第2話「パンネクックと日曜日」
妹たちの世話や家事に追われ、最近自分の時間をなかなか作れずにいた雪彦。
だが今日は日曜日。予定は特に何もない。
一日中寝ていようと決心し二度寝を決め込む雪彦だったが......
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日曜日。
カレンダーの日付を赤く染めるそれは、毎週我々の元へと舞い降りる完全無欠の休日である。
無論、その休日が俺に適応されているのは「高校生」という肩書きによるのだということを忘れてはいけない。
少し外に出れば、日曜日に働く人々はいくらでも目に入る。スーパーでレジ打ちをしてくれるお姉さんやスーツ姿で早歩きするサラリーマン、クリーニング店で客との会話を弾ませるおばさん...といった具合に、誰しもが「日曜日」という休日を平等に享受しているわけではない。現に我が両親も、父は海外で単身赴任、母はフリーライターといった具合であり、その仕事柄、ちゃんと休めているのかどうかは甚だ疑問だ。
さりとて、皆が皆毎日働きづめであるというわけでもなく、他の日に休日を設けている場合が大多数であろう。
とどのつまり、「休日」とは働く全ての人々に対して順番に割り当てられるものであると言える気がする。誰かが働いていれば、その一方で他の誰かが休日になる。次はまた別な人が働き、誰かが休む。...ブラック企業は知らない。
休日とはローテーションだ。
数年後、社会への進出を果たした暁には、俺もそのローテーションに組み込まれることになるのだろうか。いつか俺にも、働く順番が回ってくるのだろうか。
そうであるならばこんな「日曜日」の恩恵を、高校生の間くらいしゃぶり尽くしてもバチは当たるまい。
2
枕元の時計は10時過ぎを示していた。
これが平日であるならば、担任の教師は有無を言わさず遅刻者の烙印を俺に押すところであろうが、今日は日曜日、嬉しい嬉しい休日だ。一週間のうちにためていた家事の類は昨日のうちに全て消化しておいたので、今日やるべきは洗濯と買い物、そして家族の食事の準備くらいである。
思えばここ最近、輪をかけて忙しかった気がする。この頃は遅刻の回数も減っており、洗濯を済ませ登校し、朝から夕方まで学校で過ごし買い物をして帰宅、帰ってからは洗濯物の片付けや夕飯の準備に追われた。土日は剣道の練習試合に向かう霞の弁当作りで早い朝が始まり、平日にできない掃除やら妹たちの食事の準備やらをしていると1日がほとんど終わってしまう。その他に自分の勉強もあるのだから、なかなか自分の時間を作れずにいた。
自分の役割に不満があるわけでは無いが、本音を言わせてもらえば少し休みたかった。
しかし、今日は正真正銘の休日。俺を襲おうと次から次へとやってくる睡魔を無理に打ち倒して、ベッドから起き上がる必要はどこにもないのだ。昼食時には間に合うように、念のためアラームを12時に設定し、再び布団の中に腕を戻して瞼を閉じる。
一介の高校生にとって、土曜日の夜とはすなわち魔法の時間だ。
翌日の登校を気にしなくて済むのであら不思議、いくらでも夜更かしができる。代償なくして無限に自分の時間を生み出すその様は、あたかも賢者の石を手に入れた錬金術師のようである。
かく言う俺も、昨晩は自室で一人ゲームに現を抜かし、気づけば時計の短針が午前4時を回っていた。
「翌日」といってもすでに「今日」であったが、特段早起きする用事も予定もなかったので目覚ましのアラームをセットすることなく眠りについた。
そんなわけで、まだまだ眠い。だから寝る。おやすみなさい。
なんだか眩しい...。
突如として視界に差し込んだ光に刺激され、半分目が覚めた。
時刻は11時前。最後に起きてからまだ1時間も経っていない...。三度、布団を被り直して目をつむると今度は体を大きく揺さぶられる感覚が。
「起きろー起きろー」
布団から出るのが億劫なので、声のする方に首だけを回す。見れば末の妹であるみぞれが、布団越しに俺を絶えず揺さぶり続けている。勝手にカーテンを開けた犯人は十中八九こいつだろう。
「......ぁんだよ...」
寝起きのせいか、自分でも驚くほどの低い声が出た。
「雪兄ぃ、ちょっとお願いがあるんだけど」
「...後で聞く。おやすみ」
「そんなこといーわーずーにー」
背を向けて会話の中断を図ったが、みぞれは聞く耳を持たないようで、さらに大きく揺さぶってきた。
「勘弁してくれぇ......昨日は夜更かししたからまだ寝たいんだよ...」
「いーから起きてよー」
休ませてくれと懇願する兄に、みぞれはガシガシと蹴りを入れ始めた。我が妹ながら容赦がない。みぞれ、貴様を外道と認めよう。
いいだろう、なんとしてでも耐えきって眠りについてやる!
