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第四話:呪いの絵

「今日もいろんなことがありすぎたよ……」


 結衣は、学校を後にして夜道を歩きながら、ぽつりとつぶやいた。美術室で律と交わした会話を思い出す。自分のトラウマの元凶である絵画が、彼の家系にまつわる呪いと七不思議の鍵だったなんて。そして、彼が自分を「守る」と言ってくれたこと。


 胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。


 律の言う通り、この七不思議は一人で解決できるようなものではない。彼がなぜ自分をこんなにも気にかけてくれるのか、まだ分からないことばかりだ。でも、彼の言葉は、結衣の背中を、そっと押してくれた。


「明日から……どうなるんだろう」


 明日、律はまた美術室に来るのだろうか?彼は、絵画の呪いをどうやって解くつもりなのだろう?


 結衣は、明日からの教育実習が、ただの「先生」としての毎日ではないことを予感していた。それは、七不思議と向き合い、生徒を、そして、誰かの心を救うための、特別な時間になるのかもしれない。


 その夜、結衣は夢を見た。


 あの動く絵画を見た日のこと。雨の日、迷い込んだ洋館、誰もいない部屋で動く絵画に出会った。夢の中の絵は、あの時と同じように結衣を見て微笑んでいた。


 なぜ、あの絵は微笑んだのだろう? それとも、他の誰かを見ていたのだろうか。


「……君が、俺を救ってくれるかもしれない」


 謎めいた律の最後の言葉の続き。彼の言葉は、夢の中の絵の微笑みと重なって、結衣の心に響いた。


 一体、自分に何ができるのだろう?


 絵画にまつわる呪いを解く「鍵」は、絵の中に隠されていると律は言った。しかし、呪いの絵は結衣のトラウマそのものであり、直視することすら難しい。


 それでも、夢の中で微笑む絵画の表情には、悲しみや苦しみよりも、どこか安堵したような、哀れな魂の救いを求めるような、そんな感情が読み取れた気がした。


 結衣は夢から覚めると、枕元に置いてあったスマートフォンを手に取った。時刻は午前三時を過ぎている。


「……今から、美術室に行ってみよう」


 誰にも言わず、一人で行動してはいけない。律との約束を思い出し、結衣はほんの一瞬だけ迷った。しかし、居ても立っても居られない衝動に駆られ、彼女は静かにベッドを抜け出した。


 夜の学校は、まるで生き物のように静まり返っていた。美術室の前にたどり着いた結衣は、静かに扉を開ける。


 部屋の真ん中に、あの呪いの絵画が、布に覆われたまま鎮座していた。結衣は震える手で、その布に手をかけた。


 そして、静かに、布を剥がした。


「……っ!」


 そこに描かれていたのは、昨日見た絵画とは、ほんの少し違うものだった。


「これが律の言っていた『呪い』なのかな」


 布を剥がしたキャンバスには、昨日見た絵画とはほんの少し違うものが描かれていた。絵の中の人物の表情が、哀しげなものから、どこか苦しげなものへと変わっている。そして、背景には見慣れない風景が、まるで増殖するように書き足されていた。


