いだろうさ。全力でやればいいってもんじゃないだろう」

   「うう...無念っす......」

 目の前でうずくまっていた倉橋くらはしは側頭部のあたりを丁寧にさすり、ゆっくりと立ち上がった。洋子ひろこさん、ごめんよ。どうでもいいところで怪我人が出ちまったみたいだ...。  

 さて、けん玉に触れるなんて何年振りだろうか。と、思ったが、自分の体が覚えているらしかった。

 ほっ、ほっ、ほっとリズムよく右手でけん玉を動かしていく。手首を回して左、右、左、右。3箇所あるすり鉢状の部分を、玉が跳ねるように動いていく。最後は先端に突き刺して決めポーズ。

   「梁間はりまくん...けん玉上手っすね!意外な特技っす!」

 興奮気味に俺を見る倉橋くらはしの目がまぶしくて、視線を手元のけん玉に落とす。

   「昔、けん玉の特訓をしていたことがあってな。思っていたより動けるもんだ」

   「じゃああれっすか!歌いながらけん玉するやつもできるんすか!?」

   「できる。ウルトラソウル歌いながらでもできる」

 やってくださいよぉ〜と倉橋くらはしはしつこくねだってきたが、俺の芸は安くないと突っぱねてやった。


5


 昼食を挟み、その後も皆で探し続けたが目当てのものは見つからなかった。気がつけば夕方。

 各部屋のドアや天井、テーブルの下などはもちろん確認した。本の中、座布団の中、ティッシュケースの中も探した。そのうち土の中草の中あの娘のスカートの中も探しそうな勢いだった。しまいには和夫かずお氏の手を借りて男性陣で各部屋のたたみを片っ端からひっくり返したが、床下から出てきたのはアホな顔をしたヘビのおもちゃだけだった。ここまで見越していたのなら十蔵じゅうぞうさん、手がこみすぎてやしませんかね。

 万事休す。疲労を抱えた俺たち4人は、ウォーキングデッドのように1階の和室になだれ込んだ。

   「いやー疲れたー!見つからなーいっ!!」

 腕を上に伸ばして叫んだかと思うと、日名川ひなかわ部長はたたみに仰向けで倒れ込んだ。疲れているというわりにはテンションが高い。 

   「これだけ探して見つからないなんて...一体どこにあるんすか...」

 テーブルの上にあごを乗せた倉橋くらはしが気の抜けた声でつぶやく。側頭部が少し盛り上がっているのがここからも見える。まだ痛そうだ。

   「探そうとしてはいかんぞ。真実はいつでもお前さんの目の前にあるものじゃ。しっかり見るのじゃ、心の目をもってして...」

 白い壁に直角になるようにしてもたれている軒山のきやまは意味不明なうわ言を繰り返し口にしている。その目に光は無い。疲労とおもちゃのヘビによるショックでどうにかなってしまったらしい。かわいそうに。南無なむ

 普段はなかなか見られない、疲れきった三者三様の様子を楽しんでいると、ふすまがスッと開いて動きやすそうな格好をした洋子ひろこさんが入ってきた。その手には湯のみが乗ったぼんを持っている。

 俺と倉橋くらはしは姿勢を正そうとしたが、疲れてるでしょ、とやはり軽く制された。

   「フフッ。みんなお疲れみたいね。本当にありがとう」

   「いえ、そんな...」

 湯のみを4つ、テーブルの上にトン、と並べてくれた。礼を言ってそのうちの一つに手を伸ばし口をつける。冷えた麦茶がのどを鳴らしながら一気に胃に落ちていくのが分かった。

