素晴らしい人生
2026年2月25日
…朝だ。サンサンと、太陽は陰鬱な私に構わず日を浴びせ、陽気の押しつけを行う。
昨日、南の空に見えた上弦の月を恋しく思った。
変わらない。何ら変わらない。凍える、冬の朝だ。何度も私の記憶にこびりついてる朝だ。
素晴らしいではないか、朝からこんな気分に浸れて。
しかし、また経験したいと思うかは別だ。今日だけのonly oneで十分だ..
そんな無駄な思考を巡らせる。身支度を漣の様に済ませる。
少し、胸が刺される思いがした。私はそれには構わず、日課の朝風呂に入る。
人生とはこんなにも単純な物で幸福を得られるのか、と思うと少し自分が情けなくなった。
でも、これでいい...キット、これでいい。
……………………………………
雫の音がした。結露の水らしい。どうやら私はこの心地よさに溺れていたらしい。
….もし私が本当に目を閉じたまま溺れたらどうなるか。それが如何に心地いいだろうか、そんな事を思ってしまった。こんな所で死ぬなんてとんでもない。私は余りにもやり残した事があるのだ。生きる理由が無くても、別に
死ぬことはないじゃないか。素晴らしいことに、いつの間にかだいぶ長湯していたらしい事に気づいた。もう、下弦の月は南空には見えない頃合いとなった。私は慌てて脱衣室に出て、立ち眩みの心地よさに勝ち、着替えをした。この日常という素晴らしさを噛みしめる。
何故こんなにも寒いんだ、と修辞疑問を繰り返す。私は、そんな全く無意味な行為に自分で辟易してしまう。
着替えてるとき、サッシにびっしりと付いた水滴が見えた。全く、頑張っているものだ。こいつらはワイパー一振りで死んでしまう命なのに、ただ蒸発するか落ちて木材に染みるだけなのに。素晴らしいことに、そんな命なのに
それでも懸命に生きようとただそこに留まっている。私も見習わなければならないと思った。生は、意味が無くても諦めるべきではないのだ。下らんことを思っていたらいつの間にか着替え終わっていた。
さて、もう隣人の部屋から無機質なアラームの音が雲のように聞こえる時間となった。さて、登校しよう。
ドアノブが結露していることを知る。その冷たさを知った。日射が強いことを知る。今日はにわかに人が居ないと知った。
兆に一、この場で記憶を失ったら、白紙の気分でこの道を歩けたらどれだけ楽しいだろうか?
素晴らしいではないか。曲道の先の風景のありきたりさで億劫にならない。コツコツと、音を立ててアスファルトの硬さを感じる、それが冒険なのだ。キット、そのアスファルトは床にこぼした炭酸ジュースのように輝いているだろう。
あぁ、今すぐにでもその様な頼りのない、放浪の旅をしたい。心臓が浮く気持ちを感じたい。
そうであれば、今見えている空はもっと高くなるだろう。異国の地に足を踏み入れるような気持ちになるだろう。
この妄想を現実に戻したのは、路肩に置いてあった眩しい青色のアクアが出したクラクションによる耳鳴りだった。
あぁ、そうだ現実は、覚えるほど何度も歩いた道だ。不運も、幸運も共にした、そんな道だ。
そんな道を歩く。アスファルトは酷く美しく輝いていた。ただそれだけだ、陽気を商品にするセールスマンの様だった。歩道と言うには議論が必要なほどの存在の上を歩く。
対向車が来たので思わず身をすくめ、制服が汚れるのに構わず電柱と外壁の間を通り抜ける。
あぁこのもやしの様な、あぁ白い米を味わったことが無いであろう身体が役にたった刹那だった。
自分が細身でいて良かったと思った。
前には、10歳の少年の心を想起させる、一直線な道がある。前には委員会の関係で知り合っている後輩と見知らぬ顔が三位一体となっていた。あいつはあんな風に笑い、あんな崩した言葉を使うのかと思った。私は委員会での彼女しか知らなかったから。プライベートな彼女は素晴らしく新鮮だった。
私の学び屋についた。学級委員としての仕事を済ませる、ただ連絡をホワイトボードを見て確認するだけだ。多くの教員と会った。
