第13話「嵐の中で光り輝く」
怒涛の文化祭が終わり、季節は夏から秋に移ろいだ。
とある平日、台風の接近に伴いそれぞれの学校が休校となり家で過ごすことになった梁間三兄妹。
食後の何気ない会話から、雪彦は妹の中学で起こったある奇怪な事件を推理することになる。
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ガタガタと強く窓を叩く音で、はっと目が覚めた。
光がほとんど差し込んでいないカーテンを引くと昨晩よりも風の勢いはさらに増し、窓の外を見れば土砂降りの雨が鋭角に地面に叩きつけられ、葉の色が変わり始めていた街路樹は大きくしなっていて今にも悲鳴が聞こえてきそうだ。
台風が通過する深夜から朝方にかけて雨風の勢いは強まりますが翌日火曜日の午後からは晴れるでしょう、と無表情で淡々とした昨晩の天気予報を思い出す。天気の子でも現れない限り、この豪雨は止まないのではないか。
朝のラジオ体操に間に合わない小学生時代を過ごしご近所では寝坊助で名が通る梁間雪彦だが、早朝にも関わらず、なぜか今日は不思議と目が覚めていた。
半袖では少し肌寒かったので、椅子の背もたれから色褪せたパーカーを掴んで部屋を出る。袖を通しながら薄暗い階段をゆっくり下りると、リビングの光が廊下に漏れていた。母は相変わらず国内のどこかへ出張中であり、妹たちが起きる時間にしてはまだ早いが、どうやら先客がいたようだ。
パジャマ姿の先客は、テレビのリモコンと共に横たわって4人掛けのL字型ソファーを見事に占拠し、朝のニュース番組にご執心なご様子。リビングに入ってきた俺に気づき、末妹のみぞれが声をかけてきた。
「ああ、雪兄ぃ。おはよー。早いね」
「そういうお前も珍しく起きるの早いな。こりゃ雨でも降るかな」
「いや降ってるし」
芋虫のようにもぞもぞと足をたたみ、みぞれはソファーの上で体育座りの格好になった。ソファーに空きができたので、隣に腰かけさせてもらう。
「......で、どうだ?」
主語述語目的語を全てすっ飛ばし究極に簡略化した短い質問だったが、流石はわが妹、俺の意図をくみ取ってくれたようで
「まだ出てない」
とこちらも短い返事がかえってきた。
日本各地の台風状況を中継を交えて伝えるテレビ番組を、二人でソファーに並んでじーっと見ていた。
いや正確に述べるなら、俺たちが凝視しているのは番組ではない。番組の外に表示されるL字速報だ。
県内の見慣れた地名や電車の運行情報が次々とL字の中を流れていく。どこでどのくらい降るだとか、どこの区間の電車が止まっているだとか、申し訳ないが今の俺たちに必要な情報はそれじゃない。
しばらくすると、「休校情報」の文字がすっと躍り出た。
「......きた!!」
期待で弾んだ声と共にみぞれは顔をテレビに近づける。表示されていく小学校の名前を素早く目で追っているようで、やがて「市内の市立小学校 終日休校」の文字を見つけると画面に向かって「っしゃあおらあ!!」と力強いガッツポーズを決めて見せた。ああ、わが妹ながらなんと品のないことだろう。
その後俺の出身中学校の名前も表示され、休校情報はいよいよ高等学校編に突入した。終日休校がほとんどだった小中学校とはうってかわり、午後から通常授業を行うという旨の通知を出す高校が散見される。他校の生徒たちが気の毒ではあるが、俺は何が何でも休みたい。仮に休校になったとしても休みになった分の授業の補講が後日あるだろうが、大事なのは今目の前に転がっている休日なのだ。朝三暮四。祈るような気持ちで自分の高校の名前が出てくるその時を待っていた。
ーーー『台泉高校 終日休校』ーーー
これは......休校確定演出......ッ!!!
