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第三話:夜中に動く美術室の絵画

「桜井先生、助けて下さい!」


 先日、「誰もいない音楽室のピアノ」を解決した結衣。


 音楽室のピアノを怖がっていた生徒に「もう大丈夫だから」と言ったことで、結衣が七不思議を解決したという噂が広がった。そのせいか、またも生徒が結衣のところに駆け込んできた。


「ええっと、何かな?」


 先生として生徒に頼られることはとても嬉しい。でも、できれば、勉強とか進路とか、そういう普通の相談だといいなと、ちょっとだけのぞみを抱く。


「私の友達が美術部なんだけど、夜になると、誰もいないはずの美術室で、絵画が増えたり、描かれている人物が不気味に変化したりして怖くなっちゃって学校に来れなくなったんです」


「そうなのね」


 ああ、望みは儚く消えていったわ。


「夜中に増え続ける美術室の絵画」、これも学校の七不思議の一つだ。


「先生、音楽室のピアノを解決したんですよね? 美術室もお願い!」


 きらきらした目でそう言われると、結衣は頷かざるを得なかった。


 ――図らずも、学校の七不思議、再びとなった。


 夕方、放課後の美術室。結衣は、一歩足を踏み入れた途端、背筋が凍るような冷たい空気に包まれた。室内の壁には、生徒たちが描いた絵画が所狭しと飾られている。


「……ここが、美術室」


 壁にかかっているどの絵も、ごく普通の静物画や風景画に見える。しかし、結衣のトラウマが警鐘を鳴らしていた。


 幼い頃、古い洋館で見た不気味な絵画の記憶。


 彼女は、絵画に近づくことをためらい、遠巻きに観察する。その時、美術室の隅にある、大きなキャンバスに布がかけられているのに気づいた。他の絵画とは違い、隠すように置かれているそのキャンバスが、妙に気になった。


