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光の都(6)

 


 翌朝、宿の前に止まっていたのは、うっかりすれば目の前にあってさえ見落としそうな、どこまでもありきたりな箱馬車だった。

 馬は一頭、車輪は二つ。

 昨日まで乗っていたのが四輪馬車だったことを考えれば、格下でさえある。

 魔法学院からの迎えだと言うには、華美さも迫力もなさすぎた。

―――別に、自分たちがそんな出迎えされるとは思わないけど。

 荷物と一緒に乗り込んだ馬車は二人用らしく、案外ゆったりしているだけでなく、座面も背もたれも埋もれるほど柔らかい。

 居心地よさそうな椅子に座ると、相変わらず盗っ人の親玉のような顔で笑った宿の主が扉を閉めてくれた。

「気をつけてな。また機会があったら寄ってくれ」

 礼を言おうと身を乗り出すのと同時に、馬車が動き出す。

 きしみも馬の蹄の音もない、すべるような走りだった。

 驚いて窓の外を見れば、たった今そこにあった宿の姿どころか、大きな街そのものがない。

 馬のひと駆け、車輪の一回りごとに、みるみる景色が変わっていく。

「あまり見ていると目が回るよ」

 呆然と窓にしがみついているエッタに、師匠が笑った。

「もしかして、この馬車は他の人には見えないんですか?」

「気がつかないようにするまじないは、かけてあるね」

 見えないのと気づかないのはどう違うのだろう。

 それがいつもの師匠の癖か魔法使い特有の言い回しなのか、わからなくなってきたエッタだった。



 太陽が中天を通り過ぎた頃、馬車の速度が落ちた。

 窓に頬をつけていつのまにか眠っていたエッタは、肩を揺らされ目をあけた。

「シャーグリーウスに入るよ」

 空を飛ぶように無音だった馬車は、いつのまにか軽やかな音を立てて走っている。

「……王都……」

「そうだね。ここが王都・シャーグリーウスだ」

 最初に目に入ったのは、天をつくような尖塔だった。

 傾き始めた陽光を浴びて、黄金(こがね)のように輝いている。

 きらきらと光っているのは、窓にはめ込まれた無数の色硝子だろう。

 尖塔の周りを、もう少し背の低い塔が幾重にも囲み、さらに城壁が取り巻いて、宙に浮かぶ城のようだった。

 通り過ぎる街路には青々とした枝を広げる木々。

 そのあいだに、巨大な行燈をてっぺんに付けた柱が立ち並ぶ。

 道幅は広く、馬車が五台は軽く行き交えそうだ。

 馬車が通る場所と人が歩くところは隔てられているようで、喧騒は遠かったが人の多さは当然ながら州都に勝っている。

 整然と並びどこまで続くか知れない建物は、様々な色壁や木枠や屋根に飾られていながら一つの景色してまとまり、重厚で美しかった。

 王の都だ、大陸随一の花の都だと話には聞くが、それがどんなところかなど想像もできないでいたが、これではどんな物語でも語りきれないに違いない。

 大路の中心を走っていた馬が、緩やかに道を分かれ、尖塔から離れた別の城壁へと鼻を向けた。

 声もなく、ただただ窓の外を眺め続けるエッタをのせて、馬車は飴色の壁門をくぐった。

 

     ※


 門の内側は、緑豊かな広大な森のように見えた。

 つい今しがたまで走っていた都とはうってかわった光景の先に、壁門と同じ柔らかい色合いの大きな建物がある。

 エッタの感覚では「丘一つ分」とでも数えたくなるような建物全体が、魔法学院なのだと師匠が言った。

「生徒だけでなく、教師や研究者も多い。とにかく広いのは間違いないから、最初のうちは、迷うのも勉強のうちだな」

「……部屋に帰れなくなりそうです」

「なに、そのうち誰かが見つけてくれるさ」

 見つけて貰えればいいというものでもないだろうが、そこを師匠に求めても無駄なのは三年間の生活でよくわかっているから、今更問題にはしない。

 要は自分で覚えろということだと納得している間に、馬車はゆっくりと動きを止めた。

 学院の入り口にあたるだろう場所は、数段の階段を経て、師匠の庵が三つは並ぶくらいの広い露台(テラス)になっている。そのむこうに、細く長い回廊が続いていた。

 師匠に手を借りて馬車を降りると、もう仕事は終わったということなのか、馬が早々に駆けだした。

 何気なく目をやった御者台には、誰も乗っていない。

 ぎょっとして目を凝らしたが、どう見ても馬が勝手に走っているようにしか見えなかった。

 州都からここまで御者なしで来たのかと思うと、恐ろしいやら感心するやら、さすが魔法使いの使う馬車だとしか納得しようがない。ここまできたら驚くのも馬鹿馬鹿しい。

 自分の無知さに呆れていると、師匠が眉根を寄せてため息をついた。

「お師匠様?」

 師匠を嘆かせるほど子供じみた反応をしていただろうかと心配になったが、理由が違ったようだ。

「いや、行こうか」

 いつになく気の重そうな様子で、露台へ向かう。

 エッタも師匠に続いて(きざはし)に足をかけた瞬間、まるで水の膜をとおりぬけたような違和感が頬を撫でた。

「……え?!」

 慌てて振り向いても、もちろんそこにはなにもない。

 風か何かの思い違いかと反対を確かめると、目の前に白い布がたなびいた。

挿絵(By みてみん)