   「皆さん、ここまでで十分ですよ。もう無理して探さなくていいからね。あとは私と旦那で探してみるから」

   「でも、それじゃ...」

   「多分大丈夫よ、心配しないで。本当に重要なものだったら、お義父とうさんもきっとこんな隠し方はしないでしょう。そういう常識的な部分は、一応信用してるのよ」

 柔らかい笑みを浮かべて、洋子ひろこさんは続けた。

   「お義父とうさんの手紙にも『いずれ必ず見つかる』って書いてあったし、こういう探し物は忘れた頃にひょっこり出てくるものよ。あの人...旦那も、多分そう思ってるわ」

 そう話す洋子ひろこさんを、俺と倉橋くらはしは黙って見ていた。

 その時だった。突然、倉橋くらはしがその体に似合わない大きな声をあげた。

   「ああーっ!!!」

   「ビックリした...なんだよ突然...」

   「あれっす!あれ!!」

 倉橋くらはしは部屋の一点、彼女から見て洋子ひろこさんの真後ろを指差した。その指先を目で追って行き着くのは、例の日めくりカレンダー。

   「自分、ずっと考えてたっす...『いずれ必ず見つかる』ってどういう意味なんだろう...って。隠した場所によっては、運が悪ければ絶対に見つからないことだってあるはずっす。それなのに『必ず見つかる』って断言できるのはどうしてなのかなーって疑問だったっす。...自分の言ってること、分かりますか?」

 なるほど...。言われてみれば確かにその通りだ。


 ものを隠した本人が『必ず見つかる』と断言するのは、大きく分けて2つのパターンが考えられる。

 一つは、隠し場所が単純ですぐに見つかる場合。

 例えば、俺が好物のモンブランを隠すとする。家の中で、モンブランの価値を損なうことなく隠しておけるような場所は限られるだろう。冷蔵庫の中を少しあされば、きっとすぐに見つかってしまう。「こんなの絶対見つかるじゃーん」などとのたまいながら俺のモンブランにのうのうとフォークを立てていたすえの妹への怒りを思い出した。

 もう一つは、時間が解決してくれる場合。

 いずれ壊れるもの、いずれ崩れるもの...そうした「時間による変化を伴うもの」を利用して隠されたものであるならば、変化に際してその発見に至ることができる。今回の日めくりカレンダーを例に挙げるなら、どこかの日付の紙にでも手紙を貼り付けておくと、日めくりカレンダーを毎日めくってさえいればいずれ見つかるはずだ。倉橋くらはしが言いたいのはそういうことだろう。


   「ふっふっふ〜!この名探偵倉橋(くらはし)らん、手紙はその日めくりカレンダーに隠されていると見破ったり!!」

 立ち上がり、壁の柱にかかっているカレンダーをビシィッと力強く指差して高らかに宣言した。

   「あっ、そういえば......!そのカレンダーはお義父とうさんが最近ここにかけ直していたものだわ!」

 ハッとしたような洋子ひろこさんの言葉を横顔で得意げに受けながら、倉橋くらはしはズンズンとカレンダーに歩み寄っていく。その歩みからは強者の風格さえ感じられた。先ほどまでの小さい姿が嘘みたいだ。なんて立派で大きな背中なんだ...!その頭の傷さえも己の勲章にしようってのか!まったく、なんてクールな奴だよお前は!

 柱の前で立ち止まると、倉橋くらはしはカレンダーに手を伸ばした。

   「ふっふっふ、観念するっすよ......お前の悪事もここまでっす。神妙にお縄につくがいいっす...!」

 まるで怪人二十面相を追い詰めた明智小五郎のようだ。倉橋くらはしの手がゆっくりとカレンダーのはしに近づいていく。俺は固唾を飲んで見守っていた。カチ、カチという時計の針の音が遠のいていく代わりに心臓の鼓動がどんどん大きくなっていく。

 と、倉橋くらはしの手が突然止まった。見れば手が震えている。さらによくよく見ればその震えは足元から伝わっているようだった。つま先の限界で立ち、倉橋くらはしは一生懸命背伸びをしていた。

 先ほどの誇ったような表情からはうって変わり、泣きそうな顔でこちらに振り向いた。

   「手、届かないっす...」

 俺と洋子ひろこさんはその場でガクッと転びそうになった。


 いつの間にか起きていた日名川ひなかわ部長になぐさめられている倉橋くらはしに代わり、俺がカレンダーを確認した。立ち上がって柱の前に立つと、確かに少し高い位置にかかっているように思えた。

 腕を伸ばしてようやく、日めくりカレンダーを柱に刺さった釘から外すことができた。すべての日付を1枚1枚丁寧に確認する。ついでに残りの祝日の日数でも数えてやろうかと思ったが、失われた振替休日の数に絶望して途中でやめた。俺の親指が大晦日おおみそかまでの旅を終えたところで、首を振って報告する。

