杜の学び舎(2)
サヴィナに急き立てるように連れ出され、まず向かった先は図書室だった。
二人の居室からは、あちこちの廊下を挟んで上ったり下ったりを都合十回以上繰り返し、長い回廊を渡った先にある、建屋の一番はずれの大きな区域である。
「学院に来たからには、それなりに学ぶ気があるのでしょう? でしたら、一番大事な場所は、ここですわ」
古めかしい扉を開いた先は、壁だけでなく無数に並んだ棚のすべてが、見渡す限り本で埋め尽くされている。
「すばらしい蔵書量でしょう。王宮の古書庫にもない古文書でも、ここでは閲覧自由ですのよ」
自分のことのように胸を張るサヴィナに先導されて踏んだ床は、靴が沈むほど毛足の長い絨緞が敷き詰められていた。
図書室、とはいっても、広い吹き抜けを中心に三階層にわかれた、一つの館のような部屋だ。
こんなに広い場所など、神殿以外で見たことがない。
まして、そのすべてが本の為だけに存在しているなど。
本と言えば師匠のもの数冊しか見たことのない身には、この膨大の紙の山に一体何が書いてあるのか想像もできない。
いや、間違っても畑の耕し方でないことだけは確かだが、これだけの場所を占領する本がすべて魔法に関することだなんて。
金銀で箔押しされた題名は擦り切れて読めなかったりするが、並ぶ背表紙はどれも古めかしく、布張りだけでなく錦や革で装丁されているらしいものもある。
四方から押し寄せる古文書の気配に圧倒されそうだった。
横で巻き髪を梳きながら自慢そうに立っていたサヴィナが、ぽかんと口を開けたままのエッタにぴくりと片眉をあげた。
「……ご感想は?」
「え?」
鈍い反応に焦れたのか、長く綺麗に整えられた爪がぐるりと周囲を指した。
「大陸中を探してもあるかどうかわからない古い本もございますのよ? すばらしいとかなんとかおっしゃいな」
「……え、はい、すごいですね……?」
実のところ、驚き過ぎて声も出なかったのだが、この返答では先輩には喜んでいただけなかったらしい。
案内した甲斐がございませんわ、と口を尖らせながら身をひるがえすと、さっさと部屋を出るよう促した。
「他にも教える場所はありますのよ、早くいらっしゃい」
◆
こちらが共有の浴場、それが洗面所、向こうへ行くと監督室、そっちの広間は特別修練室、とめまぐるしく連れ回されたなかでエッタが意外だったのは、洗濯室がなかったことだ。
「あの、着替えはどこで洗えばいいんでしょう?」
「は?!」
小走りにあとを追いながら問いかけたせいで、頓狂な声とともに振り返ったサヴィナに頭から突っ込むところだった。
あやうく踏みとどまりながら、そういえば彼女の絹のドレスはどうやって手入れしているのだろうと不思議に思った。
見るからに良い家の令嬢で、爪を伸ばしている手はとても水仕事などできそうにない。
もしかして、定期的に実家に持ち帰っていたりするのだろうか。
問われたサヴィナの方は、面妖なことを聞いたと言わんばかりに額を押さえている。
「……あなたのおうちでどうだったとしても、ここでは生徒は勉学に集中するために家事一切は学院の管轄ですの。衣類や寝具は、洗濯室に預けますのよ」
ほら、と示された先には、籠が積まれた小部屋があった。
籐で編まれた籠は、ご丁寧に鍵つきのふたがかかっている。
まさか自分の洗濯を全くの他人にしてもらうとは思ってもいなかった。
そんな御身分など、自分の村では小間使いを雇っていた村長の家くらいだ。
申し訳ないという以上に、下着まで洗ってもらうのかと冷や汗が出そうになる。
「もちろん、してほしくないものは自分でしても構いませんし、部屋の寝具は自分で整えますけど」
サヴィナの言葉にほっとしたが、見上げた顔は凄味を込めて微笑んでいた。
「わ・た・く・し・た・ち・の・部屋に、洗濯物など干さないでくださいませね?」
「……はい……」
四の五の言わず洗濯室へ出せという無言の圧力に、共同生活の難しさを垣間見たエッタだった。