夕暮れに日は満ちて
暖かい布団の中から自分の手だけをのそっと出して、直哉は騒がしい目覚まし時計を止めた。
午前六時半。いつも通りの起床時間。この時間に起きれば学校に遅れる心配はない。
けれども、布団からは出たくない。
いつもより、やけに寒いのだ。
そういえば昨日、どこかのだれかさんが、「明日は積もる」のだとかなんとか言っていた記憶があった。たしかに、ここ数日は最低気温が零度を下回るというこのあたりでは珍しい天気が続いてる。 珍しいことには珍しいことが重なるのだから、そういうこともあるのかもしれないと思いつつ、直哉は意を決して学校に遅れないために安全圏。もとい圏布団から抜け出した。そして、どうせだから。という気持ちで――――そんなに都合よく、バレンタインデー当日に雪が積もるものなのかなぁ。という気持ちで、カーテンをめくり、磨りガラスの窓を開けた。彼の親友の言葉を疑いつつの行動だったが、果たして……。
「ほー」
驚きと感嘆の呟きは当然直哉から発せられたもので、彼の視界には久方ぶりの雪景色が写っていた。といっても、道が塞がって通れない。というほど積もっているわけではない。雪になれないこのあたりでも、道路には車の通った後がしっかりと残っている。「つまり」とか「たぶん」を出ない領域ではあるけれど、通学には支障がないだろう。と、直哉は判断した。
元から寒い部屋が一層寒くなりそうだったので、ついでに学校にも遅れてしまうので、直哉は窓を閉めて一階に下りた。
朝のこの時間。家にいるのは直哉一人だけだった。これは彼が小学生の頃からのことだからもう慣れていることではあるが、ごはんも自分で作らなければならない。と言っても、基本的には昨晩の汁物を温めなおし、弁当の具もかねて、卵焼きを作ってみたり、昨晩切っておいた野菜を適当に炒めてみたり……といったような、ごくごく簡単なものではある。
台所に着くと、置き手紙があった。それと、小さなチョコが添えられていた。
「母さんのか」
カードを手に取ってみると、やはり、母の文字だった。
『雪が降ってるから気をつけてね』
このあたりの母の心遣いに、直哉はとても感謝していた。
まあ、バレンタインと言っても、自分にはあまり関係のない話だ。と、直哉は思っていた。当然、もらって嫌になるものでもないけれど、自分から進んで欲しいというものでもない。という意味で。
とりあえず、母のチョコは、家に帰ってから食べることにして。直哉はラジオをつけ、一人ご飯を作る。
ラジオの天気予報は、雪はそれほど積もらないけれども、注意を怠らないように。と言っていた。そして、道路は滑りやすいからいつもより早め早めの行動を、と。
直哉は卵焼きと野菜炒めを作り終えると、皿に移して朝食を取り始めた。
雪が降っているという珍しいことが起こっているのに、話もせずに一人でご飯を食べるっていうのは,いつものこととはいえ、なんとなく寂しい気がする。けれども、そんなこと言ってても家に誰もいないことにかわりはない。まさか、話したいからという理由で「雪が降ってるね」なんてだれかに電話するようなことができるはずもない。もとより、そんな選択肢を考えられるようなことは初めからないけれど。
とにかく、家にいても仕方がなかった。それにラジオの言うとおり、でれば学校へは余裕をもって行きたかった。だから、直樹はいつもより少し早めに家を出ることにした。
雪はちらつく程度ではあるけれど、濡れのは嫌だからカッパを着て、手袋をはめた。マフラーもあるけれど、カッパ着ると首が苦しくなるからつけないことにする。とりあえず、準備は完了だった。あとは、この雪道を自転車で行けるかどうかだった。
「まあ、なんとかなるでしょ」
その時は、その時だ。
くぐもった灰色の空から、ふざけたみたいに真っ白な雪が舞い降りてくるのを見ながら、直哉は自転車にまたがり、学校を目指した。
「イテ……」
その、ひとこぎ目で早くも自転車で行くのは無理かもしれないと思いつつも。
* * * * * *