   「残念ですけど、このカレンダーには何の細工もされてないみたいです」

 がっくりと肩を落とす倉橋くらはしの頭を日名川ひなかわ部長が優しく撫でる。小さい声で「痛っ」と発したのが聞こえた。

   「らんちゃんの見立ては間違ってないと思うけどなあ。現にこのカレンダー、十蔵じゅうぞうさんがここにかけたんでしょ?」

   「ええ、そうなの。それも多分...亡くなる1週間くらい前だったかしら。だから私もさっきの話を聞いて、もしかしたらと思ったんだけど...」

 倉橋くらはしの考えと洋子ひろこさんの話を聞いて、確かに俺もここだと思った。だが違った。まだ何か考えが足りないんだろうか。

 若干の未練を振り払えないままであったが、取り外したカレンダーを元の場所にかけ直すべく立ち上がる。腕を上げてカレンダーを元の釘にかけようとした時、ふと気づいた。カレンダーがかかっていた部分が、同じ柱の他の箇所に比べて少し白っぽくなっている。いや、逆か。カレンダーに隠れた部分が、日の光で変色しなかったのだろう。日焼けしてないところだから、『け』と名付けよう。我ながらなんてくだらない。

 丸っぽいその『け』との別れを惜しみながらカレンダーの頭を釘に通す。

   「見つからなくて残念だったけど、とにかくみなさんお疲れ様です。今からお夕飯の支度するから、温泉にゆっくり浸かってきなよ。上がってくる頃に合わせてお夕飯作るわね」

 お言葉に甘えて、俺たちは先にお湯をいただくことにした。虚ろな目で遠くを見ている軒山のきやまを強めに揺さぶって起こす。

   「おーい軒山のきやま、戻ってこい!」

   「ん...うーん...梁間はりまか...。僕はどこ、ここはだーれ?」

   「しっかりしろ、おら。温泉行くぞ」

 頰を軽く2、3回ひっぱたくと、軒山のきやまはようやく正気に戻った。

   「あれ?僕どのくらいここにいた?今何時?」

 振り返って、柱にかかった時計を見上げて確認する。時刻は午後5時半。梁間はりま家では、まだ夕飯にしては早い時間だった。


6


 カポォー......ン


 温泉自体は昨晩も入ったのだが、こうして疲労に満ちた身体で入る湯はまた格別だった。相変わらずちょうどいい湯加減。足を伸ばしても5、6人は入るであろう広さの湯船を俺と軒山のきやまの二人で占領していた。

   「ほぁぁぁぁぁ...」

   「ほぁぁぁぁぁ...」

 がらにもなく、心からの声がドーム状の浴場に響き渡った。

 心からの「ほぁぁぁぁぁ...」だ。俺の方が心からの「ほぁぁぁぁぁ...」だからな。

   「この梁間はりま雪彦ゆきひこ、浮き世に極楽浄土を見つけたり...」

 体を深く湯に沈めると、目元まで湯の水面が近づいた。

 合宿に来てよかった、とこの瞬間ならば思える。今ならなんでも許せる。おろかなすえいもうとよ、貴様の罪もゆるしましょう。

 ひのきで作られているという浴槽にもたれかかり、しばらく無言で湯を楽しんでいた。立ち上る湯気もこの湿気も心地よい。話を切り出したのは軒山のきやまだった。

   「それにしても、さっきの話。倉橋くらはしも考えたね」

   「ああ。倉橋くらはしの考えは納得のいくものだった。俺たちも経営陣もあれだけ探して見つからないんだ、普通に見つかるような場所に隠したとは思えない」


 もう一度、考えてみよう。


 十蔵じゅうぞう氏が残した文章には、『いずれ必ず見つかるだろうから安心してほしい』と記されていた。その言葉を信じる以上、『必ず見つかる』というからには絶対に見つけられない場所には隠してはいないはずだ。

