一番ほしいプレゼント
寒い空気の中に、時折暖かい風がひしめくようになる時期。あたしは首元に結んだマフラーをきゅっと結びなおす。でも、いつもとは違う空気をほんの少し感じながら、息を吐く。
目の前を歩いていた女の子に男が駆け寄っていく。彼の手から出されたのはピンクのリボンでラッピングされた品。女の子は顔を赤らめ、それを受け取っていた。そんな見知らぬ人たちの行動を見て、ほんの少し心がほっとしていた。
緊張に震え、それでも気持ちを伝えたいと願う日からちょうど一ヶ月。中にはそんな一月の猶予期間も関係なく、付き合うようになった人たちも何人かいた。でも、今日から付き合うようになる人たちもいるのかもしれない。
そう、今日はホワイトデーだった。
あたしは今年初めてチョコレートをあげた。ずっと好きだった幼馴染に気持ちを伝えたかったから。でも、ずっと友達だった関係を壊すのが怖くて、好きと伝えられずにただ渡すだけになってしまっていたのだ。あいつはそれを顔を赤らめることも、戸惑うこともなく、笑顔で受け取っていた。ただの義理だと思ったのかもしれない。
それから一ヶ月、あたしたちの関係は以前と変わらずといったところだった。ほっとする気持ちとともに、なんともいえない寂しさを覚えていた。
見慣れた幼馴染の姿を見つける。彼に声をかけようとしたが、その足取りがあたしとは違う方向に向いているのに気づいた。
足を止め、彼の動きを目で追う。
彼が近寄っていったのは髪の毛をショートにしたさっぱりとした感じの彼にバレンタインにチョコレートをあげた女の子だった。彼女に鞄から取り出した何かをそっと差し出す。
そのことにドキッとする。だが、女の子の表情は明るいというわけではなく、笑顔を浮べているのに関わらず少し悲しそうに見えた。断りの返事をしたのかもしれない。
きっとあれはあたしの近い未来の姿だということは分かっていた。それでも、彼がそういう風にお返しをしてくれる人だったということが驚きだった。
あたしは教室に入ると寛の机まで行く。本当はあの少女に対する言葉とは別の言葉を向けてほしいとは思っていたが、それは高望みだと分かっていた。それを貰えたら、この恋は自分で終止符を打とう。そう思って寛に話しかける。
「今日、ホワイトデーでしょう。だから」
そう軽く言う。あくまで本気だと悟られないためにだった。チョコレートをあげたときも、本命チョコだったけど、自分の気持ちから逃げるように冗談ぽくあげたからだ。
彼は鞄に手を伸ばし、さっきの女の子と同じ包みを渡すものだと思っていた。だが、彼は眉をひそめ、肩をすくめる。
「お前のはないんだけど」
「は?」
あたしはそのぶっきらぼうな言葉に、ぶっきらぼうに答えた。
その言葉の意味をよく考えてみる。お返しをするまでもない気持ちってことなのだろう。
彼にとってあたしが恋愛対象外ということも分かる。でも、いくらなんでもそれはありえない。
「分かったわよ。二度とあんたには義理チョコなんてあげないから」
あたしは義理の言葉をわざと強調した。
他の子にはお返しをするのに、あたしにはナシ。
いくら腐れ縁でもそれは酷すぎないだろうか。絶対に酷いと思う。
それもあたしがコイツにあげたのは本命のチョコレート。中身を見たら、義理のものとは明らかに違う豪華なもの。恐らく中身を見た彼は気づいているはずなのに、お返しさえくれないなんて。
唇を噛み締め、寛から目を逸らす。頭と胸が同時に痛み、彼の顔を見ることもできない。
「待てよ」
背を向けて立ち去ろうとしたあたしの手を、寛がつかんだ。
あたしのより温かく大きな手にドキッとする。
「何?」
今の心の動揺を見透かされないために、強い口調でそう告げた。
そんなあたしを見て、寛は困ったように微笑んだ。
「今日、一緒に帰らないか?」
彼の言葉に呆れてしまった。この男はどんな神経をしているのだろうか。バレンタインのお返しさえくれない程度のあたしに一緒に帰ろうと言う。多分何も考えていないのだろう。
「気が向いたらね」
あたしはそう冷たく言うと、自分の席に戻った。
教室の中は人気がなくがらんとしている。もうHRも終わり、多くの生徒が家路に着いた。寛は他のクラスの生徒に呼ばれ、どこかに行ってしまった。彼から何も言われていないので、帰ってもかまわないと思いながらも帰れないでいた。この時点で彼の術中にはまっているのかもしれない。
