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失恋アイロニー


 あたしがはじめて恋をしたのは、近所の同級生のまーくんだった。


 まーくん。浅井衛あさいまもるくん。


 笑顔が似合う優しい彼のことを、あたしは好きになって。

 そして子供のときにありがちな口約束をした。


『大人になったら、結婚しようね!!』


 そして小学生になり、彼は隣りの県に引っ越してしまった。

 でもあたしは、そのときの約束を忘れないまま。好きだった記憶を抱えたまま、歳を重ねたんだ。


 今思えば、なんで信じたの? なんて夢見がちなことを考えてたの? って思う。でもね、それが恋なんだよ。盲目になるくらい、あたしはまーくんが好きだった。彼が白馬の王子様みたいにあたしのことをお嫁さんとして迎えに来てくれることを、ただ待つだけの女だったんだ。


 それが、いけなかったのにね。




 そしてあたしは、同窓会で再会したまーくんに……

 三年間付き合ってた彼女と結婚するんだ、と笑われて……

 そしてやっと、

 自分の馬鹿な考えに気づいた――



 ***



『あたし、まーくんのお嫁さんになるんだ!』


 そう笑って過ごせる時間は、とうの昔に過ぎていた。

 なのにあたしはそれが分からなくて。


 ただ漠然と、ちっちゃかった頃の口約束を、

 幼いからこそ呟いた、そんな約束を、

 本気にして……


「う、ぁぁぁぁ……ぁぁ…………っ!!」


 やっと辿り着いた、自室のマンションで。

 声を上げて泣いた。


 ええ、バカだと思うでしょうよ。事実バカだもの。仕方ない。

 でもさ、子どもの頃の思い出に浸るのって、そんなに悪いことなのかなぁ?

 本気で好きで、待ち続けてたあたしって、やっぱり愚かな子なのかなぁっ……?