 そして『いずれ見つかる』という言葉。民宿中探し回っても見つからなかったことからも、倉橋くらはしが言うように時間が解決する隠し場所ではないかという推論が立つ。

 倉橋くらはしが目をつけた日めくりカレンダー。洋子ひろこさんの話では、十蔵じゅうぞう氏が亡くなる前にあの柱に移してかけたという。


 ...何か見落としている気がする。

   「なあ、軒山のきやまよ。この民宿の中で、時間とともに変化するものに何か心あたりはないか?」

   「これまた随分と無茶な質問だねえ。この世にある大抵のものは経年劣化するだろうさ。でも変わらないものもある。それはそう、思い出さ!」

   「ご高説ごもっとも。それで何か思いつくか?」

 大袈裟に腕を振って演技がかっていくのを軽くあしらい、軒山のきやまの次の言葉を待った。軒山のきやまはすぐに真剣な表情を取り戻し、言葉を紡ぐようにして答えた。

   「そうだね...。ティッシュなんかもそうじゃないかな。使ってればそのうち底が見えてくるだろう。でも僕と部長で客室にあるティッシュケースをひっくり返してみたけど見つからなかった」

   「杉原すぎはら夫妻ふさいから聞いて俺が描いた十蔵じゅうぞうの人物像では、客室には多分隠さない。イタズラ好きな困ったじーさんらしいが、きちっと常識は持ってたみたいだからな。大事な手紙が間違っても人様に渡るようなリスクのあることは、流石さすがにしないんじゃないかと思うんだ」

   「お、梁間はりま、随分と饒舌じょうぜつになってきたじゃないか。ようやく頭が回ってきたみたいだ」

   「茶化すんじゃない」

 裸のピエロに向かって湯を投げつける。悪かった悪かったとおもて向きには反省しているようなので、腕を再び湯船の中に戻して続けた。

   「とするなら、だ。客の手が届かないようなところにあると考えられなくもない」

   「お客さんの手が届かないところねえ...高いところとか?」

 そう答えて、軒山のきやまは男湯と女湯をさえぎる壁に向かって手を伸ばしている。

   「倉橋くらはしじゃないんだから...ん?」

 待てよ。

 あのカレンダー、確かに高い位置にかかっていた。俺の標準的な身長で腕を伸ばしてようやくカレンダーに手が届く高さだった。もしもあれより高い位置にものがあったら、客でなくてもそうそう手を触れることはできないだろう。

 そしてカレンダーの裏にあった、日で焼けてない箇所。あの形。

   「...分かった」

 勢いよく立ち上がり、浴槽を後にした。

 浮力の原理を発見した時のアルキメデスもこんな気持ちだったんだろうか。

 この考えが正しいかどうか、この目で確かめてやる。


7


 脱衣所を出た俺は、きしむ階段を浴衣姿で上り物置に向かった。

   「待ってくれよ梁間はりま、一体何が分かったのさ」

 帯を締めながら軒山のきやまがドタドタとついてくる。

   「まだ秘密だ。ドヤ顔でペラペラ喋ってもし間違えてた時、すげえ恥ずかしいからな」

 物置の戸をゆっくりと開ける。昼間と同じ、ほこりとカビの匂いが風呂上がりの鼻についた。あまり長居したくはないので、手っ取り早く目的のものを手に取って戸を再び閉めた。

   「これ、使うんだよ」

 そう言って、俺は畳まれた背の高い脚立を少し上に持ち上げて見せた。


 再び1階に戻り、今度は例の和室に向かう。ふすまを開けると、料理が盛られた皿がすでに何皿か並んだテーブルが目に入った。このテーブルの上にほこりを落とすのは気が引ける。

   「軒山のきやま、悪いがそのテーブルを少しそっちの方に寄せておいてくれないか」

   「よくわかんないけど、わかったよ」

 そうして、カレンダーがかかった柱とテーブルの間に少し空間が生まれた。柱の前に脚立を置き、その上に足をかけて上った。俺の体重で脚立の脚がたたみの中に少し沈んだのが怖い。

 さっきは手を伸ばしてようやく手が届く高さにあったカレンダーが、今は胸の前にある。俺の手はさらに上に伸びていく。そして目的の物に手をかけ、両手で挟み込むようにしてゆっくりと畳の上に下ろした。

