【第648話:ミラサネル共和国の民】
カルサリクの西に原生のまま残されている森がある。
街に近い一部だけ伐採されて建材にされるが、森の奥には入らないし、ちゃんと植林して森を減らさないようにと心がけてきた。
カルサリクでも50%を越える現地の人間にとっては、この森は聖地の一歩手前。
敬うべき土地なのだ。
今では口伝として一部に残すのみとなったが、女神ラウマへの信仰は根強く人々の中に残っている。
どんなに欲深いものでも、森の奥に進み恵みを奪うことはしない。
猟師たちでも森の奥にある湖までは獲物を追わない。
その聖地とも言える森の奥に隠された湖のほとりに、へばり付くように人々が隠れ住んでいる。
世紀を戻ったように手作業で建てられた建物は、みそぼらしく十分な数もない。
「ラウマさま‥‥御慈悲を」
木こりや、その能力のある大工の一部が森を切り開くために祈りを捧げる。
技術のない者達を、大工達が指導し作業をしていた。
もう祈りの言葉は失われてしまったが、信仰の心は残っている。
お許しくださいと女神に祈ってから木を切り、建材に加工するのだった。
この聖地とし侵さないと決めたのは現地の人間で、聖王国から領土を主張されたわけではないという。
なにかその慈悲に返したいと、祈りとして聖地を定め踏み越えなかった。
「おじさん、ごじひってなに?」
小さな男の子が、危ないから離れていろと言われるのに、気になって何度も側に来る。
「あぶねえから、あっち行ってろと言ったぞ?‥‥」
怖い顔で追い払おうと思ったのだが、思いがけず大人びた顔に怯み、説明してしまう。
「女神様に、勝手をしますが許して下さいとお願いしたんだ」
そういって湖の方をみやる、年嵩の木こりはその果てに連なる大きな山脈に視線をやった。
「あの山の向こうは、女神様がおられる土地なんだ。この場所も本当は入ってはいけないと定めた場所だ‥‥」
よしよしと頭を撫でてから、離れていろよとまた言う木こりが作業に戻った。
男の子は笑顔で見送ってから、木こりの見ていた先を見て、また表情を消した。
じっと湖の果てには青くかすむ山。
その高い頂きには夏でも白く雪が残る。
静かな視線が淋しそうに落とされた。
ぎりと食いしばった唇から微かに声が漏れる。
誰にも聞かせることは許されないと、小さいながらに解っていた。
この作りかけの集落は、女神様に祈りを捧げる者達の村になるのだから。
「女神さまなんていないよ‥‥」
父も母も毎日祈りを欠かさない、熱心な女神様の信徒だった。
喜ばしいことがあれば捧げ物をし祈り、辛いことが有っても、女神様の教えだと恨みを吐かない立派な両親だった。
なによりも愛情にあふれ、二人の男の子を立派に育てて来たのだ。
それでも帝国の蹂躙からは守られなかったし、自分達子供だけを逃がし生命を落とした。
「おとうさんも、おかあさんも助けてくれなかったもん‥‥」
そうつぶやき、慣れてきていた喪失の痛みがぶり返し、ぎゅっと服の上から胸を掴み耐える。
兄と二人きりで生きていくのだと、誓ったから。
捧げるべき先を否定した子供は、何に誓えばいいのかわからない。
「いないのなら‥‥なににちかえばいいの?」
そうして男の子は枯れ果てたと思っていた涙をまた落とすのだった。
木こり達に背を向け、声を殺して。
カルサリクのある大陸側のミラサネル共和国は、既に帝国領カルサリクと名を変え入植者も入ってきていた。
かつての住人の一部がこうして森に隠れ住む傍らで、
ウルヴァシャックの南に出来た難民キャンプのような集落は、予想以上に上手く運営されている。
まるで災害時の支援に慣れている、専門家のような人々がいるから。
40年前にリステル達が指導し、大災害を自らの手で乗り越え、他国へ差し伸べることすらできたミラサネル。
その当時を知る国民達は、胸を張って当時の指導を語るのだ。
「これはかつてリステルさまとマナミさまから直接指導を受けたマニュアルだ‥‥記念にと残していたのに、とても役に立った」
そう言って同じように当時を知り、中にはラカンラマンや、ラヴァナドゥまで災害支援に行った経験をもつ老人も居た。
彼らは当時ミラサネルが、ラウメン聖王国が示してくれた慈悲を忘れていない。
同じ南方の中でも助け合いながら、共に乗り越えた誇りがあった。
「俺はかの聖騎士さまと共に作業をしたことも有ったのだ」
そう言って当時の資料を見て仮設の住居を建てていく。
何処から持ってくるのか、とても具合の良い建材が幾らでもあったので、今では40棟を越える長屋が建っている。
ミラサネル軍の一部も、このキャンプを隠し守ってくれる。
ときには物資も持ち込んでくれるので、とても助かっていた。
今日も足りなくなってきていた建材を、トラックに積み運んできていた。
イーシヤン塾の若者たちは、キャンプの人々にも受けが良い。
「イーシヤン将軍の配下の軍人さんは、優秀だな。ありがたい‥‥」
そういって老婆に拝まれるシャイラは、言われたようにしているだけなので、申し訳なく思ってしまう。
このキャンプを設計しているのは、そもそもアイカだ。
丁度いい大きさで、くたびれた見た目の作りたての建材はジュノやヴェスタ達が軍の車両に積んでくれたものだ。
あまり綺麗な建材だと、万が一帝国に見られた時に出どころを疑われるだろうと、気を使っている。
下ろし終わって、そのまま軍に戻すためにウルヴァシャックを目指すシャイラ。
今日は塾生の男子とペアで作業に来ていた。
「まぁ‥‥この規模の集落になってしまったら、もう隠しようもないけどね‥‥」
そう言って、車両を運転するいかつい身体のナジードが笑う。
シャイラの倍もある体躯は、軍用トラックのハンドルを小さく見せる。
「それもそうだよね‥‥リステルさま達はそれでも民の前には出ないと言っていたし、内緒にしなきゃね」
シャイラもそう答え、後ろにくくっていた赤い髪を解き、櫛を入れるのだった。
作業の邪魔になるので結んでいたのだが、暑くなってきてほどいたのだ。
今後の予定は聞いていたので、今後もリステル達の代わりにシャイラ達が前に出る予定だった。
あくまで裏方に徹したい理由も聞いていたが、自分達の手柄のように言われると、心苦しいのだった。
「まあしばらく帝国はミラサネルに構えなくなるとリステルさまもおっしゃっていたわ。ここからがあたし達の働くところだわ」
うんうんと、自分の言葉にうなずき言い聞かせるようなシャイラに、真剣な顔でナジードも答えるのだった。
「先払いで褒められた分は、頑張らないとな!」
運転しながらナジードは、くくっと自嘲的に笑う。
「あまり目立つのは好きじゃないから、そこはシャイラとかスリヤに任せるよ‥‥特務少佐どのぉ!」
くははっと遂に我慢できず、先日の衣装を思い出してナジードが笑う。
ぷくっと頬をふくらませるシャイラ。
「覚えといてよ!ナジード!クロコンの訓練でボコボコにしてやる!」
「いやっごめんてええ!?」
7人の中で、最も近接戦闘力が高いのもシャイラだった。
慌てたナジードがとりなすのだった。




