第十九話:言葉の力
翌日の放課後、四人は再び放送室に集まり、解決策を話し合うことになった。
「昨日の繰り返しになりますが、放送室には死者の霊だけでなく、生霊ともいえる、今いる生徒たちの悪意も集まっています」
律が告げた事実は、残酷なものだった。元々はいじめられ自殺した霊と、今のいじめの生霊が混ざり合った状態だという。
「今いる生徒たちの精神を浄化しない限り、問題は解決しないということになるな」
高遠がため息混じりに言った。
「そうだね。実際、今も保健室登校の生徒がいるくらいだから、根深い話だね」
結城も、現状の厳しさを認めた。
結衣は、そんな三人の言葉を静かに聞いていた。悲しみに寄り添うことはできても、他人の悪意にどう向き合えばいいのか、彼女にはまだわからなかった。
「……みんな、どうすればいいんだろう」
結衣の問いかけに、三人は顔を見合わせる。
「まずは、悪意の根源を特定する必要がある。保健室登校の生徒、そして、その生徒をいじめた生徒たち。彼らの心に潜む、深い闇と向き合わなければならない」
高遠が言った。彼の言葉は、冷静で、しかし、深い覚悟がにじみ出ていた。
「でも、どうやって?」
結衣が聞くと、結城が口を開いた。
「教師として、彼らの話を聞くことしかできない。だが、彼らは、俺たち教師を信用してくれないだろう。過去に、この学校で起きた悲しい事件のせいで、教師と生徒の間に、深い溝ができてしまったからだ」
結城の言葉は、教師という立場の難しさを物語っていた。
「だったら……僕にできることがあるかもしれません」
律が静かに言った。彼の瞳には、結衣と同じ、優しい光が宿っている。
「俺の霊感は、死者の悲しみだけでなく、生きている人の感情も感じ取ることができます。……彼らの心に直接触れて、何が彼らをそこまで追い詰めたのか、探ってみます」
律の言葉に、結衣は息をのんだ。それは、危険な賭けだった。
「待って、榊原くん。それは危険だよ!」
結衣の言葉に、律は静かに微笑んだ。
「大丈夫だよ。結衣先生も頑張ってるんだから、俺もできることをしたい」
律の言葉に、結衣は何も言えなかった。しかし、彼女の心には、彼を信じる、強い決意が芽生えていた。
「結衣先生、俺も良いところ見せたいんだよ。手強いライバルいるんだから、頑張らないとね」
律は心配そうな結衣に軽口を叩いた。その言葉の裏には、彼女を安心させたいという優しい思いが隠されている。
「榊原、無理はしなくていい。生霊を飛ばしている生徒がわかればいいから。その後は俺がその生徒と話をするよ」
結城が軽く笑いながら、律と結衣にそう言った。彼の言葉には、律への信頼と、教師としての責任感がにじみ出ている。
「結城が無理なら、俺が何とかするさ。霊を払うのがエクソシストの本分だからな」
その言葉を受けて高遠がニヤリと笑ってそう続けた。彼の言葉は、結城へのライバル心と、結衣を守ろうとする強い決意の表れだった。
三人のやり取りに、結衣は思わず笑みがこぼれた。彼らは、それぞれ違う方法で、自分を守ろうとしてくれている。
「みんな、ありがとうございます」
結衣は、心からの感謝を伝えた。その言葉に、三人は静かに頷いた。
「よし、じゃあ、作戦開始だ」
結城先生の言葉を合図に、四人は行動を開始した。
結衣と結城先生が保健室で待機する間、律と高遠は、悪意の根源を探るために学校内を歩き回っていた。
「……いる。この気配、強い……」
律は、そう呟くと、ある教室の前で足を止めた。彼は、目を閉じ、集中してその気配を感じ取ろうとする。
「榊原、無理はするな」
高遠が声をかけるが、律は答えない。彼の額には、冷や汗がにじんでいた。
「……見えた。彼女の心の中に、強い悪意が渦巻いている。……でも、その奥に、深い孤独と、悲しみを感じる」
律の言葉に、高遠は息をのんだ。
「彼女は、友達に裏切られたと思っている。その悲しみが、誰かを傷つける言葉になって、外に出てきているんだ」
律は、そう言って、その場に崩れ落ちた。高遠は、急いで彼を抱きかかえる。
「榊原、大丈夫か!」
高遠の声に、律は静かに頷いた。
「保健室に戻ろう。結城先生に、この生徒のことを伝えよう」
高遠は、そう言って、律を支えながら、保健室へと向かった。
保健室の空気は、張り詰めていた。律が指摘した「生霊」の送り主は、学校でも評判の優等生、生徒会役員を務める生徒だった。