結局、何度かスリップしてこけそうになって、実際にこけてみて、これは自転車を押していくしかないないなと思ったのは、家から最寄りの駅に行くまでの、だいたい三分の一くらいまで行ったところだった。
そこからは自転車を押して駅の駐輪所まで行き、幸い(この場合幸いかどうかは微妙だけれど)電車は遅れていないようだったので、そのままに乗り。そして駅からは徒歩で学校へ向かった。その徒歩でも何度かこけそうになったのだが、それはまあ、重い荷物を持っていたからということにしておこう。
* * * * * *
教室のドアを開けるとすぐに、クラスメイトの声が耳に飛び込んでくる。
「直哉おはよう」
「おっはよ~なおや~」
その挨拶に、直哉も「おはよう」と返して自分の席に座った。
――僕らのクラスは仲がいい。
それは、直樹がどんなクラスにも負けない最大の長所だと思っていることだった。素直に、自分は恵まれていると思っていた。ちなみに、その物事を素直に受け入れ、考えることにできるあたりが彼の長所でもあった。
翻って、直哉の所属するクラスの話。
「クラスの仲がいい」というのは、直哉の「素直さ」のなせる技。というわけではなく、実際に誰が見てもそうであると思われる。というのも……
「直哉くんこれ~」
「どーぞ」
といったように、教室に入ったばかりの彼の目の前にはすでに、いくつかの小包が出されている。クラスの男子にお菓子を作ってくれることが本当に「クラスの仲の良い」ことの裏返しになるのかどうかは定かではないかもしれないが、クラスの女子の多くが同じようにして男子を含むクラス全員にお菓子を作っていることを考えると、そのように考えてもいいのではないかと思われる。
直哉の場合、それ以前の問題として「自分のクラスは仲が良い」と思っている節がないわけではないのかもしれないけれど。
「ありがとう」
とにかく、直哉は、精一杯の感謝を込めてそう言い、小包を受け取った。全員配布ということは、義理チョコであるということと同義語ではあるけれど、そんなことは元々本命を貰うことに期待をしていない直哉には関係ない。とりあえず、チョコはチョコだ。友好の印として受け取ることができるのであれば、やはりそれは嬉しいものだ。それに、作ったも人の苦労も、最近はあまりしていないけれど、たまに家事の延長としてお菓子作りに手を出すこともある直哉はある程度知っているつもりだった。
このあと、小包を受け取っては、ありがとうと答えるということが何回か繰り返された。
そんなこんなとしているうちに、授業は始まって。そこからは、いつもと変わらない日常が、いつもどおりに過ぎていった。
直哉はそう思っていた。思い込もうとした。ときどきやけに、だれかが自分を見つめているような気がしたから。
* * * * * *
四時間目の授業が終わって昼休みになると、直哉は中学の頃からの仲良し二人と一緒に食堂に向かった。右手には、朝作ったお弁当が揺れている。
「直哉、今日何個もらった?」
食堂にいくまでの寒い廊下で、その"仲良し二人"のうちの一人、俊が唐突に尋ねてきた。直哉は少し考えて、口を開く。
「チョコ?」
「それ以外に何があるんだよ」
クエスチョンマークを頭上に乗っけて聞き返した直哉に、俊は少し不機嫌になってしまったようだ。本人は平静を保っているつもりなのだろうけど、そわそわしているいるのが横目にもわかる。
「俊は、毎年直くんとチョコの数勝負してるもんね。勝ったことないけど」
と、火に油を注ぐようなことを頭上から低い声で笑うのは、優希だった。去年の夏ごろまでは直哉の方が頭半個分くらい高かったのに、知らない間に身長が伸びて、今では頭半個分も直哉より大きくなっていた。
「うるさいな。今年こそは、直樹に勝ってやるんだっ!!」
「何で毎年勝ってるのか、僕にもわからないんだけどね」
「直哉、そりゃ嫌味か?」
「嫌みにしか聞こえないよね」
俊と優希は言言いたい放題である。けれども、直哉に言わせてみれば「全然嫌味じゃない」である。どうして運動も勉強も特別できるわけじゃないし、別にかっこよくもない自分が、勉強はアレかもしれないけれど、運動ができて結構なイケメンである俊よりも、チョコの数が多いのか。直哉は本当に疑問に思っているのだ。
