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光の都(3)

 

 

 王都に発つと決めてからは、目が回るような数日だった。


 次の魔法使いに引き継ぐと決めた家は、エッタがこまめに片付けていたおかげでそれほど面倒はなかったものの、問題は里の方だった。

 翌日、師匠がエッタを連れて里に行くや、否、山を下ってくる姿を見つけたのだろう、村に入る前から二人の周りにはたちまち人垣ができてしまったのである。

 大魔法使い(アーデレオン)を囲んで感謝の言葉を繰り返す村人たちから、騒ぎを知った村長(むらおさ)が救い出してくれて、向かった先は神殿だった。

 道中の息災を祈る言葉と共に、小さな銅符が渡される。

 一つは、神殿の護符。もう一つは、エッタと村の名が書かれた、身元の証となるもの。

 その二つを革ひもに通した手形である。

 旅人が必ず所持する銅符で、これがないと入れない場所もあるらしい。

 どんな時に使うものかエッタには見当がつかないが、命の次に大事にと神官に申し渡され、ありがたく押し頂いた。

 次は、むしろ神殿より緊張する場所だった。



 日干しレンガの赤い屋根、藁まじりの漆喰壁。

 掃除が行き届いているとは言えないが、鎧戸も枠組みも一つとして歪んでいない。

 なんで自分の家なのに、こんなに構えなくちゃいけないんだろうと思いつつ、家主の几帳面さを示すようながっしりした扉を、一つ息をしてから開く。

「ただいま」

 喉に少しからんだ声に、中にいた人が振りかえった。

「おう」

 短い返答。

 いつもと変わらない声。

「……おとうさん」

 それきり言葉が出ない。

 行かせてくれてありがとうとか、一人で残してごめんなさいとか、いいわけじみたことまで色々考えてきたのに。

 のしのし、と形容するような足取りで近づいてきた父親が、大きく分厚い掌をエッタの肩にのせた。

「体に気をつけてな」

「……うん。おとうさんも」

「ああ」

 ただそれだけのやり取り。

 エッタが弟子に出てから幾度か交わしたのとおなじ会話。

 けれど、今まで何気なく答えていたそれに、もっと深い意味があったと気づいた。

 元気でいてさえいれば、どこにいたっていい。

 妻を、母を亡くした二人の間で、これ以上の言葉はなかった。

 父親が、エッタの後ろを見る。

「娘を、よろしくお願いします」

 いつかのように深く深く頭を下げられた師匠が、礼に応える。

「必ず」

 短い返事に、父親がもう一度頭を下げ、それからエッタの肩をたたいて送り出した。

 無愛想なのも、言葉が少ないことも、愛情の深さとは関係ない。

 それがわかっているから、笑顔で行ってきますと告げることができた。



「後任を承りました、薬術師のウィルナです」

 エッタに向かっておっとりと会釈した魔法使いは、年の頃ならエッタの父親より少し下だろうか。

 長く伸ばした灰色の髪が印象的な、温厚そうな男だった。

 師匠とは親しいのか、ほんの二、三言挨拶らしきものを交わしたあとは、早々に村人たちの既往歴や周囲の森に自生する薬草など仕事の引き継ぎに入った。

 薬術師と言うだけあって、医療に詳しいのだろう。エッタの親指ほども厚さのある診療簿をざっとめくって頷いた。

「この近くは、よい薬草が取れるようですね。村のことは私が責任を持ってお預かりします。どうぞお心おきなく」

「よろしくお頼みする」

 丁寧に診療簿を扱うウィルナの手付きから、人柄が見て取れる。

―――どうか、皆をお願いします。

 師匠の横で、エッタも一緒になって頭を下げた。

 ささやかな夕食を共にしたウィルナを、仮宿の村長の屋敷へ師匠が送っている間、エッタは裏庭の羊たちの中にいた。

 8頭の羊、1頭の山羊。

 その1頭1頭の名前を呼んで、頭をなでてやる。

 ごめんね、と言いながら。

―――ごめんね、一緒にいられなくて。

 最後の1頭、黒い羊が横目でエッタを見た。

「マノー、今度の魔法使いさんは、羊の番はできないんだって。前にあんたを飼っていたゼインさんが全員引き取ってくれるそうだから、また皆をよろしくね」

 屈みこんで羊と目線を合わせてみる。

 目つきの悪い先輩羊は、横目のままベエと鳴いた。

「……ハイとかヤダとか言いなさいよ、最後まで嫌味なんだから」

 嫌がらせにその首にしがみついてやると、今度は本当に嫌そうな鳴き声がする。

 すこしやり返せた気がして、暖かい毛皮にごしごしと顔をこすりつけた。

 後ろから足音がするのに気がついたが、誰だかわかっているから振り向かない。

「ひどいんですよ。マノーったら、最後まで言うこと聞いてくれないんだもの」

 羊にしがみついたままの弟子の頭を、大きな手が軽く撫でた。

 その優しい掌にまた涙がにじんで、もう一度マノーで拭いてやる。

 しみじみと迷惑そうに鳴く羊に、二人で少し笑った。

 


 この家で過ごす最後の夜は、少しさみしくて、いつものように穏やかだった。

 

 

 

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