ついに来た!俺の時代だ!!
休日の取得に思わず笑みが零れる。みぞれがハイタッチを求めてきた。
「雪兄ぃ、ヘーイ!」
「ヘーイ」
パシーンと決めた。みぞれがソファーの上で座ったまま何度もどったんどったん跳ねるので、その振動で俺も上下に揺さぶられる。
「ってか休みだよ休み!ヤバ、あたしめっちゃテンション上がってきた!!」
「ああ、休みだな」
「あー何しよっかなー!何しよっかなー!」
縦揺れに身体を預けたまま、壁にかかった時計を見る。ようやく、6時を回ったところだった。
「とりあえず......」
俺が独り言のように言葉を発すると、みぞれがはしゃぐのをやめた。
「とりあえず?」
言葉の続きを促され、少し間をおいて言った。
「......二度寝かな」
「......それだわ」
起床時にぱっちりと覚めていた頭は休校が確定した瞬間に機能を自主停止し、睡眠欲求のシグナルを伝えていた。普段ならば当然まだ寝ている時間であり、身体が自然と自室のベッドに吸い戻されるのは無理からぬ話だろう。
リモコンでテレビを消し、リビングの照明も消してみぞれと共に部屋を出る。
と、梁間家の長女が、霞が半袖Tシャツにジャージの長ズボンという格好で階段を下りてきたところにかち合った。
「あら、おはよう。......二人共、今日は自分で起きられたのね。偉いわ」
少し驚いたような、しかしどこか嬉しそうな顔で俺とみぞれを交互に見比べる。
「ああ、霞姉ぇ、おはよーございます。そしておやすみなさい」
みぞれは姉の褒め言葉を鼻で笑い、霞をかわして階段の上へと消えていった。
二度寝の気配を感じ取ったのか、みぞれを呼び戻す大きな声を出そうとする霞を右手で制し、ぽかんとする彼女の肩に手を置いて言った。
「霞よ、喜べ。この台風でお前の中学も休みだ」
「休みって......休校?」
「そういうこと。ついでに俺もみぞれも休みだ。ということで俺も寝る。おやすみ」
そう言い残し、やはり薄暗い階段を上がって俺も自室へ引き上げた。
とあるあらしの平日が、休日になった。
2
もしも目覚まし時計が開発されていなかったなら、俺は無限に寝ているに違いない。
これまでの人生の中で幾度となくそう思ったものだが、いざ好きなだけ寝ようとしても昼前には自然と目が覚めてしまうらしい。寝過ごして遅刻したとしても午後の授業には間に合うことになるので、これは新たな発見だ。
早朝の様子に比べれば雨風の勢いは弱まってはいるものの、快晴に向かう兆しはまだ見えない。もうすぐ正午だというのに外は薄暗いままだ。本当に午後から晴れるんだろうか。あの無表情な天気予報士への疑念も晴れない。
やはり肌寒いので長袖のパーカーを羽織って部屋を出て階段を下り、今度は洗面所へ向かう。昨晩寝る前に洗濯予約をしておいた洗濯機の中から、湿ったネットに入った洗濯物を取り出してプラスチックのカゴに移し、さあ乾かそうかと思ったところで手が止まる。
雨が降っているのでベランダには干せないのを思い出した。母自作の浴室用物干し竿を使い、浴室の中に妹たちや俺の洗濯物を一通りハンガーで吊るして乾燥のスイッチを押した。
「土日とやってること変わらんなあ」
