プロローグ『梁間家の事情』
「今度は焦がさない......っと」
リビングから聞こえるテレビの音に耳を傾けつつも、視線は目の前のフライパンに注いでいた。フライパンの中で、ブリの切り身がジュウウ、と音を立てながらこげ色をつけている。
火加減に細心の注意を払いながら、あらかじめ用意せていたタレを切り身に垂らすようにしてかけた。
キッチン中に、食欲をそそる焼き魚の匂いがブワッと広がった。
「......よし」
思わず呟きが口から漏れてしまった。ブリの照り焼き。会心の出来である。
火を止め、一緒に焼いておいたネギと共に皿に盛り付けていく。慎重に。慎重に。
3人分の皿に盛り付けたところで手を止め、リビングの方に顔を向ける。
見れば、末妹が4人がけのL字ソファーを独占し、横たわってテレビに「ほおー」とか「はあー」とか相槌を打っている。テレビとタブレットとティーンズ雑誌がお友達なお年頃だ。
生まれつき癖っ毛のミディアムヘアー頭のあちこちで髪がピョンピョン跳ね上がり、薄手のTシャツと俺の男物のズボンを履いて高笑いをする妹。ああなんとだらしのない姿だろう。
しかしもう一人の妹の姿が見当たらない。外で熱心に竹刀の素振りをしているか、部屋で黙々と勉強しているかのどちらかだろう。
皿やら器やらをテーブルに運びながら、リビングの主に声をかける。
「おいみぞれ、スペシャルディナーの時間だ。霞も呼んでこい」
へいへーい、と力の無い返事をして、姉を呼ぶべくみぞれはリビングの窓を半分開けて顔を出した。
「かーすみ姉ぇー!ごー飯だってさー!!」
使命を果たしたみぞれはダラダラと食卓に近づきノソノソ椅子を引くと、「よっこらせ」と席に着く。老人じみたみぞれの動きを見て、昨日のほうれん草の残りが冷蔵庫にあったことを思い出した。
青い色のタッパーからほうれん草を小皿に取り分け、その一つをみぞれの前に置く。うええ、とこっちを睨む妹の顔に満足しキッチンに俺は戻る。
白いご飯を茶碗によそったところで、半袖Tシャツにジャージのズボンという運動着姿の霞がみぞれの横に座る。稽古の際は長い黒髪を頭の後ろでまとめ上げポニーテールにしているようで、日課にしている庭での素振りを終えた今も後頭部で髪を揺らしていた。
白飯と味噌汁をテーブルの上に配膳し終わったところで、よっこいしょ、と俺も妹たちの向かい側の席に着いた。課題宿題の類はよく欠く俺だが、幼い頃からの親の刷り込みで食事前の挨拶は欠かさない。
3人で手を合わせ、合掌する。
「......いただきます。」
長男、長女、そして次女の3人が食卓を囲む。
いつも通りの、梁間家の夕飯の風景である。
どこの家庭にも、それぞれ事情がある。
両親の在不在に限って例を挙げるなら、単身赴任によって父親が長期不在であったり、仕事で両親の帰宅が遅かったりするものだろう。近年では女性の社会進出が活発になり、両親が共働きである家庭はもはや珍しいものではなくなったらしい。夫が働き、妻は家庭に入るという日本古来の家庭観は、世代を新しく重ねるにつれて完全に廃れつつあるようだ。
そして我が梁間家も例に漏れず、両親が不在であることが多い。
父親は貿易に携わる仕事柄、5年ほど前から海外に単身赴任しており、しばらく顔を見ていない。思い返すと、最後に会ったのは2年ほど前だろうか、俺が中学2年生だった時だと思う。「行ってきます。ナマステ!」とか言って玄関を後にした父親の背中が最後だったのを覚えている。おそらく行き先はインドで、その日我が家の夕飯はカレーだった。
母親はフリーのジャーナリストであり、俺がまだ中学生だった頃、つまり今から2年ほど前から国内を縦横無尽に行ったり来たりしている。帰宅するタイミングは不定期であり、いつ帰ってくるのか全くわからない。最後に見たのは1ヶ月ほど前だった。「ただいまどすえ〜」と不自然な京言葉を引っさげて夜遅くに帰ってくるあたり、出張先はおそらく京都だったのだろう。その証拠にお土産は「銀閣寺」と書かれた黒いTシャツで、霞がいま目の前でそれに袖を通している。
このように我が家は両親は共働きな上、家に寄りつくことがほとんどない。
必然的に、兄妹3人でだけで生活することが日常である。
