風向き(3)
寝台にもぐってはみたものの、今更易々と睡魔は戻ってきてくれない。
再び真っ暗となった部屋の天井を睨みながら、もぞりもぞりと姿勢を変える。
師匠の目をかいくぐって逃げた盗賊(仮)。
いたのかいないのかはっきりしない死霊もどき。
師匠の中途半端な反応と言い、気になることは山積みだ。
賊は、もしかしたら庭か畑のどこかに潜んでいたのかもしれない。
師匠が(無様にも気絶した)自分を部屋に運んでいる間に地面を這って逃げれば、できないことではない。
死霊に関してはあまり思い出したくないけれど、師匠が何も言わないのだから、見間違いという事にしておこう。
白い鳩とか白い蝙蝠だったかもしれないし、一瞬だったから私もはっきり見たわけじゃないし。
「あいつの連れてた、シロフクロウかもしれないわ」
シロフクロウの体が、向こうが透けて見えるほど透明なわけはないが、このさいそれはどうでもいい。
正直死霊でないほうがありがたい。主に、今後の被害的な意味で。
だって、死霊に祟られるほど悪い事をした覚えはないし。
せいぜい、死霊の持ち主(飼い主?)かもしれない盗賊の頭を、火かき棒ではり飛ばそうとしたくらいで、それはむしろ正当防衛、当然の権利だ。
むこうにどんな理由があったって、夜の夜中、無断で人の敷地に忍び込んで庭を漁っているような輩に、文句を言われる筋合いはない。……はずだ。
考えれば考えるほど目はさえて、エッタはむやみに寝台の上を転がった。
鳥が鳴いている。
呼びかけるような、耳につくような、このあたりではあまり聞かないさえずりだ。
「……うるさい……」
枕の下にもぐってやり過ごそうとするけれど、一度気になってしまったらもう耳から離れない。
しばらくあがいた末に、あきらめて起きあがった。
「なんなのよ、もう……」
昨日は夜中にひと騒動、やっと眠れたと思ったら鳥に起こされて。
そこまで考えて、寝台から飛び降りた。
「ちょっと!寝てる場合じゃないわ!」
朝。たしかに鳥が鳴くぐらいには朝だが、日はすでに高く上っている。
いつもなら夜の明けないうちから起き出すエッタにとっては、大寝坊にもほどがある刻限だ。
寝間着を脱ぎ捨て、手早くエプロンドレスにそでを通す。
部屋履きではなく皮靴をつま先にひっかけて、扉を突き倒す勢いで居間に駆け込んだ。
「遅くなりましたお師匠様!」
いまが何刻だか見損ねたが、通常の朝食時刻を軽々過ぎていることは間違いない。
家事取り仕切りを自らに任じる身としては、自分が体調不良で寝込んだなどと言う非常時を除いて、こんな失態は断じて許せるものではなかった。
まして、大魔法使いだろうが変わり者だろうが、とにかく師匠である人に朝食抜きを命じる権利は、エッタにはないのだ。
淡い金茶の髪を振り乱して飛び込んできた弟子を、窓辺にいた師匠は、中型の鳥を手にのんびりと振り返った。
「なんだ、もう少し寝ていてよかったのに。一食ぐらい抜いたところでたいして変わらん」
弟子をいたわっているのか皮肉っているのか、それとも単に事実なのか。
多分最後だろう。
3年一緒にいてもまだ読み切れない師匠の性格に顔をひきつらせながら、エッタは首をかしげた。
「その鳥……」
大きさは鳩だか鴉だか。
色も黒から灰色と、光の加減で揺らめくように見える。
めったに見ない、つまりエッタを叩き起こした鳥は、師匠の腕にとまってこちらを見た。
暗色の羽根の中で、金色の目が正面からエッタを睨んだ。
たかが鳥、というには威圧感があり過ぎる視線に思わず身がすくむ。
「ティルトフィニア」
エッタと鳥の攻防など気にもせず、師匠が声をかける。
名前なのか何かの合図なのか、その言葉だけで、鳥が大きく羽ばたいた。
鶏が飛んだ程度では受けようもない風圧に、エッタの髪が舞い上がる。
その風と、威嚇を込めた強い鳴き声に目をつぶった一瞬に、黒い珍客はかき消えるように飛び去った。