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第五話:彼女の願い

 絵の中に封じられた呪いを解く。


 先の音楽室のピアノでも四苦八苦したのに、絵の中の呪いは一人や二人の思念ではないはず。一体、どうすれば、彼らの願いを叶えて解き放つことができるんだろう。


 結衣の心に浮かんだ素朴な疑問に、律は静かに答える。


「この絵に込められた呪いを解くには、まず、彼らがなぜ絵に閉じ込められることになったのか、その悲しい物語を紐解く必要がある」


 律の言葉に、結衣は息をのんだ。


「この絵は、単なる呪いじゃない。俺の家系に、呪い殺された者たちの最期の姿を描いたものだ。そして、その悲しみが、この七不思議を引き起こしている」


「じゃあ……絵の中に、呪いを解くヒントがあるってこと?」


 結衣がそう尋ねると、律は静かに頷いた。


「そうだ。この絵は、ただの絵じゃない。彼らの悲しみの記憶そのものだ。君のトラウマが、この絵と呼応したのも、彼らが君に、その記憶を読み解いてほしいと願っているからだ」


「私に……?」


「君は、特別な力を持っているわけじゃない。でも、君は、彼らの悲しみに寄り添うことができる。それが、呪いを解く、唯一の方法だ」


 彼の言葉は、結衣の心に深く響いた。


「この七不思議を解決する鍵は、この絵に描かれた人物の悲しみを理解し、それを終わらせること。そして、その悲しみを理解し、寄り添うことができるのは……君だけだ」


 彼の言葉は、結衣に恐怖ではなく、深い使命感を与えた。


「俺は、君を呪いの危険から守る。だから、君は、その絵の悲しみに、君の心で触れてほしい」


 そう言うと、律はゆっくりと布を剥がし、再び呪いの絵画を結衣の前に現した。


 改めて「呪いの絵」に向き合う。


 今までは何もわからないことが怖かった。でも、今は絵に閉じ込められた真相を知ることが怖い。悲しみや苦しみが、あまりにも重すぎるような気がした。


 でも、知らなければ、始まらない。


 律が何があっても大丈夫なように、すぐ傍に立っている。その存在は、結衣に深い安心感を与えた。


 結衣は深呼吸して、目の前の絵を見た。


 彼女の瞳は、もう恐怖で怯えてはいない。その奥には、悲しみに寄り添おうとする、確かな覚悟が宿っていた。


 絵に描かれた不気味な人物の顔が、ほんの少しだけ、微笑んだように見えた。それは、嘲笑ではなく、哀れな魂が救いを求めて、結衣に語りかけているように感じられた。


 ――瞬間、結衣の意識は、絵の中に引き込まれていった。


 彼女が見たのは、古い着物を着た女性だった。女性は、庭の隅で、誰にも気づかれないように、静かに泣いていた。その瞳には、深い悲しみと、そして諦めが宿っていた。


「……どうして、泣いているの?」


 結衣の問いに、女性は答えなかった。ただ、彼女が大切に抱えていた小さな木箱を、そっと差し出した。


 それは、彼女が愛する人に宛てて書いた、たくさんの手紙だった。しかし、どの手紙も、未開封のままだ。


「この手紙を……彼に、届けてほしい……」


 女性の声は、絵画から聞こえるように、遠く、そして、消え入りそうに微かだった。


 彼女は、誰にも気づかれないまま、この世を去った。そして、その悲しみと、届けられなかった手紙が、この絵画に閉じ込められたのだ。


 結衣は、意識を現実に戻した。その手には、あの木箱の感触が、今も確かに残っていた。