そう決意し、布団に包まり、妹に起因する外的刺激の一切を遮断しようと試みた。
......だんだんと蹴りが強くなってきた。
痛い。正直言って痛い。無理。寝られない。
こんな状態では寝られるはずがなかった。
「わかった!わかったからやめろ!」
布団からガバッと上半身を出すと、最低な嫌がらせがようやく止まった。
「......おはよう」
「おはよー。それじゃあお願い、聞いてもらえる?」
ぬけぬけと朝の挨拶を返しニカッと笑う妹に、不機嫌の意を込めた視線を精一杯送ってやった。
冷蔵庫と相談した結果、今日の昼食は焼きそばになった。
昼食時の12時には少しばかり早いが、もう一人の妹、霞もそろそろ剣道部の練習から帰ってくる頃なので、そのタイミングに合わせて調理を始める。休日も練習とは御苦労なことだ。
冷蔵庫の中から残っていたキャベツ、人参、玉ねぎを取り出し、水で軽く洗う。
「あのね、ふみちゃんから聞いたんだけどさー」
キッチンカウンターの向こう、一足早く食卓の席に着いたみぞれが、こちらに聞こえるように声をあげて語りかけてくる。ふみちゃんねぇ...おそらくみぞれの友人の一人だろう。どこまで仲がいいのかは俺も知らない。
「すっごい美味しいパンネクックのお店があったんだってー」
「へー」
ピーラーを使って、人参の皮を剥く。ヘタ付近と先の方を包丁で切り落とし、さらに半分にした人参を千切りにしていく。切り終わった人参を一旦ボウルの中に移動し、次は玉ねぎの下ごしらえを進める。
「この前の夕方に、お母さんに連れて行ってもらったらしいんだけどさー」
「へー」
外皮を2枚ほど剥がし、むき出しになった玉ねぎの上下を軽く切り落とし、身を薄切りにする。玉ねぎを扱い始めた当初は、切り進めるにつれて涙腺に過度な刺激を受けていたものだが今ではすっかり慣れてしまった。我ながら成長を感じる瞬間である。
「雪兄ぃ、パンネクックって知ってるー?オランダのパンケーキでさー」
「へー」
「もちもちした厚めのクレープみたいな感じなんだってー。いろいろ乗っかっててさー」
「へー」
「ちょっと雪兄ぃー、聞いてるー?トリビアの泉じゃないんだからー、ちゃんと返事してよー」
「聞いてる聞いてる」
芯を取ったキャベツを、適当な大きさにざく切りしていく。野菜の準備は終わったが、麺と野菜だけの焼きそばに寂しさを覚えたので、再び冷蔵庫の中に顔を突っ込みタンパク質を探した。幸いなことに魚肉ソーセージを発掘。我が焼きそばの具に加わる名誉を授けてやろうじゃないか。
「とにかくー、あたしもそのお店に行ってみたいんだけどー」
「へー、そいつぁすげえや」
火にかけられ熱くなったフライパンの中に先ほど切った具を順番に投入し、炒めていく。
「ほんとに聞いてんのー?」
「聞いてる聞いてる」
ある程度具に火が通ったところで、焼きそばの袋を開けて麺を具材の上に乗せ、軽く水をかける。フライパンに触れた瞬間、ジュウウウ、と水が勢いよく煙に変わる。麺を箸でほぐしながら、水分を飛ばしていく。
「じゃあさー、あたし今、なんの話してたー?」
「......んん」
水っ気がほぼなくなり、全体におおよそ火が通ったところで、付属の粉末ソースで味をつける。あとは混ぜ合わせるだけ...っと。
ここで自分がなにか問いかけられていることに気づいた。
何の話してたんだっけな.....
