シークエンス・ラバー
ぽかぽかと暖かい日差しと、まじわるようにたゆたうそよ風。
揺られたソメイヨシノが花弁を散らせ、舞い踊るようにして駆け抜ける。
――新春。俺、西藤冬樹は、晴れて大学人生二年目を迎え。
そして、人生初の、告白をした。
もちろん、大々的に自分の赤裸々情報をリークしたわけでもなければ、「今年の俺は恋に花咲かせます!」なんて言い広めたわけでもない。あ、あとのは告白じゃなくて宣言か。どうでもいいけど。
つまり、要するに、俺は。恋愛に積極的なリア充どもなら一度は経験したことがあるであろう『告白』というビッグイベントを、二十歳を迎えようというその年に、ようやく、満を持して到達せしめたのだ。
だが生憎と、「これで俺もリア充の仲間入りだ!」なんて喜びのあまり跳ね回るほどの度胸も、それどころかそんなことを考える余裕もまったくなかった。
今にして思えば、この頃の俺はまだまだ青くて、情けないくらいに見えているものが狭かった。
なけなしの勇気を振り絞って、やっとのことで憧れの歌姫に告白したというのに。
俺は返ってくるはずの言葉が、ひたすら怖かったんだと思う。
「ごめんなさい。わたし、今ほかに――」
一年間。もやもやし続けてきた自分の気持ちと決着をつけるために、俺なんかと釣り合うはずのない彼女に振られる覚悟で、思いの丈を言葉に込めて、告げた。
そして、逃げた。
本当に、我ながら情けない。どんなにダメだとわかっていても、やはり、好きな相手から「他に好きな人がいる」という言葉だけは聞きたくなかった。だからといって逃げるなんて、情けないを通り越して最低だよな。はは、どうせこの恋は終わったも同然なんだから、気にする必要もないか。……ない、よな?
*****
半分以上諦めていた。そう、思っていたはずなのに。
振られたその夜、俺は自室でなにをするでもなく、ただうな垂れていた。腹が鳴っても、飯を食う気にはならない。掛け時計の秒針が刻む音と、自分の腹の音だけが、虚しく部屋に響きわたる。まったく何もする気が起きなかった。こんなことはいつ以来か……
俺の心を映したように、外ではポツポツと雨が……降っているはずもなく、キラキラ輝く星々が、無謀に手を染めた俺を笑い飛ばしているように思えた。
――まるで道化だな。
そう思うと、いくらか気持ちが楽になった。だってそうだろ? 高嶺の花は、俺のような愚か者を幾度となく切り捨てて成り立つんだ。つまり、彼女に玉砕されたやつらは皆例外なく、彼女という存在を作り上げるための道化でしかない。俺もその一人だった。それだけのことだ。
そう、それだけのこと。だけどやっぱり、特別でありたいと願わずにはいられない。それが人という生き物の性なのかは知らないけれど。
初めての失恋は、想像以上の喪失感を俺に植え付けた。ほんと、なんにもしたくねえ。
しかし、そんな時に限って、世間様《作者》は俺を放っておいてくれやしない。
室内に響くチャイム。突然の来訪者の報せ。
今さらだが、ここは自室であって実家ではない。俺は大学に通うにあたって一人暮らしを始めたのだ。男がひとりで暮らすには申し分ない、1Kの学生マンション。
ここを訪れる人間なんて限られている。それも、午後八時を回ったこんな夜更けに。
だから、俺は居留守を使った。
そいつには悪いが、今は顔を合わせる気力なんてありはしない。どうかお引き取り下さい。こちとら真剣に傷心中なんですよ。
またチャイム。今度は二回。
……もしかして寝てるとでも思ってるのか? ならまあ、これで諦めるだろ。てかどうか諦めてくださいお願いします。
しばらくして、また、チャイム。……チャイムチャイムチャイムチャイムチャイムチャイムチャイム――――っておい! いくらなんでもやりすぎだろっ!? 遠慮ってもんがないのかあいつにはッ!?
