第86話 届かぬ思い、隔てられた二人
少し位置を下げた太陽は、まだその温もりを保ってはいるが、どこか肌寒い。
夏の終わりの、わずかに乾いた風が辺り一面を包み込む。
サラナの足が地を踏みしめる音が、小さく鳴った。
「お父様……、
わがままを通して、勝手に家を出て本当にごめんなさい」
静かに頭を下げるサラナ。
後ろのヴァルドも彼女に合わせて、さっと頭を下げた。
ルーベンは隣の父親の動きに目を向け、そして目の前の母親を見つめる。
はっとしたように息を呑むと、自らも小さな体を折り曲げて頭を下げた。
黙ったままのドートル侯爵も、ルーベンの仕草に眉を上げると、
少しだけ口元を緩めた。
「……元気でやっているのか?」
ただ一言漏らした侯爵に、サラナは柔らかく微笑んだ。
「はい、家族三人でとても幸せに暮らせています。
息子ルーベンは今年で五歳になりました」
「……そうか」
ドートル侯爵がルーベンに視線を向けると、
彼は嬉しそうにニコッと笑顔を見せた。
微かに目元を細めた侯爵が、ルーベンに向かって頷く。
「親になって初めて、お父様の愛情の深さを知りました。
あの時は誰の話も聞かず、ただ自分の思いだけを突き通していました。
今ならわかるんです……。
お父様は一方的に反対していたのではなくて、私達を心配していただけだったって。
だってあの当時、無理にでも私たちを引き離すこともできたのに……。
お父様はそんな事、なさらなかった。
出て行った私達のことを、ずっと見守っていてくださっていたんですよね?」
サラナの話を否定も肯定もせず、
ただ静かに娘を見つめる侯爵。
返事をしない父親に、サラナは続けて語りかける。
「五年前、ヴァルド商会が倒産の危機に陥った時、
助けてくださったのはお父様ですよね?
本当にありがとうございました……」
軽く息を吸ったサラナは、両目に力を込めると再び口を開いた。
「今回も……、ビスから魔力にエネルギー源が変われば、
私たちが路頭に迷う……そう思ったから、
留魔石の流通を止めたのですか」
覚悟の滲むその瞳には、溢れんばかりの涙が膜を張っている。
サラナと侯爵の間に張り詰める、緊迫感と重い空気。
周りの誰もが息を潜めて様子を見守る中、
ゆっくりと侯爵が背を正す。
彼は一度ギュッと目を閉じ、重い瞼を持ち上げると、
サラナに視線を固定した。
「お前たちのためでは……ない」
低く掠れた声が響く。
「では、なぜ……。
なぜ、留魔石の販売を止めるのです?
なぜ、国の方針に反するんです?
……ちゃんと国に協力して……」
頬を伝う涙をそのままに、嗚咽を堪えて必死に訴えるサラナ。
「……それは、できない」
暗く悲しい目を、娘に向けたドートル侯爵。
「……どうして」
力なく膝から地面に崩れ落ちたサラナを、
ヴァルドが駆け寄り抱きしめる。
彼の胸にしがみつくように、声をあげて涙するサラナ。
その悲痛な声に胸を締め付けられるララ。
侯爵に目を向けると、彼は表情をなくしてどこかを見つめている。
──ルーベンは?
そんな思いがララの胸に沸いた。
さっとヴァルド夫妻に目を向けるが、
そこにルーベンの姿はない。
その時──
ララの視界の端に映り込む、小さな影。
それは、先程見学した坑口へ向かって走るルーベンだった。
っあ‼︎
最初に感じた、あの違和感の正体が頭をよぎる。
──昔の坑道を使って採掘。
それって、地盤が脆弱化してるとこを掘り進めてるってことよ!
ララは思わず走り出す。
「ルーベン、そこに入ってはダメ‼︎」
ララの言葉に振り返った彼は、すでに坑道に足を踏み入れていた。
王女の危機迫る声に、全ての視線が坑口を向く。
パラッと、ルーベンの横に落ちる小さな石コロ。
バキッ、バキバキッと音を立て、岩肌に亀裂が走る。
縦横斜めにひび割れた入り口周囲は、
今にも崩れ落ちそうにガタガタ揺れ始めた。
ミシッ、ミシミシッと軋む鉱木は、すでに歪んで原型をなくしている。
「ルーベン‼︎」
彼を抱え込み、転がるように坑道の奥へ進むララ。
その直後──
ゴォォッと音を立てて入り口の岩が崩れ落ち、
みるみるうちに巨大な壁となる。
「ララ‼︎」
ランゼルの危機迫る悲痛な叫びが、
固く冷たい山々を貫いた。