ああそうだ、思い出した。
「あれだろ、ふみちゃんのお母さんがスゴい、って話だろ?人妻ってのはイヤらしさが増すものだからな」
どうスゴいのだろう。まだ見ぬ人妻に、猥褻図書で培った我が妄想力を発揮した。
「全っ然聞いてないじゃん!てか最低!!」
ありゃ、違ったか......みぞれが机を両手でバンバン叩いて抗議してきた。
と、ここで玄関のドアが開く音が。
「ただいま」
梁間家長女、霞がどうやらご帰宅の様子。
「お疲れさん、昼飯できてるぞ」
玄関の方に声をかける。
テーブルの上で顔を膨らませているもう一人の妹の方に向き直り、こちらにも声をかけておく。
「まあ、あれだ。もう一回聞くから」
フライパンの上で、温かい焼きそばがソースの香りを放っている。
続きは昼飯を食べながらだな。
3
「......で、そのパンネクックとやらを自分も食べに行ってみたいと」
口周りにソースを付けたまま焼きそばをズルズルすすり、みぞれは頷いた。
それぞれの皿に分けられた焼きそばは妹たちにとっては昼食、兄にとっては朝食である。
「その店はどこにあるんだ?」
「正確には喫茶店らしいよ。駅の向こうの方にあるんだって」
「へえー、パンネクックって、そんなに美味しいんだ」
黙って食事を進めていた霞が空になった皿を置き、会話に入ってきた。食べるの早いよお前。
「今日はもう特に予定もないし、そのパンネクックって食べ物も気になるし...私も行ってみたいかも」
口に付いたソースを拭きながら話す。たった今昼食を終えたばかりでなおスイーツへ食欲が向くところから察するに、どうやらこの量の昼食では満たされなかったようだ。霞の皿には一応、2人前をよそったつもりなんだが...
だがまあ、これは都合のいい展開になったかもしれない。
「分かった。お金出すから、二人でその喫茶店に行ってくればいい」
いくら賢いとはいえ、みぞれはまだ小学5年生である。小学生を一人で駅の向こうに遠出させるのは少し心配であるので、誰か同伴者を募らねばならなかった。とはいえ今日は日曜日。最悪の場合、俺がみぞれに同伴しなければならないと理解していても、せっかくの休日なのだ。夕方まで昼寝の快楽に溺れていたいという思いも捨てきれない。
俺の代わりに霞が行ってくれるのならば、その願いは果たされる。
幸い、両親から不定期で振り込まれる生活費がこの前の金曜日に振り込まれていたこともあって、梁間家の懐にはいささか余裕があった。
「雪兄ぃはどうすんの?行かないの?」
これから昼寝するんで行きたくないです、と言うのもはばかられたので、
「ああ、洗濯物干したり買い物行ったりしなきゃならんからな、残念だがパスだ」
と答えておく。ふーん、とだけ鼻を鳴らし、みぞれはそれっきり興味を無くしたご様子。
しかし霞は違った。
「それなら、2時間もかからない用事じゃない。私たちも手伝うし。兄さんも日曜日くらい、羽を伸ばしたってバチは当たらないわよ。兄さんが喫茶店に行く機会なんてそうそう無さそうだし、たまにはいいんじゃない?」
いや、布団に包まれて折れかけた羽を休めようと思っていたんだが.....
兄思いな妹を持って、俺はつくづく幸せだ。泣けてくるね。
さらば、俺の布団...俺の日曜日......
目当ての喫茶店には、自転車でおよそ20分ほどで到着できた。
人通りが多く賑やかな赤葉通りの北側。通りから少し外れた路地に、その店はあった。自転車を近くの駐輪場に停める。4時間までの駐輪料金が無料。台泉市の中心部にはこのような駐輪場が点在してあり、自転車が唯一の足である学生に優しい。
店に近づく。見たところ、低層マンションの1階部分を店舗として構えているようだ。店の正面はドアを除いてガラス張りになっており、どことなく落ち着いた雰囲気を漂わせている店内の様子が外側からうかがえた。店名を示すような看板はなかったが、代わりに明るい水色で塗られたドアに丸っぽい字で「喫茶コルビュ」と記されている。
「ふみちゃんが言ってたお店はここで間違いないよ!」
「へえ、なかなかオシャレなお店じゃない。隠れた名店っぽくて良いわね」
「霞姉ぇは甘い物食べて大丈夫なの?太るよ?」
「その分剣道でカロリー消費するから問題ないの!みぞれこそ、大して動かないのに甘い物ばっかり食べて...最近太ってるでしょ。そのうち動けなくなるわよ」
「太っても大丈夫!その分、雪兄ぃが働くから」
なに言ってんだこのガキ.....