どこにいるとも知れない両親のことを何となく思いながら、湯気が上る味噌汁を啜る。鰹節と昆布の出汁がよく効いており、なかなか旨い。これを作った料理人に伝えてくれ......「美味だった」とね。......おっと、その料理人は俺だった。
味噌汁の椀越しに、ブリの照り焼きに箸をのばす妹たちをちらりと見る。今日の照り焼きは完璧な出来なのだ。何をやってもそこそこの俺がここまで自信が持てるというのも珍しい。食べる人間の感想がどうしても気になる。俺の自信はあてにならないことを先週、数学の小テストが教えてくれたばかりなのだ。
「ブリの照り焼き、どうだ。味・見た目・焼き加減ともにかなりの自信作だ。ミシェランガイドに載る日も近いぞ」
椀と箸を一旦置き、堂々と、しかし内心おそるおそる尋ねてみる。
「さすが兄さん。すごく美味しい」
霞の口からシンプルではあるが賞賛をいただいた。何度もブリを口に運ぶ所作から見るに、世辞ではないようでホッと胸をなでおろす。そうだろう、そうだろうとも。
そもそも霞は嘘がつけないタチなので、お世辞など言えるはずもないが。
みぞれが続ける。
「雪兄ぃ、やっぱりいい仕事するねえ。褒めてつかわすよ」
「お前はいったい何様なんだよ」
「かわいいかわいい妹サマでしょうよ!」
みぞれの物言いに呆れながらも、妹たちの感想に俺は心底満足した。前回作った照り焼きは若干焦げてしまい、自分では納得のいく品にはならなかったのだ。今回の調理でコツも掴んだので、俺の心のメニューに加えておくことにする。御粗末!
我ながら単純だが、なんとなく料理のモチベーションが上がったので少し調子に乗ってみる。
「ああそうだ、霞、今度の土曜日たしか試合だったよな。弁当......いるのか?」などと聞いておく。
「うーん、練習含めると午後までかかっちゃうかも.....。.弁当、よろしくお願いします」
軽く頭をさげる一つ年下の妹に、うむと頷いてやる。
霞は中学最後の中総体が来月に控えており、最近の土日はもっぱら練習試合で埋まっていた。
小学3年生の時に近くの道場で剣道を習い始めてから現在に到るまで、ずっと続けている。俺も小学生の頃に剣道を同様に習ったが、訳あってすぐに辞めてしまった。
霞の腕前はというと、去年一昨年と個人戦の全国大会で優勝するほどだ。剣道の雑誌にも記事として何度か取り上げられ、剣道界では新星として期待されているとか。ただし、記事のライターは実の母親だったが。
とにかく、弁当を作るとなると次の土曜日は早起きしなければならない。早起きは苦手である。
俺の苦手なことランキングでも常に上位にランクインするほどに苦手だ。他に「英語」「努力」「シャトルラン」なども常連の上位ランカーである。
自力での起床を早々に諦め、頼むことにした。
「多分、おそらく、いや間違いなく起きられないから、その日の朝は起こしてくれ」
「やってみるけど.......今日も起きなかったじゃない」
まあ、確かに。今朝の場合、布団の中で目を覚ました時には10時をとうに過ぎていた。テレビをつけた瞬間、出演者全員が視聴者たちに頭を下げると同時に朝のワイドショーが終わった。
下手な時間に登校して授業中の教室に入っていくのも億劫だったので、ゆっくりとブランチを楽しみつつも昼休み中に教室に入れるように時間を調節し、学校へ向かったのだった。慣れたものでこういう時間調節はお手の物だ。
高校生になって早2ヶ月が経過し、今日で6回目の昼休み登校を果たした。この調子だと、卒業までの3年間で通算100勝はできそうな計算だ。将来的に年棒2億円ほどは堅いだろう。今度のドラフト会議が楽しみだ。
だが、今朝に限って言えば同罪人が他にももう一人いたはずだ。霞も忘れていなかったようで、
「......まあ、もう一人も起きなかったけど」
と、顔を右に向ける。ぎくり、とみぞれが一瞬肩をびくつかせたが、横で睨むように顔をしかめる姉とは対照的に、妹はドヤ顔でボサッとした前髪を片手でサッと払いながら答えた。
「霞姉ぇ、それは違う。違うんだよ。......あたしはね、起きられなかったんじゃない。起きなかったのよ!!」
次の瞬間には霞の手刀がみぞれの頭に決まっていた。
疾い。見えなかった。
「痛いよー!」「暴力反対!」「DV長女!」などとのたまいながらみぞれは左手で頭をさする。しかし、それと同時にもう一方の手で目の前にあるほうれん草の乗った小皿を遠ざけようとしている。これは見逃さなかった。
