第10話「雪はその色を問う」(台高祭⑤)
(※この話を単独で読まないでください!前話までの文化祭騒動編からご覧ください)
台高祭3日目。
最終日の早朝、梁間は化学部部長・日名川灯を呼び出していた。
全ては文化祭の怪盗騒動の”答え”を知るため、彼はこれまで見聞きしてきたことを元に推理を組み立てるが......!?
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ー 台高祭3日目 7:40 ー 南校舎1F 化学実験室
......
俺の話は終わった。慣れないながらも随分と長い話をした。聞きたいことは既に問うた。
しかし日名川灯は怪しい薄ら笑いを浮かべたまま何も答えず、俺と彼女の間には沈黙の川がひたひた流れるばかりだ。
今、早朝の化学実験室には俺と日名川部長の他に人はいない。換気効果をあまり期待せずに開け放った窓からは僅かに風が吹き抜け、脂汗が滲み濡れた顔の表面を撫でていく。
実験机の上にちょこんと乗り、白衣の下のスカートから伸びる白く細い脚を組み替え、時にはブラブラと揺らし、ただただ黙っていた。が、それまでの長い沈黙をぶち壊す明るい口調で部長は不意に言った。
「......よし、分かった。行こう!」
「......はい?行くって、どこへ」
「梁間くんよぉ、そりゃあ決まってるだろう。怪盗事件の黒幕の、ところさね」
両手で勢いをつけ跳ね上がるようにして机の上から床の上に降り立つと、日名川部長はニヤリと口角を上げついてくるよう右手で促した。
念のために実験室は施錠したが、後から他の部員が来ることを考慮して隣の講義室の扉は開けておいた。大きな窓から眩い朝日が差し込み、白く輝くタイル張りの廊下を部長と共に歩いていく。......やはり朝の日差しは苦手だ。理科系実験室が集中する南校舎の1階に、まだ他の生徒の姿は見つからなかった。
「聞きたいことを聞くなら、張本人の方がいい。......まあ、私はあまりアレには会いたくないんだけどさ」
部長は苦笑いする。傍若無人、あの日名川灯にも苦手なものがあるのかと少し驚いた。
「アレに君の推理をぶつけてやればいい。どんな顔をするのか楽しみだ」
今度はいつもの見慣れた笑顔、なにか良からぬことを企む顔でそう言った。
2階に上がると、既にそれぞれの出し物の準備を始めている生徒の姿がちらほら見受けられた。南北の校舎をつなぐ中央のスペースには、連日観客に囲まれて遠目からは存在が確認できなかった、80cmほどの高さのある黒いステージがドンと構えており、赤い法被を着た実行委員数人が周囲でなにやら作業をしている。
その男はステージの下に立ち、実行委員達に細かく指示を出していた。
日名川部長は俺の方を一瞥して口角を上げると、その男に話しかけた。
「やあやあ、朝から精が出るじゃあないか。流石は実行委員長様だ」
部長の声に反応し、こちらを振り返る。相変わらず艶のあるオールバックの向きが変わり、朝日の中で輝いていた。
「例の怪盗事件のことで、うちの後輩がすこーし話したいって言うんだわー。ちょーっとツラを貸してもらえんかね?......水原実行委員長殿」
台高祭実行委員長、水原信介。
俺はこの男に用があった。どうしても、この男に聞いておきたいことがあった。
日名川部長と俺の顔を交互に見比べ、やがて何かを悟ったように皮肉な笑みを浮かべて水原氏は言った。
「ご覧の通り、俺は忙しい身なんだがね。......いいよ、分かった。聞こうじゃないか」
右手はポケットに突っ込んだまま、左手の親指で朝日が差し込む方向を指し示して続ける。
「場所を変えよう」
ー 台高祭3日目 7:45 ー 南校舎2F 庭園への出入り口前
南校舎の2階に、こんな庭園があるなんて知らなかった。
ガラスの扉越しにコンクリート造りの花壇が見えるが、雑草が無秩序に繁茂しているところから察するに誰も手入れしていないのがすぐに分かる。この庭園は1階の化学実験室と物理実験室のちょうど真上に位置しているらしい。化学実験室で半年も過ごしておきながら真上にある庭園の存在で今更驚けるのだから、随分と安上がりな高校生活を送っているものだ。
1年2組と1年3組の教室の間にある、妙に広い空間。庭園へと出られるガラス張りの扉から透過してくる光に照らされ白く輝くその空間で、俺をここに連れてきた張本人はコンクリートの壁に腕を組んでもたれかかった。
「ここならあまり人目にはつかないだろう。そこから外に出て話をするのも趣があって一興だと思ったんだが、他の教室の窓から見えてしまうのもな」
......そもそも、外は暑いのであまり出たくない。