後ろでカロリートークを交わす妹たちを尻目に、店のドアを開く。開閉にしたがってドアの上部につけられた鈴が鳴り、カランカランという音が店の中に響いた。店の中をぐるっと見まわしたところ、休日にしては、あるいは休日だからか、閑散としている。思っていたよりも奥に広い店内にはカウンター席とテーブル席を合わせておよそ30ほどの席が設けられているが、肝心の客は他に1人しかいなかった。
勝手に席についていいものかと尻込みしながら入り口に突っ立っていると、奥で洗い物をしていた若い女性がカウンターから出てきて、小走りで近づいてくる。淡い青色のエプロン姿で、頭には三角巾を巻いている。
「いらっしゃいませ。3名様ですか......って、梁間君!?」
深い礼の後、顔を上げたウェイトレスの女性はひどく驚いた様子で、素っ頓狂な声を上げた。よくよく見れば、俺とさして変わらない年頃の女子であった。「梁間君」と言うのだから、俺のことを指して呼んだのか?
「ねえ、この人兄さんの知り合い?」
後ろに立っていた霞がひそひそと小声で耳打ちしてくる。
あーっと...誰だったかな...見覚えがないわけではない気がしなくもない。
昔から、人の顔と名前を覚えるのは大の苦手である。記憶の引き出しの中をかき回し、大慌てで正解を探した。
ああ、半分思い出した。
「あの...あれですよね、いつも竜子と一緒にいる生物部の...」
顔は分かったが、名前が出てこない。
「はあ。もう7月なのに名前も覚えられてないの、なんだか傷つくな。私は千鳥御影。同じ1年8組のクラスメイトじゃない」
そう言いながら、腰に手を当て頰を膨らませ、さも怒っているかのような仕草をする。
自分の無知を謝罪しておかねば。
「人の名前を覚えるのが苦手でして...これは申し訳ない、失礼しました」
千鳥御影さんか、今度は忘れないようにしよう。
心の中で千鳥さんの名前で繰り返し書き取り練習をしていると、いつの間にか妹たちが俺の前に出ていた。
「長女の梁間霞です。いつも兄がお世話になっております。そしてこちらが妹の...」
「梁間みぞれです。よろしく〜!」
千鳥さんはうんうんと頷き、よろしくー、と手を振って笑顔で返してくれた。
悪い人ではなさそうだ。
4
「では、テーブルのお席にご案内いたしまーす」
短いやり取りを経て、千鳥さんの後ろを連いていく形で店内を奥に進む。テーブル席は4人掛けのものが壁側に5つあり、一方、カウンター席には茶色のジャケットを着た初老の男性が奥の席に腰掛けている。そのカウンター内で店主と思しき30代くらいの女性が、丁寧な所作でコーヒーを淹れていた。上等な感じのするコーヒーの香りがこちらまで届いてくる。俺たちは中央のテーブル席に通された。
ここで一つ、気になることがあったので千鳥さんに尋ねてみる。
「あの、少し聞いてもいいですか」
思わず小声になった。
「なに?...というか、そんなにかしこまらないでよ。クラスメイトなんだし、タメ口でオッケーだよ!」
お...おう。
「あ、ありがとう。うちの高校はたしか、アルバイト禁止だったよな。これ大丈夫なのか?」
台泉高校に限らず、台泉市内の高校は基本的にアルバイトを禁止していたはずだ。アルバイトをしていることが学校側に伝わってしまったら、少なくとも罰則は免れないだろう。心配して尋ねたのだが彼女は笑って答えた。
「ああ、そんなこと。心配してもらわなくても大丈夫だよ。ここ、うちの叔母さんがやってるお店でさ、週末の暇なときにこうしてお手伝いしてるんだ。ちゃんと学校の許可も取ってあるし」
そう言って顔をカウンターに向けた彼女にならって、俺もそちらを見る。先ほどの店主らしき女性がこちらに気づき、優しい微笑を浮かべて会釈をしてきた。俺も慌てて頭を下げた。あれが千鳥さんの叔母さんなのだろう。そう思うと、雰囲気が少し似ている気がした。
「ご注文が決まりましたらお呼びくださーい。失礼いたしまーす」
再びカウンターの奥に消えた千鳥さんの姿を見送り、テーブルの上に視線を戻すと向かいの席に座った霞とみぞれがメニューに睨みをきかせている。メニューは卓に一つしかないため、俺は自然と妹たちの選択を待つ形になる。
「霞姉ぇはどれにする?あたし違うやつ頼むから、少し交換して食べさせてよ」