洗面台である程度身だしなみを整え、妹たちの食事を準備するべくリビングへ向かう。もしかしたらみぞれはまだ寝ているのではないかと思ったが、俺よりも早く起床していたようだった。しかし、寝癖がついた髪を整えることもなくソファーでだらしなく寝っ転がるパジャマ姿は今朝と大差なく、果たしてこの状態が起きていると言えるのかどうかは疑問だ。普段なら視聴できない平日昼間のワイドショーを見ながら肩を揺らしている。
テーブルで教科書とノートを広げていた霞は俺を一瞥すると、再び手元に視線を落とした。その動きにしたがって後頭部でまとめている黒髪がサラサラと揺れる。
「あら兄さん、おはよう。随分とお休みだったみたいね」
「おはよう。いやあ全く、いい朝だ」
「もう昼なんだけど」
霞は手にしていた銀色に輝くシャープペンシルを指揮棒のように振り、背後の壁にかかる時計を見ずに指し示した。みぞれも羨むその銀色の筆記用具は先週の土曜日にふらりとどこからか帰ってきた母からの土産物で、随分と気に入ったらしく常日頃から肌身離さず持っている。
余計な事を思い出していたせいで反応が遅れた。
「ああ、もう12時過ぎてたんだな。光陰矢の如しとはよく言ったものだ」
「今日は大目に見るけれど、ちゃんと規則正しく生活しなきゃダメよ。若いからって変な生活していると、そのツケが歳を取ってから戻ってくるんだから」
とても中学3年生の言葉とは思えない。精神年齢の敗北を感じた。
「はいはい。以後気を付けますよ」
我が家の風紀委員長の言葉を軽く流し、給食献立表やら授業参観のお知らせやらのA4の紙がマグネットで所狭しと貼り付けられた冷蔵庫の扉を開く。昨日の時点で今日が台風で休校になると踏んでいたので、昼食分も含めて食材を買い込んでおいた。我ながらなんという先見の明。
「雪兄ぃ、お腹すいたー。ひるごはんまだあ~?」
「いま作るからちょっと待ってろ。焼きそばとうどん、どっちか好きなほう言ってくれ」
振り返ってリビングに選択肢を投げかける。
「焼きそば!!」
「うどん...かしら。暖かい汁物が飲みたいわ」
見事に意見が割れたが両方の要求を満たすのは流石に骨が折れるので、比較的手間がかかる方の意見を握りつぶすことにした。
「昼飯はうどんだな。焼きそばはまた明日だ」
「大人はいつもそうだ!そうやって少数の意見を簡単に切り捨てる!だから日本の教育はダメなんだ!!」
「はいはい。そうだね、俺もそう思いますよ」
足をバタつかせて声高に主張するみぞれも、別にそこまで焼きそばに執着があるわけではないらしい。5玉の麺と油揚げ、そして適当な野菜を取り出してキッチンに並べ、俺は昼食の準備にとりかかった。
3
みぞれが1玉、俺が1.5玉、そして霞がおかわりを含めて3.5玉のうどんを平らげた。霞が食べるとはいえ3人でうどん5玉は多かったかなと心配したものだが、杞憂だった。
「ごちそうさま。...プリン、まだあったかしら」
「まだ食うのかよ...」
綺麗に空になった器と箸をキッチンの流しに置き、そのまま冷蔵庫を開けて中身を物色する霞の姿を目で追った。怖がりの泣き虫だった霞の幼少時を知っているだけに、今の凛とした姿を見るとこれまた随分と成長したもんだと舌を巻く。
「...なに?」
「いや別に。食い意地が張ってるなと思っただけだ」
「失礼ね。剣道に必要な最低限のエネルギーを補給してるだけよ」
そう言って右手にプリン、左手にプリンとスプーンを持って再び食卓につく。これだけ量を食べているのに一向に太る気配が無いのだからタチが悪い。存在がダイエットへのアンチテーゼである。