心で毒づきながら、俺はせかせかとスマホとイヤホンを繋いで、音楽を耳栓代わりにしようとした。
入口の扉一枚はさんだ向こう側で、なにやら必死に叫んでいるようだけど、知ったことではない。とにかく今は、特にあいつとだけは顔を合わせるのはごめんだ。
だけど、イヤホンを耳に入れる瞬間、ドンドンッ、と一際大きな音とともに、かすかに聞こえてきた潤んだ声に、さすがに居たたまれなくなって入口に足を向けた。
あ、先に言っておくが、闇金なんかに手を出しちゃいないからな? 一応まだ未成年だし。
「はいはいすみませんが、取り立ては他所でやって……て、なんで泣いてんだよ、しずく」
「ふゆきの、ばかあ……さっさと、ひぅ、出なさいよ……」
扉の前にいたのは、長い茶髪をポニーテールでまとめた、小柄な少女。
そのくせ、妙に態度と胸部がデカい、俺の幼馴染。
彼女の名前は、宝城しずく。
俺と同じ大学に通う、今年で二十歳の女の子だ。
そんな彼女は、なぜか人ん家の前で泣きわめいていた。
……いや、確かになかなか出なかった俺が悪いんだが……涙目ならともかく、ボロボロ泣きすぎだろいくらなんでも……
とにかく、居留守を使おうとしたのは罰が悪いので内緒ということで。
「うっせえな。今起きたんだよ」
「うそ、ばっかり……居留守、使おうと、ひっく……してたくせに……」
はは、さすが幼馴染。長い付き合いだけあってお見通しってか。だが認めねぇ!
「はあ? なんで俺がそんなことしなきゃいけないんだよ」
「……奏先輩」
「…………」
軽率だった。そうか、しずくはもうあの話を……
「やっぱり……あの噂は、ぐすっ、ほんとう、なんだね……」
「……もう噂になってるのか」
「あたり、まえでしょ? ……相手はあの、うぅ……歌姫、なんだから」
「あー、そうでしたね。それはそうといい加減泣きやめよ……て、うげっ! と、とにかくお前なかに入れ! すみません、妹がご迷惑をおかけしました」
しずくが騒ぎまくったせいで、お隣の受験生からお向かいのニートにいたるまで、すっげえ形相で睨まれたじゃねえか……生憎と、お前たちが想像してるような親しい関係じゃないんだよ。ただの腐れ縁だ腐れ縁。
「だれが、妹よ」
「うっせえ。人に迷惑かけてんだからそれくらい我慢しろ」
まったく、実の妹よりやっかいな幼馴染だ……
ともあれ、この部屋唯一の憩いの空間に雫を通して、ひとまず落ち着かせるために牛乳を温める。
「ほら」
「……ありがと」
自分の分もしっかり用意して、簡易ベッドを背もたれに並んで腰掛けた。しばらく、液体をすする音だけが空間を満たす。別に気まずさから互いに話すきっかけを探しているわけじゃなくて、長年付き添っていればこうしていることが自然というか、当たり前というか。あれ、俺さっきまでこいつにだけは会いたくないと思ってたのにな……実際並んでみると意外に悪くないもんだ。
「ねえ、冬樹」
「なんだよ」
「わたしね。冬樹が奏先輩に告白したって聞いたとき、一瞬何も考えられなくなったの」
「……」
「それにね、胸のおくが急に苦しくなって、目の前が真っ暗になって、立ってられなくなって……藍子たちに心配かけちゃった」
「…………」
――おい。おいおいおいおい。おいおいおいおいおいおいおいおい。
これはなんだ。告白か? いや、そんなはずない。雫には確か好きなやつがいて……そういや、どんなやつか聞いたことなかったな……いやいや、落ち着けよ俺! こいつとはそんな色気立ったことなんてひとつもなかっただろ! それに、俺は彼女が、柊先輩のことが……ああ、それはもう終わったんだったな。
俺にはもう、そういう感情はなにひとつ残っちゃいないんだ……
「……冬樹は、奏先輩のどういうところが好きになったの?」
「な、なんだよ突然」
「……なんとなく、気になっちゃって」
「そ、そんなこっぱずかしいこと言えるわけないだろ!」
「やっぱり容姿? 奏先輩、すっごくきれいだもんね」
「あ、ああ…………でも、それだけじゃないよ」
「ふうん?」
俺は、柊先輩と出会ったあの日のことを、ゆっくり、思い出に浸るように話した。
その間しずくは茶化すでもなく、頷くでもなく、ただひたすら俺の横顔を見つめて、黙々とそれを聞いていた。
そのおかげか、恥ずかしい話をしているはずなのにまったく詰まらないどころか、むしろどんどん熱くなってきて。気が付けば、すべてを話し終えていた。
「……そっかぁ。冬樹はほんとうに、奏先輩のことが大好きなんだね」
「……ああ。でもそれも、今日終わっちまったけどな」
「諦めちゃうの?」
