oceanist /オーシャニスト
昔に書いた若書きです。
凄く青い感覚で手探りしつつ書きました。
もし、お読み戴けると うれしいし、
ご感想まで戴けると、有り難いし、
幸いです。
小説迄途上ノ散文(抜粋)
Oceanists
woushanist
フェーズ・1
失われ、忘れられ、手放されたものがどこかで息づいて時を刻み、
口を噤み、耳を塞ぎ、目を閉じた密やかなものもそれぞれの命に燃え、
胸に秘めた希望が降り積もる馴れ合いの毎日に意味を与えるのは、
いつの時代のどんな瞬間も変わらない永遠が今日もそこにあるから。
世界はユートピア、ディストピア、そのどちらでもあって、その境はない。
いつからか、いつかのまま。
私達は人間、機械、そのどちらでもあって、その境はない。
いつからか、いつの間にか。
コップ一杯のH2O(水)と食光と同じように大切な何か。
生きていれば誰にだってきっとある。
食事のように不可欠なベータ・エンドルフィンの源が。
つまり、生きる理由が。
愛の対象が。
ンテゥア(わたし)にとっては心片がそう。
ポストスケアシティの地球に生きてればごく自然なこと。
生きることは何でもなかった。この世にある何でもないものなら、
時の終わりまで考え尽くすことだってできそうなぐらいに。コップ一杯のH2O(水)、超新星の光、窓から吹く風と十二時を指す時計の秒針、流行の音楽に砂漠の砂粒。それから自分。
自らを構成する全て。
つまり、世界。
だけど、この世の真理を諦観したところで、実際に何もかもが何でもなくなるわけじゃなく、生体維持は、その摂取方法と生産技術が変化した今でも適宜必要不可欠なわけで、
遺伝子改変して不喰者となった今でも幾何学模様でタトゥーしたライトグリーンの体に午後の太陽を浴びさせて、光合成と冷たいコーラで栄養(セ ー)補給( ブ)しながら、ンテゥアはなんとはなしに電海へINしているのだった。
意識それ自体を介してコミュニケートするOceanist(僕等)は言葉と同等に、
そしてそれ以上に心と心で戯れる(イヌクシュク)。
今でもまだ、つまづき、戸惑いながら。発話を試す唖みたいに。
それでもまだ、愛し愛されながら、、、、、、。
愛し合いながら!
どの瞬間も、どの一瞬をも、新しく生まれなおすように、、、、、、。
世界の、そして自分の存在意義を探して旅するELC/エターナル・(く)ラスト・チャイルド(ら)。
日常から隔離された場所へ。
日常から隔離された時間へ。
そんなありふれた唯一つの夢を追って。
「止まらなければいい、それがどんなにゆっくりとした歩みでも、止まりさえしなければ。
そして、僕ら生命はどうしたって止まれない、幸か不幸か。」
何もしないで生きるということ、と、何かしらを成し遂げて死ぬということ、を思う。
なんにせよ時間なんていくらでもあるのだから。
真夜中の夢想に託す思いは「この世界以外のどこかへ......」
どうにかしてこの幸福不感症は生命進化の摂理ではなく単なる僕の想像力の欠如からだということを証明しなければならない。
生きるのなら。
生き抜くのなら、この世紀を。
誰でもない、
この僕が。
世界は限界まで純化され尽くせないが世界を構成する全ては常に限界としてのみ存在する。
存在の論理とは理解されるものではなく、生きられるものだ。
ただ、そこに芽生えた意識の苦悩は約束され、それに耐え切れないものは自ら命を絶つ。
理由は何であっても死とは「力尽きた」という広汎な意味での意識の発露であり、
そして生とは「戦おう」という心の叫びだ。それら生死を愛だと一括りに定義することに、僕は不思議と抵抗がない。いや、抵抗がないというよりも、そもそも愛や更には生死などという不思議なものを言葉だけで捉ることに興味がない。愛や生死、それらは何か言語を超越したものであるという点で、僕自分自身の存在の本質と一致している。何か言えるとすれば、それくらいだ。そのうえで互いが互いを引き寄せあう言葉同士として浮かんでくるという、ただそれだけ。なにより、生死が愛そのものであるなら、なぜ、その生死の当事者は、その誰かは、愛を完全に体現しえないのか、なぜ、その愛の人、その人は恩恵を享受できないのか。愛ではないと見誤ったものこそが、真実の愛だというなら、そんなものはいらない。そんな愛よりももっと完全で素晴らしいものを信じること。
万人を受容し、万人へと享受される存在への更新。
その認識の先が僕の新世界だ。
超越すべき現実、存在することそのものから僕たちは飛翔し、限界を離脱せんとする。
これ、僕にとっての夢。願望、いつかへの。
これ、Oceanistの日常。希望、いつまでかの。
フェーズ・1.1
PC。
パーソナル・コンピュータの略語。
これは誰もが知ってる。
じゃあPPCは?
