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梁間さんの『お兄さん』  作者: 紀山 康紀
1年生・前半
5/17

第3話「化映友好平和条約」

中間試験が終わり、あとは夏休みを待つばかりとなった梁間たち。

そして放課後。化学部では夏休み明けの文化祭に向け準備を進めるのだが、妙なことに巻き込まれていき...!?



1


   「うーん、見つからないっすねえ...」

 俺の後ろで倉橋くらはしが力なく呟く。

 外から聞こえる野球部員の掛け声や吹奏楽部員の演奏に傾いていた意識が、手元に戻ってきた。

   「まあ、無ければ無いで借りればいいんだから、気楽に探そう」

 積まれたダンボールの山から一つ、また一つと箱を下ろし、その度に中身を改めていく。テキパキと作業する倉橋くらはしとは対照的に、俺はのらりくらりと手を動かしていた。

   「そうっすね、でもここにあるかもしれないっす!頑張って探しましょう!」

 張りのある元気な声が、およそ8じょうほどの広さはありそうな、薄暗い部室に響いた。


 時刻は1時間ほどさかのぼる。

 とある日の放課後。

 怒涛どとうの中間試験期間を乗り越え、台泉だいせん高校の生徒たちはみな、月末からの夏季休業を心待ちにしていた。試験期間中は部活動が全て停止されていたため、こうして化学実験室に足を運ぶのは実に2週間ぶりである。

 ほどなくして総勢4名の化学部員が実験室に集結し、定例の部内会議が執り行われた。

 教卓()わりになっている、黒板に最も近い実験机を挟んで、部長と1年生3名が向かい合う形になる。こちら側の方が人数が多いので、面接官のような気持ちになった。

 ひじを机につけ、口の前で手を組んだ日名川ひなかわ部長が宣言する。一体どこの司令ですか。

   「では...第n回、化学部部内会議を始めます。なお、nには任意の自然数が入ります」

 いかにも数学的なその表現はなんなんですか。

   「ぎゃあああ!数字がああ!数字が迫ってくるっすうううう!!」

 右に座っていた倉橋くらはしが両耳を押さえて悲痛な叫びをあげている。察するに、数学の中間試験の出来が良くなかったのだろう。自信がないのは俺も同じなので、気持ちはわかる気がした。

   「はいそこ、取り乱さんな。試験期間も無事終わって、夏休みまであと1ヶ月を切りました。夏休み明けには台高だいこうさいも控えています。そこで、今日はこれから台高だいこうさいまでの化学部の活動について連絡します」

 俺の左で手帳を広げていた軒山のきやまが呟く。

   「台高だいこう祭...あんな大きい文化祭に自分が関わるってのが、ちょっと信じられないな」

 その感覚は俺にも分かる。


 台泉だいせん高校文化祭。通称、台高だいこうさい

 部活動が盛んなことで知られる台泉だいせん高校だが、その文化祭もまた有名であり、台泉だいせん市、ひいては県内でも名が通っている。規模や集客数もさることながら、なにより台高だいこう生の盛り上がり方が尋常じんじょうではない。

 俺も中学生の時に妹たちに連れられて来てみたことがあるが、何と言うか、高校生が生み出す若い活気が、学校中から溢れ出してくるような印象を受けた。しぼっても活力のしるが一滴も出ないであろう自分には全く無縁の世界だと当時は思ったが、まさかここに入学することになろうとは。

 まあ、家から最も近い公立高校だったというだけの話ではあるが。


   「その通り!君たちも台高だいこう生として、台高だいこうさいを全力で盛り上げなければならないのだよ。今年の台高だいこうさいは9月1日から3日までの三日間、にちげつってやるからね」

 右手の指を3本立てながら日名川ひなかわ部長が説明する。

 ここで俺は、中学の時から抱いていた素朴な疑問を部長にぶつけた。

   「ほとんどの高校の文化祭は、にちの二日間だけですよね。どうして台高だいこうさいは毎年三日間もやってるんですか」

   「簡単なことさね。どこの高校の文化祭も、大体この時期に集中するんよ。そうすると当然、にちで文化祭の日程が他の高校と重なることもある。自分の高校で文化祭やってたら、よその文化祭にはなかなか参加できない。だからうちの高校は、他の高校の生徒が来やすいように、他の高校が文化祭の振替休日にしている月曜日まで開催してる、ってことなのね」

 ははあ、なるほど。と、いうことは。

   「ということは、女子高生がたくさん来るのが月曜日、ってことですか!」

 俺が思うより早く、軒山のきやまが目を輝かせながら口に出した。

 文化祭のようなイベントごとはあまり好きではないが、女子高生が現れるとなれば話は別である。

 女子高生は別に嫌いではない。むしろ好きかもしれん。内心ガッツポーズをする。

   「まあそういうこと。とにかく話を戻そう。その台高だいこう祭に、もちろんうちも化学部として参加する。毎年、一般客向けに化学実験の展示とかサイエンスショーとかをしてるの。そこで台高だいこうさいまでの間、君たちには担当する実験展示をマスターしてもらいます」


   「うおお、一つの実験を担当させてもらえるんすか!自分、なんだか燃えて来たっす!!」

   「フッフッフ...僕の知識を活かす時がついに来たようだ...」

 俺の両脇で二人が盛り上がっている。倉橋くらはしのようなやる気も軒山のきやまの持つような知識も、俺は有していない。実験展示をマスターするということは、その担当に責任を持つことと同義だ。自分にそのような大役が務まるとは到底思えず、部長の話を聞いて不安になるばかりだった。暗い感情が顔に出ていたのだろうか、部長がフォローしてくれる。