自慢のオールバックを根元からかきあげる仕草が最高に気障ったらしいのだが、妙に様になっているようにも思えた。
俺の横に立っていた日名川部長にポンと背中を押され、長話をする覚悟を決めて一歩前に出る。フィクションに登場する探偵や刑事も、あるいはこんな気持ちなのかもしれない。
外に視線を向ける水原氏の横顔を真っ直ぐに見据えて、俺は言った。
「単刀直入にいきましょう。台高祭で起こっている怪盗事件の犯人は、水原信介実行委員長、貴方だ」
水原氏の態度は変わらない。俺は続ける。
「いや、犯人と言うと語弊があるかもしれません。”黒幕”と言った方が、正しいでしょうか」
顔がようやくこちらにゆっくりと向き、フッと鼻で笑う。
「何を証拠に。第六感に付き合うのは時間の浪費だな」
「いえ、勘や超能力ではありませんのでご心配なく。今回の事件、犯人の候補はある程度絞れるんですよ」
「ほう?」
水原氏は顎に手を当て、俺を試すようにして続きを待っていた。
瞑目すること数秒。軒山に何度か見せてもらった手帳の内容と、これまで見聞きしたことを思い出し、改めて話を組み立てる。少し長い話になりそうだ。
「台高祭に出展しているあらゆる部活から次々と物を掠め取り、さらにはそれらを同時にすり替えてみせた、まるで奇術か奇跡のような”怪盗事件”。......気になる点がいくつもありました」
俺は胸ポケットから折りたたんだメモを取り出し、広げて水原氏の方に突きつけるようにして見せた。
「まずはここから。このメッセージカード。怪盗が犯行現場にすり替えた物と一緒に必ず残していたものだ。これはそのカードの文面を、頭のいい友人が再現したものです。
うちの部、化学部に残されていた現物を発見した時に見ましたが、紙の質から文字の書き方まで随分と手の込んだカードでしたよ。あんな上品なカードを買ってまでわざわざ準備していたのですから、今回の事件は犯人によって予め計画されていたことは、間違いないでしょう」
メモを自分の方に戻し、書かれている文章をゆっくりと読み上げる。
「『化学部諸君 君たちのビーカーとラグビー部のチョコレートは私がすり替えさせてもらった 怪盗スワップ』......まあ、内容は犯行声明ですね。俺が違和感を感じたのは文面ではなく、文字の書き方です。カードの中の文字が、漢字平仮名カナ問わず、全て定規を使った直線、そして黒いペンで書かれています。直線でカクカクした文字が並んでいて読みづらいことこの上なかった。化学部だけでなく、他の部に残されていたカードも同様だと聞いています。
犯人はなぜ、そのような面倒な書き方をしたのか、水原先輩はどうお考えになりますか?」
文字のことを話題にした途端、水原氏の表情が少し揺らいだのを俺は見逃さなかった。彼は顎に手を当てたまま唸って少し考え、静かに口を開いた。
「そうだな......筆跡を隠すためだろう。そうでなければ、普通に文字を書けばいいんだからな」
俺はメモを再び胸ポケットにしまい、黙って頷く。
「俺もそう考えます。しかしならばなぜ、筆跡を隠す必要があったのか。言い換えれば、なぜ全てのカードで文字の書き方を統一する必要があったのか。筆跡を隠したい人間の心情はおそらく、他の筆跡と比べられた際に自分が犯人だという証拠になるのを恐れている、と言ったところでしょう。では、”他の筆跡”とは?」
唾を飲む。
「全生徒の定期試験の解答用紙とでも筆跡を照らし合わせれば、カードの文面......文字を作成した人間の特定は可能かもしれません。......手のかかる作業ですがね。だがこの台高祭でそんな余裕はまずないでしょう。となれば、犯人が恐れているのは少なくとも”特定”ではない。流石に、たかがカードの筆跡一つでは犯人は見つけられない。
犯人が恐れていたのは、それぞれのカードの文面を書いた人間が異なるという事実が明るみになる点です。......つまり、文字の書き方がバラバラだったならそれが複数犯だという証拠になる。だから筆跡を隠す......いや、統一する必要があったんだ」
早口にならないように注意しながら続ける。
「さらに言えば、筆跡を隠すだけだったなら、わざわざあんな面倒な文字の書き方をする必要はどこにもなかった。事前にパソコンで打ち込んだ文章を印刷するなり、新聞の文字をハサミで切り取って貼り付けるなりすればいい。それができなかったのは、あのメッセージカードの文章はその場で書かれるものだったから。つまり、犯行の現場や順番そのものに計画性は無かったんだ。今回の一連のすり替え事件は台高祭中に事件を起こすこと自体は事前に計画されていたが、実際の事件や標的に規則性・計画性は無く、状況に応じてその都度、柔軟に起こされたものだと考えられるんです。