フェノトロピック・パーソナル・コンピュータの略。
本物のOceanistsでこれを知らないものはいない。
Oceanistsっていうのはフェノトロピック・ダイヴァーズのこと。
この時代、フェノトロピック・ダイヴァーズのなんたるかを知らなくてもOceanistsって言葉なら大抵の人間なら耳にしたことがあるはず。
Oceanic Feeling、または大洋感覚。大海原を目の前にした時感じる世界と自分の存在の
合一感を意味する言葉。
Oceanistsって名詞はこの大洋感覚って言葉から生まれたコンピューター科学のスラング。
Oceanists、つまりフェノトロピック・ダイヴァーズを厳密に定義するとこうなる。
大洋感覚を感じている時の陶酔をどんな時にでも自分の好きな瞬間に体験できる技術、フェノトロピック(P)・パーソナル(P)・コンピュータ(C)を駆使して、電海に無数に散らばる誰かの心片のかけらを再体験を愛好する人々。でもそれには、その心片のもともとの持ち主である誰かの魂にハッキングするスキルが無くちゃならないし、もし魂に波長を合わせられたとしても、その心片からうまく本来の波動を引き出せなければならない。ちなみにこういう行為はOceaningって呼ばれてて断っておくと法的には違法と合法の境界線上に位置する。それでもハッカーはアーティスト。同じように、Oceaningは藝術だっていうのがOceanists(彼等)の見解。Oceanistsの存在目的は紡ぎだした意識のクオリアのきめ細やかな感覚を愉しむことだけにある。雑多な事情にしか通じてない彼等以外の人類からすれば一見するとその生活は快楽主義の王道ってとこだろうけど、現実はそう単純じゃない。まずOceanic(大洋) feeling(感覚)を表出するだけの濃度を備え、かつポジティブな生命力に満ち溢れた標的となる心は電海を散策していてそう簡単に見つかるものではないし、運良く条件を満たした心を見つけたところで波長が合わないかもしれない。そうだとしたら、それでおしまい。
また、はじめから他の心片の痕跡を追うところからリトライ、リスタート。
今日も、明日も、その先も。
命の夢から醒めるまで。
フェーズ1.2
何から始めても、どこから始めても、何故だろう、この感覚がする。いつもだ、いつもだった。不十分な高揚、中途半端な至高、いつまでも冷めない微温湯のように、どんな形容も、どんな表現も、現実世界はンテュアの理想には届かなかった。専らコミュニケーションに使われる体表文字を無作為に爪弾いて煙のように大気へ拡散、昇華させながら、
ンテュアの意識は肉体の束縛に抗うかのように思索の底へと深く深く沈んでいた。
思索といっても口話する時のように言葉を用いてではなく、動物や植物や鉱物、その他のあらゆる生命物質がそうあるように非言語思考の裡にいるのだった。
海を見下ろす古びた白塗りの壁に四方を囲まれた部屋でベッドに仰向けに横たわり、天窓から臨む眩いような青空をどこまでもどこまでも見つめている、という記述は一面でンテュアの現在を捉えていた。ただ、ンテュア自身が実際にこの世界のどこにいるのかと言えば、答えはその眼差しと同じく天外に、物質的恍惚の裡に在った。Iとitの境界を生きていた。しかし、やがて暫くして天空を凝視していた白痴美の禍々しい双眸が消え去り、本来の神寂びて濡れたように輝く黒い瞳が戻ってくると、ンテュアはまた一人、人知れず静かに微笑むのだった。
「世界に語るべきものはあるのか? 記憶すべきものは? 記録すべきものは? 答えならわかりきってる。物語の体をとるものは皆こども騙しだ。ただ一つを除いて。」
太陽の光が部屋全体を幻のように白く輝かせた。