「りんご、バナナ...パンネクックだけでこんなに種類があるのね...サンドイッチにトースト、スコーン...パスタ、それにドリアもある...うふふふふ、迷うわぁ...」
「ちょっと霞姉ぇ!パンネクック!パンネクック食べに来たんだよ!パンネクック頼もうよ!」
幸せそうな顔でメニューをがっしり掴んで離さない霞を、横のみぞれが必死に揺さぶっている。食事で目が眩んだ霞は、普段のしっかり者のイメージとは打って変わり別人のようになる。
俺がメニューに目を通すまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。何か時間を潰せるものはないかと周囲を改めて見渡すと近くに本棚があったので、適当な雑誌を何冊か持ってくる。内から無限に湧き上がってくる大きな欠伸を嚙み殺し、ページを繰りながら気長に待つことにした。
ようやく注文が決まったので、店員さんもとい千鳥さんに声をかける。
カウンター内から現れ、慣れた手つきでエプロンのポケットから白い伝票を取り出した千鳥さんは、俺たちのテーブルの横に立った。
「ご注文をお伺いいたしまーす」
「あたし、バナナとレーズンのパンネクックとココア!」
「私は、りんごとチーズのパンネクック、ハムのホットサンドイッチ、それからアイスティーをお願いします」
みぞれと霞の注文に俺も続く。
メニューを見て一瞬で決めた、俺の好物だ。
「じゃあ俺はミルクティーを」
「えーっ!雪兄ぃ、パンネクック頼まないの!?頼もうよ!そんでもってあたしに分けてよ!」
みぞれが注文に文句をつけてきた。
「甘すぎるやつはあんまり得意じゃないんだよ。それにさっき昼食べたばっかだし」
「妹ちゃんの言う通りだよ!せっかくなんだし、うちのパンネクック食べていきなよ。後悔はさせないぞ〜?」
千鳥さんがみぞれに乗っかってきた。胸に手を当て、誇らしげに続ける。
「うちのパンネクック、美味しいって割と有名なんだよ?この前も雑誌の取材が来たくらいなんだから!その人も大層気に入ってたのよ」
「そうだよ雪兄ぃ、食べよう?パンネクック食べよう?」
「私にも分けて欲しい」
俺の注文への誹りが3方向から飛んでくる。霞に至っては俺から搾取することしか宣言してない。
「甘いのがダメなら、おかずみたいなやつもあるよ。ハムとゴーダチーズ乗ってるのとかさ」
「それ、すごく美味しそうですね。兄さん頼もう。大丈夫、安心してちょうだい。兄さんが全部食べられなかったら私が食べるから」
これはもう、逃げ場がなさそうだ。
「わかった、わかったよ。...じゃあ、そのハムのやつも追加で」
おっけー、と右手の親指と人差し指で仏像のように丸を作ってみせると、千鳥さんは伝票に何やらササッと書き込んだ。
「飲み物はすぐに持ってくるね。パンネクックはちょっと時間かかるから少し待ってて」
「よろしく頼む」
かくして、勧められるままにパンネクックとやらを注文することとなった。
さて、どれほどの料理なのか見せてもらおうじゃないか。
5
その後すぐに、それぞれの目の前に飲み物が置かれた。陶器には詳しくないが、銀で縁取られたセンスのいい白地のカップから、店主の品の良さがうかがえる。妹たちの会話に時折適当に混ざりつつ、どこか優しい、俺好みの味のミルクティーに口を付けながら待つこと約15分、ホットケーキが焼けるような甘い匂いがカウンターの方からこちらの方まで漂ってきた。
「お待たせしましたー、パンネクックでございまーす」
自身の胴体の2倍ほどの幅がある、大きな盆を抱えるように持った千鳥さんが三度現れた。みぞれ、霞、俺の順番で皿を配膳していく。
配膳してくれた千鳥さんに一言礼を言ってから自分の前に置かれた皿を見ると、焼きあがったばかりでまだ湯気が立っていた。
直径15cmほどの円形の生地の上に、扇状に折られたハムが数枚、ドロドロに溶けたチーズに溺れるようにして乗っかっていた。生地はホットケーキとクレープの中間ほどの厚みがある。
「やっぱり作るのに時間かかっちゃった、ゴメンね。お詫びに飲み物のお代わり持ってくるからさ、それで勘弁してね」
そう言うと千鳥さんは口の前に人差し指を当て、悪戯っぽく笑って見せてカウンターに戻っていった。