紳士的に小皿をみぞれの前に押し戻してやると、こちらを睨んでチッと舌打ちし、嫌な顔をしながらほうれん草に箸をのばす。
なんともまあ残念な末っ子だが、これで勉強が人並みはずれてできるのだからタチが悪い。
現在小学5年生のみぞれだが、結論から言うと大学受験レベルの学力を有している天才小学生なのだ。
幼少期、海外赴任が決まり必死に英語を勉強していた父親の隣で過ごしたためか、英会話をいつの間にかマスターしていた。一説によれば、幼少期というのは言語能力の発達が最も著しい時期なんだとか。
小学校に上がる頃には、現在のモットーでもある「楽に生きたい」という自我を完全に確立してしまい、「この先無駄に勉強せずに生きられるように」と高校までの学習内容を小学4年生になるまでに独学で済ませてしまった。
「頭が柔らかいうちに入れといた方が楽だからね!」とは本人談。
動機はともかく、当時中学生だった俺はその学習能力に舌を巻く思いだった。勉強がそこまで得意ではなかった俺がプライドを捨てた結果、悲しいかな、「妹に懇願して勉強を教わる悲しい兄の図」が出来上がるまでにそう時間はかからなかった。俺が県内で有数の進学校である台泉高校に入学できたのも、この末妹、みぞれの指導による賜物である。
よほど空腹だったのだろう、霞は主菜副菜に米味噌汁とパクパク食べてはおかわりを繰り返している。対して野菜嫌いのみぞれは、オエーッと嫌な顔をしつつも口を動かしほうれん草をなんとか咀嚼している。ああ、なんとも料理しがいのない顔をしてくれるものだ。
そんな妹たちを見比べたのち、俺は「ごちそうさまでした」と手を合わせ、一足先に食事を終えて席を立つ。
キッチンでは、焦げや油でべたついたフライパンや空になったタッパーが料理人に洗ってもらえるのを今か今かと待っていた。
「食べ終わったら、皿こっちに持ってこいよー」
妹たちのいる食卓に一声かけたのち、洗剤を染みこませたスポンジを片手にお湯が出るように蛇口を回す。
勢いよく出た水が意外に冷たく一瞬驚いたが、ぬるま湯の状態を経て、だんだんと適温の湯になってきた。
とりあえず、邪魔なフライパンから洗うことにする。
油と焦げのせいかなかなか汚れが取れないので、スポンジを持つ手に自然と力が入る。
これは俺の仕事で、俺のやるべきこと。
他にできることもないしやることもないのだから、これくらいは本気でやらねば。
梁間家の家事担当、凡人・梁間雪彦の仕事なのだ。
2016年12月9日(金)プロローグを投稿しました。
2017年12月9日(土)段替え、ルビ振りなど読みやすくなるように一部編集しました。
初めまして、紀山康紀と申します。
まずはお礼から。
ここまで目を通していただき、ありがとうございます。同時に、拙い文章で申し訳ありません。
こちら、小説としては私の処女作にあたります。ついに膜をぶち破りました。
「梁間さんのお兄さん」シリーズとして、不定期ですが連載していきたいと思っています。
プロローグのみを投稿しましたが、第1話は未だ完成しておりません。もし更新があまりにも滞っていましたら、察してください。その時はおそらく万策尽きてます。
青春小説を書くにあたって、高校時代を色々と思い出しました。
応援をサボって近くのスーパーで涼んでいた野球の定期戦。
消化器の破損を先輩に口封じされた部活動。
他校の女子との接触機会が皆無だった文化祭。
友人とバックれてカードゲームに興じていた体育祭。
諸事情で潰えた修学旅行。
小学校卒業式のやまびこ風に書き出してみたけど、ロクな思い出がない。
それでも、しっかりと記憶に残っているのだから「思い出」なのでしょう。
あえて行事だけを書き出しましたが、日常のふとした瞬間も強く記憶に残ったりするものです。
昼休みの友人とのランチだったり、放課後の教室で延々とポケモンしてたり、男子トイレで先生と鉢合わせたり。
そういった「何気ない一コマ」まで表現していけたらと思います。
「プロローグしか投稿してないのにこいつめっちゃ語ってんな」と思われるのも嫌なので、すでに遅いと思いつつもこの辺で筆を置かせてただきます。
またお会いできるように頑張ります。次回の投稿の際も、目を通していただけたら嬉しいです。
それでは。(2016年12月9日)