「一体、この絵は何を伝えようとしているんだろう」


 結衣は震える手でスマートフォンを手に取り、絵画を撮影した。


 その時、背後から冷たい声が響いた。


「……何をしている」


 振り返ると、そこに立っていたのは、律だった。彼の瞳には、怒りと、そして深い失望の色が宿っていた。


「どうして、一人でここにいる」


 彼の問いに、結衣は何も答えることができなかった。


「俺は、危険だから関わるなと言ったはずだ。……そして、勝手に動くな、と」


 彼の言葉が、結衣の胸に突き刺さる。彼は、結衣を守るために、ここに駆けつけてくれたのだろうか。


「……ごめんなさい」


 結衣は、ただそう謝ることしかできなかった。律は、結衣の傍まで来ると、静かにスマートフォンを手に取った。


「この絵は、悲しみを訴えているだけじゃない。……俺の家系の呪いと、この学校の悲劇が混ざり合って、新たな物語を紡ぎ始めているんだ」


 彼の言葉には、結衣が想像していたよりも、ずっと複雑で、深い意味が込められているようだった。


「……この絵は、君の夢を、現実のものにしようとしている」


 律の言葉に、結衣は息をのんだ。彼の瞳は、絵画の奥深くに隠された、何かを見つめているようだった。


「夢……?」


「ああ。……この絵は、君のトラウマを呼び起こし、そして、君が恐れるものを、次々に描き出そうとしている。……君の恐怖が、この絵を完成させるんだ」


 彼の言葉は、結衣の心臓を、凍りつかせた。


「でも、どうしてだろう。今の呪いの絵からは、悲しみや苦しみが伝わってくるけれど、呪ってやろうとかそういう悪意は感じられない。本当にこの絵が私のトラウマを現実のものにしようとしているのだろうか?」


 結衣は、絵画に視線を向けながらつぶやいた。彼女の言葉に、律は静かに答える。


「この絵に悪意はない。ただ、絵に描かれたものが、俺の家系の呪いによって、悲しみや苦しみを糧に具現化されていくだけだ」


 彼の言葉に、結衣は息をのんだ。


「その絵の悲しみに、君のトラウマが呼応している。だから、君が最も恐れるものが、描かれ、形となって現れようとしている」


 律の瞳は、まるで絵画の奥深くに隠された真実を見つめているかのようだった。


「榊原くん、もしよければ、この絵の詳しい話を教えてもらえないかな?」


 結衣の問いに、律は一瞬、戸惑ったように目を伏せた。


「……話したところで、君は理解できない」


 彼の言葉は冷たかったが、その瞳には、結衣の優しさに触れて、揺らぐ感情が宿っていた。


「それでも、知りたい。この絵の悲しみを終わらせるために、そして、私の生徒を守るために、私は、この七不思議と向き合いたい」


 結衣のまっすぐな瞳に、律は観念したようにため息をついた。


「分かった。……だが、話は一度きりだ。そして、話している間は、絶対に俺から離れるな」


 そう言うと、律はゆっくりと口を開き、絵画に隠された、彼の家系の悲しい過去を語り始めた。


「この絵は、俺の家系に伝わるものだ。そして、この絵こそが、この七不思議の元凶。……そして、俺がこの学校に転校してきた理由だ」


 律は、布を再び絵画にかぶせ、結衣の方を振り返った。


「……君がこの七不思議に関わるなら、俺が、君を守る。…だから、二度と勝手な行動はするな」


 彼の冷たい言葉とは裏腹に、その瞳には、結衣を守ろうとする強い決意が宿っていた。


 律の告白に、結衣は言葉を失った。彼の家系にまつわる呪い。そして、この七不思議を解決するために彼がこの学校に転校してきたという事実。彼の口から語られる真実は、結衣が想像していたよりも、ずっと重く、哀しいものだった。


「……その呪いって、どうやったら解けるの?」


 震える声で尋ねる結衣に、律は静かに口を開いた。


「俺の家は、古くから怨霊を鎮めることができる『呪術師』を家業としてきた。人を呪い、それを祓う……そんな物騒なことを、ずっとやってきた。祓い損ねれば、術者も死ぬ。それを回避するために、にえを準備することも多かった」


 彼の言葉は、結衣の知らない世界の物語を語っていた。


「対策を万全に行っていても、人から受けた負の感情は、榊原の家に溜まり、蓄積していき、呪いとなった。この絵も、それが形となった一つだ」


 律は、絵にかけられた布を、まるで愛おしいものに触れるかのようにそっと撫でた。


「呪いが絵の中に閉じ込められている間は問題ない。だが、収まりきらずに溢れてきたら、終わりだ。榊原家のものが呪い殺される。……俺の親も、この呪いで……」


 彼の言葉はそこで途切れたが、結衣には、その先に続く悲しい結末が容易に想像できた。彼の瞳に宿る深い哀しみは、彼自身の運命と、そして絵に閉じ込められた呪いの重さを物語っていた。