簡単に言えば、『今は化学部が手薄だから次の標的にしよう』、みたいなことでしょう」
「・・・・・・・・・」
「あのカードから犯人が複数犯であること、犯行順が不規則であることは分かりました。犯行が単なる盗みではなく”すり替え”だという時点で単独犯である可能性は低いと、俺の友人も仮説を論じていましたけどね」
ただ”盗む”だけなら一人でもできる。しかし、”すり替え”となると複数の現場を最低でも1往復する必要があるのでそれだけ労力とリスクが伴うのだ。複数犯で犯行に及んでいるというのなら、互いに盗んだ物を犯行現場間のどこかで交換して現場に戻れば単純に移動距離が半分になり、犯行が露見するリスクも相当下がるだろう。
「気になった点は他にもあります。......大きく2点。1点目は、各部で盗まれた物についてです。実験展示を行っている化学部はビーカー、フライドポテトを調理して売っている軟式テニス部はトング、モグラ叩きで競技会をしている剣道部はストップウォッチ........当然と言えば当然のことなんですが、被害に遭ったどの部も、出し物に使う備品を盗まれ、そして備品同士がすり替えられているんですよね。
そして2点目。事件発生時前後の各現場の状況です。うちの部の......探偵志望の奴が被害に遭った部に聞き込みに行ったんですが、どの部も事件発生時は客が多く大変賑わっていたそうですね。怪盗を捕まえんとする同業者も多くいたことでしょう。となれば現場はほとんど完全な衆人環視の下にあったはずなのに、事件の回数をこれだけ重ねても犯人の目撃情報が一つも出てこない。
普通に考えておかしいでしょう、相手はアルセーヌ・ルパンや怪盗キッドではないんです。普通の人間が、犯行の瞬間を客や部員の誰に見られることもなく、何度も何度も盗みを重ねられるものでしょうか?」
「......いや、難しいだろうな」
「俺はあえて、無理だと断言します。......しかしもし、その”盗み”の瞬間が犯行に見えないとしたら、どうでしょう?」
「.........と、言うと?」
「どの部からも備品が盗まれ、そしてその瞬間を見た人間が誰もいない......。これは簡単なことです、犯人は部員の中にいるんですから。
犯人が盗みを働いている瞬間も、その部の部員が単に備品を手に取っているように見える。他の部員も客も......誰も、その人間が盗みをはたらいているとは思わない。先ほど例に挙げた軟式テニス部で言えば、逆に部員以外の人間がトングが置いてある調理スペース側に近づいていたら、流石に周りも違和感を覚えるはずです」
一度言葉を切り、俺は大きく息を吐く。
「犯人が複数犯であることと被害に遭った部の部員であることを考慮すれば、犯人の輪郭がかなりはっきりしてくるはずです。......もうお分かりだと思いますが、犯人は少なくとも、被害に遭った各部活に一人ずつ潜んでいる。「少なくとも」と言いましたが、まあ状況的に考えて、全ての部活に犯行同盟の声くらいはかかっていると思いますが。
......”怪盗スワップ”の正体、それは各部活に潜む実行犯達の集合体だったんだ。言うなれば、あたかもただ一人存在するかのように複数の実行犯達によって作りあげられた、虚構の怪盗だ。
2つの部活に潜む実行犯を、仮にA、Bとしましょう。犯行グループ内の話し合いなのか黒幕からの指示なのかはまだ分かりませんが、次のターゲットに選ばれた部活のAとBは、メッセージカードを作成しそれぞれ自分の部の備品をこっそり持ち出して持ち場を離れ、どこか中間地点で落ち合う。互いの備品を交換したのち自分の部に戻り、カードと共に交換した相手の備品を、あえて他の部員が見つけられるように置いておく。客が多い時間帯の部を狙っていたのは、客が多く部の出し物が忙しい中であれば、実行犯の犯行が目立たないと考えたからでしょう。
......一つ一つの事件の舞台裏は、およそこんなところではないですか?」
この推論が正しければ、これまでの台高祭の中で気になっていた不自然な点にも理由がつく。
初日の朝、あのタイミングで白鷺美樹が化学実験室に現れたのは、俺たち化学部員を実験室から引き離すためだった。おそらく日名川部長の差し金だろう。まんまと罠に引っかかり、俺たちはそのまま化学講義室に誘導され持ち場を離れてしまった。あの時、俺がいない間に共犯の木田氏がメッセージカードとスプレーチョコをカゴの中に仕込んだに違いない。