   「まあまあ、それぞれの力量にあった実験を割り当てるから心配しないでよ。では、担当を発表します」

 コホン、と咳払いをして間を置く。

   「化学が得意な軒山のきやまくんには、少し原理が難しい『ルミノール反応による発光実験』を担当してもらうよ」

   「イエス、マム。任せてくだっさあい!」

 わざとらしく眼鏡の鼻を中指で押し上げ、軒山のきやまが返事をする。

   「次ね。人と打ち解けるのが早いらんちゃんは、『亜鉛メッキ』の実験をやってもらおうかな。この実験、お客さんと会話する機会が多いから、よろしくね」

   「大丈夫っす!自分、何でもやるっすよお!!」

 両手で拳を作り、倉橋くらはしが元気よく答える。

 次はいよいよ、俺の番だ。簡単な実験になると良いのだが。

   「それじゃあ最後。化学が苦手な梁間はりまくんには、特に説明することがない『スライム作り』を担当してもらうよ」

   「わかりました」

 俺だけ選出理由がネガティブだった気がしなくもないが、事実であるので異論はない。

   「ほら、梁間はりまくんって、下に妹さんいたよね?『スライム作り』のブース、毎年小さい子達のために開いてるブースだから、子供の相手に慣れてそうな梁間はりまくんが適任かなあ...って」

 ほお、左様さようでございますか。

 まあ理由は何にせよ、難しそうな実験ではなさそうだ。子供の相手をするのも、それほど苦には思わない。

   「サイエンスショーは私がやるとして......あとは『テルミット反応』と『過冷却』のスタッフがいないけど...まあ大丈夫か.....」

 ブツブツと一言二言漏らした後、明るい声に切り替えて部長は言い放った。

   「じゃあ、とりあえずそんな感じで!台高だいこうさいまであと1ヶ月ちょっと!みんなで頑張ろう!エイ!エイ!オー!!」

   「オー!!」

 元気よく拳を高々(たかだか)と突き上げる3人に習い、俺も遅れながらも続いた。

 「オ...オー!」

 かくして、台高だいこうさいまでの課題が、俺たち1年生にそれぞれ割り当てられた。


2


 そして現在。

 部長のめいを受けた俺と倉橋くらはしは、部室棟の2階、化学部の部室にて暗幕あんまくを求めていた。

 なんでも、軒山のきやまが担当することとなった『ルミノール反応』とやらの実験で暗幕を多く使用するらしい。台高だいこうさい本番では、化学実験室の一角に暗室を設けその中で『ルミノール反応』を見せるのだと、部長は語った。持ち前の知識を遺憾無く発揮し、反応の原理を事細かに解説してくれたのだが、並々と注がれる化学知識に耐えかねた我が脳がついに悲鳴をあげ、完全に理解することは叶わなかった。要は、液体が光る実験らしい。

 そんなわけで、文字通り化学の光を台高だいこうさいでお客様に見せるべく、光を演出する闇とでも言うべき暗幕を探し回っていた。


   「それにしてもこの部室、無駄に物が多いっすね」

 倉橋くらはしの言う通り、ほこりをかぶったダンボールの山がこの部屋の空間のほとんどを占めている。そのダンボールの中身もまた奇々怪々(ききかいかい)と行った有様であり、およそ学術的価値が見受けられない物ばかりであった。メイド服のコスプレ衣装にきつねのお面、両袖が千切られた体操服に落書き帳と化した世界史の教科書など云々(うんぬん)......混沌カオスここに極まれり。

   「このガラクタ何に使ってたんだ...」

 事実、「部室棟」などという名称で呼ばれてはいるものの、一部の部活動を除き、部室として有意義な使い方をされているなんて話は聞いたことがない。倉庫として利用している我が化学部はまだマシなほうであり、電子研究部はどこからか畳とちゃぶ台を持ち込んで特に意味のない和室に改造していたし、バドミントン部に至っては部室がもはや雀荘じゃんそうと化していた。


   「しかし、この部室に意義が全く感じられないな」

   「それは同感っす。うちの部室も改造して楽しく使いたいっすね」

 実は、畳の部室に密かに憧れを抱いていた。布団と枕をどうにか調達すれば、なんということでしょう、部室が昼寝スペースに早変わりするではありませんか。なんと素晴らしきことかな。だが残念ながら、それらを準備するだけの経済力も人脈も行動力も俺にはない。

 いずれにせよ、そのうち大掛かりな掃除をする必要がある。

   「でもこの部室って、微妙に使いづらいらしいっすね」

 らしい、と又聞きの表現になったのは、化学部がまともに部室を利用していないことに起因すると推測できた。

 一番下のダンボールに手を伸ばしながら倉橋くらはしが続ける。

   「この部屋ってコンセントがないんすよね。まあ、当たり前っちゃあ当たり前なんすけど」

   「え、そうなのか」

 少し驚いた。入部当初からこの部屋の壁面は全てダンボールで覆い隠されていたために、その事実には気づけなかった。

   「今時の高校生にコンセント解放したらどうなるか、自分でも簡単に想像はつくっす。いくら高校の部室とは言え、それが50近くも集まれば電気代も馬鹿にならないっすからねえ」

 確かに...部室にコンセントが一つでもあれば、延長ケーブルを駆使して首都高のようにくねる見事なタコ足配線を作り上げ、テレビにゲーム、スマホの充電なんでもござれの状態になるのは想像にかたくない。

   「だからこの部室、天井の中央に蛍光灯が2本あるだけ、他にはなーんもない簡単な作りなんすよ。...って前に部長に教えてもらったっす」

 言われてみるとこの部室、壁が薄いのもあって随分安い作りになっているようだ。これだけ壁が薄いと、夏も冬も外との気温差があまりないように思える。もしかすると、快適な昼寝には向かないかもしれない。

 と、思ったところで、部屋の中に電子着信音がよく響いた。倉橋くらはしは切るように右手を顔の前に置いて「失礼」と一言発し、携帯電話を耳に当てた。何か確信があるわけではないが、なんとなく嫌な予感をさせる通話だ。

 しばらく、と言っても2分ほど経つと、電話を耳から離した倉橋くらはしが口を開いた。

   「あのー...梁間はりまくん、言いにくいんっすけど...部長からっす。『暗幕、部室じゃなかったゴッメーン☆』だそうっす......」

 部長のような優れた人間でも勘違いを起こすものなのかと、呆れよりも驚きの感情がまさった。


3


 部長様の新たな指示に従うべく、俺と倉橋くらはしは化学部の部室を出た。

   「勘違いだなんて...部長にしては珍しいっすよねえ」

 部室のドアに鍵を突っ込みながら倉橋くらはしが言う。

   「まあ、そうだな。ああ見えて案外、抜けてるところがあるのかもしれないな」

 高校に入学し、そして化学部に所属してから3ヶ月が過ぎたが、俺たちは「日名川ひなかわあかり」という人物を知るにはまだ日が浅いらしい。さらに言えば部長に限らず、例えばこの倉橋くらはしのことだって、俺はまだよく分かっていない。俺の目に映る倉橋くらはしは、活発だが空回りの激しい、隣のクラスで同じ部活に所属する女生徒、といったところか。