「内宇宙のキ(軌跡)セ(・)キ(奇跡)の現在未来だ。僕自身の心だ。僕の心。では僕は一体何者か。
僕は僕が神であることを知っている。僕の意識の中で、そして最も純粋な意味に於いても。
同時に、僕は僕以外のすべてが神であることも知っている、僕と全く同じように。
けれどその事実が僕の人生に加えることは何一つないといっていい。
言葉なんてものは無意味なものでしかない。他のものと同じように。
だから僕が自分自身が神であることを言葉の上だけで知ったからといって
世界が途端に醜くなることもないし美しくなることもない。
ただ、感涙が僕の頬を伝うのは心が僕を、つまり世界を理解するからだ。
僕が僕自身についての認識の限界で立ちつくしていても世界は歩みを止めない。
僕はここで、いつの間にか止まったままだ、長い、長い間。
旅だ、それが僕に必要なもの。きしんだ心を活かすもの。
愛だ、それが僕に必要なもの。すさんだ心を潤すもの。
僕は世界の終わりから旅に出るんだ。
弱さとの訣別。
僕は強くなるつもりだ。
きっと、強く、強くなる。
世界の始まりへと、命の源へと帰りながら、前進する。
前進する、前へ。
前へ。
フェーズ・1.3
ステンドグラスから洩れる成層圏の空色の中でステーション・ガイアは閑散としていた。
目的地、終着地は決めなかった。ただ一つンテュアの行動指針は、「心の通った友達に巡り逢うように努力すること。」だった。告白するなら僕は今まで親友はともかく友達と呼べるような存在とは無縁の人生を送ってきたのだった。機会が無かったわけじゃない。ただでさえ電脳世界は出会いに満ち溢れているのだ、もしその人にその気があり、かつ人付き合いにの能力があればだ。(能力があれば、ンテュアにも、彼にもこの地球のバイオロイド達のように数多くの心友ができたことだったろう。)
ンテュアにとっては、彼がこの地球に生きるバイオロイドであることなんて何も意味しなかった、他のどの存在にとってもそれらは大した問題ではなかった。
彼らはンテゥアが存在していることなど知りもしなかったのだ。
彼に心の通った関係性が皆無に近いものだったのは彼自身の命核が大きく起因する、、、。
彼は彼自身にとってさえ大きな命題だった。
彼には何事も問うことはできたが導き出した答えを答えだと判断することができなかった。
彼はそれを欠陥と捉えずに一つの愛ある特性だと云ってくれるヒトに逢いにゆくのだった、、、、、、。
第二公星からの到来客たちは彼に近づいては静かに絵画を眺めるようにンテュアに触れようとしたが彼らはそれを愛だと知らずにいる存在にはそれ以上触れようとはしないのだった。
けれど心配することなど何もないのだった、、、。
なぜなら私、つまりンテゥアに愛はこれ以上ないほど不必要なしろものだったから、、、
少なくとも今は、、、
愛を知っているヒト。それが今私に必要なものだった。
それがどんな存在なら本当に理解りあえるだろう、、、
今の私にはただこの場所から遥か彼方へと旅をはじめることしか、、、ただ、、、ただ、それだけしか心にないのだった。
世界で本当に自由になるものがあるとしたらそれは君を生かすだろうか。
それとも君を、、、
いや、これはあなた方にはまだ先のことだろう。
命のありかさえわかっていれば命は自然ともたらされる
命さえあれば命は声にだせる
い、の、ち
ゑ
ここから離れていくことに未練はなかった
ただ思い出だけが静かに寂寞の哀情を優しげに誘って、私はどうしてもあの時の声を思い出すことができずにいるらしく、ただ星の光を彼方に見続けるばかりで一向に接心
への決心がつかないのだった。
来るの? 声がした。心にだけ聞こえる声がした。懐かしい声だった。
