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ヒミツの放課後ホラー ~新米教師と、呪われた七不思議~  作者: ましろゆきな
第一章:誰もいない音楽室のピアノ
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第二話:音楽室の演奏会

「演奏を聞いてもらいたいなら演奏会を開けば良い。でも、演奏者が魂だけの存在だったらどうすればいいの?」


 結衣の素朴な問いに、結城は穏やかに首を振った。


「コンサートホールに大勢の観客を集める必要はないんだ。彼女のピアノを聴きたいと心から願う人が、この場所に来てくれればいい。それは、たった一人だけでも」


 結衣は、結城の言葉に、ハッと顔を上げた。


「私の、生徒……」


 恐怖から解き放たれ、ピアノの音に耳を傾けることができるようになった生徒。その子のために、ピアノの音の真相を突き止めることが、結衣の最初の目的だった。


「その子の恐怖を取り除いてあげたいという君の純粋な想いは、きっと彼女の魂に届く。そして、彼女のピアノを聴くことができるのは、その子だけではないかもしれない」


 結城はそう言って、再び鍵盤に目を向けた。


「彼女は、ずっと一人だったのかもしれない。だからこそ、今、自分の想いを共有してくれる誰かを待っている。君や、君の生徒のようにね」


 結衣は、結城の言葉に頷いた。ただ幽霊を怖がるのではなく、彼女の悲しみに寄り添うこと。それが、この七不思議を解決する、最初の一歩だと悟った。


「その子の、ピアノを聴きたいと心から願う人が、この場所に来てくれればいい…」


 結衣は、もう一度、彼の言葉を心の中で繰り返した。そして、彼女の心には、ある一つのアイデアがひらめいた。


 音楽室での演奏会。演奏者の姿がないけれど、観客を呼べばいいんじゃないか。


 結衣は、どうすればいいのかと考えを巡らせた。ただの演奏会ではない。悲しい魂のピアノに耳を傾けてくれる人を探す、という特別な意味合いを持ったイベントだ。


 結衣と結城はもちろん聴く。しかし、それ以外に、誰に声をかければいいのだろう?


 結衣は心に決めたことを胸に、職員室へと戻ろうと廊下を歩いていた。


「……っ」


 曲がり角を曲がった瞬間、誰かとぶつかりそうになり、思わず息をのんだ。目の前に立っていたのは、見慣れない男子生徒だった。


 背が高く、人形のように整った顔立ち。しかし、その瞳は冷たく、どこか近寄りがたい雰囲気を持っている。


「……す、すみません!」


 慌てて頭を下げると、彼は無言で結衣を一瞥し、音楽室の扉の前で立ち止まった。


「もしかして、なにか用事ですか?」


 結衣の問いに、彼は感情のない声で答える。


「ただ、通りかかっただけだ」


 しかし、彼の視線が音楽室の重い扉に吸い寄せられていることに、結衣は気づいた。彼の静かな佇まいから、ただの好奇心ではない、何か深い関わりがあるような空気が漂っていた。その時、結衣の脳裏に、結城の言葉が蘇る。


 ――「彼女のピアノを聴きたいと心から願う人が、この場所に来てくれればいい。それは、たった一人だけでも」


 この子が、そうなのかもしれない。結衣の胸に、確信にも似た直感が湧き上がった。


「あの!よかったら、今夜、音楽室に来ませんか?」


 彼の冷たい眼差しに、一瞬ひるみそうになるが、結衣は勇気を振り絞って続けた。


「怖い話ではないんです。……悲しいピアノの音を、一緒に聞いてくれませんか?」


「……は?」


 彼の表情に、初めて動揺の色が浮かんだ。結衣の突飛な申し出が理解できない、とでも言いたげな顔だった。


「なんで俺なんだよ。……七不思議なんて、くだらないだろ」


「どうしてそう思うんですか? ……ただの怪談じゃないんです。私は、この七不思議に隠された、悲しい魂を救ってあげたいんです!」


 結衣は、生徒の恐怖を取り除きたいという想い、そして、哀しい魂を救いたいという純粋な願いを、全て彼にぶつけた。彼は、そんな結衣の熱意に、言葉を失ったように見つめていた。