 この認識が正しいのかどうか、今の俺にはまだ分からない。他人を完全に理解してやろうなどと傲慢ごうまんな考えを抱く気は無いのだが、同じ部活の仲間のことくらい、少しは知っておきたい気もする。

   「んで、部長が言うには......映画部に暗幕を貸し出していた、とのことっす」

 そのまま倉橋くらはしが続ける。

   「映画部の部室はここの1階っす。映画部が活動拠点にしてるのは放送室らしいんすけど、そっちはさっき軒山のきやまくんが行ったら誰もいなかったらしくて...誰かしら映画部員はおそらくこっちの部室にいるだろうって部長が」

こそあど言葉が飛び交う。

   「映画部ねえ。普段何やってる部活なんだ?」

   「やー、多分そのまんまじゃないっすか。映画撮ってるとか、映画観てるとか」

   「聞くぶんには楽そうな部活だな。そっちに入部するのもアリだったかな」

 プッと吹き出し、倉橋くらはしは笑いながら首を横に振った。

   「アハハハハハハ......いや、梁間はりまくんには無理っすね〜。観るだけならともかく、銀幕のスターは想像できないっす」

 ほお、俺のことをよく分かっていらっしゃる。俺は万事あらゆることに自信がないことで有名だが、中でも演技はとりわけ自信がない。芝居を打てば、無表情な埴輪はにわ彷彿ほうふつとさせる大根役者の出来上がりである。

 倉橋くらはしがあまりに笑うので、はっきりと言っておく。

   「冗談だよ。何というか、光の当たるようなことは俺には向いてない」

 そんな深刻に言ったつもりはなかったのだが、倉橋くらはしが急に真剣な顔になった。

   「ハハハ...分かってるっすよ。梁間はりまくんは確かに、表に出るようなタイプじゃないかもしれないっす。でも、もし...梁間はりまくんが光の当たらない暗い場所にいるのなら......」

 そこまで言ったところで倉橋くらはしは両手でピースサインを作り、手を俺の体にグッと近づけながらこう続けた。

   「みんなで照らしてみせるっす!そう、『ルミノール反応』で!!」

 倉橋くらはしのドヤ顔とポーズが揺るがない。

   「フッフッフ...今の、上手くなかったっすか?」

 そう言い放つ倉橋くらはしに、一瞬、妹のみぞれの姿が重なった。

 思わず、笑いがこぼれる。

   「60...いや、55点だな」

   「えーっ!今笑ったじゃないっすか!数学だったら赤点っすよ!」

 背中に受けるその声が、どこか暖かく感じられた。


 やんややんやと階段を降りて、部室棟の1階に足をつけた。

   「えーっと、映画部の部室はどこっすかねえ...部長に場所聞いておけば良かったすね」

   「そんなに数あるわけじゃない、一部屋ずつ見て回ろう」

 と、適当に歩き出そうとしたところ、不意に声をかけられた。

   「あれ?雪彦ゆきひこじゃない!」

   「あっらー、梁間はりま君やーん。くらっちも」

 声の主を見れば、実験用白衣を着た生物部の二人組、束石つかいし竜子たつこ千鳥ちどり御影みかげさんがそれぞれ大きい紙袋を手に持って立っていた。以前の生物部との一件以来、化学部と生物部の間には妙な交流が生まれている。

   「ああ、やあ」

 自然に口をついてでた返事が、なんと適当だろうか。面倒なコンビと出くわしてしまった。

   「あらあら梁間はりま君、こんなところでくらっちとデートですかい?すみに置けませんなあ」

   「あの雪彦ゆきひこが女の子とデートねえ...嬉しいけれど、雪彦ゆきひこがどこか遠くに行ってしまったみたいで少し寂しい。なんだか複雑な気持ちだわ」

 千鳥ちどりさんは口元を隠すようにしてニヤニヤと笑い、竜子たつこほおに手を当てわざとらしくため息をついた。

   「アッハッハ、別にデートじゃないっす。二人で部長のおつかいに来てるだけっす。お二人は?」

 二人のからかいを笑いながらも倉橋くらはしは冷静に受け流した。恥じらう反応が見たかったわけではないが、そこまでノーリアクションで否定されるのも少し傷つく。

   「これ、生物実験室にあった卒業生の私物なんだけどさ、邪魔だから部室に持ってけって言われて」

   「にしてもこの私物、よくわかんない物ばっかりなんだよね。メイド服やら鬼のお面やら...」

 そう言いながら、手に持った紙袋を上げて見せる。

 なるほど、こうやって部室に無駄な荷物が増えていくのかと得心がいった。

   「それで、化学部は何してんのー?」

   「ああ、かくかくしかじかで映画部の部室を探してるんだが、知らないか?」

   「映画部?ああそれなら、うちの部の部室の真下だから......そこ曲がればすぐだよ。職員駐車場側の方ね」

 と、千鳥ちどりさんは俺たちの後ろの方を指差した。どうやら、案外近くにあったらしい。

   「映画部の部室ってなんだか騒がしいから、すぐ分かると思うわ」

   「騒がしい?部室が?」

 台高だいこうせいが部室で猿のごとく騒ぐのは別に珍しいことではないが、竜子たつことがった言い方が気になった。


   「そうなのよ。この部室棟って色々薄いから、人の声とかがやたらと響いてくるのは仕方がないけど、下の階から、多分映画部だと思う、時々人の声に混じって変な音が聞こえるのよ」