 結衣が恐る恐るその布に手をかけた、その瞬間だった。


「……何をしているんだ」


 冷たい声が、背後から響いた。振り返ると、そこに立っていたのは、あの転校生だった。彼は、結衣が手をかけているキャンバスを、鋭い眼差しで見つめていた。


「この絵に……触れるな」


 彼の声は、今までに聞いたこともないほど、厳しいものだった。


「できれば、私も触りたくないんだけどな」


 そんな場合じゃないけれど、結衣の頭をそんなセリフがよぎった。


「ええっと、先日の音楽室ではありがとう」


 彼は何も言わず、ただじっと結衣を見つめている。


「今日もね、生徒から『夜中に増え続ける美術室の絵画』の相談があったの。だから、ここに確かめに来たのよ」


「……危ないから、関わらない方が良い」


 律にそう言われ、結衣は「ごめんね」と答えた。彼の険しい表情が少し緩み、結衣はほっとした。


「君は、どうしてそんなに他人のことに首を突っ込むんだ」


 彼の声は、苛立ちと同時に、どこか諦めを含んでいるように聞こえた。


「だって、怖がっている生徒がいるから。このまま放っておいたら、私みたいにトラウマになっちゃうかもしれないし」


 結衣がそう答えると、彼の表情に一瞬、複雑な感情がよぎった。


「……君は、何も知らない」


 彼はそう呟き、布のかかったキャンバスに視線を戻した。その瞳には、深い哀しみが宿っていた。


「……知りたい。もし、美術室の七不思議が誰かの悲しみで起きているのなら、私は知りたい。そして、その悲しみを終わらせてあげたい」


 結衣の言葉に、彼は何も答えなかった。しかし、その手はキャンバスに伸ばされ、そして、ゆっくりと布が剥がされた。


 その瞬間、結衣は、あまりの光景に息をのんだ。


 キャンバスには、幼い頃に結衣が見た、あの不気味な絵画が描かれていた。


 悲鳴を上げそうになって、慌てて口を手でふさぐ。忘れようにも忘れられない記憶が、鮮やかに蘇ってきた。





 ――あの夏の日。

 道に迷い、人里離れた森で迷子になった私。


 雨宿りにと見つけた古い洋館は、まるで時間が止まったように静まり返っていた。

 誰もいないはずなのに、どこからか聞こえる物音に怯えながら、たどり着いた部屋。


 壁一面に絵画が飾られたその部屋の中央に、一枚の不気味な肖像画があった。

 無造作に描かれた人物の目は、私をまっすぐ見つめていた。


 怖くなって、すぐに目を逸らした。

 でも、もう一度見た時、その顔が、一瞬だけ、私に、微笑んだ……気がした。





 足から力が抜けて座り込みそうになる。


「危ない!」


 そんな結衣の身体を、彼は慌てて支えた。震える結衣に深くため息をつき、近くにあった椅子に座らせた。


「……大丈夫か?」


 心配そうな彼の声に、結衣はかろうじて頷いた。震えが止まらない。彼はため息をつきながら、静かに結衣のそばに腰を下ろした。


「君は桜井先生、だったな。教育実習生の」


「……はい」


「俺は……榊原さかきばら りつ


 彼はそう名乗ると、再びキャンバスの絵画に視線を戻した。その横顔は、悲しみと、そしてどこか諦めに満ちていた。


「……その絵は、君のトラウマと関係しているのか?」


 結衣は、律の問いにゆっくりと頷いた。彼がなぜ自分のトラウマを知っているのか、尋ねる気力もなかった。


「……どうして、この絵がここに……?」


 結衣の掠れた声に、律は静かに答える。


「この絵は、俺の家系に伝わるものだ。そして、この絵こそが、この七不思議の元凶。……そして、俺がこの学校に転校してきた理由だ」


 そう言って、彼は静かに、しかし決意に満ちた目で結衣を見た。


「君は、この七不思議に関わらない方がいい。これは……君が思っているよりも、ずっと危険なものだから」


 律の言葉を聞いて、結衣は困惑する。自分のトラウマの元凶になった絵が学校にあって、それが七不思議と律にも関係していて、でも、危険だから関わっちゃいけないと言われて……。


「そんなこと言われても、困るよ」


 結衣は思わず、素直な気持ちを口にした。


「だって、怖がっている生徒がいるんだよ? 助けてほしいって、私を頼ってくれた生徒がいるの」


 その瞳は、恐怖を乗り越えようとする強い意志に満ちていた。律は、そんな結衣の言葉に、一瞬言葉を失った。


「……君は、本当に、馬鹿だな」


 彼はそう呟くと、再びため息をついた。その表情には、苛立ちと、どうしようもない諦めが混ざっていた。


「分かった。……だったら、勝手に動くな。俺が、君のそばにいる」


 律の言葉に、結衣は驚いて顔を上げた。


「俺がこの七不思議を解決する。そして、君は……その一部始終を見ていればいい」


 彼はそう言い切ると、結衣に背を向け、絵画の前に立った。


「この絵には、俺の家系にまつわる呪いがかけられている。夜になると、絵画が増え、描かれた人物が不気味に変化するのは、呪いが力を増している証拠だ」


 律は、布を再び絵画にかぶせ、結衣の方を振り返った。


「……君がこの七不思議に関わるなら、俺が、君を守る。……だから、二度と勝手な行動はするな」


 彼の冷たい言葉とは裏腹に、その瞳には、結衣を守ろうとする強い決意が宿っていた。


 律の告白に、結衣は言葉を失った。彼の家系にまつわる呪い。そして、この七不思議を解決するために彼がこの学校に転校してきたという事実。彼の口から語られる真実は、結衣が想像していたよりも、ずっと重く、哀しいものだった。


「……その呪いって、どうやったら解けるの?」


 震える声で尋ねる結衣に、律は静かに答える。


「呪いを解くためには、この絵に描かれた人物の悲しみを終わらせる必要がある。……だが、そのためには、絵の中に隠された“鍵”を見つけなければならない」


 彼はそう言うと、美術室の窓から差し込む月明かりを、じっと見つめた。その瞳は、何かを求めているかのように揺れていた。


「この七不思議は、君のトラウマを呼び起こす。でも、もし、君がその恐怖を乗り越えることができれば……」


 律の言葉は、そこで途切れた。しかし、彼の言葉の続きは、結衣にはっきりと聞こえた気がした。


 “君が、俺を救ってくれるかもしれない”

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