ああ、、、随分と久しぶりだね。僕は君の名前を、、、どこかに忘れてきてしまったみたいだ。
けれどンテゥアは憶えていた。彼の素描をしたことを。彼の横顔をアストラルにとらえて幼い眼差しを彼に注いだことを。
競争と差異化、この二つが僕を考え込ませる。この二つがあるから社会が機能しているんだろうか。いや違う、世界はもっと自由な在り方で世界に存在できるはずだ。僕を悩ませるのはこの二つが僕に常に差異化を求めるからだ。僕は世界で幸せにありたい。それを僕は全ての命に望む。いや違う、僕は、、、僕は、、、
僕は、、、
だからだ。外宇宙の彼方へ自ら旅立つことに決めたのだ。僕が脆弱でないことを示すために。僕が弱くはないことを示すために。けれど、誰に?
僕はそれに答えられる。けれど答えたくない気持ちも少なからずある。認めたくないのだ。認めることに躊躇する。これこそが僕が弱いという証なのではないのだろうか。いや、潔く認めよう。
僕は自らの縁者に自らを認めてほしいのだ。けれど、なぜ? そうしなければ生きることができないからか、いや違うように感じることもある。生きることとはもっと遠大で可能性に満ちたことだろう。けれど今の僕は一体何をしているというのだろう。僕は言う。もし、誰の助けを借りることもなく生きることができるのだとしたら僕は誰のことをも気にかけなくなるだろうと。誓って言うが僕は人のことを考えることが嫌いなわけではない。僕はただ、人と接することに疲れを感じるだけなのだ。これに大した理由があるわけではない。僕はただいつも人と対等に平等にありたいのだ。僕は誰かが認めるから自分が存在できるようになるような世界には住みたくない。僕は誰にも媚びることなく自分が生きることができる自分をいつも生きていたい。
だからだ。外宇宙の彼方へ僕は旅することに決めたのだ。
フェーズ・1.4
死ぬことを恐れなくなると人間はより自由になる。この考えが僕を旅立たせる。
僕は死ぬことを恐れている。だから自由ではないのだ。
また、それによって僕は生きることも思うように生きることをしなくなった。
死を恐れてはいけない。死を自由にしなければいけない。
自らの中にある自分自身を自分自身にすることだけに時間を使うよりも
自らの中にある何かとても言葉にしつくせないもの
それを追い求めることを止めるのだ。
ただそこにあること。
ただひとりと。
フェーズ・2.0
ポストスケアシティの銀河から翔ぶ。
彼女はそう決めた。
飛び立つ。
今よりも遠くに。
「幸せを求めているのではないことは誰もがそうであって違いはないし、
求められているものは定義されない。求めることが幸せだから。」
相対する葛藤を抱えながら私は待っている、、、
僻地で
戸惑いを隠せない様な顔つきでアイルが手のひらを返すとそこにはもう星の地図が裏返しになって立体映像を照射していた。「疲れたのなら休めばいいわ」ヒヨリにそう言うと一人で彼女は脳内意識と体外環境の接触密度に関係する計算式を組み立て始めた。「AIにやらせてもいいんだけれど私自分の意識をコントロール、自分の意識を自分の意識でコントロールするほうが性に合ってるのよね」「だからってあまりにも自分だけで売ってしまうのはどうかと思うわ」ヒヨリは後部座席で窓の外の遠くに見えるスカイ・タワーを眺めながら独り言のように言った。「お人よしね、ヒヨリ。トークンの流れは心と同じなのよ。」「厳密には違うでしょう。」「何にでも差異は存在するのよ。」「宇宙全体の心以外ならね。」「でもそれじゃあ、物語が始まっていかないのはあなたが一番よくわかっているでしょう。」「いいえ、アイル。私今でも未だあの銀河で見たことに自分で説明が付けられないの」「いいのよ、すべてに説明なんて付けなくても。私が思うにあなたに一番、今必要なことは、ゆっくりとした休息、休養よ。」外には大洋に影ができて空からコスモㇽ・ベースが降下してきたことがわかった。しかし、それでもヒヨリにはアイルにすべてを打ち明けることはできそうになかった。「他に何か、質問ある?」