「これがパンネクックなのね...確かにパンケーキみたいだけど」
最初に口を開いたのは霞だった。霞が目を落とす皿のパンネクックは、まだ熱そうなチーズが、薄くスライスされたリンゴにたっぷりとかけられている。その隣にホットサンドの皿も控えているが、昼食からそんなに間がないはずだ。その食欲たるや、なんとも恐ろしい。
「よし食べよう!いただきます!」
待ちきれなかったのか、みぞれが合掌と同時に食事の号令を発して、ナイフとフォークを掴む。俺も霞も続く。
.....美味い。
口に入れた瞬間、味の濃いゴーダチーズがとろけるようにしてハムと絶妙に絡み合って、口の中にまろやかな塩っ気を運んできた。もっちりとしたこの独特な生地が咀嚼に独特なリズムを作り出す。美味い。唾液が次から次へと出てくるのがわかった。
黙々と食事を楽しんでいると、飲み物の追加分がやってきた。
「なんか悪いな。サービスしてもらってるみたいで」
千鳥さんの一方的なもてなしとはいえ、恐縮せずにはいられない。
「いいっていいって、どうせ今日はお客さん少ないんだし。それにほら、ここでサービスしておけばまた来てくれるでしょ?」
商魂たくましいことで。
「そういえば梁間君、今日は妹さんたちとデート?ひゅーひゅー」
「デート、って表現はちと違うな。首に縄つけて連れてこられただけの財布だよ、俺は」
千鳥さんの言葉を訂正し、新しく置かれたカップに手を伸ばす。やはりミルクティーは温かいものに限る。
「雪兄ぃ、世の中にはね、それをデートって呼ぶ女の子もいるんだよ?」
そんなフォローあるか。世の男性諸君が不憫に思えて仕方がない。
「いや、違うんですよ。最近兄が疲れ気味だったので、外でなにか甘いものでも飲んでゆっくりしてもらおうと思って、このお店に足を運んだんです」
そう思うのだったら、家で休ませて欲しかったのだが。
霞の体裁が気に入らなかったのか、みぞれが抗議する。
「違うよ!あたしがふみちゃんからこのお店紹介してもらったんじゃん!」
違ったのか...お兄ちゃん悲しいよ。
それもあったわね忘れてたわ、と霞は誤魔化した。
そんなやりとりを見ていた千鳥さんが、細い目をして爽やかに笑う。
「へえ、妹さんたちと仲良いんだねえ。家族で仲良いのって、少し羨ましいよ。私の家は兄弟いないし、両親も共働きであんまり家にいないしさ...まあ、だからこうして叔母さんのとこに来てるんだけど」
どこの家にも事情はあるものだ。
「うちも両親が共働きで、ほとんど家にいないぞ。父親に至っては海外だから、最後に会ったのが何年前、ってレベルだ」
「海外!?随分遠いねえ!」
もぐもぐしていた口を手で隠し、霞が会話を引き継いでくれた。
「母も仕事で国内を飛び回ってて、なかなか家に帰ってこないんです。先週の日曜日、久しぶりに帰ってきたと思ったら、またすぐ家を出て行っちゃったし...」
俺はカップに口をつけたまま、二人のやりとりを黙って聞いていた。みぞれもまた、黙々と食べ進めている。
「梁間君のご両親、なんだかすごい忙しそうだね〜。でも、私の両親も土日いないこと多いなあ。あの疲れ切った顔見てたらさ、将来は土日しっかり休めるような仕事に就きたいと思っちゃうんだよね〜」
同感だ。俺も土日の休みがきっちり取れるようなところに就職したい。休みが取れればどこに就職してもいいかな、とさえ思えてしまえる自分の不甲斐無さに、少し嫌気が差した。
「まあとにかく。今は高校生、今日は日曜日。ゆっくりしていってよ」
そう言い残し、片手を上げて千鳥さんはテーブルから去っていく。甘いものとホットサンドでそれぞれ満足したのか、妹たちからパンネクックの分け前を要求されることはなかった。少し冷めてもなお食感と味は健在で、そのまま平らげてしまう。
ごちそうさまでした。
6
「またいつでも来てよ。お客さんが少ない時はサービスするからさ」
「今日はありがとう。また機会があれば」
ニッと笑い、手を振って見送る千鳥さんに礼を述べ、店を後にする。思ったよりも長居してしまったようで、時刻はすでに17時になっていたが、夏が近づいているせいか外はまだ明るかった。