「諦めるもなにも、元から叶うはずのない想いだったんだよ。告白する前からこうなると思ってた。それでも俺は、このモヤモヤした気持ちに整理をつけたかった。それだけなんだ」
「そっか。つよいね、冬樹は」
俺の話を聞いたしずくは、こんな感想をもらしやがった。
「つよい? 俺が?」
ありえない。戦の前から戦を投げ出してるやつがつよいなら、この世界に弱者なんていない。
そう、俺は考えていた。
だけど、この幼馴染は俺のことを強いという。こいつに限ってこのシチュエーションで気休めを言うとは思えなかった。俺のどこが強いというのか。そんな疑問が、自然と口を突いていた。
「うん、つよいよ。そんなの、わたしだったら怖くて怖くて仕方がなくて、たぶんきっと……ううん、絶対。告白もできずに、胸のうちに想いを秘めたまま時間だけが過ぎちゃう。今だって、関係が壊れてしまうのが怖くて、言葉にしてしまうのが怖くて……わたしは、こんなにもよわい」
「……」
そうか。戦うどころか、戦えないやつだっているんだ。それを俺は、見落としていた。少しだけ、心が安らいだ。
だけど、俺はしずくが弱い人間だなんて、どうしても思えなかった。
「お前がよわいって? 冗談だろ。人ん家のまえで借金取りみたいな真似してたくせに」
「あはは、そうだね」
長い間、ずっと、そばで見てきた俺だから、そう、断言できる。
「それに、振られた俺を心配して、こうして来てくれてるじゃねえか。他人のことを本当に思いやれる、つよい人間だよ。しずくは」
「……冬樹」
「俺が言うんだ。間違いないって」
そうして見たしずくの目元には、小さな雫がたまって、今にもこぼれ落ちそうになっていた。
「……ふふ、やっぱり冬樹には敵わないなぁ」
それを指先で拭いながら、はにかむ彼女の表情は、俺が以前から知っていたものとは少し違っていて。
「わたしね。もうずっと、片想い中なんだ」
「……それは、前にも聞いたよ」
何度も、何度も。その度、こいつすげえなって、ひそかに羨望していた。
「うん。でも、私がぐずぐずしてる間に、その人には好きな人ができちゃって。だからわたし、応援することに決めたんだ。決めた……はずだったんだけどな」
一緒に歩んでいたつもりが、いつしかずっと先にいってしまっていた。そんな彼女が眩しかった。
「やっぱりわたし、その人のことが好きだよ。大好き。どんなに抑えようとしても、気が付いたら溢れて、こぼれ落ちちゃう。その人が傷付いてたら、放っておけない。見逃せない」
「……しずく?」
もう、もしやなんて言えない。
「だからわたしも、この気持ちと向き合うことにしたんだ。冬樹、私ね――」
しずくの瞳が、姿勢が、表情が、すべて、俺へと注がれていたから。
「――ずっと、あなたのことが――」
「そうか、宝城さんと……ま、その内そうなるかもとは思っていたけどさ。おめでとう、冬樹」
「あ、ああ……」
翌日、俺は昨日の顛末のほぼすべてを、親友に話した。
爽やかさに磨きがかかった彼は、前髪を軽く掻き上げるような仕草が妙にしっくりくるような、俗にいう美少年。
「いや、その、悪いな。お前の気持ちも知ってるのに……」
そして、そんな美少年にも、好意をよせる女性のひとりくらいはいる。生憎と、その相手には昨日をもってして、交際相手ができてしまったわけだが。
「なにを言ってるんだい。この世の中、食うか食われるかしかないんだよ? それに、宝城さんだけがボクの女神じゃないさ」
俺の親友は決して、欲を出さない。いつも堅実に物事を見据え、実行していく。俺には決して真似できない。どうしてそんな人間と俺のような行き当たりばったり人間が親友になれたかというと、まあ、それはまたおいおい話すとしようか。
「だけど、これだけは忘れないでくれ。もし彼女を泣かせるようなことがあれば、その時はボクが彼女の友人としてキミを裁く。それが、西藤冬樹の親友である柊哉太の務めだ」
しずくと交際を続けて、気が付くと半年が経ち、そして、今年も冬を迎えていた。
新年も過ぎ去り、二月も中頃に差し掛かったその日。
俺は、例のごとくしずくと二人で、ショッピングモールを訪れていた。いわゆるデートってやつだ。
今となっては俺も、リア充がどうのと野次を飛ばすような加害者にはなれない。それどころか、俄然被害者色が濃厚だ。
それも仕方がないことではあるが。
いつも一緒だったからそんなに意識しなくなっていたが、しずくも超がつかないだけで美少女であることに変わりなはいのだ。近すぎると感覚がマヒするって結構あるから、みんなも気をつけような?