椅子に浅く腰掛け、ガラスのコップに3割ほど残った麦茶を転がしながら俺は食後の余韻に浸っていた。心地よい満腹感に脳がぼんやりとした快楽に誘われている。...家の掃除を済ませたらもうひと眠りしようかしら。
俺がウトウトし始めているのに気付いたのかどうなのか、霞が「そういえば」と突然切り出した。
「昨日さ、授業中に先生がすごく怒ってたのよ」
「ほう。誰先生だ?」
食器棚から取り出した白い平皿の上に、霞は真剣な眼差しでプリンを器からひっくり返す。
「英語の瓜山先生。女性の先生よ。兄さん知ってるの?」
「いや、知らん」
去年まで通った中学校で授業中にキレる教師と言われればいくつか心当たりがあったのだが、どうやら当てが外れたようだ。俺と霞の学年は1つ違い。各学年に5教科担当の教師がそれぞれいるので、他の学年の教員のことは存じ上げない。俺たちの学年を担当した教師陣はおそらく今年の中学1年生を受け持っていることだろう。後輩たちには怒られないように是非とも頑張ってほしいものだ。
「で、その瓜山がどうかしたのか」
特に急ぐ用事もないので、霞の世間話に付き合うことにする。
プリンの山をスプーンでゆっくりと崩しながら霞は続けた。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
昨日の5時間目は、時間割通り英語だった。さっき話した瓜山先生の授業ね。瓜山先生は潔癖というか几帳面というか......細いことでよく怒るって有名な先生。
授業自体はいつもと同じで、英語の教科書をなぞるように進む単調な授業。...別につまらないってわけじゃあないけど、もう少し工夫があってもいいのかなとは思ってる。教科書に出てくるキャラクターの英会話を音読した後、会話の中に出てきた英単語や構文を先生が板書して確認する。......ね、普通の授業でしょう。
...教室の形?...去年兄さんが通っていた時と何も変わらないわよ。教室の前方に黒板があって、少し高い教卓を挟んで生徒たちの机が並んでる。当然、生徒と黒板が向き合うようになってる。
それで、異変が起こったのは先生が板書をしていた時。
教科書に出てきた英文を、先生が解説しながら白いチョークで黒板に書いていた。それと同時に、私たち生徒は板書に置いていかれないよう一生懸命ノートに英文を写してたの。...瓜山先生、板書を消すのが極端に早いから。
そうしていたら先生が、板書の手を止めて私たちの方をバッと急に振り返って、怒り気味に言ったの。
『誰!?誰がやったの!?』って。
あまりに突然の出来事だったから、私たちはただただ呆気に取られた。皆ノートをとるのも忘れて、何事だ、お前何か知ってるか、ってひそひそ話が教室の至るところで始まって、その声はだんだんと大きくなっていった。生徒側の誰も、先生が一体何に怒っているのか分からなかったの。先生は全員を、特に窓側に座っていた生徒を睨んだ後、私たちのおしゃべりを咎めることもなく黙って板書を再開した。
......ざわついていた教室がすぐに静まり返って、チョークが黒板に当たる音だけが教室に響いてたのが印象的だったわ。観衆を静粛にさせる時、名司会者は声を荒げず淡々と話すと言うけれど、あれはまさにそうだった。
何はともあれ、先生が板書をして私たちが必死にノートをとるっていう、いつもの授業風景が教室に戻った。
......と思ったその時!