将棋部で部長から聞いた話では、出入口から一番遠い机、部長と対局する机から将棋の駒が盗られたということだった。すり替えで他の部の備品を置いていく手間を考えれば、どうせならもっと出入口に近い机から盗ればいいのに、と疑問に思っていたが、あれは実行犯である部長にとって実行しやすい場所を選んだだけのことだったのだろう。
剣道部の部長はモグラ叩きの司会とタイムキーパーを務めており、ストップウォッチを首から2つ下げていた。出し物を見る限り、ストップウォッチが同時に2つ必要な場面はありえなさそうだった。ならば1つは予備だろうが、わざわざ予備のものを首から下げておく理由はない。軒山の調査メモに従えば、妹たちがあの部長と話をした休憩後にストップウォッチのすり替えが発生していたらしいから、あれはおそらく直後の犯行をスムーズに行うための準備だったのだろう。
「......なるほど、今のところ筋は通っているな」
水原氏の口元がわずかに緩んだ。
「それで、そこからどうやって真犯人を俺に結びつけてくれるのかな?」
結びつける、というのは少し違う。
「台高祭に出展している部活の数は40を超えると聞いています。となれば実行犯......あるいは犯行を黙認している人数も同じ数か、もしくはそれ以上いるでしょう。それだけの人数の集合体が、他の誰にも気付かれず自然に発生するとはとても考えにくい。この事件の言い出しっぺ、つまりこの事件を計画・発案し、事件全体をコントロールできる黒幕が必ず存在する。ターゲットが状況に応じて選ばれていたこともそれを裏付けています。そして黒幕は実行犯達と接触する必要があった。
......メッセージカードを配るためです。勝手に発案しておいて実行犯に自分でカードを用意しろとは言わないでしょう。実行犯たち全員にカードを郵送して渡す手もありますが、それをひとりでやるのは相当な手間です。
カードの渡し方を考えた時、ふと思い当たるフシがありました。台高祭の直前。同時に各部活代表の人間達と接触できる、これ以上ないほどの絶好の機会。
ーー”部長会議”。台高祭前日にありましたね。うちの部長も言ってましたよ、『基本的に部長は全員出席。あとは実行委員長』と。部活の代表者全員と接触し、彼らに”怪盗スワップ”の実行を命じたんじゃあないですか?」
つまり、怪盗スワップの実行犯は各部活の部長達だ。
「模倣犯の発生を防ぐという口実で犯行声明のカードを回収しながら、裏で各部活の客の入りを密に把握。頃合いを見計らってすり替えの指示を各部活の部長達に送る。そして、この計画が一切他言されていないのが何よりの証拠......裏切者が出ないように部長達に圧力をかけることができる人物......」
「台高祭実行委員長、水原信介先輩。貴方以外、ありえない」
「......見事だ」
言葉少なく、水原氏は観念したように弱々しく笑い、ゆっくりとした拍手を俺に送った。
良かった......間違ってなかった......俺は心の中でホッと胸を撫で下ろした。
「まあ、概ね正解だ。まさか部長達の口以外からバレるとは思っていなかった......で、いつから俺を疑っていた?」
「貴方に疑いを持ったのは、化学部の事件直後。カードを回収するためと言って化学実験室へ来た時です」
「思ったよりも随分と早い段階だな。どこだ......?後学のためだ、理由を聞いてもいいか?」
後学て......また何か事件を起こすつもりなのかと内心呆れた。
「理由はこれまた2点。一つは事件が大きく広まる前だというのに、先輩の来るタイミングがあまりにも良すぎたこと。そしてもう一つは、ラグビー部で盗まれた物が”スプレーチョコ”だと発言した点です。
......あの時、貴方が目にしたカードには”チョコレート”としか書かれていなかった。そして他の誰も、貴方の前でそれが”スプレーチョコ”だとは一言も口にしていなかった。全員、単に”チョコレート”としか発言してないんです。にも関わらず貴方は『盗まれたのはスプレーチョコか』といきなり言い切った。
あの場で単にチョコレートと聞いてそれが”スプレーチョコ”だと知っているのは被害者側の人間か、そうでなければ犯行に関わった人間のどちらかですから」
実行委員長だから各部の出し物を把握していればそんなこともあるのかな、と最初は特に気を留めなかった。しかしその後訪れたラグビー部で大量のチョコレートソースを目にし、ソースとスプレー、チョコレートと言われれば普通は板チョコレートやソースの方を連想するはずだと思った。迷わずスプレーチョコだと言い切った水原氏に僅かな疑惑を抱いていた。
「水原君、どーよウチのカワイイ後輩は!!ええ?」
後ろで黙ってやり取りを聞いていた日名川部長が、俺の背中をバンバン叩きながら、にゃはははと高笑いをする。
「部長、痛いんですけど......」