   「俺たちの探し物は...多分、これだ」

 呆気あっけに取られた表情の軒山のきやまにそう告げ、壁から外した円形の時計を俺はあごで示した。


 時計をひっくり返してみると、ビンゴだ、黒いプラスチック製のカバーの上に洋風の美しい封筒が丁寧に貼り付けてあった。

   「どうしてここにあると思ったんだい?」

   「倉橋くらはしのおかげさ」

 封筒の四つのかどを留めてあったテープに爪を立てて一つずつ丁寧にがしながら、独り言のように続けた。

   「倉橋くらはしのおかげであのカレンダーが、十蔵じゅうぞう氏によって最近かけられた物であることが分かった。そしてあのカレンダーの裏。周りは日で焼けているのに、カレンダーの裏側に丸く焼けていない部分があった。最近・・かけられた(・・・・・)カレンダーで(・・・・・)あんな(・・・)ができるとは(・・・・・・)思えない(・・・・)。形も、正方形のカレンダーじゃ円形の跡はできないだろう」

   「ああ、これか」

 相槌を打って、軒山のきやまはカレンダーの裏を覗き込んでいる。

   「そこには元々、この時計がかかっていたんだ。その円形の跡はこの時計が長年かかっているうちにできたものだろう。そして十蔵じゅうぞう氏がこの時計の裏に手紙を隠すことを思いついたとき、時計の位置をもっと上にしなければいけないと思ったはずだ。その高さ(・・・・)では(・・)客の手(・・・)が届いてしまう(・・・・・・・)。時計の位置を上にずらした後で、あらわになったこの不自然な円形の跡を隠すために十蔵じゅうぞう氏は日めくりカレンダーをあの位置にかけたんだ」

 長く話すのは疲れる。ふーっと一息つき、やはり慣れないことはするものではないなと後悔しながら続けた。

   「そしてこの隠し場所。十蔵じゅうぞう氏が手紙で『いずれ必ず見つかる』と書くわけだ。電池が切れたり故障したりした時、間違いなく時計を柱から外すだろう。そこで必ず見つけさせることができる。これだけ頑丈に手紙が張り付いているんだ、裏から手紙が落ちしまう心配はない。それに人目につくところにかかってある時計を無断で取り外そうとするやからはそうそういないからな、民宿で働く人間以外に見つかることもまずありえない」

   「梁間はりま、君がその手紙を持ってる時点で部外者に見つかってることになるんだよ」

   「...たしかにな」

   「それはそうと、一つ疑問がある。もし梁間はりまの言う通り、十蔵じゅうぞう氏がお客さんの手に手紙が渡らないようにしたかったなら、わざわざこんな手の込んだことをする必要はなかったんじゃないか?それこそ、あの夫婦の生活圏にある時計にでも仕込めば他の人間には見つけようがなくなるだろ。なぜわざわざ人目につくところに隠したんだ」

 腕を組んで壁に寄りかかった軒山のきやまは、たたみの上で胡座あぐらをかく俺にもっともな疑問をぶつけてきた。軒山のきやまの言う通り、こんな手間をかける必要なんて本来どこにもありはしないのだ。

 だが、だからこそ。だからこそだと思う。

   「本人も言ってるだろ、これは悪戯いたずらだ。それも人生最後のな。ここからは俺の想像だが、家族の目を盗んで隠すんだ、家族のいるところでは仕掛けがしづらかったんじゃないか。それに.........いや、言うだけ野暮だな」

   「なんだよ、最後まで言えよお」

   「なんでも思ったことを口にするのは俺の主義に反するんだよ。ほら、この封筒を奥さんのところに持ってってくれ。俺は脚立を片付ける」

 真っ白な封筒を軒山のきやまに押し付けて部屋を追い出し、俺は膝を立てて立ち上がる。脚立を足場にして上り、背中を少し反らせて時計を元の位置、カレンダーの上になんとかかけ直した。やっぱりこの時計の位置は高すぎる。