「本当なのか、榊原」
結城は、疑わしげな表情で律を見つめた。
「間違いないです、結城先生。彼女の霊は深い悪意に満ちていて、その奥には、もっと深い悲しみと孤独がある。長い間、感情を押し殺してきた結果、それが毒になってしまったんじゃないかと」
結城は、自らの過去の過ちを繰り返さないために、すぐにその生徒のもとを訪ねた。
彼は、教師としての権威ではなく、一人の人間として、彼女に語りかけた。しかし、生徒は完璧な優等生の仮面をかぶり、何もかも否定した。
だが、放送室の「生霊」は、彼女に逆流し始めた。
自分で流した呪いの言葉が、今度は彼女自身の耳に届き、心を蝕んでいく。
成績は落ち始め、完璧なイメージは崩れ、彼女は激しい不安とストレスから、保健室を訪れた。
生徒の変わり果てた姿を見た結城は、これが最後のチャンスだと悟った。彼は、優等生として完璧を演じなければならない苦しみを、教師として生徒を守れなかった後悔を交えながら、静かに語り始めた。
「完璧でいなければならない、誰かをがっかりさせてはいけない、そう思う気持ちは痛いほどわかる。でも、君は機械じゃない。人間だ。その苦しみは、君を傷つけている」
結城の言葉は、彼女の心の奥深くにまで届いた。
彼女はついに、堰を切ったように泣き崩れ、すべてを告白した。親からの絶え間ない期待、優等生として振る舞い続けることの苦しさ。そして、他人を貶めることでしか、自分の心を保てなくなってしまったことを語った。
生徒の告白により、彼女の「生霊」の一部は浄化された。
放送室の悪意に満ちた囁きは弱まったが、まだ完全に消えたわけではなかった。結城は、保健室でその生徒と向き合い、彼女の心に寄り添った。そして、放送室の真実を語り、彼女が引き起こした「呪い」の正体を説明した。
そして、結城は、生徒に、もう一つの真実を告げた。
「君がしたことは、決して許されることではない。だが、君を救う道は、まだ残されている。……君を苦しめている悲しみを、君自身の力で、乗り越えるんだ」
結城の言葉に、生徒は静かに頷いた。彼女は、自らの過ちと向き合い、再び、前を向いて歩き始めることを決意した。
優等生の仮面を脱ぎ捨て、すべてを告白した生徒は、結城の導きで、再び放送室の前に立っていた。彼女の顔には、まだ恐怖と後悔の色が残っていたが、その瞳には、自分の罪と向き合う強い決意が宿っている。
「先生、本当に、これでいいんですか……?」
彼女の声は震えていた。
「君が、自分の言葉で、自分の罪と向き合うんだ。それが、君自身を、そして、言葉に苦しんだすべての魂を救う、唯一の方法だ」
結城先生は、そう言って、彼女の背中を優しく押した。結衣、高遠、そして律も、彼女を励ますように、静かに見守っている。
生徒は、意を決して、マイクの前に座った。そして、深く息を吸い込み、マイクのスイッチを入れた。
「……私は、この学校の生徒です」
彼女の声が、静かに、しかし、はっきりと、校舎中に響き渡った。
「私は、皆に知られたくない、醜い心を持っていました。……自分より、幸せそうに見える人たちを、見るのが、耐えられなかった。だから、私は、この放送室を使って、嘘の噂を流し、みんなを傷つけていました」
彼女の声は、震えているが、その言葉には、偽りはなかった。
「私は、自分の心の弱さから、誰かを傷つける言葉を使っていました。……そして、その言葉が、この学校で、かつて私と同じように苦しんだ、誰かを、傷つけていたことを知りました」
彼女は、そう言うと、静かに涙を流した。
「本当に、ごめんなさい……」
その瞬間、放送室に満ちていた淀んだ空気が、一気に浄化されていくのがわかった。そして、彼女の心に巣食っていた、他人の悪意と結びついた「生霊」が、光となって消えていく。
「……彼女の、言葉の力だ」
高遠が静かに呟いた。
「彼女は、言葉で人を傷つけた。だが、今、言葉で、自分を救ったんだ」
律は、安堵の表情で、そう言った。
「ありがとう、先生。ありがとう、みんな」
彼女は、そう言って、マイクに向かって深々と頭を下げた。
そして、校内放送が切れると、彼女の言葉を聞いた生徒たちが、それぞれ、自分の胸に手を当てていた。
彼女の言葉は、他の生徒たちの心の奥深くにまで届き、彼らの心に潜む悪意を、少しずつ溶かしていったのだ。