「俺が、この学校に転校してきたのは、この呪いの絵を管理し、呪いが溢れ出すのを防ぐためだ。そして、この絵に閉じ込められた負の感情を、永遠に封じ込める方法を探すためだ」


 律の言葉は、まるで彼の人生を語っているようだった。彼は、呪いを封じ込めるために、ずっと一人で戦ってきたのだ。


「……君が、この七不思議に関わるなら、俺が、君を守る。……だから、二度と勝手な行動はするな」


 彼の冷たい言葉とは裏腹に、その瞳には、結衣を守ろうとする強い決意が宿っていた。


「……君が、俺を救ってくれるかもしれない」


 律はそう付け加えた。彼の言葉は、希望を含んでいた。


「……どうして、私が?」


 結衣の問いに、律は静かに答える。


「君はこの絵の『呪い』と目が合った。ということは認識されていることになる。君にとっては不幸以外の何物でもないが、認識されているならば、干渉することができる」


「ええっと、私なら、呪いをどうにかできるってこと?」


「そういうことになるな」


 律はため息混じりにそう言うと、絵にかけられた布に、そっと触れた。


「この絵には、俺の家系にまつわる呪いと、この学校の悲しい過去が混ざり合っている。この呪いを解くには、絵に描かれた人物の悲しみを理解し、それを終わらせる必要がある」


「どうやって?」


「その鍵となるのが、君のトラウマだ」


 律の言葉に、結衣は息をのんだ。


「君がこの絵と出会ったのは、偶然ではない。君の純粋な心が、この絵に閉じ込められた悲しみに呼応したんだ。だから、君は、絵の悲しみを理解し、それを終わらせる力を持っている」


 律の言葉は、結衣の心を揺さぶった。彼女は、ただの教育実習生ではなく、この七不思議を終わらせるための、特別な存在なのかもしれない。


「先日の音楽室のピアノの件、あのことで俺の考えは確信に変わった。俺にできることは何でもする。だから、手伝ってもらえないだろうか?」


 律の真摯な願いに、結衣は頷くしかなかった。彼もまた、彼女の大切な生徒の一人。助けを求められたら、教師としてその手を取るしかない。


「……分かった。私にできることなら、何でも」


 結衣の言葉に、律は安堵したように小さく微笑んだ。


「ありがとう」


 その夜、律は美術室の七不思議、そして自分の家系の呪いを解くために、結衣と行動を共にし始めた。



 そして、七不思議の謎解きが一区切りついた、ある日の放課後。


 美術室で二人きりになった時、結衣は意を決して、ずっと気になっていたことを尋ねた。


「あの……榊原くんは、どうして私のトラウマを知っていたの?」


 律は、一瞬言葉に詰まった。彼は、その問いがいつか来ることを知っていたかのように、静かに目を伏せた。


「……あれは、偶然じゃないんだ」


 彼はゆっくりと口を開き、結衣が道に迷って洋館に辿り着いたあの日、彼がその洋館にいたこと、そして物陰から彼女を見ていたことを語り始めた。


「君が絵画の前に立った時、俺は、とっさに止めようとした。でも、間に合わなくて……」


 律の瞳には、あの日の後悔が色濃く宿っていた。


「俺の家系の呪いが、君を傷つけた。だから、俺は、君を…君の生徒を…もう二度と、危険な目に遭わせたくないんだ」


 彼の言葉は、結衣の心に深く響いた。二人の出会いが偶然ではなかったこと、そして彼がずっと一人で抱えてきた秘密を知り、結衣は彼との間に、より深い絆を感じるのだった。

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