   「へえ、なんだか不気味っすねえ」

   「あ、そうそう。確か先月だったんだけど、床でガチャガチャ音がしてたのよねー。たっちゃん覚えてる?」

   「覚えてるわ。下で音がするんだから、天井で何かやってたのかな。思えば、あの頃から騒がしくなった気がするわね」

   「ほほう、これは事件の香りがしてきたっすね。ねえ、梁間はりまくん?」

 顎を親指と人差し指で挟むような仕草をしながら、倉橋くらはしが俺に話を振ってきた。

   「事件、ねえ...そんな大したことじゃないだろ。映画部なんだし、特殊な撮影か何かじゃないか。まあ、行ってみれば分かるだろ」

   「夢がないっすねえ...とにかく行ってみたほうが早そうっすね」

 事件性の有無に夢を見出すのはいかがなものかと思うのだが。

   「そういうわけで、ちょっと映画部に行ってくるわ。またな」

   「そうだ、梁間はりま君、この前はどうもね。また妹ちゃんたちと一緒にうちの喫茶店に遊びに来てよ。今度もサービスしちゃうよ〜?」

   「雪彦ゆきひこ、たまにはうちの店にも顔出しなさいよ。かすみちゃんとみぞれちゃんに会いたいし」

 看板娘かんばんむすめ直々(じきじき)のお誘いを無下に断るのは、つみなことのように感じられる。背中越しに手を振って

   「ああ、そのうちな」

 とだけ返し、その場を後にした。


4


   「なんだか...暗いっすねえ...」

 俺の隣で倉橋くらはしつぶやく。目の前には映画部部室のドア。

 化学部の部室と同様にドアの上部は曇りガラスになっており、中の様子を外から伺うことができない作りだ。ただし、ガラスの向こうから光がほとんど漏れていない点で異なっている。

 部屋は暗いのだが、生物部の二人が言ったように、中は少し騒がしい気がした。

 ノックをして、ドア越しに「すみませーん」と声をかけてみる。

   「はいはーい」

 部屋の中から返事があった。突然の訪問者に驚いたのだろうか、部屋から話し声はもう聞こえない。

 ほどなくして目の前のドアがガラガラと引かれ、黒縁くろぶちの眼鏡をかけたパーマ髪の男子生徒が中から現れた。

   「はい、映画部ですが...何か御用ごようがお有りかな?」

 男はドアを閉めながら、俺たちの前に立った。

   「自分は一年の倉橋くらはしらん、化学部の部員っす。日名川ひなかわ部長に言われて、映画部さんに貸しているという暗幕を返してもらいたくて来ました」

   「ほお、化学部の...ああ悪い、自己紹介がまだだったね。俺は二年の木田きだ、映画部の部長をしている。そうか、日名川ひなかわんとこの後輩か...」

 木田きだと名乗ったその男はあごに手を当てながら、俺たちをジロリと見た。俺より背が高いため、見上げる形で簡単に挨拶をする。

   「同じく化学部一年の梁間はりまです。それで、暗幕のほうは...」

 俺たちを値踏みするような嫌な視線を向ける木田きだ氏を射抜くように睨むと、それまでけわしかった木田きだ氏の表情が少し崩れた。

   「おっと、これは失礼。前に日名川ひなかわの奴に一杯食わされたことがあってな...あいつが絡むと、どうも嫌な予感がしてならないんだ。確かに、1ヶ月くらい前にあいつから暗幕を借りていた。今持ってくるから、ちょっと待っててくれ」

 そう言うと木田きだ氏は再び部室の中に消えて行った。

   「あの木田きだって人、部長と何かあったみたいっすね」

   「そのようだな。それも部長が有利な立場にあるような」

 一体、日名川ひなかわ部長は何者なのだろうか。学業優秀でしっかり者、部員からの人望が厚い完璧超人かと思えば、うっかりさんのような一面を覗かせている。まるで底が知れない。


   「ねえ、梁間はりまくん。中から何か聞こえるっす。束石つかいしさん達が言ってた話のこともあるし、ちょっとのぞいて見るっす!」

 そう言うと倉橋くらはしはドアを10cmほど開けて、しゃがみこんで映画部部室の中をのぞこうとしている。

   「流石にやめといた方がいいんじゃないか?」

 言いながら、倉橋くらはしの上から俺ものぞいていた。

   「って、梁間はりまくんも見てるじゃないっすか...」

   「布で仕切ってるのか...どうりで暗いわけだ」

 見ると、出入り口から50cmほど離れた場所に厚手の黒いカーテンのような布が、部室を横切るように引かれていた。布がよっぽど厚いのか、中の様子を伺うことはできない。布の上から、蛍光灯のあかりだろうか、薄暗い光が漏れている。黒い布のせいか化学部の部室より光が弱い気がした。

 カーテンで仕切られたこちら側には映画部部員のものとおぼしき靴が4足、並んで置かれている。ここで靴が脱がれているということは、あのカーテンの向こうは畳かマットか、くつろげる空間が広がっているに違いない。なんてうらやましい。

   「カーテンだなんて...なんか見られたらマズいものでも隠してあるんすかねえ...」

   「くつろいでる姿を見られたくないだけじゃないのか?」

   「ああでも、話し声は聞こえるっす」

 カーテンの向こうから聞こえる話し声に、耳をすませた。


   『部長、さっきのお客さんって誰でした?』

   『ああ、化学部の一年だよ。貸してた暗幕を返せってさ』

   『この前の撮影で使ってたあれですか。そういえば借り物でしたね』

   『ごめん、前をちょっと失礼...確かこの辺に...』

   『部長、頭んとこ気をつけてくださいよ。ただでさえ部長は天パなんだから、引っかからないようにしてください』

   『うるっせえ!これ引っこ抜くぞ!』

   『アハハハハハハ!』


 カーテンの奥から木田きだ氏が戻ってきてのぞがバレるのは得策ではないので、ドアを閉めて元の位置で立って待つことにした。

 部室に響く笑い声を聞きながら、倉橋くらはしが微笑ましいといった表情で言う。

   「なんだか、仲良さそうな部活っすね。でも、騒がしいのは良くないっすね」

   「ん?...ああ、そうだな」

 意識が別のところにいたので、つい生返事になってしまった。

 生物部の二人が言っていたことと今のこの光景から、少し思うところがある。あるが確信を得るにはまだ一つか二つ、ピースが足りないような感じがする。


 おそらく、映画部は部室で不当行為・・・・を働いている。


 確証は無いが、この予想が当たっていたとして、俺はこれを誰かに話すべきなのだろうか。

暇つぶしがてら思案に暮れていると、再び木田きだ氏が中から現れた。

   「遅くなって悪いね。これ、借りてた暗幕。撮影で黒い布がどうしても必要になってな...汚れとか傷はないはずだ」

 そう言うと木田きだ氏は、何重なんじゅうにもたたまれた暗幕を差し出してきた。想像していたよりも随分と大きい暗幕のようだ。見るからに重そうだったので、俺が前に出て受け取った。

 やはり重い......