「日名川、まさかお前が何か吹き込んだんじゃないだろうな」
「悪いけど、今回の件に関してはわたしゃなーんも教えてないよ。まあ、他の部でも見てこいって背中押すくらいはしたけどね」
「そうかよ。ったく......俺の負けだな......」
髪をカリカリ掻きながら、水原氏は続ける。
「んで、後輩。俺に何か話があるってことだったな。ただ推理をひけらかして実行委員長様からマウント取ろうってわけじゃあないみたいだしな......まあ言ってみろよ」
手にグッと力が入り、俺は1歩踏み出していた。
青春なんて知らない。特別な夢も希望も才能もない、何もかも”普通”の俺には関係のないことだ。
そう思って生きている。これからも、そして多分ずっとその先も。この思いは変わらない気がする。
そんな自分とは対照的に、この2日間、いや、これまで生活の中で出会う人々は皆輝いて見えた。自分には無い、カラフルな輝きだった。もしかしたら、自分もああなりたい、という欲求の表れなんだろうか、俺は彼らを知りたいと思ってしまった。
あの日、「梁間さんのお兄さん」となった自分には青春など不要だと、とうの昔に捨てた感情のはずなのに。まだ諦めきれていないのかと自分に嫌気がさす。......が。
......知りたい。
「......ひとつ。ひとつだけ質問があります。......どうしてこんな事件を、起こそうと思ったんですか」
「それは犯行動機の解明、と解釈していいのか?」
「動機といえばそうなんですが、こんな大層で面倒な事件を起こした先輩の心理が知りたいと言いますか......」
「ふむ。心理ねえ......うーん......」
水原氏は顎を撫でながら長く唸った。
「犯行の目的、ならスパッと言える。既に察しているかもしれないが、話題作りだよ。別に台高祭の集客自体に悩んでいたわけでは無いんだが、来てる客に折角だからいろんな部活を見てもらいたくてな。文化祭となればどの部も馬鹿みたいに張り切るからな、その頑張りとエネルギーを大勢の人間に感じ取って欲しかった。......だからひとつ、各部活で連続事件でも起こせば客の動線を操れるんじゃないかと思ったんだよ。さっきお前は、俺が部長達に圧力をかけているとか言ってたな。......全く、人聞きが悪い」
「......はあ。ということは」
「確かに事件の黒幕は俺だが、部長達は俺に脅されてこの計画に乗ったんじゃない。むしろ自分たちの出し物に客を呼ぶためにめちゃくちゃ協力的だった。だから誰も、この事件の計画を他言しなかったんだろう」
「そうですか......」
「動機は話題作りってのが8割、残りの2割は遊び心というか......文化祭で何かやらかそう、ってな愉快犯的な気持ちがあったのは否定できんな。だから協力してくれる部長達に迷惑をかけることが無いように、最悪でも模倣犯の発生は防ごうと思ってカードの中身が公にならないように素早く回収したかった。まあそれがお前に疑われる一因になっちまったわけだが」
水原氏はそう言って苦笑した。
「どうして......」
自分の声に力が入っているのが、自分でも分かった。
「どうしてそんな......客にいろんな部活を見てもらいたいとか、遊び心だとか、そんな風に思えるんですか」
「どうしてって......そりゃあ......」
水原氏は一瞬、少し困ったような表情を浮かべたかと思うと、すぐにニヤリと笑って見せた。
「楽しいから。みんなで楽しいこと、したいじゃないか。これぞ青春!ってやつだ」
ああ、そうか。そういうことだったのか。
全員が楽しい方が良いと心から思う。だが俺は、その”全員”に”俺”を含めることができないんだ。
俺以外の奴が楽しければそれでいい。俺には何もないから楽しめない。仕方のない事だ。
だから周りが眩しく見えるし、羨ましいんだ。
「おい!......おいコリャ、まーたなんかつまんないこと考えてるでしょ!」
日名川部長の肘が腰にグリグリと強く押し当てられ、俺は我に返った。
「いや......はい、ちょっとぼーっとしてました」
「犯人を問い詰めた探偵様がそんな暗い顔してたらダメでしょーが!シャキッとせいシャキッと」
だから、俺は探偵でもなんでもないんだが......積極的に事件に関わりにいってるように聞こえるので心外だ。
俺が弁明を試みようと口を開きかけた瞬間、オホン、とひとつ咳払いをしたのは水原氏だった。
「それで、だ。お前はこの事件の黒幕を追い詰めたわけだが......どうする?......俺を教師陣に突き出して事件を公表するか?それとも、事件について黙っている代わりに対価を要求してみるか?恐喝してみるか?
