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梁間さんの『お兄さん』  作者: 紀山 康紀
1年生・前半
2/17

第0話「服を買いに行くための服が......」

それは、とある日の夜、夕飯の席でのことであった。

長男・雪彦は野菜嫌いな末妹・みぞれが完食するのを見張っていた。

そこに現れた長女・かすみが漏らした一言から、急にみぞれによる彼女のファッションチェックが始まって......?

1


 あたしさー、思うのよ。

 大部分の運の良し悪しって結局、確率の大小と選択肢への執着による幻影なんじゃないかーって。


 最近の人ってさあ、自分に非のない不慮の事態があるとすぐ「運が悪かったー」って嘆くじゃない?......あ、別にそれ自体が悪いってんじゃないけどさ。あれってさあ、自分にそこそこ有利な期待値が提示されていた上で行った選択への後悔でしかないと、あたしゃあ思うんだよ。

 例えばさ、ゆきぃが道を歩いてる時に車に跳ね飛ばされて脚を骨折したとするじゃん?

 ......え、例えが悪い?しょうがないじゃん、あたしが知ってる人の中でゆきぃが一番車に跳ねられそうな感じしてるんだから!

 で、病院に運ばれ白髪のお医者さんにギプスをつけてもらって、松葉杖をつきながら歩くゆきぃはおそらくこう思うんだよ。......「ああ、俺はなんて運が悪いんだ」って。なんならこう付け加えるかもしれない。

 「あの時、別の道を選んで歩いていればこんなことにはならなかった」......ってね。

 その道が目的地までの最短距離だったからなのか女子高生が多く通る道だったからなのかは分からないけど、他の道もあったのにその日(ゆき)ぃはその道を選んでしまった!ああ無常!!

 つまり、あたしが言いたいのは、「運が悪い」っていうやつの正体はただの「後悔」なんじゃないか、って話よ!

 ゆきぃ、お分かり!?

 


 ......などという独自の思想をその達者な口で論じてみせるのは末の妹、みぞれだ。

 ちなみに俺は骨折などしていないしする予定も今のところはない。


 夕飯の席。テーブルを挟んで俺の真向かいに座り、右手に持ったはしの先でくうに円を描いている。

 俺とかすみは既に食事を終えた。我々の食器類は既に下げられ、我が家の食卓に残っている料理といえばみぞれの目の前にある拳ほどの大きさの小皿だけだ。そして小皿の上にはホウレンソウとツナのえ物。

   「......であるからして、運が悪いと自虐的に口にする人間のほとんどが」

   「小学5年生になったばかりの奴がなに言ってんだ。御託ごたくはいいからさっさと食え。ホウレンソウを食え。あと行儀悪いからはしで遊ぶな」

 みぞれのなが口舌こうぜつを途中で打ち切り、表面が乾きその光沢を既に失っているホウレンソウが乗った小皿を顎でさす。

   「早く食え。でないと皿が洗えない。俺を早く解放してくれ」

 そう言って俺が真っ正面から睨むとみぞれは一瞬きょとんとしたまま動きが止まり、目をぱちくりと何度かしばたかせた。が、すぐにまた得意げな、しかしどこか焦りを隠せないような表情に戻る。

   「ま、まあゆきぃ。そう慌てなさんな。いいかい、ここからが面白いところでね。あたしが思うに運がいいってのと悪いってのはつまり」

   「つまらん長話でごまかそうとしたって無駄だぞ。そのホウレンソウをお前が胃の中にしまうまで、俺はここを動かんからな」

 テーブルの上で組んだ俺の両手を、次に俺の目を、最後に小皿を順に見て、みぞれは顔を引きつらせた。そして諦めとも悟りとも言えるような穏やかな微笑を浮かべ、フッと鼻を鳴らす。

   「......人類は何故、野菜を食物しょくもつとして選択したんだろうね」

   「知らん。はよ食え」

   「口に入れた瞬間さ、青臭いにおいと葉脈の食感でなんか『わたしは草です!』みたいな主張してくるじゃん?あたし、それが無理なんだよねー」

   「無理じゃない。お前なら食える」

   「ってゆーか、なんでよりによってものなんだよー!成分を詰め込んだ錠剤とかカプセルとかの形にしてくれたらいいのに!!」

   「それもうディストピアだろ」

 今度は『人類はホウレンソウを食べる必要はない論』を論じてギャイギャイ騒ぎそうだ。これはまた、今日も長くなりそうだ。

 肩を落とし、はあーっと長いため息を一つ吐いた。と同時に、リビングのドアが開く。


   「なに?みぞれ、あんたまだ食べてるの?早く食べちゃいなさいよ」

 湯上がりで頬をほんのり紅潮させたかすみが入ってきた。上は半袖のTシャツ、下は見慣れた赤いジャージのズボン。普段は後ろで縛っている髪は完全におろされ、背中のあたりまで垂れ下がっている。濡れた長い黒髪を首に巻いたバスタオルで流しながら、みぞれの背後に近づき彼女の目の前にある小皿を覗き込む。

   「そんなの一口でしょう。パッと食べちゃいなさい、パッと」

   「ハッ、全く分かってないなあかすみぇは!それができたらこんなに苦労してないっつーの!!あたしゃポパイじゃねえっつーの!!」

   「なんであんたが偉そうなのよ」

 呆れ顔を浮かべたままのかすみの手刀がみぞれの頭にコツンと落ちる。

 と、何かをふと思い出したように「あっそうだ」と呟き、かすみの目がこちらに向いた。

   「明後日、友達とみんなでちょっと遊びに出かけてくる。だから昼ご飯は外で済ませるから」


 数秒、沈黙が降りる。

 

 背後に立つかすみの方を振り返り、呆けた横顔を覗かせていたみぞれ。この時、おそらく俺も同じような顔になっていただろう。

 みぞれの右手から箸が力なくこぼれ落ち、カランと乾いた音を立ててフローリングの上に転がった。

 私は何かおかしいことを言ったかしら?とでも言いたげな表情でかすみは首を傾げ、膝を折って転がり落ちた箸を拾い上げる。

 真っ先に声を上げたのはみぞれだった。

   「えっ......かすみぇ、出かけんの?」

   「だからそう言ってるじゃない」

 バスタオルを首に巻いたままかすみは鼻歌交じりに台所へと入っていき、拾い上げた箸を流しで軽く水洗いをする。そして布巾で水気を取ると、みぞれに手渡した。

 唖然あぜんとした表情でみぞれは渡されるままに両手を差しだし、箸を受け取る。しかし、みぞれの口から出たのは落とした箸を洗ってもらった礼ではなく、強い口調の詰問だった。