挨拶をする。鬱陶しいと思う、多くは語らない。この語で十分だ。挨拶は好きなのだ、しかし、普段は挨拶のあの字すら返さぬのにここだけは一丁前におはようなどと抜かす。私も真面目だからか細い声で会釈のようなものをしてみる。「大丈夫か?」と聞いてくる。貴様がそう思うのであれば大丈夫じゃないだろう。極めて無駄な時間だ。その後のオチが見える見える、超能力者になったかのようだ。朝からストレスを貯め、無駄に多い階段を一歩ずつ上がる。その姿は恐ろしくつまらなかったであろう。
陰鬱。何故だろう、この熟語が恐ろしく似合う。何故だろう、心臓がいつもより小刻みに鼓動する。何故だろう、胸が不意に刺された気持ちになった。断っておくと、学校は楽しいのだ。楽しいはずなのだ。心がそういってる、間違いない。自分の心の中で気持ちが喧嘩してる。
教室に着いた。最早自暴自棄となってファスナーを開け、教科書を出す。一度、教科書を机上に広げた後、
視点は教室に展示されていた書き初めに移った。これら無責任な希望達は雄々しくたなびいていた。
とりわけ、優秀な作品であると示す金の短冊が貼ってあるものは指揮者の様に見えた。風という名の音に乗って、
エアコンと雑音と道路から聞こえる機械音達とで朝を演奏していた。心地よくはない。ただ、何故か、生を実感した。涙が出た気がする。8時5分。いつの間にか300秒もこの空間に浸って居たようだ。
ダダダ、この教室の扉が開いた。私は冷水を浴びせられた様な気持ちになって、客人の方に視線を移した。
大嫌いな、学級委員会担当の教員だった。「おはようございます。先生がこの時間に来るとは珍しいですね」
私なりに、この失礼な客人に対して精一杯の対応をした。無礼者は言った、「暁くん、昨日の感想は120点だったよ。流石だね」と。昨日の感想とは、昨日にあった講演会の話だろう。私はその講演者に対して、学年を代表して
当たり障りのない、順当な優等生として整った感謝の意を表す言葉を述べた。私はこう言った。「要件はそれだけですか?もう少ししたら貴方たちの会議のお時間だと思いますが?」因みに、私は京都人ではない。しかし、
今すぐに京都に住んでも申し分ない皮肉を述べた。無礼者は家内に嫌いと言われたような、川の流れが突然逆向きになったような、そんな顔をしてすり足をしながら帰った。どうやら私はよっぽどの反抗期らしい。
反省をした。しかし後悔はしていない...これが自分だから。
ふと見ると、あるA4のカラーコピーされた紙が視界に入った。内容は...給食室から、3学年に対して今までの
感謝を述べた内容だった。しかし、その日付は2週間前であった。もうこのプリントはいらない。だから私は
リサイクルボックスにいれた。いわば捨てた。別にしなくても良い。でも、どうせすることだから、私がしたら
その分クラスはよく回る。この感謝状を捨てるという行為が社会、道徳的に善しとされるのだ。
….なんとも矛盾である。恐らく、遺品整理で故人のものを捨てる清掃員の気分はこれに近しいものがあるのだろう。そう思った。
8時10分。この時間帯で好きなのは、学友とありふれた会話をすること。傍から見たら恐ろしくつまらなく、意味のない話だ。昨日も同じ話をした。しかし、特別にこの会話にそれは求めてない。
無駄を楽しみたいわけではない。人間と話す、そして時間を感情の共有の為に費やす。素晴らしいではないか。
感情は皆同じである。しかし、それに言葉という名の翻訳機を介すると不思議と個人の信念と相違が生まれる
欠陥品ではない。不思議なもので、そういうものだ。だから、私は最近思ってしまう。相互理解、人類平和を信念として掲げる。これは如何に無責任な事なんだろうと。条理が通らない話だ。人の感情を、違いを、本質を、
すべてを無視した無責任な思想だ。でも、でも、でも、言って良いじゃないか、この無責任な事を。