すぐにまた先生が急に振り返って、教卓を両手でバン!って大きな音で叩いて鬼の形相で叫んだの。
『さっきから私に向かって光の悪戯をしてるのは誰だ!?』って。
『私が黒板に向かってる時、私の横顔に光を当ててくる馬鹿がいるだろ!!こっちが後ろ向いてるからバレないと思ってるんでしょうけど、全部分かってんだよ!!手鏡かペンライトみたいなやつで!!ふざけんな!!』
...すっごく怖かった。大人の女性が本気で怒るとあんな顔と声になるのね。
で、さらに私の席を含めた窓側後方の生徒たちを睨んでこう言った。
『光がそのあたりから来てるのは分かってんの!早く名乗り出なさい!!』
先生は疑わしい席の生徒を次々と起立させて、当然私もだったんだけど、『馬鹿にしないで!』『教師を何だと思ってるの!』みたいなことを言いながら一人ずつ尋問して、荷物検査までした。ポケットの膨らみ、机の中、筆箱の中身を余す所なく確認して、最後に通学カバンを机の上にひっくり返された。......別に何も悪いことをしていないのに、生きた心地がしなかったわ。...私の隣の友達は肩を震わせて泣いてた。
で結局、光を反射する鏡のようなものも、光を発するライトのようなものも、誰の荷物からも見つからなかった。...おもちゃのカードの束が見つかってその場で没収された可哀想な男子はいたけれど。
そんなこんなで授業が中断されて、気付いたら授業終了時間になっててチャイムが鳴った。『担任の先生には報告しますから』って言い残した後、授業終了の礼もせずに教室の扉を強く閉めて出て行って、謎だけが残りました......と。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「まあ、大体こんな感じかしら。兄さん、何か分かる?」
「その瓜山先生とやらはおそらく独身だろうなとは思った」
「真面目に考えてよ」
残り僅かになったプリンの山を小さく細かく崩し、スプーンで口に運びながら霞は俺を軽く睨んだ。
「そうは言ってもだ、容疑者全員の荷物検査までしたのに怪しいものは見つからなかったんだろう?」
「そうなの。しかも、私たち中学3年生よ?もうすぐ高校受験だって控えてるのに、こんな時期に先生をからかって遊ぶようなおバカさんがいるとはとても思えない」
「いや、お前が真面目なだけで、そういうおバカさんはどこにだっていると思うぞ」
「そういうものかしら」
「そういうもんだ」
そう言って、コップに残っていた麦茶を一気に飲み干した。冷蔵庫を出て随分と時間が経過しているため、完全にぬるくなってしまっている。
「なら、その子......犯人は、道具も使わずにどうやって先生に光を当てていたの?何が目的でそんなことをしたの?」
「...落ち着けよ。どこのどいつがやったのかは知らんが、もう済んだ話だろう。どうしてそこまで、その話の解決にお前がこだわるんだ?」
空になった皿をテーブルに置いて、白い皿を見つめながら霞は静かに答えた。
「さっきも言ったけど、......友達が泣いてたの。怒った先生が怖くて泣いたのかもしれないけど、彼女を泣かせた原因をつくった犯人が許せない。それに犯人が単に面白がってやっているのなら、また同じようなことが次の英語の授業でも起こるかもしれない。そうしたら、教室の雰囲気はもっと悪くなるに決まってる」
顔を上げ、俺の方を真っ直ぐに見据えてくる。その強く人を惹きつける目力の前では、少しでも目をそらすことは許されないようにさえ感じた。
「だから、そうならないようになんとか事件を解決したい。犯人を見つけて、先生と友達に謝らせるの」
黒い瞳の大きな目の奥に宿る正義感が年々強まっていく。強引で危なっかしいところがあるので、兄として、少し心配だ。
「......分かったよ、一緒に考えてみるか。まあ、解決するかどうかは知らんけどな」
俺の返事に柔らかく笑い、目を輝かせて頷く姿は昔から変わらない。
4
「こういう事件は初めてなのか?他の授業とか別な日の英語の授業で同じようなことが起こった試しは?」