   「かすみねぇ......誰と......一体どこで、何をするつもりなの!?」

   「あら、みぞれ、もしかして心配してくれてるの?でも大丈夫よ。友達と4人で、台泉駅近くのファミレスで勉強会するだけだから。あっ、友達はもちろん全員女の子よ?」

 違う。みぞれと俺が心配しているのはそういうことではない。

   「そ......そうなんだ......。ちなみに聞くけどさあ、中学の制服着ていくんだよね?」

 おそるおそるといった風に、みぞれが緊張した面持ちで尋ねる。

 するとかすみはプッと吹き出し、微笑を浮かべた。

   「まさか、学校じゃあるまいし。休日に友達と会うのに、制服はないでしょう。私服に決まってるじゃない」

   「ダメェェェェェェェェ!!ダメダメダメェェェェェェェェ!!」

 突如大声を上げてテーブルに拳をドン!と乗せると、その反動でみぞれは勢いよくホウレンソウをかきこみ麦茶で喉を鳴らし、口元を手の甲で拭きながら続けた。

   「かすみねぇは私服着ちゃダメなんだって!」

   「なっ......何よ突然......。ちょっと何言ってるか分からない」

 みぞれの激しい剣幕に珍しくたじろぐかすみ。俺はというと、目の前の光景よりもみぞれがホウレンソウをようやく飲み込んでくれたことへの感動で動けずにいた。

   「この際だからハッキリ言ってあげる!......かすみぇには、私服のセンスが無い!!」

 私服のセンスが無い。そう、まさにその通りなのである。

 着こなしだとかファッションだとかについての興味も知識もない俺が見ても明らかなほどに、かすみが選んで着る服は昔から見栄えが悪い。そして本人にその自覚がない。

 グリーンの長袖に真っ赤な長ズボンというクリスマスも慌てて逃げだすような補色で現れたのは昨年の春だったか。

   「なっ......!!そ、そんなわけないでしょ」

   「そんなわけあるの!私服がダッサい!とにかくヒドい!センスゼロ!!皆無!!」

 立ち上がったみぞれの人差し指がかすみの眉間に何度も突きつけられる。その度にかすみが後ずさるので、ついに壁際まで追いやられてしまった。

   「だ、大丈夫よ。別におしゃれするわけじゃないし、普通の服を着ていくだけだから......」

 そう言う声は弱々しく、そして目は泳いでいる。と、みぞれの両手が壁を強く叩いた。その衝撃と音でかすみの肩がすくみ上る。みぞれの両腕と壁に囲まれ、かすみは身動きが取れない。ははあ、なるほど、これが世に言う”壁ドン”というやつだろうか。

   「かすみぇの”普通”が普通じゃないって言ってんの。4年前のあの悪夢、忘れたとは言わせないよ?」

   「忘れてはいないけれど......流石に私もあの時からは成長したわよ......」

   「着ていくつもりの私服とやら、あたしに見せなさい」

 みぞれの顔がかすみの両目にズンズン近づいていく。おお、怖い。

   「いやでも着ていくの明後日だし別に明日でも」

   「いいから!!早く!!」

 その言葉と共にかすみは壁ドンから解放され、ひぃひぃ半泣きになりながらリビングを後にした。階段を駆け上がる音がここまで響いてくる。自室に向かったのだろう。


 かすみがみぞれ相手でここまで劣勢に陥るのは非常に珍しい。我が家の風紀委員長であるかすみが我々の堕落した生活態度を強い言葉と手にした竹刀で戒めるのが日常風景で、かすみ自身が我々に何かをとがめられるというのはあまり例を見ない。

 その様子を黙って見守っていた俺に言ったのか独り言なのか分からないが、肩をすくめたみぞれが呟くように言った。

   「かすみは、自分のことが見えてなさすぎるんだよ」


 待つこと10分ほど。

 リビングのドアがゆっくりと開き、耳を赤くしたかすみの顔だけがひょっこり覗いた。

   「やっぱり、自分ではそんなに変じゃないと思うんだけれど......」

   「変かどうかはあたしたちが決めるんだよ。ほら、入って」

 みぞれの言う通り、この場における第三者の視点を持ち合わせているのはみぞれと俺だけだ。

 促され、中途半端に開いたドアをかわすようにしてかすみがリビングに足を入れる。

 

 その姿、というか服装に、俺は思わず目を見張った。


 下はカーキ色のロングパンツ。スラッとしたかすみの脚のラインはパンツの形状で隠れ、そのすそからは学校指定、真っ白のソックスが覗いている。ここまではいい。問題は上半身だ。

 羽織るように着ているのは、布地はもちろんフードの紐や金属部品の細部に至るまで黒く、全体的に果てなき闇のようにドス黒い漆黒のジップパーカー。幸いなことにドクロマークや龍を巻き付けた剣等の刺繍こそついていないが、これはこれでなかなか気合いの入った一品だ。どこで買えるのそれ。

 真っ黒パーカーにカーキパンツという色の組み合わせの時点でもう既に小首を傾げるところであるが、かすみのそれは我々の予想をさらに上回る。

 ジッパーを開け放ったドス黒パーカーの下に白地のTシャツを身につけている。俺が丹精込めて洗濯したYシャツのようにどこまでも白く無地であればよかったのに、胸元にイカツく黒い筆字で「中華街」とプリントされているのが憎たらしい。パーカーの開いた胸元に見える中華街の主張があまりにも強い。なぜ中華街。