 まーくんの一言が、あたしの今までをすべて壊した。

 確かにしょうもない、取るに足らないことだけど。

 あたしにとっては、それがすべてだったんだよっ……。


 泣いて泣いてバカみたいに泣き続けて。眠って。夢で過去を見て。そしてまた起きて泣く。これを繰り返し、繰り返し、繰り返し続けた。


 気がつけば朝だった。


 顔を洗いに行こうと洗面所に向かう。そして鏡を見るとそこには、くたびれきった冴えない女の顔があった。

 メイクもぐちゃぐちゃで、はっきり言って無残。

 そしてそれは、幸せを取り逃がした女の顔でもあった。


 昨日までは失恋だのなんだので騒ぐ女、バカみたいだと笑ってたのに。


 クレンジングを使ってメイクを落とし、よたよたと歩いて布団に潜り込む。

 メイクを落とした後の顔も悲惨だった。目は真っ赤に腫れ、正気のなくなった顔をしてた。


 幸い今日は、仕事がない。寝れるなら、永遠に寝てたい気分だった。

 そのとき目に入ったのは、昨日投げ捨てたカバン。

 そこからこぼれ落ちる、バレンタインデーのためのチョコだった。


 まーくんにあげるつもりで買った、高級チョコ。


 でも今、もう必要ない。だからと言って食べる気にもならないのが、笑える話だ。


 捨ててしまおうと思い布団から這い出て、チョコの箱を手に取る。

 ゴミ箱に放り込もう。そう歩き出したあたしの耳に、呼び鈴の音が届いた。


 仕方なく、チョコをテーブルの上に置いて玄関に。

 そしてやってきた相手に、思わず顔を歪めてしまう。


「なんでいんのよ……さとる

『おーい、里香! いるんだろ? 開けろってー』


 悟は、家族ぐるみの付き合いをしてる、いわば幼馴染。

 ただ高校のときは学校が違ったから、今回の同窓会では会わなかった。


 ただやつは実家で暮らしてるため、ことあるごとにあたしの部屋にやってくる。


 それは酒を飲みたかったから、だったり。

 買った新作テレビゲームを、家族に邪魔されずにやりたかったから、だったり。

 そんな、しょうもない理由でだ。


 今回もその程度だろうな。何て思って、でもあたしは扉を開けた。


 その先には、短髪を掻いて笑う悟がいた。


 目が腫れてるにもかかわらず。

 見た目からやつれてるにもかかわらず。


 悟は酒瓶とつまみが入った紙袋をあたしに突き出して言う。


「よー里香。今日バレンタインだろ? チョコくれよ。……なーんつってな」


 酒飲もうぜ。


 そう言う悟にあたしは。

 顔を歪めて頷いた。



 ***



 悟は、あたしの初恋も、

 初恋し続けた年数も知ってた。

 まーくんのことも知ってた。

 そして多分、いや、絶対に。

 あたしが失恋したってことも、分かってたんだ。



 涙の味を肴に酒をチミチミ飲んでたあたしに、やつはヘラヘラした顔をして世間話をしている。


 そう。悟はいつもそうだ。聡い。無駄に聡い。名前の通りすぎて笑える。

 悟はまーくんとも仲が良かったし、今も連絡を続けてても不思議じゃない。


 そう、悟はきっと。

 あたしのことを慰めに来たんだ。


「でさー、河村のやつがまーた意味不明なこと言い出してやんの。それに爆笑するうちの上司っ!」

「へー。河村くん、まだバカやってんだ。中学から変わんないんだねぇ……」

「ほんとになー。まさかあいつと会社が一緒になるとは思ってなかったわー」


 辛いとき、苦しいとき。

 悟は決まってあたしのとこにくる。

 そしてバカな話をして、バカなことして。

 帰る。

 それだけ。


 ただ今回はなんだか、雰囲気が違った。

 雰囲気が一変したのは、あたしが起きた午後一時から、一時間経った頃。


 今までやかましいほど喋っていた悟が、いきなり押し黙った。


「……なぁ、里香」

「なに、悟」

「その様子だと、衛のこと」

「聞いた」

「……そっか」

「むしろそうだと思ったから、あたしの家に来たんでしょ?」

「まぁ、な」


 やつにしては珍しいくらい真剣で。それでいて重たい会話だ。

 悟はさっきからちらちらと見ていたチョコの箱を手に取り、


「なぁ……俺が食ってもいい?」


 なんて言ってきた。

 正直廃棄するだけだったから、あたしはひとつそっけなく頷いてそっぽを向く。


 綺麗に結ばれていたリボンが解け、箱が開いた。


 そして悟の指が、チョコをつまみ、

 口の中に、

 ――放り込まれる。


 瞬間、涙が込み上げてきた。


「ね、ぇ……あたし、バカだったのかなぁ……」


 弱音が漏れる。でも、歯を食いしばっても止まらない。


「昔の口約束をまだ守ってたあたしって……ただの、バカな女だったの、かなぁ……っ」


 できるならあたしも、そのチョコのように溶けてなくなりたかった。


「あたしがいだいてた、想いって……結局、その、ていど……だったのかなぁ……っ!」


 そう吐き出して、酒をあおる。あおろうとする。でもその手は止められてしまった。


「……バーカ。バカなわけねーだろうが」


 ぼりぼりと、不機嫌そうにチョコを食べて。

 でも申し訳なさそうな顔をして、悟は言う。


「今になったら分かると思うけど……俺、お前のことが好きなんだわ。

 好きで好きで仕方なくて。でも肝心のお前は、俺のことなんか見てねえ。

 ……そりゃもう、辛かったよ。でも俺はさ、そんなふうにキラキラして、

 一途で、

 バカみたいに恋し続けられる、

 ――そんなお前が、好きだったんだよ」


 バカなのは俺か、と苦笑すると、悟は握る力を強めた。


「だから俺は、お前が失恋してさ、どーしようもなく嬉しいんだわ。ひっでえ男だろ? でも、そうでもしねえとお前、俺のことみねえじゃん。俺のこと、男としてみねえじゃん。だから、」


 だから、改めて言うな?


 前置いて、悟は言う。


「好きだ。里香」


「………………むり、だよぉ……っ」


 そんなこと言われても。

 はいそうですか、あたしも好きです、なんて。

 言えるわけない。


 いくら失恋したてで心が傷ついてるからと言って、

 あたしのことを愛してくれる人が目の前にいるからと言って、

 そんな、

 バカで、

 愚かで、

 最低なこと。


 ――言えるわけ、ないじゃない。


「あた、し……あたしは、まだ、まーくんのこと、好き、なのよ……それなのに、悟のことを好きなふりして、逃げる……? そんなこと、できるわけないじゃない……!!」

「だろうな。知ってるよ。お前が俺を衛の代わりにして愛せないことくらい、知ってる。そんな最低で最悪な逃げ道、お前が使うわけないもんな」

「なら、なんで……っ」

「でも悪りぃ。好きなんだ。弱ったお前口説いて傷癒して。お前の弱みに付け込んで自分のものにしたいくらい、俺、お前のこと好きなんだわ」


 涙で前が見えない。

 そんな視界を拭えば、そこには昨日までのあたしと同じ顔をした、幸せそうな悟の姿があった。


 バカみたいに恋して、

 誰かを愛して、

 想って。

 それって存外悪いことじゃないんじゃないかな、と悟の顔を見て思う。


 でもあたしの口から出すのは、あんたが食べたチョコみたいに甘い味じゃない。


「そう。じゃあ、お断りするわっ……!」

「安心しろよ。そんなんでめげる俺じゃねえからさ」

「出入り禁止に、するわよ」

「あーそんときは……お前の好きな酒持ってくるわ。だから入れてな? このクソ寒い時期に待たされんのはきついんだわ〜」

「一生かかっても、あたしがあんたを好きにならなくても?」

「アホか。こんだけ惚れてんだ。落としてみせるっつーの。衛と一緒になるより、絶対に幸せにする」

「その自信はどこから来るのよ、バカ」


 あは、と笑う。

 そう。あたしは、笑えたんだ。

 とんでもないくらい悔しいけど、このバカ男に。

 あたしに惚れてあたしを口説いてる、バカな男に。


 笑わされた。


 でも、悪い気はしない。

 お腹から込み上げてくる笑いをこらえることなく。

 あたしはひっくり返るほど笑った。


「………………ほんっと、バカ」


 涙混じりにつぶやくと、悟はにかりと笑う。


「今のお前、いい顔してんぞ。衛に恋してた頃のお子ちゃまなお前より、ずっといいわ。惚れ直した」

「意味分かんないわよ」

「まーつまり、大人の階段のぼった? っつーやつ?」

「そうね。大人の階段、のぼったんでしょうね」


 するとやつは、あたしが買ったチョコを突き出した。


「ほれ、祝いだ。大人の味だぜ?」

「それ買ったのあたしだから。ふざけんなバカ」


 と言いつつもチョコを一粒つまみ、口の中に放り込む。

 じわりと溶けたチョコは確かに、大人のほろ苦い味がした。


「惚れさせてやるから、覚悟しろよ?」

「……ほーんと、バカ」


 そのときが遠くないうちに来そうだなぁ、と思い、また笑って。


 あたしは大人のチョコをまた一粒、口の中にいれた。

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