「まーたぶん、部活に女子が多いんだって。中学でも高校でも、僕がいる部って女子の数多いから」
「確かに、俺たちの部活じゃ、女子はマネさんしかいないからね」
俊と優希は二人ともバスケットボール部。部員二十数人中女子のマネージャーが三人。一方で、直哉が所属しているのは茶道部だった。これは部員十人中女子八人。確かに、身近にいる女子の数は少し違っていた。ちなみに、直哉の中学の時の部活は卓球部だった。これは、男子と女子で部長はわかれていたけれど、練習する場所と時間は基本的に同じでだったから、男女の垣根は低かった。
「にしても、なんで茶道部に入ったかねえ??」
「それは、前から行ってるじゃん。どうせ高校で部活始めるなら、今までやってないことをしたかったんだって」
直哉は、高校で運動部に入る気がなかった。勉強についていけなくなるだろうと思ったのだ。すると、必然的に選択の幅は文化部に絞られる。この学校の文化部には、目新しい部活動はあまりなかった。演劇部とか、コーラス部とかはあるけれど、直哉は人前で目立つのことがあまり好きではなかった。それに、絵をかいたり、字を書いたりするのも得意ではなかった。
「ま、はっきり言って消去法なのかもしれないけど……」
「いやいや、そこははっきり言わなくてもいいとこだと思うんだけど?」
と、俊が困ったように言うと、優希が軽快な笑い声をあげたところで、三人はやっと食堂についた。
扉を開けて寒い廊下から中に入ると、食堂特有の熱気と料理のいい匂いが体を包んだ。三人は、適当に空いた席を見つけると、直哉はそのまま座り、後二人は食券を持って厨房に向かった。厨房に行って職権を差し出すと、料理がもらえるというよくあるシステムだ。
直哉は弁当を開けることなく、頬杖をついて二人を待った。考えていることは……特に何もない。食券を出しては料理を受け取っていく機械的な人の動きを、ただ茫然と眺めていた。だから、後ろから駆けられた言葉に、すぐに対応できなかった。
「やあ、ナオヤ君」
「ほぇ?」
あまり感情のこもっていない独特な声の呼びかけに、聞いている方が申し訳なくなるようなわけのわからない返事をした後で、直哉は反射的に後ろを振り返った。そして、ちょっとがっかりした。
「……ああ、澪か」
立っていたのは赤いフレームのメガネをかけた、真面目そうな女の子だった。後ろには、一緒に来たのであろう、少しおどおどした表情の女子が隣にいた。そして彼女もまた、直哉の知り合い、否。クラスメイトであった。
「情けない返事をしといて『ああ、澪か』とは言ってくれるな?」
「その無表情と抑揚のない声で言われると、余計怖いね」
そういって、直哉は体をぶるっと震わせた。もちろん、演技であるが。
「お前こそ、それだけふざけた態度を取られると、私としても白けてしまう。なぁ、ほのか?」
「え……あぁ……うん……」
「あんま無茶振りしちゃだめだって……伊波さんも困ってるから……」
突然振られた問いに、ほのかが顔を赤くするのを見て、直哉も付き合い程度の助け舟を出した。
「まあ、それはさておきだ」
けれども、澪は勝手に仕切り直して、お弁当を入れている袋の中から、何やら小さなものを取り出した。
「ほれ、幼馴染の好だ。クラスのマドンナからの義理チョコだから恭しく受け取りたまえ」
「そりゃどうも」
直哉はいろいろ引っかかるというか、素直に受け入れられないところがあったが、ぐっとこらえて――決して恭しくはないけれども。澪からチョコを受け取った。ただ、見てしまったものは正直に言うほかない。
「さっき購買で買ったばかりのチロルチョコをありがたく頂戴するよ」
「なんだ、見てたのか? 何やら一人で黄昏ていたから気が付いてないと思ったんだが」
その不意打ちは予想外だったというようなニュアンスで、澪が言う。直哉は、ちょっと笑ってそれに反した。ただ、理由はそれほど難しいことではなかった。
「これが購買で売られてるのは知ってたからね。それに、澪はわざわざ家から持ってくるような人格してないし」