 そしてトドメにドクロを模した銀色の首飾り。ああ無念、やはりあったか。


   「か......かすみぇ......その格好は......!?」

   「ほら、前にあなたのファッション雑誌貸してもらったでしょ?あれにカーキのズボンが流行ってるって書いてあったから母さんから借りたのよ」

 そう言ってかすみはその場でくるりと一回転してみせる。

   「春のトレンドはスカートだとも書いてあったんだけど、流石にスカートはちょっと恥ずかしいかなーと思って......どうかしら?我ながら結構似合ってると思うんだけど」

 えへへと照れながら髪を指に巻き付けるかすみに、俺とみぞれのツッコミが乱れ飛ぶ。

   「いや恥じるべきはそこじゃねーよ」

   「何見たらそんな格好になるのさ!今すぐファッション誌に謝罪しろお!」

 みぞれの容赦のない口撃はなおも続く。

   「カーキのパンツはいいよ。それだけはいい。問題なのは他だよ他ァ!!まずそのガイコツの首飾り!一体なんなのそれ!?どこぞの部族のシャーマンじゃないんだから今すぐ外して!一秒でも早くぅ!」

 ピンと張った人差し指が、今度はパーカーを指し示す。

   「んで次、そのパーカー!なんでよりにもよって黒を選んだの!いま春だよ春。スプリング!!春らしい色ってもんがあるでしょ!水色とか瑠璃色とか、かすみぇもそういうの持ってたよね?」

   「いやあ......そういう爽やかな色とか派手な色とかは自己主張が強い気がして、私なんかじゃとても着られないかなーって......。結局黒が一番落ち着くのよねえ」

   「その暗黒パーカーの方がよっぽど主張が強いわ!!闇に紛れる気か!そんな真っ黒なパーカー着てるのは防犯カメラに映る強盗犯くらいなもんだよ!」

 矢継ぎ早に溢れ出る指摘が止まらず疲れたのか、みぞれが肩で息をしている。代わって俺が聞いてみた。

   「かすみよ、そのTシャツはなんだ?どうやら”中華街”って書いてあるような気がするんだが、俺の見間違いかな」

   「ああ、これ?」

 Tシャツの襟もとをつまみ、引っ張ってみせるかすみ

   「これお土産よ、母さんの。ほら、去年母さんが横浜に出張してたじゃない。その時にお土産でもらったの。......あ、ちなみに表は"中華街"だけど裏は"横濱"って書いてあるの。これ結構気に入ってるんだけど」

 自慢げに語るかすみとは対照的に、俺とみぞれは同時に頭を抱えた。


 母はフリーライターである。近年では観光雑誌に記事を求められることが多いようで、取材のため日本全国を飛び回っている。家にいることのほうが珍しい人だ。月に何度か家に帰ってくるたびに出張先のお土産を俺たち息子娘に買ってきてくれるのはありがたいが、母のお土産のセンスは若干ズレているのだ。飛騨高山から帰還し、子熊ほどの大きさの”さるぼぼ”を引越し業者のように抱えて玄関をなんとかくぐってきた時には流石に参った。置く場所がない。

 母には今回のような観光名所の地名のみがプリントされたいわゆる「ご当地Tシャツ」を息子娘に好んで買ってくる癖があり、毎回バイバインのように増えていく家着にしかできないシャツに辟易へきえきしていた俺とみぞれは「頼むから食品にしてください」とお願いしたものだ。

 だが、母に似たのかどうなのか、これまたセンスが並でないかすみだけは今もなお「ご当地Tシャツ」を喜んで受け取り続けているらしい。


   「一応聞くが......そのTシャツ、お前はどう思ってるんだ?」

   「えっ、普通に格好いいと思ってるけど......違うの!?」

   「ああ、そう......」

 汚れなき眼を見開くと、かすみはあちこち引っ張ったり身体をひねったりして自分の服装を立ったまま確認し始めた。放っておいたらそのうち”侍”と書かれたTシャツ1枚で街を歩きかねない。テンプゥラ、サムラーイ、クールジャパン。

 正直なところ、センスがズレていようがなんだろうが結局それは主観の問題であって、本人が好んで着ているならば特に文句は無い。......文句は無いが、自分の格好が世間の基準と大きくズレていることを指摘し自覚させなければ、こいつは知らず知らずのうちに人前で恥をかいてくことになるだろう。それはまた知らぬが仏という見方もあるだろうが、根が恥ずかしがり屋な妹をこのまま放置するのは家族として、兄として少し忍びない。


 少し考えて、姉の服装を上から下まで睨みつけて小言を繰り返す末妹に声をかける。

   「みぞれ、明日何か予定あるか?」

   「ゆきぃ、予定の有無は用件の内容によって決まるもんだよ」

 相変わらず面倒くさい奴。

   「......かすみの服を揃えに行く」

 そう言うとみぞれはようやくこちらを振り返った。

   「マジ!?駅の方!?」

   「多分な。駅の方に行けばなんか見つかるだろ」

   「......キャッホォーイ!!お買い物だぜヒャッハー!!」

   「買うのはかすみの服であってお前の物ではないぞ」

 俺の話を最後まで聞くことなくみぞれはリビングを飛び出していった。財布の中身でも見に行ったか?

 リビングの壁際に取り残されマネキンのように固まっているかすみにも声をかける。

   「そういうことだから。お前、明日は剣道の練習なかったよな」

   「明日は別に大丈夫だけど......私なんかのために、本当にいいの?」

   「緊急事態だからな。そんな恰好で歩いてたらお前の友達は離れていくぞ......物理的に。お前が決めたなら何を着ようと文句は言わんが、せめて文字通り、”恥は知るべき”だな」

 俺の言葉を聞き、かすみは闇のパーカーを静かに脱ぎ、手に持ったパーカーを悲しそうな顔で見つめている。そして露わになるTシャツ。背中には”横濱”の文字。いとあはれなり。

   「ああ、それともう一つ」

 そう。もう一つ、こいつに言うべきことがあった。かすみの視線が、俺がピッと立てた人差し指に注がれる。

   「とりあえず、明日は制服を着てください。頼むから」


2


 日本の首都は東京だが、この地方の中枢都市はここ、台泉だいせんだ。

 商業ビルやら大型商店街やらが群立する台泉だいせん駅西側は県内外を問わず流入する買い物客で週末はごった返す。

 連休初日とあって台泉だいせんの玄関口とも言える駅2階の構内は、老若男女入り乱れ縦横無尽に進む人の流れが完成している。よくぶつからないものだと感心する。

 妹たちを連れてとりあえずここまでは来たものの、どこに行けばよいのか俺にはてんで分からない。服だのファッションだのに疎い俺がそういった若者向けの店など分かるはずもなく、ましてや女性服をば。