「…勝手にすればいい。どうせくだらないことだ」


 そう吐き捨てるように言うと、彼は結衣に背を向けた。しかし、去り際に聞こえた、彼の小さなつぶやきを、結衣は聞き逃さなかった。


「……今夜、八時……」




「桜井先生、どうでしたか?」


 結城の問いかけに、結衣は曖昧に答える。


「ええっと……多分、来てくれると思います」


 確信は持てない。あの冷たい視線と、突き放すような言葉。それでも、彼の最後のつぶやきが、結衣の胸に小さな希望を灯していた。


「そうですか。まあ、急な思いつきですから、今日でなくても仕方がないでしょう」


 結城は表情を変えず、静かにそう言った。彼の言葉は、結衣の不安を和らげようとしているようにも、この事態を冷静に見極めているようにも感じられた。


「はい……」


 結衣は、ただ頷くことしかできなかった。


 夜、音楽室。約束の八時を過ぎても、彼の姿はなかった。結衣と結城は、ただ二人、静かにピアノの前に立っていた。


「やはり、来ませんでしたね」


 結城の言葉に、結衣は肩を落とす。


 その時だった。


 ドアが静かに開く音がした。振り返ると、そこに立っていたのは、あの転校生だった。彼は無表情なまま、部屋の中へ一歩足を踏み入れる。


「……何だよ、その顔。別に、約束したわけじゃないだろ」


 彼の言葉は冷たかったが、その瞳は、たしかにピアノを見つめていた。


「来てくれてありがとう。……正直言うとちょっとびっくりしちゃってごめんね」


 結衣の言葉に、彼は短く「ふん」とだけ返した。結城先生が静かに二人を促す。


「さあ、二人とも。椅子に座って」


「はい」


 結衣と転校生は、ピアノの前の椅子に並んで座った。結城は、少し離れた場所に立ったままだ。部屋の中は、息をひそめたように静まり返っていた。


 八時をまわったばかりの音楽室は、昼間の明るさが嘘のように薄暗い。窓の外には、ぽつりぽつりと街の明かりが灯り始めていた。


 沈黙の中、結衣は心臓が早鐘を打つのを感じる。隣に座った彼の横顔は、相変わらず感情が読み取れない。彼がなぜここに来たのか、本当に七不思議を信じているのか、それともただの気まぐれなのか、結衣には分からなかった。


 その時だった。


 誰の指も触れていないはずのピアノが、かすかに震え、一つの鍵盤が、静かに、そしてゆっくりと沈んだ。


「ポーン……」


 部屋に、高く、澄んだ音が響き渡る。それに続くように、また別の音が鳴り、やがて、たどたどしいメロディが紡ぎ出された。


 それは、まるで幼い子供が初めてピアノを弾くような、拙くも愛おしい音だった。しかし、そのメロディは、どこか悲しくて、胸が締め付けられるようだった。


 結衣は、無意識のうちに涙が頬を伝うのを感じた。彼女の隣で、無表情だった彼の瞳が、かすかに揺れていることに、結衣はまだ気づいていなかった。

 静かな暗闇にピアノの旋律が響く。


 三人の聴衆を前に、姿なき演奏者は優しい音を奏でた。そこには、生前感じたであろう絶望も苦しさも感じられなかった。ただただ、ピアノが好きで、ピアノを弾くことができる嬉しさに溢れていた。


 やがて、メロディは次第に力強さを増していった。それは、まるで少女が、諦めてしまった夢をもう一度追いかけるかのような、希望に満ちた音色だった。


 結衣の隣で、無表情だった転校生が、小さく息をのんだ。彼の冷たい瞳に、ほんの少しだけ、温かな光が灯るのを、結衣は確かに感じた。


「……よかった」


 誰にともなく、結衣はそっと呟いた。その声は、ピアノの音色に溶け込んでいく。


 演奏が終わると、音楽室には再び沈黙が訪れた。しかし、その沈黙は、もはや恐怖のものではなかった。


 結衣は、静かに立ち上がると、ピアノの前に歩み寄った。そして、鍵盤にそっと手を置く。


「……きっと、あなたは、誰かに聴いてほしかったのね。こんなに素敵な音色を」


 そう呟くと、彼女はピアノに向かって優しく微笑んだ。


 その瞬間、部屋の空気が、ふわりと温かくなったような気がした。


 それは、まるで、少女の魂が、安らぎを得て、静かに消えていく音だった。


「これで、もう大丈夫だね」


 結城が、穏やかにそう言った。彼の声には、深い安堵が感じられた。


 結衣は、音楽室を後にする転校生の背中を、見つめていた。彼の表情は、相変わらず冷たかったが、その足取りは、来た時よりも、どこか軽くなっていた。


「……ありがとうございました」


 結衣の感謝の言葉に、彼は何も答えなかった。しかし、音楽室の扉が閉まる直前、彼の唇が、ほんの少しだけ、微笑んだように見えた。





「桜井先生、今日はありがとうございました」


 結城の言葉に、結衣は首を振った。


「いえ、そんな。私の方こそ、結城先生にいろいろ教えていただけて助かりました」


 ピアノの前に立つ結城の表情は、どこか晴れ晴れとしているように見えた。


「彼女はちゃんと天に行けたでしょうか」


「ええ、大丈夫でしょう。彼女の音は、とても安らかでした」


 結城先生は、そっとピアノの蓋を閉めた。


「生前と変わらない彼女の音を聞くことができて私も安心できました。私は彼女を救うことができませんでした。もっと話をすればよかった」


 結衣は、結城の口からこぼれた言葉に、息をのんだ。彼の穏やかな表情の下に隠されていた、深い後悔と哀しみが、痛いほど伝わってきた。彼は、ピアノの少女と、何か深い関わりがあったのかもしれない。


「結城先生……」


 結衣が何か言葉をかけようとすると、結城は小さく首を振った。


「すまない、少し感傷的になっただけだ。……ありがとう、桜井先生。君のおかげで、私もようやく、彼女の安らかな音を聞くことができた」


 彼の目に宿る哀しみが、結衣の心を締め付ける。


 この七不思議の解決は、ただの怪談話の終わりではなかった。それは、結城先生の心の中にずっと残っていた、後悔の念を少しだけ溶かすことでもあったのだ。


「桜井先生、君は本当に、優しいね」


 結城はそう言って微笑むと、音楽室を出て行った。


 結衣は、一人静まり返った音楽室で、今日起きた出来事を振り返った。彼女は、生徒の恐怖を取り除き、少女の魂を救い、そして、一人の先生の後悔に寄り添うことができた。


 そして、もう一つ。


 無愛想な転校生が、ほんの少しだけ、微笑んだように見えたこと。


 次の七不思議を解く旅は、きっと、もう始まっている。

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