 .........それに、人の驚く顔が見たかったんだろ。


 脚立から下りた俺は、あごを上げて壁にかかった時計を改めて見上げた。

 円形の時計盤の周りを黒い枠でふちっている。随分と古い時計のようだ。だが、時計の針がカチ、カチと音を立て続けまだしっかりと時を刻み続けている。


 何を思ったのかは分からない。

 ただ俺は、時計に向かって手を合わせた。


8


 二日目の夕食は、杉原すぎはら夫妻ふさいを含め6人のトレジャーハンター達で食卓を囲んだ。二泊三日の予定でこの民宿に来ているので、これが最後の晩餐ばんさんということになる。

 テーブルの上には、これまたいろどり豊かな料理が並んでいる。さっき知ったのだがこの並んでいる料理は全て、現在(とこ)の間を背負っている和夫かずお氏が腕を振るってくれたものらしい。サクサクと絶妙な食感のころもまとった海老の天ぷらを口に運びながら、後で彼に料理を教わってみたいと思った。

    「梁間はりまくん、今回もお手柄だったみたいじゃないか〜。先輩は嬉しいぞ、褒めてつかわす」

    「いや、今回の手柄は倉橋くらはしですよ。俺は勝ち馬に乗っただけですから」

 俺の正面から飛んできたいわれのない賛辞さんじを辞退し、次は山菜の天ぷらにはしを伸ばした。

    「そうっす!この名探偵倉橋(くらはし)(らん)がいなければ事件は迷宮入りだったっす!」

    「そうだ、その通りだ。よしよし」

 箸を持ったままガッツポーズを決める倉橋くらはしの頭を、隣から日名川ひなかわ部長が右手で撫でた。風呂上がりということで二人とも浴衣姿、まだ乾ききっていない髪は艶々(つやつや)と輝いている。二人のじゃれあいが少し色っぽかった。隣で軒山のきやまが「悪くない」と小さな声で呟いたのが聞こえたがスルーする。

    「皆さん、今回は本当にありがとう。心から礼を言わせてもらう。親父の道楽に付き合わせてしまって申し訳なかった」

 缶ビールを片手に和夫かずお氏が勢いよく頭を下げる。下げた頭がテーブルの上にぶつかり、ゴンッと大きな音を立てて食卓を揺らした。この人、まさかもう酔ってるんじゃないだろうな。

    「いえ、なかなか楽しい経験をさせてもらいました。食事も温泉も最高でしたし、こちらこそお世話になりました」

    「そう言ってもらえると、私たちも嬉しいわ。お義父とうさんが残したお宝(・・)も無事見つかったことだし、皆さんには助けられました。ありがとう」

 軒山のきやまの返事に、洋子ひろこさんは笑顔で礼を重ねた。丁寧に頭を下げた洋子ひろこさんの後ろに空になった日本酒の大瓶おおびんが見えた。またお猪口ちょこに口をつける。えっ、まさか一人であれを空にしたの?この人どんだけお酒強いんだ...


 この食事の前。

 軒山のきやまから受け取った封筒の中身を開けた杉原すぎはら夫妻は、ぷっと二人同時に吹き出した後、その中身を俺たちにも見せてくれた。

 封筒の中身は30枚ほどの写真とアルバムの注文書だった。

 写真の中には、今より若い和夫かずお氏や洋子ひろこさんが写っている。民宿の浴衣を着ているからこれはおそらく客だろう、他にもいろんな人が写った写真が何枚もあった。

 写っている人間は写真ごとに異なるのだが、唯一共通しているのは、そこに写る誰もが驚いた顔(・・・・)をしている(・・・・・)という点だった。

    『十蔵じゅうぞう氏はイタズラで人を驚かせては、カメラを向けていたー』

 封筒の中身は、どうやら十蔵じゅうぞう氏が仕掛けた悪戯いたずらの集大成だったのだ。


    「写真を時計に隠すなんて、十蔵じゅうぞうさんもなかなかいきなことするよねえ〜」

 麦茶がそそがれた湯のみをあおりながら、日名川ひなかわ部長はポツリと言った。なんとなく、雰囲気で酔っているかのように見えた。

 

