【第74話:言葉と意味としおさい】
ざざぁん
静かに力強い潮騒が響く。
夜の海岸によせアンカーをうった水上機の上だ。
先程リーシャさんの希望にそって、あの領主の街までボートで送った後だ。
アイカは水上機の上に登り月を見ている。
巨大な月はまた月齢を上げ、下弦のつるを引き豊かになってきた。
あと数日で満月をむかえるだろう月光は白々と美しく、冷たい灯りとなっていた。
アイカはこの数日の不思議な体験を噛み締めている。
(ありえない幸運?‥‥いえ‥‥もう奇跡でしかない‥‥)
アイ02はバックアップを取れた時点では、もうほとんどのデータを失っていた。
アイカは失くしてしまったものに愕然とし、涙すらこぼれなかったのを思い出す。
(また‥‥あのコードが‥‥)
アイカ自身がフェールセーフから再起動後に時々自分の中で見かける言葉。
それはコードではない、謎の言葉。
(‥‥Arī šī sirds nekad nepazudīs.)
気になって調べると、それは母国たる星間国家ですでに滅んだ国の言葉だった。
(この心も決して消えない‥‥祈りなのか‥‥願いなのか‥‥誰のもの?)
それはアイ02の中に大切に残されたデータに付いて残っていた言葉。
コピー元のアイカにもあるだろうものだった。
「アイカ?」
開けっ放しのドアからヴェスタの声がした。
「上にいるの?アイカ」
ひょいと顔をだすヴェスタはアイカを見つけ、自分も上ってきた。
「わぁすごい月だね」
ヴェスタはにっこりと笑い隣りに座った。
「ヴェスタ起きちゃったの?身体は大丈夫?」
ここまで操縦してきたヴェスタだが、昨夜あまり寝てなかったようで不調を申し出て仮眠を取ったのだ。
リーシャをアイカとジュノで送り届け、ジュノのスーツを探したが見つからなかった。
船外機付きの小型ボートで戻った二人は、ヴェスタをもう少し寝かせてあげようと時間を取ったのだ。
様子をみていたジュノは一緒に寝てしまったらしい。
「うん、ごめんね‥‥昨日なんか寝れなくて」
アイカはにっこりと笑う。
AIの表情は必要と思考して浮かべるという。
アイカの笑みはいつからかもっと自然で、なんだったらヴェスタよりも人間くさい顔だ。
「ジュノはすごく心配してたよ。自分のせいだと泣いていた」
ヴェスタはちらと下をみて微笑む。
それはとても自然で優しい笑みなのだが、意識していないからできる表情だとアイカは知っている。
ヴェスタは笑おうとするととても笑顔が不自然になる。
そんなことも思って笑みを深くしたアイカにヴェスタは思い詰めたように話し出す。
「二人の時にいつか話そうと思っていたことがあるの。今はなしてもいい?」
アイカはちょっと意外な展開だが、何をしていたわけでもないので頷いた。
「うん?なんだろ?」
ヴェスタは口が重そうに話しだした。
「これはジュノにも話してない‥‥もちろん誰にも話していないし、何処にもログにものこしていないわ」
そういってヴェスタは再起動前に潜ったアイカの中で見たことを話す。
愛佳とアイカとAIKA-01の話だった。
アイカはどうしてか『愛佳』という名前になにかが反応してしまう。
「もしかしたらとてもプライベートなお話かなって、ジュノにも伏せたの‥‥アイカは自分では自覚のあるお話なのかな?」
アイカは話しをききながらずっと考えていて、推論でほぼ正解だろう答えを考えてあった。
「‥‥恐らく今のミッションに就く前に色々整理されていて、その前の記憶が残っていたのだと推察します」
自分で告げながらもチクリと胸がいたいアイカ。
愛佳と名前を聞くだけでも痛むのだ。
AIの記憶などそうやって都合に合せて変わるものなのだとも皮肉に考えた。
「アイカは未発表のプロトタイプなので、コピーを取らずリセットして回されたのだと想像しました」
アイカの中にまたあの言葉が蘇る。
(この声は決して消えることはない‥‥この心もまた‥‥そう祈った‥‥誰が祈ったの?)
固有の人格すらもつ高度なAIたるアイカには、さまざまな情動に対応するモジュールが組まれている。
どう調べてもそれらではこの言葉を解釈できなかった。
言葉の意味はもちろん理解できるが、誰がなぜ何時と考えても答えはなかった。
「特に秘さなければいけない話ではないと思います」
無理矢理にでもただのデータなのだとアイカは考えようとする。
ふわりとヴェスタが横から抱きしめてくれる。
ちょっとだけ驚いてヴェスタをみるアイカ。
ヴェスタは目を閉じてアイカの頭に頬を寄せていた。
すっと甘いヴェスタの香りと温度がアイカに届く。
じわりと言葉が湧いてくる。
「この‥声も‥‥‥‥こころも‥‥」
なにかとても大切なものがそこにあるのに、手が届かない。
アイカの視界が滲む。
制御できない涙が溢れ出したのだ。
「うっ‥‥うぅ‥‥」
お嗚咽をこぼすアイカをぎゅっとヴェスタが強く胸に抱いてくれる。
「いい子ねアイカ‥‥いいのよ‥‥悲しいときは泣けばいいの」
ヴェスタにはアイカの心が見えているかのようにふるまう。
途中からアイカはずっと泣きそうな顔でヴェスタの話しを聞いていたのだ。
我慢できなくなったアイカはヴェスタの胸に抱きつき、声をこぼして泣き続けるのだった。
ヴェスタはアイカの声を漏らさないとするかのように抱え込み、すこしでも自分の温度を伝えたいなと思った。
(きっとあの悲しいお話はアイカの中にある大事な思い出なんだわ‥‥自分でも‥‥わすれてしまっている‥‥大切な記憶)
「ごめんね‥‥アイカ‥‥誰にも言わないし、私も忘れるようにする。しようと思ったわけではないけど‥‥覗き見たことを赦して」
アイカは泣きながらぶんぶんと首をふる。
何を否定したいのかは解らないが、それはアイカの心なのだとヴェスタは想った。
ヴェスタの中にもあの悲しい物語があり、胸が痛くなる。
アイカの大切な何かを暴いてしまった心苦しさもそこにあった。
そして自分以上に、今アイカは悲しいのだと、直感で理解していた。
アイカの静かな嗚咽が波の音と重なりヴェスタの耳を打つ。
ときに激しくなり、静けさをはさみ、かさなり溶け合って優しくと、なめらかな波を刻んでいった。
大きな月はただ静かに中天にあり、虹色のプリズムをまとっていた。