......なんにせよ、お前の好きにすればいいさ」
名声や利得はいらないのか。そう問われた。
「先輩の言葉を借りましょうか。......全く、人聞きが悪い」
「ほう」
「俺は正直、事件のことなんてどうでもいい。俺はただ、犯人の動機が知りたかっただけです」
「......そうか。無欲なんだな」
「まあ、そういう風に育ってきたんで。昨日も友人に出家を勧められましたよ」
俺がそう言うと、水原氏はフンと鼻を鳴らすと、やはりキザったらしく笑った。
「分かった」
「どうせ今日も事件を起こす計画なんでしょう。......俺は何にも干渉しませんので、最後までお好きにどうぞ」
「ケッ、そいつは助かるよ」
言葉はそこで途切れ、早朝の校舎に似つかわしい静寂が戻った。
腕時計に目を落とせば、時計の針がちょうど8時を示している。もう少し経てば、台高祭最終日の出展準備のため、生徒達が続々と登校してくるだろう。
「話も終わったみたいだし、我々は実験室に戻ろうかね。そろそろ他の2人も来てる頃だ」
日名川部長がそう切り出し踵を返したので、俺もそれに続くことにした。
「水原先輩、お忙しいところありがとうございました。俺たちはここで失礼します」
「ちょっと待て」
背を向けたところで、強い口調で呼び止められた。何事かと思い、振り返る。
「......いや、お前の名前を聞いてなかったと思ってな」
そう言われてみると、まだ名乗っていなかった。これは失敬。
もう一度向き直り、咳払いをしてから口を開いた。
「......1年8組、梁間雪彦。しがないただの化学部員です」
思えばこの台高祭、初対面の人に挨拶をする機会は何度かあったが自分で名乗るのはこれが初めてだった。
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ー 台高祭3日目 8:10 ー 南校舎1F 化学実験室
あれから日名川部長と共に化学実験室へ戻ると、やはり軒山と倉橋は既に来ていた。2人揃って朝早くにどこへ行っていたのか、と好奇心で満たされた眼差しを真っ先に向けてきたのは倉橋だった。
「ねー、どこ行ってたっすか?ええ?怪しいっすねー!!怪しいっすねー!!デート!?デートっすか!?」
「どこでもねーよ......というか近い。テンション高い」
すり寄ってきた倉橋の顔の額に丸めた台高祭のパンフレットの先を押し当てて、無理矢理距離を取る。倉橋はよろけながら後ずさった。
「ぐえー」
鳥系の雑魚モンスターが死に際にそんな鳴き声をあげそうだ。
「あらら。蘭ちゃん、おでこ、赤くなってるねー」
「えっ、本当っすか?」
「どれどれ、お姉さんが直して差し上げようぞい」
わーい、と言って日名川部長に頭を撫でられに行った倉橋と代わるように、今度は軒山が近づいてきた。
「ものぐさ梁間が理由も無く僕らよりも先に学校に来るなんてありえないからね。......何か理由があるんだろう?」
「......どうだろうな」
さあ、返答に詰まった。怪盗事件のことだと言えばこいつらが騒ぎ出すに決まっている。何より、俺はこの事件について黙殺すると決めているのだ。
そうしていると、部長から助け船が出てきた。
「実はね、うちのクラス壁画を見に行ってたのさ。うちのクラスの壁画はサギー......白鷺美樹の監修だからねえ。昨日、美術部で白鷺美樹の作品を見て少し興味を持ったんだって」
クラス壁画。台高祭の各部活動の出し物とは別で、各クラスごとに制作するクラス展示だ。色の付いた紙をちぎって1畳ほどの大きさのパネルに貼り付けて絵にする。夏休みの間、ヒマだった俺は自分のクラスである1年8組の壁画制作にそこそこ携わった。
「梁間が白鷺先輩に興味ねえ......昨日はそこまで熱心そうには見えなかったけど」
軒山が疑いの目を向けてくる。俺は助け船に颯爽と飛び乗った。
「今日はたまたま早く起きて、その分学校にも早く着いちまった。まあ、全員が揃うまでの時間潰しに丁度いいと思ってな、同じように早く来てた部長に、壁画の解説をしてもらったんだ」
実のところ、化学実験室に戻って来る前に部長に連れられてクラス壁画の展示を見に行ってはいるのであながち嘘ではないのだ。......あまり興味は無かったのだが、部長がどうしてもというので1年生から3年生まで、計24クラス分の壁画鑑賞に付き合わされた。1年生の壁画は3階、2・3年生の壁画は4階の中央広場の壁や柱に立てかけられている。
「へえ。で、見たご感想は?」
「正直、デザインというか、絵の方はよく分からん。ただ紙は丁寧に貼ってあったと思うぞ」
「梁間くん、見るとこそこっすか」