   「あの、一ついいっすか?」

 胸の前で小さく挙手をしながら、倉橋くらはしが突然尋ねた。

   「ん?何かね?」

   「さっきチラッと部室の中見えたんすけど、黒いカーテンみたいなやつで部屋の奥が見えないようにしてましたよね?何か見られたらいけないものでも隠してるんすか〜?」

 お前がっつり見てたじゃん...目が泳いでるぞ......

 流れるような嘘と共に倉橋くらはしがいきなり核心をついたのだが、木田きだ氏は平静を保ったまま答えた。

   「......ああ、なるほどね。別に何でもないよ。ほら、うち映画部だからさ、フィルムみたいなのも扱ってるんだよ。他にも日の光に当てちゃいけないものとか結構あるから、外の光が当たらないように黒い幕を引いてるんだよ」

 本人は上手く取り繕ったつもりだろうが、一瞬、顔に動揺が走ったのを俺は見逃さなかった。


 彼は嘘をついている。


 しかし、ここでそれを言ってもどうにもならない上に、誰も得しない。ひとまず退散しよう。

   「そうですか。では俺たちはこれで。部活中に失礼しました」

   「いや、いいんだ。日名川ひなかわの奴によろしく言っといてくれ」

 後ろから、三度ガラガラと閉められたドアの音が聞こえた。


5


   「怪しいっす!あの木田きだって人、絶対何か隠してるっすよ!」

   「ああ、そうだな」

   「最後のあれも、嘘を言ってたっす!!」

   「それはお前もだろう...何がチラリと見えただよ...がっつり見てたじゃないか」

 両手にずっしりとした重さを感じながら、俺たちは化学実験室へ戻る道を辿っていた。

   「まあそれはおあいこっす!とにかく自分、あの人の嘘を見破っちゃったんすから!」

 ほお。

 俺は無言で続きをうながした。

   「あの人、あのカーテンの向こうには光に当てちゃいけないものがある、って言ってたじゃないっすか。でもさっき見た時には、カーテンの上から少しっすけど光が見えてたっす!」

   「ああ、そうだな」

 倉橋くらはしが興奮気味に話すように、あの人の嘘は、部屋を一目ひとめ見ればすぐに分かるものだった。

 光が上から漏れていた、というのもあるがもう一つ。

 カーテンは入り口手前、およそ50cmのところに引かれていた。

 部室の作りを思い出してみると、木田きだ氏の適当な供述のあらが見つかる。

 つまり、カーテンの奥の空間に光を発する蛍光灯・・・()んでしまっている(・・・・・・・・)のだ。しかも電気をつけて明るくしていた。

 『光に当てたくないものがあるからカーテンで隠している』という言い訳が嘘である以上、部室の大半をカーテンで隠しているのにはそれなりの理由があるのだろう。それも、後ろめたい理由が。


   「あの部屋の奥に、一体何があるんすかねえ...気になるっす...」

   「もしかしたらヒントになるようなことを、少し言えるかもしれん」

   「梁間はりまくん、何か気づいたんすか!?」

 キラキラした輝いた目で俺をまっすぐに見てくる。少し、恥ずかしい。

   「気づいた、ってほどじゃないが...まあなんだ、ちょっと考えをまとめたい。少し待ってくれ」

 この考えをまとめたところで、何か確証を得るわけでもなし。およそ真実にはたどり着かないだろう。

 実験室に戻るまでの暇つぶしだと思って、話すことにする。



   「倉橋くらはし竜子たつこ千鳥ちどりさんが言ってたこと、覚えてるか?」

   「えっと確か...『1ヶ月ほど前、床からガチャガチャ音がしていた』『その頃から騒がしくなった』って、お二人言ってたっす」

 指を折りながら、倉橋くらはしが一つ一つ確かめるように挙げていく。

   「それじゃあ今度は、映画部の部室で聞いた会話、覚えてるか?」

   「え?あれって何か関係あるんすか?普通に楽しく盛り上がってるようにしか聞こえなかったっす」

   「『頭のとこ引っかかるな』とか『引っこ抜く』とか言ってなかったか?」

   「ああ、そんな感じのこと言ってたっす」

   「さっきの生物部の話と合わせて考えてみるとどうだ?何か分かりそうじゃないか?」

 うーん、腕を組んで少しうなったのち、倉橋くらはしはパチンと指を鳴らして言い放った。

   「なーるほど!『2階で床からガチャガチャ音がする』ってことは、『1階で天井をガチャガチャいじってる』ってことっす!そして今の映画部には『頭に引っかかるようなもの』が存在しているっす!」

   「つまり?」

   「つまり!二つの話を合わせると、『映画部は天井を何かしらいじくって、頭に引っかかるようなものを天井に取り付けた』ってことが導かれるっす!!」

   「まあ、あくまでその可能性が高い、ってだけだが、多分そういうことだ。その『天井から出てる何か』が、映画部にとって隠したいものなんだろうが、それが何なのかまでは分からない」