「ないわ。昨日の授業が最初で最後であって欲しい」
まあ、一応聞いただけだ。
「英語に授業は5時間目と言っていたが、その後に授業はなかったのか」
「6時間目は体育で、全員外に出ていた。教室での授業じゃないから光も何も関係ないわね」
何かの偶然で光源が生まれていたのなら英語の授業以外でも反射事件が起こっていたのではないかと思ったのだが、事件があったのはどうやらその英語の時間だけらしい。
「まず容疑者の確認だな。先生は恐らく光の方向だけが分かってたんだろう。疑われた生徒は窓際後方の席だと言っていたが、具体的にどういう席だ?」
「私が窓際の列の一番後ろに座ってる。疑われたのは、私と、私の前の2人、隣が1人、私の右ななめ前が1人。合計5人かしら」
中学時代の自分の教室を思い出す。
「窓は黒板に向かって左側で、確か南側だったな。...長いカーテンがあっただろう、授業の時カーテンはどうなってた?」
「カーテンは教室の前半分だけ閉まってたわ。昼過ぎは光が黒板に反射して、板書の文字が見え辛くなるから」
「授業の時はいつもその状態なのか」
「ええ。午後の授業が始まる前に、学級委員の私がカーテンを閉めているの」
お前、まだ学級委員やってるのか......いや、今更驚かないけど。
つまり、疑われた生徒が座っていた後方の席にはカーテンがかかっていなかったためある程度の日射が差すことになる。その日射を手鏡のようなものでうまく反射させれば先生の顔に光を当てれば、やってやれないことはなさそうだ。
「調べられた手荷物の中で、手鏡じゃなくても、何か光を反射させられるようなものを持っている奴はいなかったのか?そうだな例えば......金属の定規とか、透明な下敷きとか。鏡の代わりになるだろう」
首を振られるかと思ったが、霞は苦い顔をして言った。
「その...泣いていた隣の席の子が使ってる筆箱が......ファスナーの金具がその、葉っぱみたいなデザインで...」
「金具を使って反射させたって疑われたのか」
溜息混じりに縦に首を振る。
「でも、あんな小さい金具ひとつで光を上手く反射させるなんてとても思えない。そもそも、授業中に筆箱を手に持ってあれこれ触ってたら不審だし、流石に隣の席の私が気づくわ」
それもそうだ。
「そもそも、お前の席は一番後ろなんだろう。誰か怪しい動きをしている奴はいなかったのか」
「みんな真面目にノートをとってたし、怪しいクラスメイトは誰もいなかった。板書とノートを交互に見るから、全員の頭が上がったり下がったりするのよね」
手がかりがまるで無いじゃないか、という言葉が口から出かかった。
「それで、霞はどう考えてるんだ?」
「私は、虫か何かが原因じゃないかと思ってるの。間が悪いことに窓の外に張り付いた...カナブンみたいな虫に日光が反射して、先生の顔に光が当たったんじゃないかな...って」
「窓の外に虫を見たのか?」
「......ごめんなさい、見てないわ」
「別に謝ることじゃないさ。その現場を見たわけじゃないからはっきりとは言えんが、もし虫が原因なら、最初に黒板から振り返った時に光源が虫だと先生も気づいていただろう」
とは言え、その可能性が全くないわけじゃない。ただ、先生が黒板の方を向いた時だけを狙って光を当てていたというタイミングの良さに説明がつかない。
霞が教室の外に事件の原因を求めるのは、教室の中に悪意があると思いたくないからではなかろうか。思えば梁間霞は昔から、盲目的な性善主義者じみたところがある。
俺が小学生だった頃、霞に黙って彼女のモンブランを勝手に食べてしまったことがあった。俺はそのモンブランが霞の分のものだと知っていたし、当時幼かったみぞれを懐柔して分け前を渡すことで口封じをすると同時に共犯者に仕立て上げるという世紀の大悪党ぶりを発揮していた。
楽しみにしていたモンブランがいつの間にか無くなったことに気づいた霞は当然泣き出し、母を相手ににこう喚いた。
「幽霊さんにお菓子を食べられたの!」
その言葉を聞いた時は妹の純粋さに舌を巻き己の行動を深く恥じたものである。
