【第26話:いま伝えたいこと】
朝食を食べた。
いつかと同じような感想をジュノは持つ。
(それでもお腹は空くんだな)
気持ち悪くてなにも食べたくないと昨日は思ったのに、今日は身体が生きろとうるさい。
携帯食のバーは味気なくて助かるなと、ジュノはぼんやり思いながら食べる。
生臭い匂いがいつまでも鼻腔に感じられるような気がして、昨日は喉を通らなかったのに。
あんなに大好きだと、心地よいと思ったヴェスタの匂いすら、嗅ぐのを恐れ距離を取った。
そういった自分の態度がヴェスタを傷つけるのではと恐れたが、ヴェスタは落ち着いていていつも通り。
20日ほど前のいつも通りだった。
まるで時間が無くなってしまって、あの時に戻ったようにヴェスタを遠くに感じる。
布一枚いらないと思うくらい近くに居たのに。
「ジュノ‥‥おかしいなと思ったことが有るの」
食後にお茶を飲みながらヴェスタが話し出す。
ごめんねとヴェスタはことわってから話し出す。
「あの日ジュノを探して森に入ったの‥‥私はとても激昂していて正しい判断ができる状態ではなかった」
ふわりとヴェスタの言葉がジュノを温める。
それはジュノを大切だと思ってくれたからだと伝わった。
昨日全く同じ気持ちを持ったので、とてもリアルにヴェスタの気持ちを察することが出来た。
「そうしてアイカにもひどい八つ当たりをした。アイカは無心にサポートしてくれていたのに」
あぁとジュノは今度はあたたかさとは違う共感を得る。
(アイカ‥‥わたしはきっとひどいことをしたのだ‥‥答えられなくなるくらいつらい思いを‥‥)
ジュノはこころが冷たくなるのを感じる。
「通信が入ってジュノの位置情報を捉えた。出来うる限り早くと向かったけど10分くらいは時間がかかった‥‥」
「待って‥‥ヴェスタ‥‥」
ジュノがヴェスタを止めて視線をあげる。
何かがカチリと噛み合った気がしたのだ。
大切な何かを掴み取ったはずなのに、ヴェスタの顔をみて吹き飛んでしまった。
そこには眉を下げ泣いているようなヴェスタ。
涙は流していないが、悲しみをあふれさせる翠の瞳に思考が乱れる。
(ちがう‥‥一緒だよ‥‥わたしのために悲しんでくれている。わたしが昨日ずっと悲しかったように)
胸が熱くなるジュノはぽろぽろと涙がこぼれた。
とても簡単に涙があふれる。
「そ‥‥そんな悲しそうな顔しないで‥‥ジュノは大丈夫だよ。もうあんな事で苦しんだりしない」
失ったように見えた時間はちゃんとあった。
焚き火を挟んでとっていた距離を回り込んで詰めるジュノ。
ふるふると怯えるように手をのばした。
ジュノの伸ばした手をすっと両手で握るヴェスタは、きれいな微笑みを浮かべた。
「よかった‥‥嫌われちゃったのだとおもってた‥‥」
そういって安堵の吐息をもらすヴェスタ。
ジュノは我慢できずにヴェスタの胸にすがった。
「ちがうよ‥‥わたしも一緒なのヴェスタ」
最初は遠慮がちに押し付けた顔を、力いっぱい抱きしめて埋めるジュノ。
「ヴェスタが苦しんだり悲しいのだと思うと‥‥胸が苦しいの‥涙があふれるの」
「ジュノ‥‥」
「昨日連絡がつかなくなって、眼の前がまっくらになったの」
ううと嗚咽をもらしヴェスタにしがみつくジュノ。
よしよしと背中をなでるヴェスタの手が暖かく感じられる。
ふわりとやさしい匂いがして、それも涙を誘う。
もっと話したいこと、伝えたいことが有るのに言葉にならない。
簡易椅子にすわるヴェスタの腰にすがり、地面に横座りになったジュノは太ももに顔を埋め泣き続けた。
遠慮がちにそっと髪を撫でられると、赦された気持ちが湧いてふっと力が抜ける。
ジュノが覚えているのはそこまでだった。
やさしい手のひらとあたたかな温度。
甘い香りに包まれて意識を失うように眠りについたから。
目が覚めるととても幸せな温度と香りに包まれていた。
地面にしいたエアマットレスにシーツが敷かれている。
ほんの少しの厚みで、やさしく温度を守ってくれるし、空気を抜けば小さく収納できる。
香りはシーツにある。
自分とヴェスタの体臭が混じったものだ。
じわとまた涙がでそうになる。
それは安心と幸せが流させる涙だった。
全部無くなってしまったと思った大切な時間を、そこに見つけたから。
柔らかな毛布もヴェスタの匂いがする。
パチっと薪の爆ぜる音がして、身体を起こしてみる。
(どれくらい寝ていたのだろう‥‥)
雲もない青空が目に染みた。
昨夜は一睡も出来なかったので、半身を起こした身体が言うことを利かない、ふわふわした感じがした。
「よかった‥‥大丈夫ジュノ?」
すこし硬いけど、柔らかくしようと努める少し低い声。
「ごめん‥‥いっぱい寝ちゃった?‥‥マットまでありがとうヴェスタ」
すぐ側に座っているヴェスタを見つけて、安心が胸を満たす。
(夢じゃなかった‥‥ヴェスタがちゃんといる)
ヴェスタはぎこちなく微笑む。
「一時間くらいだよ。昨日あまり寝てなかったの?‥‥ごめんね。気持ち悪いものを見せてしまった」
すっと目を逸らすヴェスタ。
不器用な微笑みすら無くなってしまった。
ちがうと叫びそうになって、そうじゃないと思い直す。
いつまでもふわふわする身体を従えて、ヴェスタの横に正座するとぎゅっとまた太腿に顔を埋め抱きしめる。
「ヴェスタ‥‥大好きよ‥‥何処にも行かないで」
「‥‥ジュノ‥‥うれしい」
そっと背中に手が遠慮がちに添えられる。
身体をおこしてヴェスタの手を両手で胸に抱きしめる。
自分の胸の形が変わるくらい押し付けても、足りない気持ちがある。
抑えられない衝動が沸き起こり、ヴェスタの手の甲に唇を押し付ける。
伝えたいのだ、大好きだと。
嫌いになどならないと。
ちゅちゅとジュノのキスの音がする。
ヴェスタは驚いて目を開き、すっと優しい微笑みにかわる。
それは普段意識しても出来ない自然な笑みだった。
「私も同じ気持ちだよ‥‥あなたが好きジュノ」
心から出ることばは何の恥じらいもなく告げることが出来た。
ヴェスタは手に感じる柔らかなジュノの唇が愛おしいと素直に思えた。
そうして二人は少しづつまた距離を近づけていった。
互いの温度と匂いに安心するために。