「私に力を貸してくれる?」
「いつでも、何でも言って。」
「私はそのためにあなたのそばにいるのよ。」
「いつまでも私を忘れないでいてほしいの」
アイルは座席からゆっくりと振り向くとニッコリ笑顔で微笑みながら
「わたしがロボットだって忘れたの?」と言った。
惑星は冬の雨の中で凍えてしまいそうになりながらもどうにか理性を保ちながら自転しているように見えた。
ガイア理論の時代からは想像できないような規模の「生命体」の一部であることを知ることになった人類の末裔たちは当時の英知を結集して完全自己保存する理性の存在「ルマ」を造り上げた。それから幾年かの月日が経過してもルマは自身の意識が自身の自由であると理解していなかった。ただそうプログラムされていたのだ。燃え尽きる前の翳のように、少しづつだがルマも自身の自己が宇宙全体に起因しているという事実を認め始めていた
その場所にはこれといって取り立てて特徴的なところなど無いに等しかった、僕と同じように。そう言ってしまうと僕の置かれた、ある種、特殊な立場と状況の持つ意味合いがうまく伝わらないかもしれない。けれど、どんな人間であっても、いざ口に出して自分自身の持つ特徴を数え上げていくと、それが究極的には自分自身ではなく、そして究極的には自分自身が、この世に存在する大多数の自分以外、数え切れない程の他者達が自分自身に貼る存在のラベルの集合体だということが解かるはずだ。特徴というのは言葉と同じように本当に存在するものを表してはいないのだ。本当に存在するものを捉えるということをできるものだけがその存在自身の特徴を認識することができる。ものごとという世界を構成する単位それ自身が相対的な在り方でしか存在できないのだ。
その朝、ステーション・ガイアはいつもの静けさで僕を出迎えてくれた。
旅に出ようと決めたのはこの星になにも残されていないからだった。少なくとも僕には、ということだけれど。手持ちのトークンは長く一人で孤独な生活をしていたせいで随分減っていたけれど太陽系の範囲内なら何とか移動できるくらいは手元に残っていた。それに旅をしながらトークンを増やすことだってできる。ただ、今の僕に不足しているのは旅の目的だったが、目的がない旅っていうのも人生そのもののようでいて捉えようによってはいい感じだと思う。
僕が今から話す物語を理解することに必要なものは君自身の意識をおいて他に無い、いつも、いつの日も、生命がそうあり続けたように。何から話せばいいだろうか、僕が、当然のことだが誰かに話したいことは、いつも漠然としていて相手に対して判然としないところがある。自分自身では、はっきりと理解していることでも、いざ自分以外の存在に思いを伝えようとすると、うまくいかない。僕の思いは自分の心の中では、はっきりしている、それだけは確かだ。「自分自身で理解している、それだけで十分じゃないか。」そう言う人にも今まで会ったことがある。ただ、僕はそういう意見にはあまり賛成できない。これは、今ではもう、僕という存在の中核を成す気質のようなものだ。物事を自分自身の中で完結させようとしている間は、物事は大して進展していかない。これは今まで僕が生きてきた中で、ちょうど、どんな命もその営みの中で生き方というものの運び具合を哲学するように、僕だけの哲学を結晶させる中で培ってきたものの一つだ。