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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

あなたの腕をもいだのは私

作者: 調彩雨
掲載日:2026/08/11

 ああ、ついにこのときが来たか。

 浮かんだのは、そんな諦念じみた思いだった。

 つい、浮かびそうになる苦笑をこらえ、口を開く。

「好きにすると良いわ」

 目の前に立つ男は驚きに目を見開いたあとで、訝しがるように私をうかがった。

「本気で、言っていますか?」

 頷く。

「あなたには、その権利があるもの」

「僕にどんな、権利があると?」

「知ったのでしょう?」

 目を閉じる。覚悟していたとは言え、刃を向けられれば恐ろしい。それに、無防備に目を閉じる姿は、無抵抗の意思表示になるだろう。

「あなたの腕を、もいだのは私。あなたの右目を、くり抜いたのも私」

 両腕と片目のない生活は、どれほど大変だっただろうか。いくら義手と義眼があると言っても、本物の手や目の代わりにはならない。

「あなたの脚を、切ったのは私。あなたの顔を、焼いたのも私」

 腱を切られてまともに動かない両脚も、右頬にはっきりと焼き付けられた奴隷印も、不自由さに拍車をかけただろう。

 それがたったひとりの人間の命令によるものと知れば、どんな感情が浮かぶかなんて、火を見るより明らかだろう。

「私を恨み、復讐したいと思うのは、当然のこと」

 殺したいと思うか、同じように腕や目を奪い、脚を不能にし、奴隷に落としたいと思うか、どちらかは知らないけれど。

 そのくらい、覚悟の上でやったのだ。

「それで気が済むなら、好きにすれば良いわ」

 目を閉じた私に、目の前に立つ彼の表情はわからない。わかるのは、興奮か憤怒かに乱れる呼吸を、押さえ込もうと震える息遣い。何度かの深い呼吸音ののちに、落とされた声もまた、震えていた。

「あなたは僕が、あなたを恨んで、手にかけると?」

「それだけのことはしたでしょう」

 年端も行かない少年に、一生の傷を負わせたのだ。それもただ傷が残るだけではない、後々まで生活を脅かす、重い障害が幾重にも重なる傷を。

「僕がそれで、納得すると?」

「私ひとりで、納得して貰うしかないわね。残念ながら、私に差し出せるのはこの身ひとつだもの」

 私の罪は、私のもの。誰かに肩代わりさせるなど、許されることではない。

「だからこの身は、あなたの好きにすると良いわ」

 十五年前とは、立場が変わった。

 私は身分を失い、彼は強い後ろ盾を得た。

 だから私に復讐しても、もう彼が立場を悪くすることはない。

 首に触れたのはやいばではなく、刃のように冷たく冷えた、震える義手だった。震えのせいでどこかのパーツに肌が引っ掻かれたか、チリ、と痛みが走る。

「自分を、恨んでいると思う相手に、それを告げる意味が、わかっているのですか?」

「無事には済まないでしょうね。でも、自業自得だわ」

「謝罪も命乞いも、するつもりはない、と?」

 それで許される範囲のことではないだろう。

「みっともなく泣いてすがる姿を見たいなら、そうしてもかまわないけれど」

 求められていない謝罪など、自分のためだけの命乞いなど、ただの自己愛でしかない。

「あなたは」

 首に触れた指が、強く押し付けられる。

「変わりませんね。ずっと」

「変わる必要がないもの」

 けれど変わらないと言うなら、

「あなただって、変わらないわ」

 憎い相手であるはずの私に、ずっと丁寧な口調のまま。

「もう、私を敬う必要なんてないのに」

「敬えと、逆らうなと、教え込んだのはあなたでしょう」

「そうね」

 小さな子供に鞭を打ち、失敗を許さなかった。不自由な脚を引きずる姿を、片目の視界で犯す不手際を、みっともないと罵った。

 きっとそれもまた、恨みや怒りを募らせただろう。

「でもそれももう必要ないのよ。私はあなたの主人ではなくなって、あなたはもう自由なのだから」

「僕は自由で、そして、あなたを僕の、思うままに扱って良いと?」

 衝動で、あっさり殺されることもあるかと思った。けれど、そんなことはしないらしい。

 苦しみが長引くのは遠慮したいが、そんなわがままの言える立場ではない。

 彼の一生を、私が変えたのだ。治ることのない怪我を、幾重にも負わせて。

「さっきからそう言っているじゃない。なあに?突然ものわかりが悪くなったの?」

「ものわかりなんて、良かったことはありませんよ。なにもかも、あなたの言うままに生きて来たのですから」

 ああ、そうだった。

「でも、これからは、自分で考えて動くのよ。私はもうあなたの主人でなくなったし、あなたは自由になったのだから。自ら学び、考え、道を選ぶ。それが自由を得た者の責任だもの」

「あなたは」

 首の後ろを押される、いや、首を、引かれているのか。

「その責任を放棄しようとしているのに?」

「それは違うわ」

 自由を失う決断をすること。それもまた、自由を持つ者の義務を果たしたことになる。

「私は私の自由の下に、この身を償いとして差し出すことを選んだの。私が自由を失うならば、それは私の選択によるものよ。考え選ぶ責任を、放棄したわけではないわ」

「では、もし僕が、自分で考え選ぶことなど出来ない、これからもあなたに主人として君臨し、全てを決めて欲しいと願うなら、それもまた、自由を得た者の責任を果たしたことになると?」