 だからそういった情報に詳しいみぞれが巡る店を選んでくれており、みぞれとかすみが店舗案内を前にあれこれ話し合っている間、俺はこうして行き交う人の流れに思いを馳せているのだ。......現代人よ、そんなにいて何処へゆく。

   「......ってことで、最初はエスパノレのショップをザっとさらって、その後でパノレコのショップを巡る感じかな。一通り見てからちゃんと決めよう」

   「別にそんなに見て歩かなくても......安くてそこそこいい服があればそれでいいわよ」

   「却下。ショッピングというものをちゃんと経験してもらいます」

 へえ、ショッピングって面倒なんだな。なんだか俺もう帰りたくなってきちゃったよ。そして「店」じゃなくて「ショップ」なんだ。覚えておこう。

   「で、ゆきぃ!今日の軍資金は!?」

   「予算は1万5千円。母さんに今回のことを話したら同情の言葉と共に買い物の許可をいただけました。かすみにちゃんとした服を着せてやってくれとのことです」

   「あたたかい言葉なだけに凄く複雑な気持ちなんだけど......」

   「まあまあ、かすみぇは服装さえちゃんとしてれば美人なんだから、今日でいい組み合わせを選びましょうや!」

 みぞれがかすみの手を勢いよく引いて自動ドアをくぐるものだから、かすみは前によろける。......が、流石の運動神経、大きな歩幅で足を強く踏み出し倒れる前に素早く体制を立て直す。

 俺も2人の後に続いた。


 「エスパノレ」は台泉だいせん駅と地上・地下で直結している大型商業ビルである。本屋や雑貨屋が点在しているが、店舗のほとんどが洋服やアクセサリー、靴に化粧品と女性向けの店だという偏見を抱くのは俺だけではないだろう。ちなみに地下のレストラン街にはあらゆるジャンルの飲食店が軒を連ねているので食事処を探すには事欠かない。......高校生の財布にはちと厳しいお店もあるが。


 台泉だいせん駅2階と直結する入口から入ると、そのままエスパノレのメインストリートになる。エスカレーターの横で、何か催し物をやっているようだ。横長のテーブルが2つ、そしてその内側には赤い法被はっぴを着たお姉さまが2人。さらにその横で通行人に押し付けるようにしてビラを配るこれまた赤法被あかはっぴのお姉さまが1人。その前には人だかり、とまではいかないが若者4、5人が列を形作っている。そしてカランコロンカランコロンというせわしない音。スタスタ歩いていたかすみが急に立ち止まり、音の鳴る方をジッと睨む。

   「はい、出ました~!青玉は......4等でーっす!おめでとうございます、お兄さんにはこちらのボックスティッシュをプレゼントぉ!」

   「福引券をお持ちのお客様はこちらへお越しくださーい!5枚で1回、福引ができまぁす!」

 快活な声を張り上げて、女性スタッフ3人がイベント会場を回しているようだ。

   「ゆきぃ、福引やってるね」

   「......みたいだな」

 女性スタッフが言うところの福引券を俺たちは1枚も持っていない。が、今日の買い物次第では複数手に入ることもあるだろうかと思っていると、赤い法被はっぴの腕が横から突然ニュッと伸びてきた。

   「こちらでは抽選会をやってまあす!福引券があれば参加できますよー!」

 A5ほどの大きさのビラを受け取った、と言うよりは無理矢理握らされた、と言った方が正しいか。ビラ配りの女性スタッフは既に俺の前にはおらず、機敏にフロアを動き回り道行く客に片っ端から声をかけている。

 少しシワになったビラに目を落とす。みぞれも覗き込んできたので、ビラを持つ手を少し低くしてやる。

 なになに......

 『3日間限定!エスパノレ大大大福引大会開催!!

  エスパノレ内(レストランを含む)でお会計1,500円ごとに福引券を1枚プレゼント!

  5枚につき1回、福引にチャレンジできます!ハズレ無し!!

  福引で豪華景品をゲットできちゃうかも......?』


  ⭐︎特賞:国内旅行券20万円分(2名様)

   1等:高級和牛 1万円相当(10名様)

2等:宮城県産コシヒカリ10kg(30名様)

   3等:エスパノレ限定オリジナルグッズ(100名様)

   4等:ボックスティッシュ(300名様)

   5等:入浴剤orポケットティッシュ


   「......特賞いいじゃん。換金性が高くて間違いないね」

   「換金前提で考えんなこの横着モンが」

   「この中なら......私は国産和牛。あ、でもお米もいいわね。お米のほうが確率高い」

   「俺に10kg担いで帰れと?」

 取らぬ狸の皮算用とはまさにこのこと。福を引く前にお前の服を買わねばならぬ。


 前を歩く妹2人と一緒にいなければ女性服売り場をうろつく不審な男だと思われかねないので、なるべく離れないように後ろをピッタリくっついて行く。もしかしたらこれはこれで不審かもしれない。

 などと思いながら女性客が多いフロア内の床に視線を彷徨わせていると、急に止まったかすみにぶつかった。その衝撃でかすみも前で止まったみぞれにぶつかったので3人で玉突き事故の様相になる。

   「みぞれ、いきなり止まらないでよ」

   「かすみぇ、とりあえずこの店見てみよう!」

 かすみの注意も聞かずにみぞれは右手の店へツッタカタ―と入っていった。溜息交じりにその後をゆっくり追うかすみと共に俺も歩を進める。

 外側にショーウィンドウ等はなく、開かれた感じがしてそこそこ入りやすそうな店構えだ。入口の展示台で思い思いのポーズを取っている2体のマネキンが着ているのは初夏に合わせた服だろうか。薄い緑や水色のシャツが良く映えており、羽織った七分袖のパーカーも涼しげな印象を与える。