 まっさらの布を裁ったような純白の外套。

 縁には、金糸で細かな文様が縫いとってある。

 それを纏う背丈は、一段上であることを差し引いても見上げるほど高い。

 三年前、自分が師匠を仰ぎ見たように。


 師匠がいるはずの場所に立っているのは、赤い髪と青い目の若い男だった。


 色合いはよく見知っているはずなのに、背の高さと顔立ちは全く知らない人が、エッタを振り返る。

「エッタ?」

 呼ぶ口調も同じでありながら、あきらかに声色が違う。

 凍りついたように立ち止まったエッタに、その人が手を伸ばす。


 いつもエッタの頭を撫でていたのとは、全く違う手を。


 思わず身を引くと、深い空色の目が瞬いた。

「……ああ、そうか」

 自分の手を見て、苦く笑う。

 差し出されていた手は、エッタの手を引くことなく外套の中に戻された。

「こっちへ。学院の本館だ」

 うながされて、ようやく足が動く。

 荷物を抱き締め、紐で引かれるようについて露台を歩きながらも、頭の中は真っ白だった。

 ついさっきまで自分の先を歩いていたのは、村にいるときと同じ格好をした、いつもの師匠だったのに、若くなっているだけでなく、服装まで変わってしまっているのは一体どういうことだろう。

―――このままついて行っていいの?

 あの一瞬で師匠と入れ替わってしまったのかもしれない。

 だとしたら、目の前を歩く人は誰で、師匠はどこへ行ったのか。

 もしかしたらもっと前に、師匠ではなかった?

 怯えに似た感情がよぎるのに、足は止まらない。

 ここは大陸で唯一無二の魔法学院で、魔法使いがたくさんいて、そのなかには師匠なんて簡単に負かしてしまえるような強い人がいるかもしれない。

 それとも、それとも。

 めまいがするほど考え込んでいるあいだに、回廊の突き当たりになっていたらしい。目の前の白い外套が立ち止まったことにも気付かず、その背中に頭から突っ込んだ。

 相手が振り返るより先に、慌ててかかとであとじさる。

「……ごめんなさい」

 背中の真ん中に頭突きを喰らった人は、荷物を抱えてうつむいたまま頭を下げるエッタに口を開きかけたが、結局何も言わずに目の前の扉を押しあけた。

 神代の伝説を模した恐ろしく細かな彫刻を施された巨大な石の扉が、風に押されるように緩やかに開いていく。

 その先、重厚な石造りの部屋かと思った場所は、柔らかな陽光の差し込む中庭だった。

 思い思いに枝を広げる若木がまばらに生える庭の真ん中に、黒髪の人影がある。

 その姿を見るや、傍らの青年が片膝をついた。

「デュー・アルドヴィエル、主命により帰還致しました」

「来たか」

 もの柔らかな笑みをたたえた初老の男がこちらを向き、ゆったりと頷いた。

「無事の到着、何よりだ」

 自分も(ひざまず)くべきか迷っていると、男の金褐色の目がエッタに移る。

「そなたの弟子とは、このお嬢さんかな」

「はい。三年前から弟子として預かっておりました。此度の召還にあわせ、学院への入学を希望致しましたので、院長のご許可をいただきたく存じます」

 院長。ということは、この魔法学院で最高位の人と言うことか。

―――そういうことは先に教えてください師匠!!

 姿が変わろうと若返ろうと、相変わらずの非常識っぷりに安心したようなそうでないような恩師に腹の中で毒づきながら、慌てて荷物を床に置き、軽く膝を折って礼をとる。

「お初にお目にかかります、院長様。リュエナ・マルチェリエッタと申します」

 礼儀にかなっているかわからないが、それ以上言いようもないエッタに、院長が笑みを返した。

「ようこそ魔法学園シャーグリーウスへいらした。当院は門を叩く者を拒まぬ故、存分に学ばれよ」

「……ありがとう存じます」

 これで入学が許可されたのならずいぶん簡略なものだが、この後に試験でもあるのだろうか。

 受かる自信は皆無なのだが。 

「デュー、語らねばならぬことは多いが、またあとにしよう。リュエナ・マルチェリエッタ、望む者にこそ道は開く。励みなさい」

「はい、院長様」

 エッタが今一度頭を下げるのと同時に、隣の青年も立ち上がって一礼する。

 二人が顔を上げた時には、重厚な扉が中庭と廊下を隔てていた。

 

 

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