そもそも、食堂にはほぼ毎日来ているわけだから、食堂に設置された購買に入荷されている者も、大雑把ながら把握している。バレンタイン商戦の影響か、ちょっとしたチョコが多めに入荷されていることは、当然のこととして直哉は知っていた。
「なかなか人を馬鹿にしてくれるな。なぁ、ほのか?」
「え……あぁ……うん……」
「だから、無茶振りしちゃダメだって……伊波さん、澪のことで困ったらいつでも言ってね?」
「あ……はい」
直哉の冗談に、ほのかはさっきよりもさらに顔を赤くして答えた。
「それじゃあな、こまったさん」
「ああ、またな」
そう言って離れていく二人に軽く手を振ったところで俊と優希が帰ってきた。二人とも、お盆に乗っけているのは親子丼だった。
「さっきの、市原さんと、伊波さん?」
「直くん、何気に美人と仲いいよね~。ふたりとも、感じは違うけど、結構人気なんだよ?」
「へ~、そうなの?」
俊と優希が、同時にうなずいた。そして、席に着くと、アツアツの親子丼を食べ始める。それに伴って、直哉も弁当のふたを開けて食べ始める。
「それで、二人ともいくつもらったの?」
「お、直くん珍しいね」
もちろん、彼がバレンタインのチョコの話に乗ったことがだ。優希は少し意味ありげな瞳を直哉に向けるが、当の本人は大して気にする様子もなく「別に。他に話題もないし」と返した。優希が含みを持たせて会話に入ってくるのは、彼が一歩引いた目線から物事を見つめているからで、大抵の場合は放っておいても大丈夫なことだからだ。ホントに危ないときは、きちんとした形で教えてくれる。
具とご飯を口に突っ込みながら、俊は指折りもらったチョコの数を数え始める。その中には、直哉の知らない同級生や、先輩や後輩の名前も出てきて、彼は少し驚いた。
「うーん。とりあえず、今は十五個かな」
「あれ、俊ちょっと多くない? 俺十三個なんだけど」
「なはは。今年は直哉に勝つつもりだからな〜。いろいろあるんだよ」
と、ちょっと自慢げに言った。
「それで、直くんは?」
そんな俊を完全にスルーして、優希は直哉に問いかけた。
「うーん。二十五個くらい?」
「多くね?」
「ホントにね……あ、直くん昨日部活か」
「そ。部活の人からは昨日もらったんだよ。今日は休みだからね。で、それと今日クラスでもらったのをあわせて大体二十個」
ちなみに、ここには母からのチョコは入っていない。
「にしても、ちょっと多くない?」
「俊と直哉は朝練してたからじゃない? 僕、クラスの人からは朝にもらったし」
と、直哉が言うと、二人はふーんと言って頷いた。
「それにしても、高校生にもなるとみんな頑張るからね」
どちらかというと女子力見せつけ大会みたいになっているバレンタインデーのために、彼女たちはかなり大きな労力をかけているようで、クラスや、仲のいい女友達はもちろん、多くの人がついでとはいえ男子の分も作ってくれている。
「優希、俺たちあと何個もらえると思う?」
「う~ん。どうかなぁ?」
「とりあえず、あと十個くらい貰わないと直哉には勝てそうにないよなぁ」
「まあ、俊が何個貰ったとしても、今年の直くんには勝てないだろうけどね」
「な、優希。それどういうことだよ!!」
「ん? 言葉通りだよ」
確信に満ちた表情の優希は、一緒にとても楽しそうな笑みを浮かべていた。
窓の外をみると、雪はだいぶ弱くなっていた。
* * * * * *
そして、放課後。
「気をつけ、礼」
一拍おいて「さようなら」という声がして、みんなは思い思いの行動を取り始めた。直哉も少し友達と話をして、みんなが教室を出て、静かになるとカバンから数学のワークを引っ張り出した。食堂で俊や優希に言ったように、今日は部活がない。
直哉は、放課後の教室で勉強したり駄弁ったりしているのが嫌いではなかった。実際、部活の無い日は最終下校時刻まで教室にいることが多いし、部活のある日でも、活動が始まるまでの二十分くらいは教室で時間を潰している。
今、教室にいるのは、直哉とそのほかは二、三人がいた。みんな黙々と勉強している。
(あれ? 澪と伊波さんがいる。今日って書道部活動日じゃなかったけ?)