 思わぬ発言につい目を開く。思った以上に近い位置に、彼の顔があった。

「確かにそれがまかり通るならば、それも選択肢のひとつではあるけれど」

 誰が認めるだろうか。そんな歪な状況を。

「良い大人がそれは、みっともないと思うわ」

 諌められるし、憐れまれるだろう。虐げられた幼少期により、歪んでしまった人間として。

「なあに?そんなにも、奴隷根性が染み付いてしまっているの?せっかく自由になったのに、惨めったらしくてみっともないわね」

「そうでもしないと」

 首に掛かった手が絞まる。掴まれているのは首の後ろからだから苦しくはないが、痛い。

「馬鹿なことをしそうなんです」

「あら」

 それでも、嗤って見せた。

「過ちを犯すのも馬鹿なことをするのも、自由を持つ者の特権だわ。たとえばそれで死んだって、自由を満喫した証左だもの。なにも悪いことはないわ」

 じくりと痛むのは、力を込められ過ぎた義手の指先が肌を穿ったからか。

 身を屈め、間近でこちらを見つめる彼の、荒い息が顔にかかる。

「それに自分が巻き込まれるとしても、悪くないと言うのですか?」

「ええ。さっきから言っているでしょうに。あなたにはその権利があるのだから、好きにすると良いって」

 不意に、首に回された義手から力が抜けた。するりと背をなでた義手が、腰に掛かる。

「そう、ですか」

 ぐいと腰を引かれ、耐えきれず立ち上がった身体が、彼の身体にぶつかる。

「そうです、か」

 このまま、絞め殺すつもりだろうか。

「柔らかい」

 それはそうだ。

「労働なんて、したことがないもの。硬くなりようがないわ」

「こんなに、柔らかいと、思っていませんでした」

「あらそう?」

 ああ、そうか。

「言われてみればあなた、義手以外で私に触ったことはなかったわね」

「それが許される立場になかったので」

「普通はそうよね。なんなら、奴隷が触れるなど許さないと言う主人もいるくらいだもの」

 貴人の身の回りの世話を許される立場になるにも、ある程度の身分はいる。たとえば王族や高位貴族なら、使用人すら貴族であるのが当たり前だ。

「あなたは許していましたが」

「信頼に足る使用人が少なかったのよ」

 ごつりと頭に触れたのは、彼の頭か顔か。

「髪も、こんなに柔らかかったのですね。細くて、滑らかで、僕とは大違いです」

「ずいぶん痛んだけれどね」

 地位をなくした以上、前のような生活は出来ていない。当然、手入れが行き届いているとは言い難い。

「ずっと」

 彼の手が、義手の指が、肩に、腰に、食い込む。

「あなたに触れてみたかった」

 殺すため、恨みを晴らすためだろうか。

 煙るような香りが身を包む。

「あなたを、誰にも渡したくなかった。あの男から、奪いたかった」

 ぱちり、と、目をまたたいた。

 それは、囲い込んで復讐をしたかったからだろうか。幸福になるのが、許せなかった?

「僕が好きに、して良いのなら」

 苦しい。あばらが、砕けそうだ。

「僕のものになって下さい。あなたがみじめで、みっともないと蔑んだ奴隷の妻に。それが、僕があなたに望むことです」

「…………妻に?」

「ええ。好きにして良いのでしょう?」

 確かにそう言ったが。

「ええ。好きにして良いわ。けれど、随分と酔狂なことを望むのね?」

 こき使うなら妻にするより、奴隷か妾にでもした方が良いと思うけれど。

「わかっていると思うけれど、家事なんて一切出来ないわよ?教わったことがないもの」

「わかっています。あなたにそんなことは求めません」

「そうなの?」

 ではなんのために、妻になどしたいのだろうか。

「……もしもそれで私が屈辱を覚えると思っているなら間違いよ?そんなことで穢されたとは思わないし、それが罰になると思っているなら、あなたちょっと自分を卑下し過ぎね。自分を安売りするのは感心しないわ」

「元奴隷に自分を好きにしろと言っている、あなたにだけは言われたくないですね」

 確かにそうか。

 否、私の場合は。

「ひとひとりの人生の対価として売っているのだから、むしろ随分高く売り付けていると思うわ」

 彼の人生を滅茶苦茶にした対価なのだ。与えた苦痛の大きさを思えば、私ひとり差し出して支払いを済ませようなんて、虫が良過ぎる話だろう。それ以外に差し出せるものがないので、どうしようもないのだが。

「それでも僕は、あなたが欲しいのです」

 やはりなんとも酔狂な話だと思うが、好きにしろと言ったのは私だ。

 私に思い付かないだけで、その先に壮大な復讐が待っているのかもしれないし。

「まあ、好きにすれば良いわ」

 安請け合いしたその時の私は、彼からとんでもなく溺愛されて困惑することになるなんて、予想だにしていなかった。

拙いお話をお読み頂きありがとうございました


欺瞞と不正に満ちた長い人生の

ほんの一瞬の切り抜き


お好きに前後や裏事情をご想像頂ければ幸いです

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