杜の学び舎(3)
どんな魔法が飛び交うかと身構えていた食堂は、だだっ広くはあったものの、ごく普通の大広間だった。
一斉に食事をとるとか何かの序列を守るとかの面倒もなく、みな来た順に思い思いの場所に席を取っている。
サヴィナに連れられたエッタも、まだそれほど混んでいない真ん中あたりに腰を下ろした。
古びた机と椅子だが、きしむこともささくれが刺さることもない。
年を経た木の持つ温かさのせいか、あの古い庵にいるような気持ちになる。
物珍しく見上げた視界に、湯気を立てた皿がぬっと差し出された。
危うく飛び上がりそうになりながら振り返ると、こざっぱりしたエプロン姿の給仕が一礼してさがっていく。
注文を取るのか、自分で受け取りに行くのかと思っていたら、何も言わないでも食事が出てくる仕様になっているらしい。
自分で食事を作らないばかりか、配膳までしてもらうのが学校というものなのか。
エッタの常識では一家の主か金持ちにしか受けえない待遇に、冷汗が垂れそうだ。
向かいに座った同輩はあきらかにかしずかれるのに慣れた階級らしく、今日はお野菜ばかりですのね、などとこぼしながら品よく食器を手に取っている。
ふと、鳶色の瞳がエッタを見て瞬いた。
「嫌いなものがおありなの? 多少の変更はできましてよ?」
目の前で頬をひきつらせて固まった新入生が食事に不満を持ったと思ったのか、優雅に首をかしげる。
「いえ! 大丈夫です」
作っていただく料理に文句などあるわけがない。
目の前には、色鮮やかな野菜をふんだんに使った肉の煮込みと、酢漬けの|甘藍≪キャベツ≫、柔らかそうな焼きたてのパン、まだ切り口から雫の滴る果物が並べられている。
大振りの肉がごろごろ入っているこの状態をして「お野菜ばかり」と言うサヴィナが家でどんなものを食べているのか思いつきもしないが、絹を普段着にできる家だ、さぞや豪華な食事なのだろう。
一口含んだ煮込みは、濃厚な味付けでいくらでも食べられそうだった。
そもそも、塩と庭先のハーブくらいしか調味料のないエッタの料理とは雲泥の差である。
うっかりこんな生活に慣れてしまったら、村に帰った時が恐ろしい。
―――お師匠様、わたしの料理まずくなかったのかな。
ふとよぎった考えが、重く胸に刺さった。
エッタが思う「お師匠様」は、廊下で別れた「あの人」ではない。
姿が変わっただけ、なんて、そんなふうに割り切れない。
息が詰まって、眉間にしわが寄る。
「どうかなさって?」
怪訝そうなサヴィナに、無理と笑った。
「……ちょっと、熱かったです」
村では到底味わえないごちそうが、舌に苦かった。
食事を終らせて戻った居室では、大きな籠が二つ、エッタを待ち受けていた。
洗濯室で見た鍵のかかる籐籠の一つには、靴や外套まで含めた真新しい制服が三揃い、もう一つには、夜着に始まり日常のこまごまとした衣類がぎっしりつまっている。
これも「学院が管轄する衣食住」に含まれているというのだから驚きだ。
もちろん、サヴィナのように自分で私服を持ち込むのも自由だというが、学生の誰もが裕福なわけではないから、この恩恵にあずかる者も多いらしい。
「魔法学院で学ぶ者は、一定以上の魔力を持つことが必須条件でしょう? ここで学ぶということは、いずれ王宮や町の役に立つ確率が高いわけですもの、国として当然の投資ということですわ」
当座の着換えといくらもない金銭だけでどうやりくりするのか謎だったが、なるほどこれだけ至れり尽くせりならば生活の心配はなさそうだ。
問題は、果たして自分にそれだけの価値があるかどうか。
エッタには、ほとんど魔力がない。
学院に入ることを認められる程度にはあるようだが、そもそも師匠が引き取るときに念を押し、実際薬を作ることしかできなかったようなありさまだ。
こんな半端な身ではたして何を学べるのか、いまさらになって後悔が湧き上がる。
肌に心地よい制服のシャツを抱えながら浮かない顔をしていると、サヴィナがくすりと笑った。
「不安?」
ぽかんと見返せば、作り付けの文机に座った娘がちょっと肩をすくめて微笑んだ。
「わたくしも、初日はそうでしたから。でも、学院が認めてくださったんですもの、あなたにもここで学ぶ権利があるはずだわ。だいたい」
最初に見た、つんとすました顔で軽く顎を上げた。
「入学した生徒を育てられないなんて、魔法学院の名がすたりますわ」
いかにも気位の高い令嬢然とした物言いをしながら、片目をつぶって見せる。
その愛嬌のある仕草に、思わず笑みが戻った。
「……そうですね」
「そうですわよ」
二人でくっくと笑いながら、この人とはうまくやっていけそうな気がした。