   「かすみ、もうこのマネキンと同じ服でいいんじゃないか」

 なんとなくそう言うと、かすみは顎に拳を当てマネキンをつま先から頭までをじっくり観察しながら長く唸る。

   「うぅ~ん......。よく分からないけど、こういう色って私に似合うのかしら?」

   「お前が着てたアサシンブラックよりかはよっぽどいいと思うぞ」

   「黒と白以外の服はなんだか抵抗ある......」

   「囚人服でも着るつもりか。そんな抵抗は早々に捨ててしまえ」

 なおも納得いかないようで、眉間にしわを寄せ怪訝な表情のままマネキンを睨みつけるかすみ

   「こういうのが”ふぁっしょん”ってやつなのね......」

   「ほらかすみぇ、何してるのさ!こっち、こっち!!」

 店の奥から、みぞれがまるで滑り込みを促す3塁コーチャーのように大きな身振りで招いている。「はいはい」と返事をしてスタスタとみぞれの元へかすみが歩いて行った。”ふぁっしょん”など俺も分からないのでこの場では戦力になりえない。ここで待っていようかとも思ったが、入口につっ立って店の中にいる妹たちを遠目に観察する姿はやはり不審だと考えなおし、足早に俺も店の中へ入った。


 青い横縞模様が入った白いTシャツと薄いベージュ色のパーカー?コート?のような上着を木製ハンガーにかけた状態で、みぞれは両手を塞いでいる。

   「とりあえずトップスはこれかな。かすみぇ、服のサイズはMだよね」

   「そうだけど......」

   「じゃあはいこれ持って。次はパンツだなーっと......あ、脚のたけはいくつ?」

   「長さ?長さは......分からないわ」

 両手のハンガーを戸惑い気味のかすみにグイと押し付けるようにして持たせ、みぞれはロングパンツが所狭しと密集したラックへと向かいハンガーの頭を指で素早くかき分ける。色別に分かれた群れの中から薄い紺色のものを2つ抜き出すとこちらに戻ってきた。かすみの腰にズボンを交互に当て、「うん、やっぱかすみぇは脚長いね」とつぶやき、持っていたパンツの内の片方を再びかすみに持たせる。

 されるがまま流されるがまま、その後もかすみの腕にデニム生地のスカートや空色のニットが追加されていき、ついには綺麗で彩り豊かな布の塊を抱えるような格好になった。みぞれの勢いに圧倒され、かすみ本人は言わずもがな、俺も言葉を挟む余地はどこにもなかった。

 奥にいた若い女性店員と少し言葉を交わすと、みぞれが戻ってきた。

   「じゃあかすみぇ、それ持って試着室へGO!!」

 みぞれが親指で示す背後の先に試着室。そのカーテンの前で先程の店員がニコニコと微笑を浮かべている。

   「えっ、これ全部着るの?」

   「実際着てみなきゃ分からないでしょ!ほら、行った行った!!」

 渋るかすみの背後にみぞれは回り、その背中を両手でグイグイ押して無理矢理試着室の方へ近づけていく。そのまま女性店員に案内されるがまま大きな鏡のある試着室へと押し込まれ、にこやかに閉められたカーテンの向こうにかすみは消えた。......困ったような焦ったような、なんともいえない表情が印象的だった。

 

 待つこと数分。


   「かすみぇ、まだぁ?」

   「ちょ、ちょっと待ってみぞれ。やっぱりこういう綺麗な服は私には似合わないからその......」

   「つべこべ言うな!着終わったんなら開けるよ!いい!?」

   「あっ、ちょっと!」

 みぞれが裂くような勢いでカーテンを開け放つ。

 そこにいたのは見慣れぬ姿の妹だった。

 

 長い黒髪と対照的な、純白のワンピース。膝の下まで伸びたスカートから健康的な脚がチラと覗く。そこにみぞれが手に持っていた売り物の麦わら帽子を被せると、青く透き通った海と砂浜が似合うどこぞのお嬢様が完成した。

   「結構似合うな。馬子にも衣裳だ」

   「だっしょー?かすみぇはやっぱり清楚系が似合うんだよ!」

 露出した肩を隠すように両手で抱き、顔を赤面させたかすみは必死に訴えた。

   「ムリムリムリ!恥ずかしすぎるから!」

 と、今度は薄く透ける素材でできたスカートの裾が気になるのか、スカートを股の間に織り込むように片手で押さえ前屈みになる。家では普段、強気で厳しいかすみだが今は泣き出しそうな顔で身体をよじりねじり恥じらっている。家から勝手に持ち出したデジカメを構えてみぞれがからかうものだから、かすみの恥じらいは加速するばかり。

   「ちょっ、みぞれ!なに撮ってんのぉ!?」

   「いやあ、ナイスですねえ~。かすみぇ、もう少しポーズ取ってみようか」

   「ほんとちょっと......みぞれ、や、やめ............もうやめろっつてんでしょ!!」

   「痛ッ!!」

 調子に乗り始めたみぞれの脳天に鋭い手刀がグワゴシャっと振り下ろされ、カーテンがビャッと閉め切られた。

   「......みぞれ、やりすぎだ」

   「あんまり綺麗だったもんで、ついやっちまったんだぜ。ゆきぃ、あたしの頭カチ割れてない?超イタいんですけど」

   「割れるってか、めり込んでたな。これは頭蓋骨陥没の疑いあり。見た感じ、全治4週間ってとこだろう」

   「即手術案件じゃないのそれ?」

   「大丈夫だ、食事療法で治る。毎食ホウレンソウもしくはトマトの摂取で治ると医学書に書いてあった」

   「あーマジかー。じゃあしばらくは頭ヘコんだままでいいや」

 カーテンの中から衣擦れと金具が当たる金属の音が聞こえてくる。

 やがて出てきたかすみは長い黒髪を束ねて見慣れたもとの制服姿に戻っているが、頬はまだ紅潮したままだ。目元には涙が浮かんでいるように見える。

   「......もうかえる」

   「なに言ってんの!その服全部試着するまでそこから出さないよ!?」

 ワーワーギャーギャーとかすみとみぞれの問答が始まった。側にいた店員に「すみません......」と頭を下げると「いえいえ、お気になさらず」と爽やかにはにかみ、その場を離れた。