......思い返してみても、霞はやはり度を越えたお人好しだ。
「あ!!雪兄ぃ!外晴れてきたよ!!」
それまでソファーの上にすっぽり収まって昼間の情報バラエティに夢中だったみぞれの声で我に返った。言われてみれば、庭に通じる窓にかかった白いレースカーテンの隙間から僅かに光が漏れている。椅子の背もたれに体重をかけてよっこらしょと立ち上がり、窓の外を確認すべく庭の方へ歩いていった。
レースカーテンを軽く引く。あのバケツをひっくり返したような豪雨も大の大人さえも吹っ飛ばしてしまいそうな暴風も既にどこかへ行ってしまい、庭にいくつも出来あがっている大きな水溜りがなければ穏やかな昼下がりと言って差し支えないだろう。黒い影を落とす雲の隙間には青空がチラついている。
「......晴れるもんだなあ」
予報を疑ってごめんなさい。俺は心の中で、あの無表情な天気予報士へ謝罪した。
「フッ...止まない雨はないのさ...いつか君の涙も、ボクが晴らしてみせるよ......!」
「何のセリフだよ。というか泣いてないし」
顔に手を当て何やら本人はかっこいいと思っているらしいポーズをとっているみぞれだが、宝塚でも目指しているんだろうか。こうやって見ると、とてもでないがやはり天才少女には思えない。
「あっ、雪兄ぃ、後光が差してる!めっちゃ強そう!!」
みぞれに言われて振り返ると、上空を覆っていた重っ苦しい雲が取り払われついに太陽がその姿を表していた。
「ぐわあああその光をヤメロおおおおお!溶ける!消滅するううううう!!」
「お前はゾンビか何かか。......ん?」
両手で目を覆ってうっとおしい叫び声を上げる末妹よりも、俺はテーブルの上に注意をひかれていた。
......さっきまで俺が使っていたコップが、俺の後光を反射してキラキラと縁を輝かせている。
「ああ、そういうことか」
光を反射するのは何も平らな鏡面だけとは限らない。
なるほど。光を放っていた犯人が分かった。
5
「英語の授業中に光を出していた犯人、多分、分かったぞ」
「えっ!?本当に!?誰?」
よっこいせと再び椅子に腰掛けて、霞の前に向き合う。
「単刀直入に言おうか」
俺は人差し指を立てて、ゆっくりと前に倒した。
「犯人はお前だ、霞」
「ふぇっ!?...わ......私!?」
霞も自身の人差し指で自分の鼻あたりを指差し、素っ頓狂な声を上げた。
「そう、お前」
「いや待って兄さん、私は先生の書いていた板書を写してただけよ!」
「残念ながらそれが原因なんだ。お前が板書を必死に写してたからそういうことになったんだ」
何を言っているのか分からない、とでも顔に書いてあるかのように口をぽかんと開けている。俺は続けた。
「光を反射させるものが何も平らな物だけとは限らない。心当たりは無いか?お前の持ち物で、キラッとする筆記用具が何かあるんじゃないか?」
俺がそう聞くと霞は顎に手を当てしばらく考えていたが、やがてハッとしたかと思うと、手で口を塞ぎ少し青ざめた顔で言った。
「あ......銀色のシャープペン......!」
ゆっくり頷く。
「お前が持っている銀色のシャープペンが光の原因だとするならば、全て説明がつく。そのシャープペンを使ってノートを取る時、つまり先生が板書をしている時、ノートに立ったシャープペンが動くことで光を反射させていた。先生にとってその反射光は生徒による嫌がらせに思えたってわけだ。
先生が板書をやめていたタイミングでは恐らくお前はノートをとっていなかったはずだ。だから先生は、生徒の方を向いている時には光源を発見できなかった」
あんなに肌身離さず持っているシャープペンだ、当然学校でも気に入って使っているだろうと思ったが、霞の反応を見ればどうやらビンゴだったらしい。
霞があの銀色のシャープペンを入手したのがこの前の土曜日。だから今回の反射事件が週明けの月曜日だった昨日に発生してしまったのだ。
「......でも!」
テーブルに手を叩きつけるようにして霞は勢いよく立ち上がった。と同時にソファーの上でみぞれがビクッと驚いていた。