そのとき教室の扉が開いた。
教室に入ってきたのは寛だった。彼は走ってきたのか息を切らしている。
あたしと目が合うと、彼は笑顔を浮べる。
「待っていてくれたんだ。サンキュー」
彼は自分の席に戻ると、鞄に自分の荷物を詰めだした。その様子はいつもと変わらない。どうせあたしにはもう見込みがない。だから、もう今日家に帰ったら忘れようと決める。忘れたくないけど、仕方ないのだと言い聞かせる。
あたしの机に影がかかる。顔をあげると、寛の姿があった。彼はあたしと目が合うと、笑みを浮かべた。
優しい、屈託のない、あたしの大好きな彼の笑顔。こんな笑顔も彼を好きなものの一つだった。この笑顔を見て、胸を高鳴らせるのも、痛みを感じるのもこれで最後だと思うから。
「帰ろうか」
あたしは頷くと、席を立った。
あたしと寛は教室を出た。
そのとき、長い髪の毛を後方で一つに縛った女の子が教室の前を通りかかった。
彼女はあたしと寛を順に見ると、寛を再び見て微笑む。そうしたのは当然で、あたしは彼女のことを知らない。だから嫌な気分にもならずに二人のやりとりを見ていた。
「お返しありがとう」
彼女は僅かに頬を赤くして微笑んでいる。
満たされたような笑み。
朝、お返しをあげていた人とは違う子で、この子が本命だったのかもしれない。寛が他の子にもお返しをあげていたのは何度か見たので、そのうちの一人だったかもしれない。
「いいや。気にしないでよ」
寛はまた笑顔を浮かべる。
あたしに向けた、あたしの大好きな笑み。でも、彼は他の子にはお返しをあげるのに、あたしにはくれなかった。他の子と同じでいいのに、そういう扱いもうけずに、彼に一緒に帰ろうと言われ、待っていた自分がものすごく惨めな存在に思えてきた。
「あたし、用を思い出したから先に帰る」
「まてよ。麻子」
寛があたしの手をつかむ。
「あたし失礼しますね」
さっきの女の子が困ったように微笑んだ。
彼女の笑みを見て、罪悪感を感じていた。
この子の前でこんな態度をとってしまったら、困ってしまうのは当たり前だ。人としての良識は働いたが、一度感じた苛立ちはなかなかおさまらなかった。
彼女はいいようの事態を感じたのか、足早にその場を立ち去って行った。彼女の姿が見えなくなったことにほっとしながらも、心の中の苛立ちは治まらない。視界がぼやけてきて、自分が惨めな気分になってきた。
「さっきの子とか、お返しをあげた子と一緒に帰ればいいじゃない。あたしなんてそれ以下なんだから」
視界がぼやけてきた。
こんなことを言ってしまうあたし自身が嫌だった。もっとスマートに、涼しい顔で対応できないことが嫌になってしまいそうになる。こんなあたしだから寛に好きになってもらえないのだろう。
「だって、俺には好きな人がいるから、その子たちの気持ちには応えられないから」
寛はうつむいた。
「だから、何であたしにはそのお返しさえくれないのよ」
あたしは泣きそうになるのを必死に堪えた。それでも視界はぼやけていく。
「好きな女がお前だから、謝らなくていいし、必要ないかなって。その代わり今日、きちんと気持ちを伝えようと思って。でも、義理だったんだよな。ずっと勘違いしていたよ」
寛はそこまで言うと、口ごもる。
あたしの中でその言葉が何度か響く。
あたし?
あたしは右手の人差し指で自分を指差した。
寛は頷く。
彼の態度を見て、顔が赤くなるのが自分でも分かった。一人でやきもち焼いて、一人で泣いていたということなのだろうか。
あたしは本当にバカだ。
「バカ。義理なんかじゃない」
あたしは寛の手を握る。
彼は驚いたようにあたしを見る。
「ありがとう。あたしが一番欲しいプレゼントだね」
彼があげたどんなプレゼントよりも一番ほしいのは、大好きな人からの愛の告白。その言葉がどんなに不器用で、かっこ悪くても、好きな人だということで特別になる。
でもそんなものもらえるわけがないと思っていた。ただの幼馴染でしかない、と。
寛の手があたしの手から離れた。
そして彼の手があたしの頬に当てられた。
あたしはその手の温もりを感じつつ、目を閉じた。
END