第75話 穏やかな午後と、不穏な報せ
「ねぇ、ランゼル。
なぜあの二人はジュリアさんに叱られてるのかしら?」
ほんの少しだけ和らいだ太陽を背に、ララとランゼルは中庭のガゼボへと向かっていた。
白いガゼボの隣に咲く輝くソレイユのそばで、ジュリアが腰に手を当て立っている。
そう、まさに仁王立ち。
彼女の前には、小さく項垂れたバートンとライオネル。
キーンと高いジュリアの声がララの元まで届いた。
ちょっとだけ驚いた様子のララに、ランゼルが思い出したように呟く。
「あぁ、それは――」
「それはですね、あのおバカな二人が魔法談義で盛り上がって、ジュリアとの約束をすっぽかしたからです」
ランゼルの言葉を遮ったのは、穏やかさに芯のある女性の声だった。
「あら、ノーランさん。こんにちは」
ララは後ろから歩いてきたノーランを振り返り、挨拶を交わした。
胸に手を当て、軽く頭を下げた彼女は、
「王女さま、『ノーラン』とお呼びください」そう言って目を細める。
「そう? では『ノーラン』って呼ばせてもらうわね」
ララも微笑み返すと、先ほどから気になっていたことを尋ねた。
「ねぇ、ノーラン。二人はどんな約束を破ったのかしら?」
首を傾げるララに、彼女は答える。
「午後から王城の庭園を散策する予定だったみたいです。
ジュリアが『久しぶりにバートンさまとデートだわ』ってはしゃいでいましたから。
そんな乙女の気も知らず、あのおバカな二人は……」
ため息を吐くノーランに、ララも苦笑いがこぼれた。
「そう、それはバートンとライオネルの過ちね。
明日にでも城下を散策するとか、埋め合わせが必要だわ。
明日って、バートンは『簡易学校の先生の日』だったかしら?」
ララの問いに、視線を上に上げたランゼルが、頭の中のスケジュールを探るように答えた。
「いいや、明日は……ライオネルの担当日だ」
「それじゃアーロンに頼んで、おすすめのデートコースをピックアップしてもらいましょう!」
軽く手を打って口元を緩めたララ。
ララたちの声が届いたのか、首を回して後ろを振り返ったジュリア。
それからの彼女の動きは、まさに淑女。
さっと向きを変えると、流れるように足を引き、優雅に挨拶をする。
先ほどまでの怒りを完全に消し去ったジュリア。
今ではその愛らしい顔に、微笑みすら浮かべている。
見事な切り替えに、ララだけでなくランゼルまでもが目を見開いて驚きを露わにした。
そんな二人を不思議そうに眺めたジュリアが、今度は首を傾げる。
思わず吹き出したノーラン。
「ジュリア、あなたの変わり身の速さに王女さまも、
ランゼル王子もびっくりされたのよ」
「いやだわ、見ていらしたの⁉︎」
赤くなった頬を押さえて、かがみ込むジュリアに、バートンの余計な一言が。
「ほら、ジュリア。被っていた猫が逃走してるよ。早く連れ戻しておいで」
それに相槌を打つライオネル。
「ほぅ、なかなか的を射た例えだな、バートン。
しかし、世の女性は器用なものだな。
猫を被ったり、脱いだり――」
言い終わる前に「ゴツッ」と響く鈍い音。
今度はライオネルが、地面に蹲っている。
「お前は、余計な一言が多い。考えてからものを言え!」
鋭く告げたノーランの右手は、硬く握りしめられていた。
「なんだか、賑やかですね」
そう言って現れたのは、ジュードとアーロン。
「あら、もう出発の時間かしら?」
ララはジュードに話しかける。
「いいえ、我々もノルフェリアの方々にご挨拶したくて参りました。
『アルス』へ向かうには、まだしばらく時間がありますよ」
ジュードもアーロンも、貴族の子息らしく優雅に洗練された所作で挨拶した。
こうして始まった、アルマティアとノルフェリアの交流会。
香りの良い紅茶、
上品な甘さの焼き菓子、
弾む会話。
風に乗って運ばれてくる花々の香りも相まって、
穏やかな午後のひと時を作り出していた。
―――その時。
「っお、王女さま! 王女さま! たい、大変です‼︎
『アルス』が何者かに荒らされました!」
血相を変えたジャックが、慌てて走ってくる。
一瞬、そこにいた誰もが言葉の意味を飲み込めず、動きを止めた。
一番最初に声を発したのはランゼル。
「ジャック、いったいどういう状況だ。
わかる範囲でいいから、落ち着いて話してくれ」
ジャックのそばで、彼の肩に手を置いたランゼルは、静かに威厳の漂う声で話しかける。
ララも他の皆も立ち上がって、ジャックを囲んだ。
全力で走ってきた彼の呼吸はなかなか整わず、時々むせている。
ララは空いたカップに紅茶を注いで、ジャックに手渡した。
「ジャック、ゆっくりでいいから、まずは喉を潤しましょう。
それから、わかることを教えてちょうだい」
膝に手をついて頭を下げていた彼は、大きく息を吸って上体を起こした。
ララからカップを受け取ると、味わう間もなく喉へと流し込む。
軽く呼吸を整えて、口を開くジャック。
「昨夜完成した試作品が、何者かに壊されたそうです。
ちょうど職人たちが昼休憩で席を外していた時だそうです。
たった今、『アルス』の職人が伝えに来ました」
ヒュッと息を飲んだのは、バートン。
他の面々も言葉が出てこない。
誰もが暗闇を掻き分けるような、
これからを模索するような、
重い空気が流れた。