日名川部長のクラスの壁画は、部長の言う通り白鷺美樹が主体となって製作された壁画だそうで、北欧のフィヨルドの美しさと雄大さを描いた風景画だった。そのクオリティは素人目に見ても相当なもので、芸能活動も忙しいだろうによくもまあ高校の展示物にここまで心血を注げるもんだと思った。
「そう言えば、1年8組の壁画も見てきたけど、中々いい出来だったじゃないの。あれ、梁間くんと軒山くんも貼るの手伝ったんだろう?」
「ええ、そうなんですよ。よく仕上がっているでしょう!」
「いや、お前は何もしてないだろーが」
誇らしげに胸を張る軒山の背中を、丸めたパンフレットで小突いてやった。
「いやいやいや、うちの1年7組の壁画も負けてないと思うっすよ!」
倉橋が何故か歌舞伎の見得を切るようなポーズを取りながら声を上げた。
「何そのポーズ」
「うちのクラスの壁画、浮世絵のタッチで描いてるんすよ」
言われてみれば、どこぞのクラスの壁画を見てなんだか和風の絵もあるんだなーと思った気がする。
「怪盗事件が話題になりすぎてて忘れてたけど、一応このクラス壁画も台高祭の目玉なんだよね。投票もあるし」
「投票?なんだそりゃ」
「梁間はブレないねえ。ほら、ちょっと貸してみ」
軒山に言われるがまま、手に持っていたパンフレットを平らに戻して手渡した。
受け取ったパンフレットを慣れた手つきでパラパラーっとめくり、軒山はイベント紹介のページを開いて俺にみせる。倉橋も横から覗き込んできた。
「えーっと......『皆様の投票でナンバーワンの壁画を決定します!得票数で各学年ごとの順位が出るぞ!得票数が上位のクラスには豪華賞品が......!?』と、書いてあるっすね」
そう言われてみれば、3階に投票箱みたいなものがあったような気がする。
「豪華賞品があるのかないのかはっきりしない書き方だな」
「梁間くん、見るとこそこっすか」
「今年が最後の台高祭になる3年生なんかは、各クラス壁画のデザイン担当がバチバチに燃えてるらしいよ。なんせ順位がハッキリクッキリバッチリしっかり出るわけだからね。午後の閉祭式で結果発表さ」
軒山の言説を聞き、腕を組んだ日名川部長がしみじみと語り出す。
「去年はサギーのクラスの壁画が断トツで1位だったのよねえ。はあ、あれからもう一年経ったのねえ.....歳をとるたびに時の流れが早くなるわあ......」
「おばあちゃん、あんたまだ17歳でしょうが」
「でもまあ、今年も白鷺美樹効果で優勝は間違いないだろう、って話だけどね」
「へえ......」
クラス壁画に順位付け、ねえ......
芸術のことはよく分からんが、それが正しいことなのかどうなのか。
まあ、俺には一切関係ない話だから、どうでもいいか。
ー 台高祭3日目 10:00 ー 南校舎1F 化学実験室
台高祭3日目、最終日。
休日開催の1日目、2日目とうって変わり、今日は平日の月曜日。客足は2日間ほどは伸びず、また客層にも変化が生じていた。同じ土日に文化祭を開催する市内の高校が振替休日となっているためか校門をくぐる客のほとんどが他校の高校生で、家族連れの客はあまり見当たらない。化学実験室の窓の外にも、台泉高校とは異なる制服のグループがちらほら見受けられる。
ちなみに俺が窓の外を見ているということは実験室の中を見る必要がないということであり、それはつまるところ仕事が特にない、ヒマを持て余しているのだと結論づけられる。素晴らしいことだ。
土日は主に子供達で賑わうことが多かった化学部の実験展示だが今時の高校生に需要はほとんど無いようで、客が本当に誰も来ない。たまに実験室の開け放たれた扉の前まで来る他校の高校生が何組かいたようだが、中に他の客の姿が無いことを確認するとどこかへ消えてしまった。客が入らないので他の客が入りづらく結局誰も入らないという、負のスパイラルがこの化学実験室の中に渦巻いていた。この負の連鎖は誰にも止められないし、俺は別に止めたいとも思わない。平和なのはよいことだ。
そんな中で、仕事が全く無い開放感にある種の爽快さすら感じていた。
そう、例えるなら、誰もいない高原で短い草の上に仰向けになり、はるか上の青空を流れる雲を一人で穏やかな風に吹かれながら眺めているような。一歩間違えば詩か何か書き始めてしまいそうなほど、俺はリラックスしていた。ウグイスの鳴き声すら聞こえてきそうな気がする。
「......平和だなあ」
思わず口に出た小さい独り言だが、いやに耳が良いと噂の日名川部長には聞こえていたようで、
「平和だねえ」
と山彦のごとく返ってきた。
「最終日の化学部は毎年こんなもんさね。とにっかく誰も来ない」
「いやあそのようで」
俺の外を向いて実験机のへりに背を預けて座っていた俺の横に、部長が手近な椅子を引いて腰掛けた。