店から駐輪場に向かう道すがら、一点、どうしても確かめずにはいられなかった俺は、妹たちに聞いた。
「霞...とみぞれ、一つ、聞いてもいいか」
語調が少し重苦しくなってしまった。前を歩く二人が振り返り、俺を見る。
二人が一瞬、驚いたように見えたのは気のせいだろうか。
「......なに?兄さん」
聞かない方がいいのかもしれない。聞くだけ野暮ではないか。
少しためらったが、意を決して、約束通り一つだけ尋ねる。
「...最近、母さんと何かやりとりしたか?先週の日曜日以降で」
今度ははっきりと、霞の顔に驚きと焦りの色が浮かんだ。その横でみぞれが、何かを悟ったかのようにハアと長いため息を吐いている。
間をおいて、返事が返ってきた。
「...ええ。水曜日に母さんからちょっとしたメールが来たわ。それがどうかしたの?」
やっぱりか。
「...いや、ちょっとな。なんでもない」
自分の中の疑念が確信に近づいた。
俺は少しだけ、笑った。
もしや、と勘付いてしまったきっかけは、千鳥さんの一言だった。
俺がパンネクックの注文を渋った際に、千鳥さんが勧めるために放った売り文句だ。
『...この前も雑誌の取材が来たくらいなんだから!その人も大層気に入ってたのよ』
俺の母親がフリーライターということもあって、まさかないだろう、と思いつつも「取材」という言葉が気になった。
そして千鳥さんの言葉から察するに、取材者はどうも一人だったらしい。
さすがにそれはありえないな、慎むべし慎むべし。と、飛躍した我が妄想に蓋をしようと試みたが、これまた千鳥さんの台詞が引っかかって、蓋が閉まらなかった。
『...ここ、うちの叔母さんがやってるお店でさ、週末の暇なときにこうしてお手伝いしてるんだ。ちゃんと学校の許可も取ってあるし』
「取材の人がパンネクックを気に入っていた」という千鳥さんの主観から、「この前の雑誌の取材」の場に千鳥さんがいたことが分かった。また、彼女が店で働くのは週末すなわち土日だけであることから、「取材」は「土曜日か日曜日」に行われたことになる。
霞が店で言っていたが、先週の日曜日母親が一瞬帰宅して再び出て行く、という騒動があったのを思い出す。帰宅してすぐさま出て行くのが「母親」ならば、ああ、ご近所に回覧板でも渡すのだな、と気にも止めないだろう。
しかし、それが「フリーライター」となれば話は別である。
あれ以来帰っていないことを鑑みると、おそらく取材に出かけたのだろうが、何の取材であるのか俺は知らない。二重国籍の疑いがある国会議員のスクープを追っていたのか、はたまた不倫で活動を休止していた女性芸能人のインタビューがあるのか。
なるほど、もしかしたら、市内の喫茶店紹介の記事を書くこともあるかもしれない。
千鳥さんの言う「この前の雑誌の取材」が最近の土日に行われた。
フリーライターの母親が先週の日曜日に取材のために出かけた。
この2点を結びつけるには少し早い。まあ俺の思い過ごしだろう。考えすぎは良くない。
だが待て。霞の一言が明らかに不自然だったではないか。
『...最近兄が疲れ気味だったので、外でなにか甘いものでも飲んでゆっくりしてもらおうと思って、このお店に足を運んだんです』
ここはパンネクックが有名な店だったはずだ。甘いものが飲めるお店なら、喫茶店に絞ったとしても相当な数あるだろうに、なぜこの店なのか。そもそもこの店に来たのは、みぞれの友人の紹介ではなかったか。体裁を気にするにしても、みぞれの友人の紹介であることを隠す理由はないはずだ。みぞれがしっかりと訂正していたが、もしやあの時、霞は口走ってしまったのではなかろうか。
そういえば、この土日の直前に生活費が振り込まれていた。
偶然にしてはタイミングが良すぎやしないだろうか。
ここまで考え、今日の俺は、母や妹たちによって動かされていたのではないか、という根拠が少ない推論を持つに至った。
この推論が正しいという証拠はどこにもない。全て俺の妄想かもしれない。
先週の日曜にパンネクックの取材で”喫茶コルビュ”を訪れたフリーライターの母親が、俺が好みそうな味のミルクティーを発見。水曜日、霞に連絡を取り、この喫茶店について教える。金曜日、喫茶店に行けるだけの十分な生活費が振り込まれる。日曜日、現在に至る...