 長い溜息を吐き出し、俺は言った。

   「おい、試着する服はまだあるんだろ?さっさと着てしまえ」

   「そーだそーだ!だーれの為にあたしたちが貴重な休日を割いてると思ってんのさー!」

 ウッと言葉に詰まったかすみ。観念したようで、肩をガックリと落とす。

   「......わかったわよ。......一応聞くけど、ちゃんと真面目に選んでくれてるのよね?」

 両手を腰に当て、胸を張ってみぞれが答える。

   「もちのロンっしょ!!この有能コーディネーターみぞれちゃんが選ぶ限り、かすみぇの勝利は約束されてんの!あたしにドーンと任せなさい!ほら、わかったらさっさと試着室の中にお戻りなさいな!」

 プロデューサーみぞれの梁間はりまかすみファッションショーはまだまだ続きそうだ。

 俺は欠伸を噛み殺し、再びカーテンの向こうに消えるかすみを見送った。


3


 みぞれによるコーディネートは手を変え品を変え服を変え店を変え、昼過ぎまで続けられた。その店でかすみに似合いそうな組み合わせを一通り試着させ、「すみませ〜ん、他のお店見てからまた来まぁす!」とまた次の店に向かう。試すだけ試して買わないというのはなかなか失礼な行動であるように俺は思うのだが、接客で近寄ってくる店員は誰一人として嫌な顔をせずにこやかに「またのご来店をお待ちしておりまーす!」と当たり前のように送り出してくれる。色んな店をひたすらにハシゴする......これがガールズショッピング、女子のお買い物ってヤツなのか......!?

 

 服屋に入る度に引き寄せられるようにハイセンスなのかナンセンスなのかハッキリとは口にしづらいデザインのTシャツに近づいていき恍惚こうこつの表情を浮かべるかすみ

 そういう意味不明でヤバいTシャツは絶対買わないし買わせないからとにかくこれとこれとこれを持って試着室に行ってくれ、とかすみに色味の良い服を持たせて引っ張っていくみぞれ。

 店員さんがマネキンの衣装を着せ替える時にマネキンの腕を思い切り取り外して服の袖を通す様を一部始終見て、異国の旅番組でも見ているかのような小さくも新鮮な発見に感動する俺。


 何着か購入が完了したのも束の間、本日の主役であらせられるかすみが腹のメロディーで空腹の意を何度も訴え始めたので、エスカレーターを下り地下のレストラン街に向かった。休日のランチタイムとあって、目に見えて通りが混雑している。子供を連れたファミリー層が割合多いように感じる人の波に乗り、大きな柱に掲示された地下街の案内板の前に立つ。3人で並び立つと他の客の邪魔になりかねないので、妹2人に案内板を見せ俺は柱の横に張り付くように立つことにした。

 和食洋食にラーメンうどん、カレー寿司に台泉だいせん名物牛タンの専門店、中華イタリアンにエスニック。選択肢は非常に豊富。あたりを見渡せば、店の外に列を形成しているのも少なくない。

   「さて。諸君、なにを食べようかね」

   「昼ごはん!」

   「誰もディナーの話はしてねえよ。2人で相談して店決めてくれ」

 みぞれの頭を軽くシバき、顎で地下街案内図を指してやった。今日は財布に余裕があるのである程度の外食なら大丈夫だろう。大丈夫だと思いたい。神様、大丈夫ですよね。とりあえず牛タンはまた今度にしたい。

 険しい目を案内図に近づけていたかすみがこちらを振り向き、胸の前で小さく挙手をする。

   「私、ラーメンに1票」

   「あ〜じゃああたしもそれでいいわ」

 計2票。過半数の賛成をもってして昼食はラーメンに決定された。よかった。


 地下レストラン街のおよそ中央に位置するラーメン屋。あっさりベースの醤油が売りらしい。

 店の外で20分ほど待ってようやくテーブル席に案内される頃には、店内の混雑がある程度解消され始めていた。時計を見ればもう13時をとうに過ぎている。4人がけのテーブルだが、俺の横に陣取るのは服が色々入った小綺麗な紙袋たちだ。

   「あたし、しょうゆ〜」

   「私も醤油。......大盛りで」

 他の卓の食器を下げ終わった店員を呼び、妹たちの醤油に加え俺は塩ラーメンを注文した。

 器が運ばれてくるまでの間、話は福引の話題になる。

   「ゆきぃ、福引券っていま何枚?」

 俺の向かいに座ったみぞれが、メニューの片付いたテーブルの上に肘を乗せて頬杖をつきながら言う。

 言われて、財布の中にしまった水色の福引券をまとめて取り出し、みぞれの前に投げつけてやった。

   「ほらよ。9枚だ」

   「なんでぇ、ギリ2回分もないのかよぉ。シケてんな〜」

 親指を舐め、束になった福引券の角を素早くめくりながら数えるさまは、まるで闇取引のドル札を数えるマフィアのようだ。本当に9枚しかないことを確認するとみぞれは舌打ちし、俺がそうしたように福引券を机の上に放り出した。

   「みぞれ、あんたガラ悪いわよ。......というかそんなに福引したいの?」

   「そりゃあ、まあ、したいでしょ。人間だもの」

 お前は相田みつをか。

   「福引(しか)りカジノしかりソシャゲガチャしかり、人間てのはそういう”何が出るか分からないけど大きなリターンが期待できてしまうもの”に弱い生き物なのよねえ」

   「小学生がなに達観してんだよ。それはヒトがラスベガスに行って初めて知る真理だろうに」

   「私は別にいいから、みぞれが福引やりなさいよ」

   「ま、自然にそうなるよね。家族から全てを優遇される、これぞ末っ子の特権だ〜い」

   「搾取するの間違いだろう。ほんっと、どこまでもカワイくねえ妹だよ。価値観が小学生のソレじゃない。どっか寺にでも修行に出した方がいいんじゃないか」

   「兄さんダメよ、それはお寺にすごく迷惑がかかっちゃう」

   「かすみぇはナチュラルに人を煽ってくるなあ」

 