と、少し疑問んに思う直哉だったが、それ以上は深く考えることもなく、数学の問題とのにらめっこに戻った。最近始まった新しい単元の問題は、今までと勝手が違ってやりにくかっい。とはいっても、先生の言っていることが理解できないレベルであるというわけでもない。だから直哉は単に演習時間が足りないだけなのだろうと思って、こうしてやっているのだったが、目の前に落とし穴があってわかっているのに素直に引っかかってしまうのが彼の性質であり、筆は思うように進まなかった。
* * * * * *
そうやって問題と格闘していると、気づかないうちに時間が来てしまった。
教室には誰もいない。みんな、さっさと帰ってしまった。
直哉も、荷物をまとめて教室を出た。体中を寒さが襲った。
部屋を出たのが最後のだったから、鍵を占める。
そうして職員室に鍵を返そうとそちらへ歩き出した時、不意に後ろから彼の名を呼ぶ声がした。
それは明らかに、聞いたことのある女子の声だった。
直哉は反射的に後ろを振り返る。
もう雪は止んでいて、空から雲が消えていた。かわりに、見渡す限りの世界を紅に染まる夕焼けの光が、雪の白を、そして僕らを照らしている。廊下に伸びる黒い影と合間って、それはとても幻想的だった。
そんな中で俯いて立っている彼女を直哉はただ、黙って見ていた。けれど、その沈黙の裏で、彼はとても動揺していた。あまりに突然な展開に対す驚きが、すべての原因だった。
「あ、あの……」
「伊波さん?」
彼女が顔をあげた。きゅっと唇を結んで、その表情は、少しかっこよかった。そして、直哉は不思議な魅力に襲われた。
決して、目立つ人ではなかった。逆に、澪がいなければ、何もできないんじゃないかというほど、臆病そうに見えた。けれど、本当は違うんだと、今、直哉は気が付いた。
――決められたら、それを貫く人なのだ。
そして、彼女は決めたのだ。と、思い至った。その決意が、自分に向けられているということも、彼はこの時初めて気が付いた。信じられなかった。胸の高鳴りが最骨頂に達して、今にも張り裂けそうだった。
真っ赤に染め上げられた神秘的な世界が、ここにいる二人だけをまったく違う世界に連れて行っているような気がして、そして、この息苦しさも、直哉はきっとそのせいなのかもしれないと思い始めて……
「なおやくん!!」
冷たい風が、額を打った。
我に返った彼の目の前には、真剣な眼差しをした彼女が立っていた。
そして、意を決したように、口を開いた。
「これ、受け取ってくれませんか!」
夕焼けと同じくらいに顔を真っ赤にして、ほのかは今まで後ろに組んでいた手を前に突き出した。
自然と、頬が緩むのを感じた。
自分への好意の表れを感謝の言葉と一緒に受け取ると、彼女は今までに見たことのないくらいの笑顔を咲かせた。瞳の端に、きらりと光るものが浮かんでいた。
ありがとう。と、そう思った。これまでのどんなときよりも。
それから、珍しく自然に言葉が出てきた。
「一緒に帰る?」
「ありきたり」というか、「ここでいうべきなのか?」と、自分でも疑問に思ったけれど、嬉しそうに頷いた彼女を見て直哉は胸をなでおろした。
そして、ホントは彼女に伝えたかったけど、それを口に出すのはどうにも億劫で、気恥ずかしくて……彼はそっと、自分の心の中で呟いた。
「今僕は、世界で一番幸せです」と。