 倉橋くらはしにはこう言ったが、おおよその目星はついている気がする。



 天井への工作。

 工作を行ったその後から、急に騒がしくなった映画部部室。

  『何か』を隠すように引かれた黒いカーテン。

 天井に取り付けられた『何か』。



 あと一つ、ピースが揃えば真実が浮かび上がる気がするのだが、何だか嫌な予感がする。


6


 俺と倉橋くらはしが実験室に戻ると、軒山のきやまが部長から『ルミノール反応』について学んでいるところであった。

 お疲れー、と手をあげる軒山のきやまにああと声をかけ、部長に近づく。

   「部長、暗幕が別な場所にあるんだったら先に言ってくださいよ...」

と、恨み言と一緒に暗幕を部長に手渡すと、はにかみながら部長は言った。

   「いやー、ごめんね。映画部に貸してたのすっかり忘れててさー」

   「それはそうと部長!映画部怪しいっすよ!なんか隠してるっす!!」

 興奮冷めやらぬと言った様子で、倉橋くらはしが部長の話をさえぎった。

 すると、部長のはにかみ顔が何やら企んでいるような表情に変わり、部長はニヤッと笑った。

   「らんちゃん、その話、詳しく教えてくれない?」


 化学部部室でダンボールあさりをしていたことから、竜子たつこ千鳥ちどりさんの話、そして映画部部室で見聞きしたことを、大袈裟な身振り手振りを混ぜながら倉橋くらはしが部長に語って聞かせた。

   「ほーん、そっちもいろいろ大変だったんだな。僕も部長に言われて放送室に行ったけど、映画部の部員が誰もいなくてすぐ引き返してきたんだ。その後はご覧の通り、『ルミノール反応』の練習さ」

   「へえ、なんか大変そうな実験なんだな」

 軒山のきやまが目で示す先には、実験机を埋めんばかりの数の試薬瓶しやくびんと試験管が広げられていた。よく分からないが、こいつはこいつで大変そうだ。

 気づくと、そろそろ部活動の時間も終わりに迫っていた。全員の帰宅を促す意味も込めて、俺が帰り支度を始めようとしたその時だった。

 それまで黙って話を聞いていた部長が突然、高笑いした。

   「ハッハッハ!映画部め!ついに尻尾を出しおったわ!よし後輩、行くぞ!!」

 そう言って俺の腕をがっしり掴んだかと思うと、見かけによらない強い力で俺を引きずるようにして実験室を後にした。


   「ちょ、部長、歩きます!歩きますから腕を離して」

 俺の懸命な訴えが通じたのだろう、俺の腕を掴んでいた部長の手がパッと離れ、ようやく自由の身となった。

   「らんちゃんの話だと、いろいろ気づいたのはきみみたいだね。どこまで気づいた?」

 早歩きで前を進んでいく部長に遅れないように気をつけていると、俺の歩みも自然と早くなった。

   「いやあ、倉橋くらはしの言ったところまでです」

   「......そうかい」

 どうやら部室棟に向かっているらしい。部長は振り返ることなく、そのまま続けた。

   「映画部の部室さ、前からそういう噂はあったんだよ、『変な騒音がする』ってさ」

   「はあ」

   「だいたい、おかしいと思わないかい?黒い布持ってるんだったら、うちから暗幕借りる必要なんてないはずさ。あのカーテン外して使えばいいんだから。でも、そうしなかった。あの部屋を、外部の人間にどうしても見せることができなかったからだ」

   「そうですね、そう思います」

 俺も同じことを思っていた。どうしても撮影に必要であるはずの黒い布を外部から借りたことが、あの黒いカーテンを外すことができない理由、ひいては部室の秘匿ひとく性をより高めている。

 先ほど竜子たつこたちと出くわした階段の前まで来た。もう18時ということもあって、部室棟には人気ひとけがほとんど感じられなくなっていた。吹奏楽部が奏でる音色も、もはや聞こえない。

   「んで、ここからは私が持ってた情報なんだけど...1ヶ月くらい前に、学校の備品を捨てる廃棄物コーナーから物がなくなってる、みたいな話があったんよ。先生たちが使ってた椅子とか、古い机とか...まあ、それくらいだったら大した問題じゃないんだけどさ」

 話が見えてきた気がする。

   「もう一つ、職員室から出た廃棄の備品がなくなってたらしいんよ。部長会議まで開かれてさ、結構騒ぎになったんよ...新しいやつ買ったから、古いやつは捨てちゃおうって感じで廃棄したんだって。それは少なくとも、台高だいこうせいには学校で扱えないだろう、って先生たちは思っていたみたいだけど...梁間はりまくん、なんだか分かる?」

 少なくとも、台高だいこうせいが学校内で扱えないもの......

 机やら椅子やらだったら、なんの問題もなく普通に使えるだろう。それこそ、部室に持ち込んで雀卓じゃんたく用の机やら椅子やらにでもなってしまうはずだ。


 職員室にあって、生徒のプライベートスペースには無いもの...


   「...電化製品、ですか。......そういうことか...」

   「ま、そういうこと。ってか梁間はりまくんも薄々気づいてたんじゃない!」

   「ああ、まあ。でも確信が得られなかったのと、この件を告発しても誰も得しないと思って...」

   「それなら大丈夫。うちが今から得するから」

 そう言うと、部長は映画部の部室の前に立った。俺にとっては本日2回目の訪問である。

 映画部の部室は最初に訪れた時とほとんど変わっていないが、ただ一点異なるのは、俺の隣に立っているのが倉橋くらはしではなく、自信に満ちた顔をした日名川ひなかわ部長であるという点だ。

   「部長、一体何する気ですか」

   「まあまあ、見てなさい」

 そう言うと部長はドアをトントントンとノックし、鼻をつまみながら「すみませーん」と高い声でドアに呼びかけた。

 はいはーい、と中から返事がしたのを確認し、ヒッヒッヒ...と悪い顔で笑っている。かまの中を杖でかき混ぜる魔女の顔を想像してもらいたい。

   「はい何の御用...って日名川ひなかわかよ!!何しに来た!帰れ!!」

 問答無用と言わんばかりに、慌てた様子で俺たちを帰そうとする映画部部長氏に我らが化学部部長はそっと小声でささやいた。


   「コンセント(・・・・・)()、黙っておいてあげる代わりに、一つ、ささやかなお願いを聞いてもらいたいんだけど...」


 語るに落ちる、とはまさにこのことであろう。

 木田きだ氏の顔はみるみる青くなっていった。


   「な...何の話だかさっぱり分からんな。さあ、帰ってくれ」

 グイグイと肩を押す木田きだ氏の力に動じない部長は、さらに追い討ちをかける。

   「とぼけたって無駄さーねー。君たち映画部は、部室・・()蛍光灯・・・()改造・・して(・・)コンセント(・・・・・)わりに(・・・)使っている(・・・・)