「調子はどうだい?」
「ぼちぼちですね。......なんですかこの会話」
「事件を解き明かして一件落着、そんでもって気持ちはハッピー♪プリティウィッチーどれみっち!......って感じでもなさそうだからさ」
今朝の件のことを言っているのだろう。周りに聞かれるのを憂慮し、俺は少し声のボリュームを下げた。
「別に......そういえば事件の方はどうですか。あの話ぶりだと今日も続く予定なんでしょう」
「さっき電研部とフェンシング部のすり替えが完了したって連絡きてたよ。順調みたい」
裏側を知った上で連続事件が発生していくのを、ただ眺めているというのはなんだか変な気分だ。
「そうですか。うちに客が来ない分、他の部には頑張って欲しいですね」
「はっはっは、全くだねえ」
「でもこれでようやく、心穏やかに台高祭を過ごせます......どこぞの誰かに怪盗事件の犯人を探してこい、なんて言われることももうないでしょうから」
「にゃはは、そりゃそうだ。そんな無茶を言う人間なんてそうそういないさ!」
二人揃ってあっはっはと笑い声をあげたが、俺の目は全く笑っていないと思う。
そんな平穏さを切り裂くように、大声を張り上げ、騒々しく実験室に駆け込んでくる人物がいた。
「おい!日名川!日名川灯はいるか!!?」
台高祭実行委員長、水原信介その人だった。
なんだなんだ何事だ、とでも言わんばかりに化学実験室内の視線が水原氏へ集中する。が、水原氏は周囲の反応などお構いなし。こちらへズンズン近づいてきた。
呆気にとられながら、俺は水原氏の姿をただ目で追っていた。目の前に立ったかと思うと、部長と俺にだけ聞こえるような小さな声で素早く耳打ちする。
「......緊急事態だ。手を貸してくれ」
.......手?緊急事態......?えっ何?何?
瞬時、頭の中で疑問符が大量発生。しかし考える時間は無かった。
一言囁いて、水原氏は颯爽と実験室の外に出た。それを追い、日名川部長は素早く立ち上がる。......俺の右腕を鷲掴みにして。
「えっちょっ......えぇ!?」
「いいからほら、行くよ」
歩みが早い。引っ張られる腕に置いて行かれないように、なんとか身体がついていく。体勢を崩し、何度もよろけながら廊下をえっちらおっちら進む。
やがて部長は立ち止まり、そこでようやく俺は解放された。校舎から駐輪場へと続く出入り口だった。すぐ近くに階段があり、2階からは相変わらず轟音が響いてくる。有志のバンドが演奏する特設ステージが2階の中央にあるからだ。
音がうるさくてとても会話どころではない。
水原氏に続き部長と共にそこから外へ出て、重い扉を閉めた。
「......さて、ここまで連れ出して悪かったな」
「こんなとこまで来なきゃならないってのは、なーんか良からぬ話なんでしょ?人に聞かれるとマズいような」
扉の窓ガラス越しに校舎の中をちらりと見やり、日名川部長が口角を少し上げる。ああ、良からぬ話をする人間はきっとこんな顔つきをするんだろうなと俺は思った。
「そうだ。さっきも言ったが、緊急事態だ」
「はいはい、エマージェンシーエマージェンシー」
どこか楽しげな部長とは対照的に水原氏の目は真剣だ。
苦い表情をしたまま、ため息交じりにゆっくりと口を開いた。
「......模倣犯が現れたんだ。......”怪盗スワップ”の」
............はあ。
こんにちわ。ここまで読んでいただきありがとうございます。
紀山康紀でございます。
文化祭騒動編の5話目です。推理披露と答え合わせの回ですね。
皆さんの推理は当たりましたでしょうか?
主人公・梁間の推理が冴え渡りついに文化祭騒動に終止符が打たれたか......と思いきや、文化祭の騒動はもう少しだけ続きます。残り2話ですので、模倣犯の正体が分かるまでよろしければぜひ最後までお付き合いください。
ここまでの話の解説を......と思ったのですが、正直何を解説していいのか分かりません。
ホークスの今年一年のペナントレースの戦い方でも解説しましょうか。
なにぶん素人が書いた推理小説ですので、話の中に無理筋な論理や不親切な表現が多々あると思います。
何かご不明な点がございましたら、感想欄でもTwitterでもいいので直接ご質問いただければ回答致します。
次話は本日2020年12月28日〜12月29日の間の良さげな時間帯に投稿します。
最後の話まで既に完成はしているのですが、閲覧数が伸びたらいいなあという軽薄な企みのもとで小出しにしております。
繰り返しになりますが、最後までどうぞお付き合いくださいまし!
それではまたすぐにお会いしましょう!