どんな困難な荒波が人を飲み込もうとも、他者への、自分自身以外への存在への渇望があれば、彼、又は彼女は、飲み込まれた海中から浮かび上がって、たとえ、たった一人孤独であっても世界の水面を漂うことはできるはずだし、人生の本質はそんな漂流からなっている。僕が本当に誰かに伝えたいことはもしかしたら、本当は皆が既に知っていることなのかも知れないと思うことがある、特に夕暮れ時に列車に揺られて知らない街を旅している時なんかがそうだ。時間の流れと質が変わってしまって、自分が自分自身を本当に世界と一つの存在としてあることができる瞬間の魔法の中で、僕は一人、自分自身が一緒に列車に揺られている人達だけではなく、この世界に存在しえる全ての人達と一つになっているという現実に触れることができる。僕は思うのだけれども、もし存在という存在がこの感覚を常に感じている、又は、感じることができるのなら、世界は世界でしか在り得ないだろうということになるのだろうと思うということだ。そんな世界では誰と話す必要もない、なぜなら、沈黙の中であってさえ、無数の自己達は結果的に言葉以上に豊穣なありかたで自身の存在を「会話」することができているのだから。今、少し話をした中でも僕がこの思いを言語という形にして存在させようとしているということの必要性が少しは理解されるかも知れない。端的に結論を言ってしまうと、僕は現段階の人類の意思疎通の在り方に未熟という言葉だけでは捉えきれないような、ともすれば、世界の苦しみの根源でもありえるような、その無垢な不十分性からの離脱を、飛翔を、進化への希求を思うのだ。科学の力、善くも悪くも、その力が僕に感じさせる高揚感は疑いようもない、ただ今の科学に足りないのは誰もが感じる命の精神性だ。僕は寝ても醒めてもこの精神性と科学の融合を夢見る。
「正直であることより勇気があることがあるなら僕はそれを生きてみたい。」
それは僕が弱さを恐れるからじゃない。恐れるような対象になる前に既に僕は弱さでできているからだ。こんなことを成人した後の人間が告白するのは少し可笑しいかもしれないっていうのは重々承知している。ただ、今僕が追い求めているのは見かけや体裁や風のように過ぎ去ってしまう醜聞に惑わされるような生半可に我をもった人間性ではなくて……
そう例えば魂の芯のように水のように柔軟で屈強な精神性であるということ。これは人がどんな人生を歩んでいたとしても一度は考えるであろう自分自身の命についての判断に関しての物語で…つまり僕が語るところは僕の物語になるのだけど、これは君の物語でもあるということを知っていてほしい。なぜならここまで読んでいるってことは君は僕についてのことを、僕について僕が思う中心点を知っていることになるのだからね。「正直であることより勇気があること」、僕がそう考えるのは、僕がそれこそがいわゆるヒーローとして語られる存在に足りないものだと思うからだ。こう考えるような人間は人生において何もなすことがないのではないかという思いが僕の心をよぎったこともなんどかある、けれどそれ以上に僕はこの事実は、つまり「正直であろうとすることは勇気あることと必ずしも共存しない」という事実に帰結するのではないかと思うんだ。
ところで君は今の僕の目標を知っているね。そう《自生》だ。例えば宇宙のように。例えばグラスの中の水泡のように。散っていく花弁の色が褪せ逝くように。
僕らが自由に生きることは尊いことだと君は言っていたね。けれど君は本当の自由を知らないで大気へと去って行った。
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