   「......ッ...!」

   「別に無理しなくてもいいんだよ?ただし、いま私たちを無下むげに扱うようであれば、私たちはこの『噂』を学校側に広めてしまいかねないなー。真実の確認のために、この部室に教師陣による強制捜査が入ることは避けられないだろうね。ガサ入れだよ、ガ・サ・入・れ」

 日名川ひなかわ部長は細い人差し指を木田きだ氏の胸を這わせ、彼の胸元から顔を見上げるようにして優しい声音でささやく。

 何と言うか、俺は今、恫喝どうかつの現場を目の当たりにしている。

 背の低い女子高生が、パーマの大男を恫喝どうかつしている。木田きだ氏の額に大量のの汗がにじみ出していた。

これほど珍しい光景もなかなか無いな、と思いながら見守っていると木田きだ氏がついに折れた。

   「わかった、わかった!話を聞くから中に入れ!ここじゃあ目立っちまうからな」

 最初からそうしなさいよ、と日名川ひなかわ部長は踏ん反り返った。


7


 えー、こちらは化学部探検隊。ただいま、映画部部室に潜入しております。このカーテンの先には、どんな秘境が、我々を待ち受けているのでしょうか。

 心の中でマイクを持って中継してみたが、気の利いた言葉は浮かんでこなかった。どうやらリポーターにも向いていないらしい。

 入り口で靴を脱ぎ、木田きだ氏に付き従ってカーテンの奥へと進む。外から見ただけでは分からなかったが、このカーテン、何と二重になっていた。この警戒心の強さには恐れ入る。

   「ははあ、なるほど」

 思わず声が出た。

 天井に二本設置されている蛍光灯のうち、片方が外されている。その代わり、蛍光灯が本来はまる通電口から何やら怪しげなコードが床に向かって垂れ下がっており、コンセントの役目を果たしていた。そのコンセントから伸びる線をたどっていくと、壁側の台の上にどっしりと置かれたテレビ(・・・)に行き着く。

   「こういう改造って、資格か何か必要なんじゃなかったっけ。誰か資格持ってるの?」

 そう言うと部長は、突然現れた侵入者に驚く映画部部員を一人一人見回す。

   「資格はないが、こいつがその技術を持っていてな...テレビ拾ってきたのもこいつなんだ」

 木田きだ氏は部員の一人を一瞥いちべつした後、諦めたように続けた。

   「悪いなお前ら、化学部の奴らに秘密がバレちまった。...よりにもよってこの女にバレるとは...」

   「ハッハッハ!運が悪かったわね木田きだくん。いやむしろ、条件次第で秘密を守ってくれる相手で運が良かったかもしれないわね。幸運を噛み締めなさい、この幸せ者」

 やり方がえげつないなと心底思いながら、俺は黙って二人のやりとりを聞いていた。

 周りでうつむいている映画部員も同じ気持ちだろう。心中お察しいたします。

   「...ハア、まあいい。で、その条件とやらを聞かせてもらおうか」

 さてさて、この短時間で内に秘めたる豪傑ごうけつっぷりを遺憾いかん無く発揮している我らが部長、日名川ひなかわあかり嬢が、精神的弱者となった映画部の面々に叩きつける条件とはいかなるものであるか。

 この場の誰もが、固唾かたずんで彼女の言葉を待っていた。


   「まずは確認させてもらおうか。皆さん、台高だいこうさい当日はお暇かね?」

 なぜここで『台高だいこうさい』という単語が出てくるのか。彼女を除く全員の頭の上に、赤いクエスチョンマークが見えた気すらした。

   「映画部は毎年、自主制作した映画の上映会を台高だいこうさいで行っている。上映会は...まあ、最低一人のスタッフで事足りるから、その他の部員は自由行動になるだろう」

 木田きだ氏が恐る恐る口にする。その返答に、彼女は満足そうにうなずいた。


   「なら話は早いね。私がこの場で提示する条件は一つ!台高だいこうさいの3日間、君達全員、化学部のスタッフとして働いてもらおうか!」


 おっと、そうきたか。

   「うちの部員、いま4人しかいなくてさ〜。一年生の3人に台高だいこうさいをじっくり見て回る時間を作ってあげたかったのよね。それに伝統の展示実験の担当も足りなかったし。手伝ってもらえると助かるなあ」

 そういえば、あれは台高だいこうさいの展示担当決めの時だったか。部長が何やら他の実験がどうこうと独り言を漏らしていたことを思い出した。まさか、ここまで計画していたのだろうか。

   「...そんなことでいいのか?俺はてっきり、部室丸々空け渡せだの予算をよこせだの、無理難題を押し付けられるのかと......」

 拍子ひょうしけしたと言わんばかりの声で木田きだ氏が呟いた。

   「そんなことだあ!?言っとくけどねえ、結構大変だからね!これから時間あるときは化学実験室に来てもらって勉強させるから、覚悟しなさい!」


 その後、映画部との不可侵条約を一方的に締結ていけつすることに成功し、俺と部長は実験室にゆっくりと実験室への帰り道をたどっていた。

 紙にまで書かせ、両部長のサインが入ったこの条約の内容はおおよそ次の通りであった。


**************************


一,化学部(以下「こう」とする)及び映画部(以下「おつ」とする)は、以下に示す条文を遵守じゅんしゅしなければならない。こうまたはおつ、もしくは両者によってこれが侵された場合、この条約は効力を永久に失う。

一,こうに所属する部員は、おつが抱える『部室の秘密』を永久に秘匿ひとくすること。なお、ここに記す秘匿ひとくとは、「こうの部員を除く第三者に、『部室の秘密』に関わる情報の一切を与えないこと」とする。

一,おつに所属する部員は、台高だいこう祭の準備期間及び開催期間、こうの準部員として拘束こうそくされ、こうに従うものとする。なお、おつが主催する上映会への人員派遣は基本的に一名のみ認められる。