「桜井先生、何を手に持ってるんだ?」


 結衣の手には何も持たれていなかったが、律は彼女の表情から何かを受け取ったことを察していた。


「絵の中で泣いている女性から預かった木箱です。彼女が愛する人へ宛てた手紙を渡してほしいと」


 結衣はそう言うと、意識の中で感じた木箱の感触を、律に伝えた。律は静かに頷く。


「それが一つ目の課題か」


「多分、そう」


「手紙に書かれた住所と名前である程度探せるかもしれない」


 律はそう言うと、スマートフォンを取り出した。


「絵を撮った写真は、まだ持っているか?」


 結衣が頷くと、律は彼女のスマートフォンを受け取った。そして、指を滑らせて、絵画に描かれた人物の顔を拡大する。


「この女性が、手紙の主だ。そして、彼女の悲しみを終わらせるには、この手紙を、彼女が愛する人に届けなければならない」


 律の言葉に、結衣は改めて事の重大さを感じた。これは、ただの七不思議の謎解きではない。それは、過去に生きた人々の願いを叶える、大切な任務だった。


「どこから、始めればいい?」


 結衣の問いに、律は顔を上げた。


「この絵は、彼女の最期の姿を描いている。そして、彼女が最も悲しんだのは、この手紙を渡すことができなかったことだ」


 律は、絵画に描かれた女性の表情を、じっと見つめていた。


「彼女の悲しみの記憶を、もう一度、君の心で読み解いてほしい。…そして、手紙の行方を、見つけてくれ」


 過去の時代に生きていた人の願い。それを叶えるには情報が必要だった。結衣はもう一度、その人に会うために、絵に向き合う。


 結衣は深呼吸をして、目を閉じた。心の中で、先ほど見た女性の姿を思い浮かべる。彼女の悲しみ、そして届けられなかった手紙の重み。結衣は、自分の心の中にある、彼女の記憶へと意識を集中させた。


 再び、結衣の意識は、絵の中に引き込まれていく。


 今度、結衣が見たのは、女性が愛する人と出会った日の記憶だった。彼女は、町の小さな庭で、一人の青年と出会う。二人は、同じ本を読んでいて、それがきっかけで、言葉を交わすようになった。


 青年は、遠い国で絵を学ぶ画家だった。二人は、静かな時間を共に過ごし、やがて、お互いに心を通わせるようになった。青年は、女性の姿を、大切に、そして愛おしそうにスケッチしていた。


 しかし、二人の幸せな時間は、長くは続かなかった。


 青年は、故郷から呼び戻され、遠い国へと旅立つことになった。女性は、彼に手紙を渡そうとしたが、間に合わず、彼は、彼女の元を去っていった。


「私の……悲しみは……これでは…終わらない……」


 女性の声は、絵画から聞こえるように、遠く、そして、消え入りそうに微かだった。


 結衣は、意識を現実に戻した。彼女の頬には、涙がつたっていた。彼女は、女性の悲しみが、彼女が愛する人に、その想いを伝えることができなかった、ということに気づいた。


「手紙を渡しても、悲しみは終わらない」


 結衣の言葉に、律は静かに頷いた。


「彼女は、手紙を渡すことよりも、彼に、自分の愛を伝え、そして、彼の愛を、確かめたかったんだ。…それが、彼女の、本当の願いだ」


 律の言葉に、結衣は、絵の中に隠された、もう一つの真実に気づいた。そして、手紙に書かれた青年への想い、そして彼の、女性への想い。それは、もはや単なる過去の物語ではなく、今も、この絵の中で、生き続けているのだと。



