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風向き(2)




「エッタ、エッタ!」

 耳元で、しつこいほど繰り返し名前が呼ばれている。

 ついでに、これでもかというほど頬をびたびた叩かれている。その音も結構うるさい。

 耳触りな音の割に痛くないのは、振り抜くほどの勢いがないからだろう。

 なんでこれほどまでに叩かれなくてはならないのか。

 わざわざ起こさなければならないほどの変事でもあったのか。

 急激な覚醒で淀む意識に顔をしかめながら、ようやく目をひらく。

「……お師匠様……?」

 至近距離には、ろうそくの明かりに照らされた師匠の顔がある。

 とりあえず師匠は無事らしい、と判断して、問題はそこではないことを思い出した。

「お師匠様!庭に悪党が!!」

 勢いよく起き上がろうとした額を、大きな掌に止められた。

「急に動いてはいかん、どこか痛むところはあるかね」

 頭、首、肩、腕、といちいち確認されて、一応全身問題ないことを申告する。

 弟子の無事を確認した師匠が、大きなため息をついた。

「いきなり悲鳴がしたと思ったら、庭に倒れていたんだからな。あまり驚かさんでくれ」 

 その段になって、エッタは自室の寝台にいることに気がついた。

「……お師匠様が?」

「他に誰がおるんだね。山羊には運べんぞ?」

 傍らの丸椅子に腰かけた師匠が、重々しく腕を組む。

 すみませんでしたと頭を下げて、なるべく簡潔に説明する。

「庭に、明りを持った誰かがいたんです。何か探してるようにウロウロして、そのうち庭の隅に屈みこんだから、捕まえてやろうと」

「それでこれか」

「はい」

 師匠に持ち上げられた火かき棒は、もちろんエッタが捕り物に使おうとした得物だ。

「最初は旅人か、羊泥棒かとも思ったんですけど。井戸の周りに行ったものだから、毒でも入れられたら大変だなって」

 至極真面目な説明に、師匠はさっきの数倍の息を吐く。

「エッタ」

「はい」

 弟子の名を呼ぶしみじみとした声は、説教と言うより嘆息の色が強かった。

「山犬程度ならまだしも、盗人に火かき棒で殴りかかる娘がどこにいる」

「棍棒でもあればよかったんですけど、他に道具がなかったから」

「殴る以外に思いつかんのか」

「だって素手じゃ力が足りないし、縄はうまく使えないし、昏倒させて後から縛ればいいかなと思って」

 指折り数えるエッタに、師匠は片手で顔をぬぐった。

「隣にいるんだから声をかければ済むだろう。そんなおおごと、一人でやろうとするものじゃない」

「……すみません」

 全く思いつきませんでしたとか言ったら、更に呆れられるに違いない。

 普段は比較的おとなしいエッタだけれど、ときどき後先考えない行動に出て、師匠にお小言を貰うことがある。

 それは大抵の場合、自分より誰かのために懸命になった結果なのだが、それで自分自身が逼迫することも少なくない。

 そういえば、崖から降りられなくなった仔羊を抱えて岩壁にしがみついていたエッタを見たときも、今と同じような溜息をついていた師匠だった。

 自分の言動も常人を逸脱しているくせに、弟子の無軌道には常識人ぶって嘆息する師匠が、さてと首をかしげた。

「お前の悲鳴を聞いてすぐに庭に出たが、誰にも行きあわなかったがなあ」

 家の裏は山肌に沿って羊の囲いがあるから、通り抜けることはできない。

 夜の中とはいえ燈火を持っていたし、それを消せば自分が動くこともできないから、師匠に見つからずに逃げおおせるのは至難の業だ。

「でも、たしかにいたんです。うしろから殴ろうと思ったら」

 思ったら。

 言いつのった口が止まる。

 白い靄。

 向こうが透ける、半透明の『なにか』。

 正面切って視線が合った、金色の瞳孔。

 瞬時に口の中が干上がる。

「エッタ?」

 師匠の訝しげな声に、大きく息を吸った。

「死霊が」

 口がうまく回らない。

「白い、ぼんやりして、金色の目の影が、目の前に現れて」

 だから、情けなくも悲鳴をあげてひっくり返る羽目になったのだ。

 仮にも魔法使いに弟子入りしている人間が、死霊ごときで気絶するとは情けない。

 今更ながら不明を恥じる弟子に、師匠の眉間に深いしわが寄った。

「金の目の、白い影?」

 唸るような声と共に立ち上がる。

 蜀台を手に速足で裏庭に出て、ざっと周囲を見渡した。

「お師匠様?」

 今度は部屋履きを履いて追いかけると、ちょうど侵入者の屈みこんだあたりに、師匠の背中がある。

「お師匠様、なにかありました?」

「いや」

 地面を探っていた手が、諦めたように草を払った。

「なにかしようとしたにしても、お前の悲鳴で逃げ出したなら、掘るも埋めるもできなかったろう。良かったやら悪かったやら」

「むこうにとって『良い事』は、こちらには『悪い事』だと思いますけど」

 普通そこは「よかったよかった」で済む話のはずだが。

 いまひとつ真っ当な感想と言いきれない師匠に口をとがらせると、ごまかすように頭を軽く撫でられた。

「まあ、お前に怪我がなかったのは『良かった事』だな。朝までもうひと眠りしなさい」

 次の野盗は一人で退治しないようにな、と釘を刺されて、エッタは首をすくめた。



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