以上を、こうおつ双方の合意の元で不可侵の条約として定める。

こう代表 日名川ひなかわあかり

おつ代表 木田きだ真司しんじ


**************************


 もうほとんど日は沈んでしまったが、校舎の周りに立った数本の電灯が手元の文書を照らしている。

    「あ、この条約、なんかそれっぽく書いてあるけど、有効期限・・・・()明記・・されてない(・・・・・)。ということは...」

    「そゆこと。台高だいこうさいを迎える度に映画部は化学部の奴隷になるってことね」

 頭の後ろで手を組んだまま、部長は平然と答えた。

   「うちの部ってさ、まあ化学部だから仕方ないかもだけど、なかなか部員が集まらないんだわ。先の卒業生たちが残した伝統の展示実験も、本当はもっと数あるんだよ。でも人手不足で、お客さんに見せられるのはその半分以下だったんだ」

 ぽつり、と独り言のように部長は続ける。

   「君たち一年生が入ってくれて、私は本当に嬉しかったよ。ようやく、部活らしいことができるって思ってさ。私が一年生の時には部員が私一人しかいなかったからさ。まあなんていうか、ちょっと寂しかったんだ」


 うちの部には三年生が所属していないので薄々気づいてはいたが、去年の化学部員が日名川ひなかわ部長ただ一人だったという話は初耳だ。一人で毎日「化学部」として活動していたのだろうか。それも一年間。部長が「化学」に注ぐ熱意の強さと彼女が一年間感じていたであろう孤独感は、俺には到底想像できないもののように思える。

 俺は黙って聞いていた。

   「まあとにかく、これでしばらく、今後の部員が、台高だいこうさいで私みたいに寂しい思いをすることはないっしょ。まあ、この条約がいつまでつかは疑問だけどねー」

 再び、手元の紙に目を落とした。これがあれば、たとえ部員が一人であっても、台高だいこうさいの期間に限ってだが、映画部の連中を化学部員として扱うことができる。台高だいこうさいで化学の展示がうまくいけば、展示や化学に興味を持った中学生が来年、再来年と化学実験室の扉を叩いてくれるかもしれない。さらには、協力してくれた映画部員が化学に興味を持ってそのまま入部...なんてこともあるかもしれない。

 想像力の限界。俺が思いつく分にはこの程度だ。


 おそらくこれは、この文書は、日名川ひなかわあかりという化学部員が、今後現れるであろう、悩める後輩たちにむけた「祈りと希望」になるのだろう。そしてその根底にあるのは、「純粋に化学を愛する心」だと、俺は思う。

 化学が好き。もっと多くの人にも化学を好きになってもらいたい。

 後輩たちに、化学で寂しさを感じてほしくない。化学を好きでいてほしい。

 そんな思いを、勝手ながら感じ取っていた。


 いつか俺にも、これほど夢中になれるものが現れるのだろうか。

 まだ想像はできないが、それに身を捧げるのも、なんだか悪くない気がする。


   「ああそうだ、会議で言い忘れてたんだけど」

   「なんですか」

   「夏休み中に、化学部で合宿しようと思うんだわ。一泊二日くらいでさ。どうかな?」

 顔をこちらにくりんと向け、部長は微笑を浮かべていた。

   「俺は特に予定も何もないので構わないですよ。あいつらも断らないと思います、日名川ひなかわ部長」

   「......そっか」


 前を歩く、小さくも大きい背中に付き添いながら、俺は化学実験室へと戻った。

(2017年12月9日 一部改変しました)


どうも、お久しぶりでございます。紀山のりやま 康紀やすのりです。

まずはご挨拶から。


ここまで読んで下さり、ありがとうございます。

途中で投げ出さずに、最後まで読んでくださるそんなあなたが、私は大好きです。チュッ♡


キモいね。やめよう。


前回の投稿から、三週間ほど経ってしまいました。おせーよホセ、との声がどこからか聞こえてきそうです。

前回のあとがきを振り返ってみますと、わたくしこんなことを書いておりました。


『次回からは少しシリーズものにする予定です』


残念、1話完結でした!まさに外道!


...今回は1話完結になってしまいましたが、次は、次こそはシリーズものにする予定です。

いや最悪でも、どっかでシリーズにします!する!するったらする!


話を物語の方へ移します。

今回は期末試験直後のお話です。前回が7月上旬、今回は7月上旬〜中旬にかけて、といったところでしょうか。

前回は家族がメインの回だったので、今回は学校を舞台にした高校生活メインの回にしてみました。

今後も、両方のバランスをとりながらなるべく交互に描いていきたいと思っています。

書き始めるにあたって、誰にスポットを当てようかと悩みもしましたが、結局、日名川部長になりました。

自分で言うのもおかしいですが、プロットを作った段階では、こんな風にいい話になるはずではありませんでした。

むしろ、「ヘッヘッヘ、化学部の奴隷ゲットだぜ!(ピッピカチュウ!)」みたいな終わり方になりそうだった。

これも部長の「祈りと希望」の力なのだろうか...見事に浄化されてしまった。

それともう一つ。今回の話のネタである、「蛍光灯の改造」についてです。

私が高校生の頃に、とある部活が本文と全く同じ行いをしていたのが元ネタです。その部室に入り浸って、友人たちと共に学校行事をバックれてスマブラしていたのはいい思い出です...

ちなみに、「蛍光灯の改造」は、有資格者でなければできません。高校時代の友人はやっていましたが...

無資格の良い子は決して真似しないでください。


次回からは雪彦たちは「夏休み」に突入します。その後は、この連載の中で一つ大きな山として考えている高校一年目の「文化祭編」がいよいよ始まる...はず。文化祭編は少なくとも5~6話で完結するシリーズ物になります。伏線撒くの大変そうですね(他人事)。


相変わらずまとまりの悪いあとがきになってしまいましたが、今回はこのあたりで筆を置かせていただきます。

次にお会いするのは何週間後になるやら...なるべく早く書き上げる努力はいたします。

また次回も読んでいただけたら幸いです。

ここまでお付き合いいただきありがとうございます。ではまた!

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