そして俺は今、モール内の女性服専門店前で、店内で物色中の彼女を待っていた。
「……柊、先輩?」
そこへ、見知った顔――どころか、憧れだった女性が突如として現れた。
「おひさしぶりね、西藤冬樹くん」
「……いつ、日本に?」
声楽科三年の歌姫、柊奏。
その抜群のプロポーションと、腰までのびる艶やかな黒髪。
そしてなにより、百人中百人が超絶美女と答えるであろうその容姿が紡ぐ、天使のような歌声。
さらに加えるなら、俺の初めての告白相手。
そんな魅力という魅力を詰め込んだような彼女は、半年ほど前からアメリカに留学していた。
「こっちに着いたのは三日前の夜。ほとんど日付またぎかけてたけどね」
「そう、なんですか……それで、どうしてここに?」
正直に言うが、俺はかなり動揺していた。なぜか? 答えるまでもないだろう?
「どうして、か……おかしなこと聞くね。ショッピングモールだよ、ここ。誰がいたって不思議じゃないと思うけど?」
「そ、それもそうですね……はは、なに聞いてんだろ、俺……」
それに、今は一人だが、今の俺は一人じゃない。彼女がいつ戻ってくるかもわからない。
そして、どういう気持ちで憧れの女性が、今俺の前に立ち、何事もなかったかのように話しているのかもわからなかった。
「ふふ、まあ、ここにわたしがいるのはただの偶然でもないんだけどね」
「……え? どういう……」
「ここで問題です。今日はなんの日でしょうか」
「……あ」
気が動転していても、さすがにその行き着く先は、すぐに浮かんできた。
今日は、二月十四日。バレンタインデー。
つまり、彼女がここにいる理由は……
「はい、正解です。これは正解した冬樹くんへの、わたしからのプレゼントです」
「……あ、ありがとう、ございます」
柊先輩に手渡された包みを手に、俺は困惑顔を浮かべるしかできなかった。
だって彼女は俺の想いを、告白を、断っているんだ……それなのに、どうして今頃になって手作りのチョコレートなんか……
「……やっぱりもう、彼女、できちゃったんだね」
その何気ない一言が、俺の心にグサッと、突き刺さる。
柊先輩の視線を追うと、ちょうど店を出てきたしずくがこっちに向かって来ていた。
「それじゃあ、邪魔者はこれで退散するねっ。バイバイ、西藤くん」
「――ッ」
さっき以上の戦慄が、俺の心を蝕んだ。
もう、吹っ切ったと思っていたのに。……いや、俺は大学でも知らず知らず、彼女の面影を目で追っていた。
ただ、それを考えないようにしていただけだ。自分を偽っていた。そしてその言い知れぬ罪悪感が、今こうして俺の胸を締め付けている……
それも少し違うかもしれない。
そもそも、そもそもだ。俺に罪があるとするなら、それはこんな最近のことではなく、去年の四月の、告白したあの日に、彼女の言葉から『逃げた』こと。
そう、彼女はあの時こういった。
『ごめんなさい。わたし今――』
柊先輩は別に、『他に好きな人がいる』とは言っていない。俺が勝手にそう思い込んで、勝手に逃げて、勝手に諦めただけだ。
そして今、俺の手元には、彼女の想いのこもったチョコレートがある。
去り際の彼女の瞳は、わずかにとはいえ潤んでいた。まるで何かを堪えるように、唇が震えていた。
「冬樹、今のって……」
しずくに呼びかけられるころには、俺は、決心していた。
今度こそ、この気持ちと正面から向き合うために。
「…………ごめん、しずく。今日は、ここで別れよう」
「……ふゆ、き?」
「ほんとに、ごめん」
俺は、しずくをその場に残し、全速力で駆け出した。
降りしきる雨の中、傘もささず人混みへと消えていく、柊先輩のあとを追って。