 時が経てば、大抵のものはいやおうでも変化の波に飲まれていく。

 食べ物は腐る。家は朽ちる。人は亡くなる。

 俺たちが生きるこの3次元世界に、変わらないものなどきっと何もないのだろう。

 しかし、それでも。

 たとえ時が流れても、決して変わらないものがある。

 それは過去。

 人と過ごした時間。結んだ絆。生きた記録。

 十蔵じゅうぞう氏はそんなことを思いながら、今回の悪戯いたずらを仕掛けたのではないだろうか。

 少なくとも俺は、そんな感傷的なメッセージを勝手に受け取らせてもらった。


    「あっそうだ、いいこと考えた!」

    「またどうせロクでもないことでしょうに...」

    「失敬だね梁間はりまくん。私はこんなにも君たちのことを想っているというのに!」

 右手を胸に当てて左手を天に伸ばす部長の大袈裟な仕草は、まるでオペラ歌手かのようだった。

    「...で。今度は一体何を思いついたんですか、部長様」

 部長はオホンとせきばらいをひとつした後、テーブルを両手で叩きながら身を乗り出し、満面の笑みでこう言った。


    「ねえ、みんなで写真撮ろうよ!」

どうも、お久しぶりでございます。紀山康紀のりやまやすのりです。

ここまで読んでいただきありがとうございます。感謝以外ありません!

皆さんの暇つぶしに一役買えたなら嬉しいです。


さて、前回の投稿からまたしても期間が空いてしまいました。

楽しみにしてくれていた方がもしいましたら、大変申し訳なかったです(常習犯)。


前回は夏休み前半、梁間家サイドの話でした。今回は夏休み後半、化学部サイドの話です。

自分を褒めすぎることはあまり好きではないのですが、時間をかけたぶん、今回の話は会心の出来だと自負しております。いやもちろん、僕の中の基準ですよ。他の方の作品に比べたら足元にも及ばないかもしれませんから。


僕の中でこの「梁間さん」シリーズの話の流れは大体決まっていて、話の題材はいつも書く前から決まっています。

今回も「夏合宿」の話をやるということだけは前から決めていました。

しかし。しかしですよ。

「推理部分」に関するアイデアが全く浮かばなかったのです。

ぶっちゃけて言いますと、前回の動物園のアイデアも結構苦し紛れで出したものでした。建物の描写が十分出来ているかどうか、今でも不安です。

今回もなかなかアイデアが浮かばず、ポケモンのプレイ時間だけが積み重なっていきました。ポケモン楽しい。

そんな11月某日。

僕の家の近所にある本屋でも、年末恒例のカレンダー商戦の波を受けて多種多様なカレンダーを陳列していました。

「カレンダーって毎年買わなきゃならないから面倒だよな...」

そう思いながら水着のグラビアアイドルのカレンダーを舐め回すように見ていたその時でした。

あれ?カレンダーの裏に何かを隠すってこれ、時限式の隠し場所になるじゃん!

ピーンと来ました。股間の方じゃないです。ひらめきの方ね。


そのアイデアを思いついてからは早かったです。

時計も電池切れたら取り外すから、隠し場所に使えそう。

それじゃあ時計の裏に何を隠そうか。アキラ100%なら股間を隠すところだけど、僕は手紙を隠してみようか。

どういう手紙にしようかな。せっかく時計に隠してるんだし、何か時間にまつわるものがいいな。


芋づる式にアイデアが浮かんできて、あっという間にプロットを切ることができました。

これが今回の話の核になったのです。

もう一つ、手紙にまつわる別の推理部分を考えていたのですが、それはまた別のお話で披露したいです。


そして今回書いていて、ようやく自分の文章の『型』みたいなものを形として掴むことができたと思います。

今までの話よりも読みやすくなっていたら幸いです。

この話を投稿して近いうちに、今までの話も今回と同じ形式に訂正しようと思っています。文章を大きくは変更しませんのでご安心を。


そして次回から、ようやく文化祭の話に入っていきます。

今までは1話完結を続けてきましたが、文化祭の話は複数に分けて伏線をばら撒きまくろうと画策しております。

次の更新まで、皆さんもどうかエロいカレンダーでも眺めて待っていてください。


今回はこのあたりで筆を置かせていただきます。

ではまたお会いしましょう!アディオス!!


平成29年12月7日 紀山康紀のりやまやすのり

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