「でもそれなら!どうして先生は私を疑わなかったの!?銀色の筆記用具なんて持ってたら真っ先に疑われそうなものなのに!」
「そいつは俺にも分からんが、仮説だけなら無限に立てられる。...『鏡になる物だけを探していてシャープペンに気付かなかった』とか『シャープペンよりも筆箱の金具の方が怪しいと判断した』とかな。でもまあおそらく一番の理由は......」
......最後まで言いかけたところで、俺は言うのをやめた。
「とにかくだ、悪者が誰もいない、不運な事件だったんだよ。次の授業から窓のカーテンを全部閉め切ってしまえば、同じようなことはもう起こるまいよ」
俺の長い話を聞き、力なく黙って直立していた霞だったが、やがて立ち上がった膝を折って再び椅子に座ると長い溜息をひとつ吐いて、ゆっくりと宣言した。
「......明日、先生とクラスメイト全員に事情を全て話して謝るわ。例え故意にやったことでなくても、みんなに迷惑を欠けたことに変わりはないもの。許してもらえるかどうか分からないけど、謝ってみる」
「...そうか。頑張れよ」
慣れない長話をしたせいで喉が渇いた。麦茶を啜ろうとコップに口をつけたが、既に空になっていたことを忘れていた。よっこいしょのどっこらせ、重い身体をのっそり立ち上げて冷蔵庫に向かい、麦茶の入ったボトルを取り出した。
......霞がおカタい真面目な学級委員だから、先生も最初からお前を疑ってなかったんだろう。
真実かどうかは知らないが、結果的に霞の真面目さが友達を傷つけた、というような言い方はしたくなかった。霞の真面目さ、誠実さ、そして優しさは、妹が持つ立派な長所だ。少なくとも、俺はそれらを何ひとつ持ち合わせていないと思うから、霞のそうした強さが誇らしい。
麦茶が入ったボトルを持ってキッチンからリビングを振り返る。
空になった俺のコップと共に、差し込む陽光の中で霞の横顔の輪郭が、眩しく凛と輝いていた。
皆様、お久しぶりです。ご無沙汰しております。
初めての方ははじめまして。
”書いてる書いてる詐欺”で有名な底辺作家、紀山 康紀と申します。
この度は私のお話にお付き合いいただきまして誠にありがとうございます。
あとがきの一番下に今回の話の解説を記載しておりますので、もし興味があればご一読ください。
はじめに申し上げておきますと、この話は前回の話(映画部部室の事件)から数話あとの話になっております。話が前後して申し訳ありません。話数が「?」になっているのはそういう理由です。(2019年12月2日現在)
本来は前回と今回の話の間に、以前予告しておりました長編(文化祭の話)が数話挟まるのですが、未だ書き終えていないために先に一話完結となるこの話を投稿させてもらいました。
どうしてそんなややかしいことをしたのかと聞かれると、皆様に存在を忘れられるのが怖かったと言ってオンオン泣くしかありません。
最後に最新話を投稿してから気づけば2年近く経過しておりました。この間全く執筆活動をしていなかったのかと言われれば決してそんなことはなく、しかしならば進捗を見せろと言われればやはりオンオン泣くしかない。そんなこんなで一応ずっと書き続けてはいるのです。
いま頑張って書いている文化祭編は当初5話に収まる予定だったのですが、度重なる伏線変更で話が膨らみ、さらに一話毎のボリュームを増やしたので計6話にまで増量する予定です。人知れずポテチの内容量も減少しているこの時代に無料増量するというのですから、これはもうカルビーに目をつけられてもおかしくないと日々おびえながらのり塩味を食べてオンオン泣いてます。
そういうわけで文化祭編の投稿までもう少し、ほんのちょっとだけ、時間がかかりそうです。どのくらい私の作品に読者がいてくださるのか分かりませんが、本当にもう少しだけ、待っていていただけると嬉しいです。クリスマス明けくらいに投稿できるように頑張ります。
文化祭編を乗り越えたら投稿スピードも格段にあがるはず。もう準速ドラパルトくらい速くなる。
次は文化祭の最終回で会いましょう。それではまた!