......考えすぎ、かもな。
7
頭の後ろで手を組みながら、みぞれが独り言のように、しかし俺に聞こえる声で呟いた。
「でもまあ、雪兄ぃも頑張ってるし?たまにはこういうのもいいんじゃない?」
フッ、と鼻を鳴らして答える。
「...俺は何も言ってないぞ」
「あ、そう?」
みぞれが肩を竦ませる。
何か言ってやろう、とは微塵も思わなかった。
俺は小説やドラマに出てくるような探偵じゃない。
当事者や視聴者たちの前で、真実を全て詳らかにするような趣味はない。
だから、言わない。言う必要がない。
言わなくていいことを言うなんて、無粋極まりない。
母親の、妹たちの善意に答えるのは、この場合、何も言わないことだと分かっている。
分かってはいるが、最後に一言だけ言わせてほしい。
世話になった相手への礼は欠いてはいけない、と母親に教わった。だから...
「霞。みぞれ。まあなんと言うか...あれだ。...今日は来て良かったよ。ありがとう」
(2017年12月9日 一部改変しました。)
みなさま、あけましておめでとうございます。
どうも、紀山康紀と申します。
まずはご挨拶から。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。感謝感激雨あられです。
後書きまで目を通したあなたはきっと、良い一年を迎えられることでしょう。途中で読むのをやめた方、読んでない方もご安心ください。読めば運気が上がります!イッツアスピリチュアル!!
そして謝罪。
少しでも更新を楽しみにしてくださっていた方がもしいらっしゃるのであれば、ここにお詫び申し上げます。
第2話の更新が年をまたいでしまいました。本当は週1ペースで更新するつもりだったんです...本当。いや本当だよ!?やすのり嘘つかないもん!!
......本題に入ります。まあ、後書きに本題も何もないのですが。
実は私、Twitterなるものを始めました!パンパカパーン!!
(始めた、と言っても「紀山康紀」のアカウントが増えた、ってだけで実際は本垢でTwitter歴4年です。詐欺だね!)
アカウント→@nori_yasunori です!
Twitterアカウントを作成することで、自分の逃げ道を断とうという寸法ですな。
しょうもない呟きの他にも、更新情報や進捗状況を記載する予定です。よろしければのぞいてみてくだされ。
感想やコメントもお待ちしております。
・今回の話について
前回(第1話)は雪彦の高校生活のとある1日を描きましたが、今回は雪彦のとある休日を描いています。時系列は、第1話が6月中旬ごろ、第2話が7月上旬ごろ、といったイメージです。今回、当初作っていたプロットの構成を大きく変えました。更新が遅れた理由はここにあります(言い訳)。
話の中でキャラが色々と動きますが...霞は嘘がつけない性格。みぞれは意外に演技派かもしれません。新キャラ千鳥さんは、いちいち演技がかった動きをする点に魅力を感じてもらえればなと思います。
前回今回と、とりあえず雪彦のスタンダードな生活を見ていただいたので、次回からは少しシリーズものにする予定です。具体的には、そう!学校行事!!
まだプロット段階なので、あまり確かなことは言えませんが...まあそういう話をやりたいねって感じです。
次回の更新まで、短くても1週間はかかりそうです。この作品が読者の方々に待たれるものに値するのかはわかりませんが....待ってていただけると嬉しゅうございます。
今回はこの辺りで筆を置かせていただきます。
ではまた次回、お会いしましょう。
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。