杜の学び舎(5)
適性検査は受けたものの、初期の講義は基礎知識からだということで、しばらくはサヴィナと一緒に受講することになった。
「学院では、年に数回入学の機会があるそうですの。わたくしが入学希望したのは前回の受付が終了した直後でしたから、寮に入るのもしばらく待ちましたのよ」
今季の滑り込み最終となったらしいエッタと違い、入寮してからも時間が余ったサヴィナだが、無為に過ごしていたわけではないそうだ。
「どうせ暇なのですし、時間の許す限り図書館に通いつめましたわ。わたくしの屋敷にも図書室はありましたけれど、専門書は少なかったですから」
でも、と、富商の令嬢は正直に肩をすくめた。
「私の知識では読んでも理解できないものが大半で、ほとんど挿絵を眺めているようなものでしたけど」
数日寝起きを共にしてわかったことだが、最初の印象と違ってサヴィナは驚くほどまっすぐな娘だった。
嫌なことは嫌とはっきり言うが、その分できないことをつくろったりはしない。
物言いが時々高飛車なのはともかく、なにくれとなくエッタの面倒をみてくれるあたり、性格は悪くないのだろう。
その彼女をして最大級に嘆かせたのが、これからの生活の中心になるべき勉強だった。
◆
制服と一緒に届けられた数冊の教本のうち、一番厚みの薄い本をそうっと開いてみたものの、五頁ほどめくったところで、エッタは早くも天を仰いだ。
そもそも魔力自体が少ないうえ、ほとんど好適属性を持たない状態で何を学ぶべきやら皆目見当がついていないのも原因だろうが、それ以前に問題があったことがわかったのだ。
「……なにがかいてあるのかわからないって言ったら、やっぱり怒られるわよね」
読み書きができることと、意味が分かること。
このふたつは全く違うのだと思い知る。
初級の講義とはいえ、平易な言葉で書かれた子供向けの神話集や、効能が書き連ねてある程度の薬草辞典などとは段違いに難解な、それも細かい文字がびっしり並んだ分厚い本が何冊も。
それをこれから読みこなし、理解して、実行する。
誰が?
自分が、だ。
「無理。絶対無理。頭に入らない」
漏れた声は無意識だ。
――― お師匠様、これ、わかってたのよ、ね……?
何一つ、本当に何一つ『魔法』というものの理論を学んでこなかったのは、エッタの不勉強ではなく師匠の方針だ。
自分の実力を思えばむしろ当然ではあったが、魔法学院への入学を持ちかけた時点で思うところはなかったのかと問いただしたい。外見が変わろうと実力がどうであろうと、学院を経て魔法使いになった以上、師匠がここで勉強してこなかったわけがないのだから。
もちろん、入学を決めたのは自分だし、エッタ自身『勉強する』ことに否やはない。
けれど、ここまで意味の分からない文言が並ぶとは思わなかったのだ。
「……恨みますよ、お師匠様……」
甘かった。
最後の最後まで、あの師匠は普通の物差しで測ってはいけない人だった。
前もって教本を開いておかなかったらと思うとぞっとする。
机に積み上げた美しい装丁の書籍が、恐ろしい魔物にすら思えてくる始末だ。
もっとも、横目で教本をにらみながら冷や汗を垂らしている学友以上に、サヴィナのほうがめまいを起こしそうだったが。
「わからない?! 初歩の初歩ですわよ?!」
エッタの言っていることのほうが分からないと愕然としながら、手持ちの辞書やら手製の帳面やらを惜しみなく貸してくれた。
「あなた、一応魔法使いに弟子入りしていらしたのでしょ、いったい何を学んでいたの?!」
「うちには『まほうりろん』の本なんてなかったのよう……」
とにかく読め、今夜中に全部読めと押し付けられたいろいろなものに埋もれながらエッタが呻くと、サヴィナの顔はさらに苦くなった。
「わたくしほぼ独学ですけど、初級の教本くらいは読み切れましてよ」
「それ、サヴィナがすごいんじゃない? そもそも、うちには薬草辞典しかなかったもの」
「……あなたの先生、本当に魔法使いでしたの?」
「一応ね……」
サヴィナの疑問はもっともだが、あの師匠にそんな『ふつう』を求めてはいけないと、エッタ自身が再確認したところだ。何を言っても今更である。
「理解できなくてもいいから、とにかくお読みなさい」
幸先の悪さに溜め息を付いたのは、二人同時だった。