 などととりとめのない軽口を叩き合っていると店員が「お待たせしましたー!」と湯気が立ち上るどんぶりをまずは2つ、みぞれと俺の前に置いていった。

 やがてもう一つのどんぶりかすみの前に置かれ、注文の品が揃う。

 かすみの前に置かれた塩ラーメンを引き取り、明らかに他より麺の量が多い醤油ラーメンをかすみの方に回した。

 結構待たされ、俺もかなり空腹だ。3人揃って両手と声を合わせる。

   「いただきまーす」


 

 やはりラーメンは塩がいい。ちぢれ細麺のあっさり塩。これに限る。具はネギ、チャーシュー、メンマ、海苔。

 醤油ラーメンを看板に掲げている店で塩を頼むのは天邪鬼あまのじゃくというものだろう、イギリスに行ってフィッシュアンドチップスと紅茶を口にしないようなものだ!と級友の軒山のきやま壮一そういちに別のラーメン屋で責められたのはついこの前のこと。ちなみにあいつはイギリスになんの縁もない日本人で、本人はバター味噌を口にしていた。

 いつか函館の名店で至高と名高い塩ラーメンをすすってみたい、というのが唯一の夢かもしれない。


 今に指でも加えそうな顔でどこか物欲しそうにみぞれの最後のひとすすりを見ていたかすみに苦笑いし、会計の為に席を立つ。

 御会計、2,550円也。

 財布の中の紙幣の残機に少し驚きながらも、紙幣を掴んだ途端に重くなった腕をようやく動かし千円札を3枚抜き取り差し出した。

   「こちら福引券をお配りしてましたので、よろしければお使いくださーい」

 小銭とレシートに添えて、水色の福引券を手渡される。ああ、そういえばレストラン街も対象だったんだっけか。

 「ありゃーとぅござゃーしたー!!」という威勢のいい男性店員の声に送り出されて店を出る。

   「ほらよ、よかったな。こいつで10枚目、もう1回引けるぞ」

 期待の眼差しで手を伸ばしかけていたみぞれを無視し、かすみに福引券を渡してやった。

   「えっ、私......?」

   「えっ、あたしじゃないの......!?」

 両者共に口を開けてぽかんとしているのが面白いが、かすみの目には喜びが、みぞれの目には悲壮が満ちている点で異なっている。

   「お前ら2人の運の良し悪しが分からん以上、リスクは分散すべし。2人で1回ずつ引いてこいよ」

   「ゆきぃ、あたしに全てを捧げるって約束したじゃん!!」

 そんな忠誠を誓った覚えはない。

   「兄さんは引かなくてもいいの?」

 みぞれに譲ってはいたがやはり自分も福引がやりたかったのか隠しきれない微笑を浮かべながら水色の券を受け取るかすみに、俺は苦笑する。

   「だいぶ前から、俺は運が悪いんだよ」


4


 上りエスカレーターに2回ほど乗ると、件の福引会場が目の前にあった。

 女性スタッフの顔ぶれは午前中に見た時と変わらず、またそこに並ぶ客の数もそう変わってはいなかった。列が途切れることのないほど大盛況!という風には見えないから、午前中と今ときっと俺たちはそこそこ混んでる時間帯にかち合っているのだろう。

   「エッヘッヘ......20まんえん、20まんえん......」

   「えっと、あそこに並べばいいのよね」

 福引券の束を拳の中にたしかに握りしめ目をギラギラさせているのはみぞれ、端っこを両手で持った福引券で遠慮がちに口元を隠すのはかすみ。順に列の最後尾へと加わる。俺は動線を妨げない場所に陣取り、遠目に見守ることにした。かすみの大事な服が入った紙袋の持ち手を手首に通し、腕組みをする。

 福引は正八角形型の抽選器を回して行うもので、抽選器が1回転した後に排出口から出てくる小玉の色で賞が決まる仕組み。商店街の福引と言われて連想するようなスタンダードな形式のものだ。

 ガラガラガラという抽選器の中の小玉がぶつかり合う音が続き、その度に列が少しずつ前へと進んでいく。手持ちベルの音は聞こえてこないので、この列の中では大当たりが出ていないようだ。小さい男の子の福引券が入浴剤に変わったところで家族連れが抽選器の前から離れていき、みぞれの順番がやってきた。

 要求通り渡した福引券5枚を確認し、スタッフのお姉さんが「それでは張り切って回してください!」と促す。

   「お姉さん!特賞はまだ残ってますか!?」

 抽選器の取手に手をかけ、こちらにも聞こえるくらい威勢のいい声でみぞれが尋ねる。

   「はあい、まだ残ってますよお!金色の玉が出たら特賞です!お姉ちゃん、特賞出ればいいね!」

 子供の相手に慣れているような物言いでみぞれを激励する。

 取手を握る手にグッと力を入れると、中の小玉をちゃんとかき混ぜたいのだろう、数回左右に大きく振り始めた。ガララガララ、先程よりも激しく玉同士がぶつかる乾いた音が会場に響き渡る。

 と、一度手をピタリと止めると、そのまま勢いよく一気に1回転させる。

   「ウォォォォォォォォチェストォォォォォォォォォ!!」

 何がチェストなのかは知らないが、気合いは伝わってくる。空気がビリビリと震える。

 叫ぶようなりきみ声の余韻と共に抽選器の排出口から出てきたのは遠目にもはっきり分かるほど、白かった。

   「はーい、お姉ちゃん残念!5等でーす!お風呂で温泉ができる粉とポケットティッシュ、どっちがいいかな?」

   「あっ、じゃあ......その、お風呂のやつで......」

   「はいどうぞ!またチャレンジしに来てね〜!」

 肩をガックリと落としこちらにトボトボと歩いてくるみぞれは、彼女が出した小玉のように白く燃え尽きている様子。目から光が失われている。

   「はい......ゆきぃ。これ、あげるよ」

   「お、おう」

   「今夜のお風呂は道後温泉だあ。うれしいなあ。うわあい、やったあ......ハハッ」

 弱々しい手で入浴剤の袋を渡されたので、そのまま受け取る。おそらく「日本全国の温泉が楽しめる入浴剤セット」みたいな箱の中身をバラして1袋ずつ景品にしているのだろう。みぞれが受け取った黄色い袋の入浴剤の説明書きによれば、肌に優しい道後温泉の湯が楽しめるらしい。