「どうすれば、二人の思いが通じるのかしら」


 彼女の意識はこの絵の中にあるけれど、相手の青年はもうこの世にいないかもしれない。どうすればいいか、結衣には検討もつかなかった。


「……絵は、彼らの思いを、形にしている」


 律が静かに言った。


「彼が描いた、彼女のスケッチ。そして、彼女が書いた、彼への手紙。この二つを、同じ場所に置けば……もしかしたら、二人の思いが、再び通じ合うかもしれない」


「同じ場所って、どこ?」


「彼女が、彼に手紙を渡そうとして、間に合わなかった場所だ。そして、彼が彼女に、絵を渡そうとして、叶わなかった場所」


 律の言葉に、結衣は、意識の中で見た記憶をたぐり寄せる。


「……街の小さな庭。彼女が、彼と初めて出会った場所。彼が、彼女の姿をスケッチしていた場所」


 結衣は、律の言葉を継いで、答えた。律は静かに頷いた。


「この絵に込められた、彼らの思いを解き放つには、この絵に描かれた物語を、俺たちの手で、完成させる必要がある」


 律の瞳には、強い光が宿っていた。


「俺は、この絵に描かれた風景の場所を、調べてみる。君は……もう一度、この絵と向き合って、彼らの思いを、もっと深く、読み解いてほしい」


 結衣は、律の真剣なまなざしに、静かに頷いた。


「わかった」


 彼女の心に、もう恐怖はない。あるのは、この悲しい物語に、温かい結末を与えたい、という強い想いだけだった。


 もう一度、彼女と話をしてみよう。


 結衣たちにできる道が見つかった。彼女の思いが成就するために、彼女に会わなくてはいけない。


 結衣は静かに、絵に向き合った。


 彼女の意識は、再び絵の中へ引き込まれていく。


 今度、結衣が見たのは、彼女が愛する青年と、最後に言葉を交わした日の記憶だった。青年は、遠い国へ旅立つことを告げ、女性は、言葉を失っていた。


「心配しないで。必ず、帰ってくるから。そして、二人で、この国で一番美しい庭を作ろう」


 青年はそう言って、彼女の手に、小さな花の種を握らせた。それは、彼の故郷に咲く、珍しい花だった。


 しかし、二度と彼が帰ってくることはなく、女性は、彼に宛てた手紙と、彼がくれた花の種を、大切に抱え、この世を去った。


「……私の庭は……」


 女性の声は、悲しみと、そして、未練に満ちていた。


 結衣は、意識を現実に戻した。その手には、あの花の種の感触が、今も確かに残っていた。


「榊原くん!」


 結衣は、律を呼んだ。


「彼女の悲しみは、手紙を渡すことができなかったことだけじゃない。彼女は、彼が帰ってくることを信じて、庭で、ずっと待ち続けていたの。でも、彼が帰ってくることはなくて……」


 律は、静かに結衣の言葉を聞いていた。


「彼女は、庭で、ずっと待ち続けていたのね。彼がくれた花の種を、大切に抱えて……」


 結衣の瞳に、涙がつたう。彼女は、この悲しい物語を、終わらせてあげたいと、強く願った。


「呪いを解く鍵は、この花だ。この花を、彼女と彼が、初めて出会った、あの庭に咲かせるのよ」

 律は持っていたスマートフォンで地図アプリを操作しながら、静かに結衣に顔を向けた。


「庭の場所がわかった」


 彼の言葉に、結衣は安堵の息をつく。


「この街の、古い教会の跡地だ。彼女たちが生きていた時代には、小さな庭があったらしい」


「じゃあ、次はそこへ行って、花を咲かさなきゃ」


 結衣の言葉に、律は無言で頷いた。


 夜の帳が降りた頃、二人は、古い教会の跡地にたどり着いた。辺りは草木が生い茂り、当時の面影はほとんどない。しかし、結衣には、その場所が、彼らが愛を育んだ庭だと、はっきりと感じられた。


 結衣は、律が用意してくれたシャベルで、地面に小さな穴を掘った。その手に握られた、見えない花の種。それは、彼女の意識の中にある、女性が大切に抱えていたものだ。


「……どうか、咲いてくれますように」


 結衣は、そう願いながら、心を込めて、その種を土の中に埋めた。


 その瞬間、足元から、淡い光が、ゆっくりと広がっていく。光は、まるで生きているかのように、螺旋を描きながら、空高くへと昇っていった。


「……これは、彼女の想いだ」


 律が静かに言った。


 光が消えた後、そこには、一輪の美しい花が咲いていた。それは、結衣が夢の中で見た、女性が愛した花だった。


 花を見つめる結衣の瞳に、涙がつたう。


「彼女は、きっと、もう寂しくないわ」


 結衣は、そう呟いた。


 その言葉は、悲しみを乗り越え、彼女の願いを叶えた、安堵の言葉だった。そして、彼女の悲しみに寄り添った結衣の心が、一つ、成長した瞬間だった。


「ありがとう……」


 小さく感謝の言葉が聞こえた気がした。それは、もうそこにないはずの絵の中にいた彼女の声に違いなかった。


 結衣は、静かに花を見つめた。その花は、ただの草花ではなく、彼女が、そして彼が、ずっと待ち望んでいた、希望の象徴だった。


「これで、もう……彼女も、安らかに眠れるね」


 結衣の言葉に、律は何も言わず、ただ静かに彼女の横顔を見つめていた。その瞳には、安堵と、そして、感謝の色が宿っていた。


「……君は、本当にすごい」


 彼の言葉に、結衣は少し照れたように微笑んだ。


「そうかな? 榊原くんが、いろいろ教えてくれたおかげだよ」


 結衣の言葉に、律は小さく首を振った。


「違う。……君の、優しさだ。君が、彼女の悲しみに、心から寄り添ってくれたからだ」


 彼の言葉は、結衣の心に深く響いた。それは、七不思議を解いたことへの賞賛ではなく、結衣という人間そのものへの、心からの言葉だった。


 その瞬間、結衣は、律との間に、特別な絆が生まれたことを、はっきりと感じた。


 美術室の七不思議は解決した。しかし、二人の物語は、まだ始まったばかりだ。

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