自分でも何が言いたいか分からなくなる...黒い影が自分を横切った気がする。どこに思考の余地があるんだ?平和を望む、素晴らしいではないか。その論理に突っかかる…私はそんなことをしていたのか?私は争いが一番に嫌いだ、平和を望む。そんな人間であったはず…
最近、こんな影が私の心に住みついた。反抗期の子供の魂…反抗心の源だろうか?そいつを押さえつけながら 授業を受け、興味関心が湧く、本で読んで知ってる内容でも興味関心がある様、振る舞う。鬱陶しく絡んでくる、不思議なくらいにハイテンションな人間を横目に…
さて、5時間目は家庭科の調理実習があった。作る料理は肉じゃがであった。
私は火の当番だ。周りが豚肉を切ることに苦戦しているのを横目に、火加減を見極める。何故ここまで大きくジャガイモを切ったんだ...と同じ班の人間に恨みをためた。しかし、私は煮崩れしているのが好きなのだ。だからさほど支障はない。少し皿洗いの手伝いでもしようかと思ってたら、節介にも家庭科の教師が火を止めてくる。
煮崩れしてるからちゃんと見ろ、との事だ。思想を押し付けられる事への苛立ちを覚えた。まぁ結果としては凡庸な料理が出来たから良かった。しかし、今日はそういった、意見の対立...いや、正確には常識の違いを目の当たりにした気がする。そんな、素晴らしい日常を噛みしめ、今日も暮れに差し掛かる。
無駄だった、黒い影はそう言いたげにニヤつく、胸の中で暴れる。しかし、それは誤りである。こいつらは、いつの間にか人生の意義を「しなければならない事をする事」と定義づけしたがる。違うのだ、達成できなくたっていい。達成できなくても無価値ではない。そう小さく叫んでみる。....日が沈む。清々しい気分に浸る。何も成し遂げてない、何も特別な事は果たしてない。素晴らしいではないか。いいじゃないか、そんな日を過ごせたことを誇って。私は誇る、胸を張って。
一仕事を終えたかのように風呂に入り、堂々と足を組む。風呂というものは面白い。風呂は人生を表す
水面は心だ、心が乱れたときは待つのが一番良い方法だ。
湯そのものはストレスだ、多すぎてはいけない。でも、少なすぎてもそれは満足できない。
入浴は挑戦だ、自ら心を乱し、ストレスに浸かる。ただ、この挑戦は必ずしなければならない。
あぁ、こんな事を考えていると湯気で視界が覆われた。今日は軽く風呂を済ませよう。歯磨きは...まぁするか、でも勉強はもうしない。ここに宣言する。
素晴らしいではないか。皆、完璧を求めすぎてるのだ、私が思うに、人間でそんな完璧な奴がいたら国宝級だ。でも、不思議でその国宝がさも当然かの様にいる。どこかでみんなキット、無理してる。さらけ出そうではないか、ホントの自分を。
黒い影も無い、見栄もない。今日は何もしなかった、と堂々と友人に、先生に言って誇ろうではないか。
とても偉いことなんだから。存在するだけで万歳、親はそう思うだろう。10人の8点より、たった一人、二人が思う10点満点がいいに決まってる。それを目指そうではないか。
あぁ、南からそれた空に不細工な月が見える。
この月は私を笑っていた。でも、優しかった。私は月と意思疎通が出来た気がして満足した。
この不細工な物が放つ、黒みがかった淡い色は私の網膜に染みついた。是非とも誓おう、この素晴らしき日を。
今日はそんなことを思いながらまた陰鬱な心をはぐくむ。しかし、恐れる必要はない。
どうぞ、私の心で育てばよい、勝手に陰鬱な気分にさせてくれればいい。別にそれはホントの私とは異なるんだから......
そうやって、子守歌の様に聞かせ、いつしか眠りにつき、気分の悪い目覚めで翌日をまた、始める。
読んでくださり有り難うございます。
この小説では私が人生の中で感じてきた心情の変化を表してみました。
至らない点がたくさんあると思いますが、コメントをしていただけると嬉しい限りです




