第67話 希望の涙、未来への誓い
「母さんは、座ってて。すぐ終わるから」
手探りで庭に出てきた母親に声をかけると、地面に転がっていた木箱を椅子代わりに置いた。
「いつもありがとう。助かるよ」
ハンスの手を取って微笑む彼女の視点は定まっていない。
「この洗濯物干したら、仕事に行くから。母さんとおじいちゃんのご飯は、テーブルにパン置いてるからね」
そう言うと母親の手を優しく解いて、洗濯カゴに手をかけた。
少し湿り気を帯びた夏の風が、干した洗濯物をゆらしている。
最後のシャツを干し終えて額の汗を拭った時、視界の端にシルバーブロンドが映り込んだ。
ハッとして庭先を振り返ると、そこには王女と黒髪の騎士が佇んでいる。
「……王女……さま」
思わずこぼしたその声を、ハンスの母親は拾うと、見えない目で探すように辺りを見回した。
「ハンス、誰かいるの?」
母親の戸惑いを混ぜた声に、小さく答えるハンス。
「うん、王女さまがいらしてる……」
驚きで息を呑むと慌てて立ちあがった母親は、小石に足を取られて体が傾いだ。
とっさにハンスが母親を支えて転倒は免れたが、ハンスも母親も王女の来訪に動揺を隠せない。
ゆっくりと近づくララの足音に、母親は礼をとる。
ハンスも慌てて礼の姿勢をとったが、先日の王女への態度を思い出して罰せられるのではないかと、落ち着かない。
「顔をあげて。突然訪問してごめんなさいね。今日は報告したいことがあったから」
その声を耳にした母親の表情が凍りついた。
異変に気がついたハンスは、小刻みに震える母の体を支え、必死に声をかけた。
「母さん、いったいどうしたの?」
「……申し訳ございません、見えないとはいえ、不敬な態度をとってしましました」
ハンスの手を払って、いきなり地面に膝をついて頭をさげる。
慌てたララが駆け寄って、母親をそっと立たせると、彼女の膝についた土を、ためらわず自らの手で払った。
ララにとっては自然な行動だが、ハンスと母親には驚きでしかなかった。
「何も不敬などありません。私も名乗りませんでした、驚かせてしまってごめんなさい」
穏やかに優しい口調で話すララに、二人は肩の力を抜いた。
「この前、一週間待ってって伝えた事覚えてる?」
一呼吸おいて話しかけたララに、「……はい」と母親は短く答える。
ハンスは思い当たる節がなくて首を傾けるが、『はい』と返答した母親が気になって、その顔を見つめた。
「あのネックレスは大切に持っていてほしいの」
王女の言葉の意味がまったくわからないハンスは、ララと母親の間で視線を動かす。
真っ直ぐにハンスを見つめたララが真剣な表情で口を開く。
「まずは、謝らせて欲しいの。知らなかったとはいえ、国として何も手を貸せずにいた事、本当にごめんなさい」
ララの真摯な言葉に、ハンスも母親も慌てて首を振った。
「うちの状況は、王女さまのせいでも、誰のせいでもありません」
驚きで声が裏返る母親は、焦ったように話した。
「そうです、この前は不敬な態度をとってすみません。僕が学校に行けなかったのは、誰のせいでもないんです。僕が決めた事なのに、あんな態度とって、本当にごめんなさい」
ハンスも声を張りながら、必死に言葉を発する。
軽く頷き、優しく目を細めたララ。
ゆっくりとはっきりとした声で言葉を紡いだ。
「今回、国はハンスのような子ども達をサポートする事を決めました。これから三年間しっかり基礎学校で勉強してほしいの。魔力循環もそこで学べるわ。それと、その間の生活費は国と各領主が保証するから、安心して学業に励んで」
突然の知らせに、ハンスも母親も声が出てこない。
何か言おうと口を動かすが、意味をなさない単語が出るばかり。
全く想像すらしなかった事を耳にした二人は、しばらく呆然と立ち尽くした。
心配したララが、ハンスの名前を呼ぶ。
「っあ、ありがとうございます……。ぼく……、僕、学校に行けるんだ……!」
「お母さん、僕、学校行っていいんだって……こんなに嬉しい事って、あるんだね」
途切れ途切れに話すハンスの瞳には、大粒の涙が流れている。
母親は手探りでハンスの手に触れると、そのまま引き寄せて抱きしめた。
「……学校行ってたくさん勉強しておいで」
震える声で何度も何度も繰り返した。
夏の日差しを受けた親子の涙は、これからの希望を写すかのように光を帯びていた。
*****
ハンスの家の帰り道、並んで歩くララとランゼル。
ふと足を止めたララが、彼の黒い瞳に視線を送った。
気がついたランゼルも立ち止まると、ララに向き合う。
「ランゼル、たくさん支えてくれてありがと。あなたがそばにいてくれた事が、心の支えになったの。とても感謝しています」
そう言って微笑むララ。
夏の風がララのシルバーブロンドを揺らす。
ランゼルはそっとララの手をすくうと、目の前に傅いた。
目を見開いて息を呑むララを、真剣な眼差しで見つめると、落ち着いた声で語りかける。
「今だけじゃなく、いつでも側で支えられる存在でいたい。これから先も、あなたと共に歩んでいきたい。あなたが受け入れてくれる限り、私はララのそばで生きていきたい」
風で揺れた髪が、頬にかかる。
彼の真摯な言葉が、心の深くに浸透する。
だんだんと熱を帯びる瞳。
瞬きをすると、一雫の筋ができた。
──あぁ、どうしよう、こんなにも嬉しい……
でも……
「……ありがとう。言葉にできないくらい、嬉しい……。できることなら、私もあなたの隣で生きていきたい。でも……」
嬉しさと、困惑と、もどかしさが混ざって何を伝えたらいいのかわからない。
心は彼の側におきたいけれど、私はアルマティアの王女。
彼もまた、ノルフェリアの王族。
自分達の思いだけで、突き進むことはできない。
ララの葛藤が手に取るようにわかるランゼルは、ゆっくり立ち上がって、繋がったままの手を両手で包み込んだ。
「あなたも私も王族……、この思いが成就することは簡単なことではない……。でも、知っていて欲しい、そう思ったんだ」