 などと入浴剤の袋をマジマジと眺めていると、不意に鐘の音が鳴った。

   「おっめでとーうございまーっす!!出ました!!3等でーっす!!」

 カランコロンカランコロンとしつこく響く手持ちベルの音が鳴る方を見てみれば、周囲から注目の視線に晒され戸惑うかすみがいた。そしてかすみの目の前には緑色の玉。

   「3等の景品は、ここでしか手に入らない!エスパノレ限定のオリジナルグッズです!!はいどうぞ」

   「あ、ありがとうございます」

 A3ほどの大きさの白い手提げ袋を女性スタッフから受け取ると、その場から逃げるようにして人の間を縫いかすみがパタパタとこちらに来た。

   「あー恥ずかしかったわ......3等でベル鳴らすのやめてほしい......」

   「お疲れさん。で、3等か。とりあえず、10kgを担いで帰らずに済んで安心した」

   「かすみぇだけ当たってずるい」

   「ま、日頃の行いじゃないかしら」

 少し誇らしげながらもかすみが「恥ずかしいから早くこの場を離れよう」と促すので、3人で出口の方へ向かう。

   「で、オリジナルグッズって何当たったんだ?」

   「あ、あたしもそれめっちゃ気になる!」

 3人の視線はかすみが持つ白い手提げ袋に集まる。白いので中身が若干透けているが、その中身がさらに黒い包装袋で覆われているので判別はできない。袋の膨らみ方から察するに、クリアファイルやノートほど薄くはないが、週刊少年ジャンプほどの厚みは無いようだ。

   「重さはどんなもんなの?」

   「う〜ん。重くは無い、まあまあ軽いかな。触った感じだと、なんか布っぽいのよねこれ」

 袋を顔の前まで持ち上げ、外側をフニフニと触りながらかすみが言う。

   「布か。普通に考えればタオルとか手拭いとか、そんなところじゃないか?」

   「布で丁寧に包まれた商品券とか大穴であるっしょ!」

   「お前はどこまで引きずってんだよ」

 あれこれ推理してみるが、かすみの意向で中身の確認は帰宅してからということになった。


5


 特に何をしたわけでは無いのだが、玄関をくぐると疲れがドッと押し寄せてきた。

 ずっと持っていた紙袋を玄関マットの上に置くと、身体が一気に軽くなったような気がした。今なら空も飛べるはず。

 妹たちは先に家に上がっている。八の字型に脱ぎ捨てられたみぞれのスニーカーを掴んでかすみのローファーの横に並べ、再び紙袋を持ち上げてリビングに向かった。


 リビングのドアに手をかけたその時。


   「ウワァッ!!」

   「うっわぁ......」


 喜びに満ちた驚きの声と、落胆するようなため息混じりの声が同時に中から聞こえてきた。

 何事かと思って見てみれば、帰り道にも開けろ開けろ早く開けろとみぞれにしつこく絡まれていたかすみが、例のオリジナルグッズとやらをついに開封したらしい。白い手提げ袋と黒い包装袋が食卓に置かれている。

 面白いのは対照的な2人のリアクションだ。

 みぞれがフローリングの床に両の膝と手のひらをつきこの世の終わりだとでもいうように項垂うなだれている一方で、かすみは広げた何か布のような物を掲げ、それはそれは嬉しそうに見上げている。

   「かすみ。で、そいつは結局なんだったんだ」

 尋ねるとかすみはバッと振り返り、柄にもなく鼻息を荒くして俺に見せてくれた。

   「兄さん見てよこれ!私、こういうのが欲しかったのよ!!」

 両手でその”布”を持ち替えて、柄がプリントされている面を俺の方に向ける。

 それを見た瞬間、変なため息が出た。

   「......ああ、そう......。いいんじゃないでしょうか......」


 満面の笑みでかすみが広げたのは、白地のTシャツだった。

 赤とも青ともつかないまるでワープロソフトのようなグラデーションデザインで書かれた文字は、かろうじて「えすぱのれ」と読める。

 3等の景品は、なんとオリジナルTシャツ。

   「あんだけオシャレな服を選んであげたのに、なんでまたダサいTシャツがかすみぇに行き渡っちまうんだよぉ〜!!」

 床に拳を打ちつけながら嘆きの声を上げるみぞれに、かすみは弾んだ声で笑いかける。


   「私、運がいいのかもしれないわ!!」

 


   

ここまでご覧いただきありがとうございます!

初めましての方は初めまして!そうでない方はオッス!

紀山康紀のりやま やすのりと申します。


ダラダラ連載し始めて結構な月日が経ちましたが、思うところあって0話を投稿いたしました。

というのも、ストーリー構成が上手な友人からアドバイスをもらったのがきっかけでございます。

ズバリ、「1話にキャラが出過ぎててよう分からん」......と!!

なんと的確なアドバイスだったでしょう。確かにその通りで、最初に投稿した1話は家庭と学校の両方を描いたばかりに、登場キャラクターがプロローグより増えすぎていたんですよね!なんと不親切な作品でしょう!!


そういうわけで、梁間3兄妹だけが登場する第0話を差し込みました。

あえて「第1話」ではなく「第0話」としたのは、この作品の縦軸にもしております「雪彦の成長」が皆無だからです。ここが雪彦のスタートラインなんじゃい。他の話数をイジるのが面倒だったとかそういうのではないんじゃい。


曲がりなりにも推理ものを掲げている以上、推理要素を入れたかったんですが字数がえげつなくなりそうだったので、ほのぼの日常回仕立て〜霞のポンコツを添えて〜に致しました。おあがりよ!!


本編の次話はそう遠くない未来に更新する予定ですので、もう少々お待ちくださいませ。

途中までは書き上がっています。あとは気合と根性とモンハンのプレイ時間だけです。


今後、作者の活動報告ページにて不定期にキャラクター紹介なんかもやっていきたいなあと思っています。

そちらも併せてご覧いただければ嬉しいです。そして貴方の運も向上することでしょう。


ではまた近いうちにお会いしましょう!アディオス!!

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