その翌日。大学に顔を出した俺は、いつもと変わらない親友とのコミュニケーションが唯一の救いだった。
「おはよう、冬樹。すごい雨だね」
窓の外は、俺の嘆きを写したような、大雨。
「あ、ああ。そうだな」
「ふむ、浮かない顔だね。なにかあったのかい?」
「いや、なにもないよ」
実は昨日、あのあとモールから少し離れたところにある公園で柊先輩に追い着き、そして俺の誤解はすべて解けていた。
問題はその後だ。いくらしずくに連絡しても繋がらず、彼女の状態がわからない。今日は風邪で休みだと言うから、なにか厄介事に巻き込まれていることはないだろうが、だからこそ不安なこともある。
彼女に大事な話をしなければならない。
それが俺のためでもあり、しずくのためでもある。
つらい思いをさせるのは、次で最後にしたいから。
これは全部、俺自身の問題だ。
親友を巻き込みたくなかった。たとえ哉太が、柊先輩の弟だとしても。
「そうか。ところで冬樹、この時期はとくに冷え込むから、雨に打たれたりして風邪なんか引かないでくれよ?」
「――っ、哉太、お前……」
どうしてそれを、なんて聞くまでもなかった。柊先輩がモールにいたのなら、哉太がいてもおかしくはない。あの現場を遠くで見ていた可能性だってゼロじゃないから。
そしてそれが間違いでないことは、俺を見る哉太の歪んだ微笑みが証明していた。
「いやはや、苦労したもんさ。うちの家系が代々有名音楽家を輩出しているのは冬樹も知っているだろ? だが姉貴は演奏できない。その代わりに見出されたのが歌の素質だ。そりゃあ両親は血眼になって、彼女に歌のノウハウを叩き込んだよ。家名に泥を塗るわけにはいかないからね。あげく、留学ときたもんだ」
それは昨日、すべて柊先輩から聞いたことと一致していた。
だけど、ここから先の話は、俺たちの関係を根底から覆してしまった。
「ちょうどその時だよ。冬樹が姉貴に告白したのは。――いや、たしか最後に後押ししたのは俺だったか?」
「――ッ!?」
思い返してみれば、俺がモヤモヤすると愚痴っていた時に哉太が言った「ならもう、すっきりして来ればいいよ。案外うまくいくかもしれない」という言葉だった。実の弟にそんなことを言われれば、少しはその気になるってもんだ。実際、それは嘘じゃなかったわけで。
だけど、忘れてはいけない。
こいつは、柊哉太は、彼女がその時、交際できる状態じゃなかったことを知っていたはずなのだ。
「そんな怖い顔するなって。さすがに悪いと思って、姉貴がこっちに戻って来れるように体裁を整えたのもボクだ。あの頑固頭を納得させるのにどれだけ苦労したか。もちろんそれだけじゃない。冬樹たちが交際を始めるにあたって、邪魔になるものは全部排除してやった」
「――なッ」
もう、なにがなんだかわからない。俺が振られるように誘導しておきながら、今度は交際できるように手助けをした? この矛盾だらけの行動の意味が、まったく理解できない。
「それで冬樹、キミの方は? もう整理はついているんだろ?」
「……ああ。しずくとは、別れる」
理解が追い付かなくても、これだけはもう、曲げられない。
ただの事実として、俺はそう答えるしかできなかった。
「そうか。その言葉が聞けて安心だ」
いつの間にか、窓の外ではゴロゴロと、地鳴りのような重低音が響いていた。
「実は昨日、ボクもたまたまモールに顔を出していてね。そこで、一人たたずむ宝城さんを偶然見付けた。今にも泣き出しそうな彼女を放っておけず、家に招待したよ」
「……哉太、お前まさか――」
「キミにも協力してもらうよ? ――親友」
大気を裂く稲妻のように、俺たちの関係は歪み、ひび割れていたことに。
この時俺は、初めて気づかされていた。