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第62話 母の思い、王女の涙

混乱して動けないでいるララの耳に穏やかな女性の声が届いた。


「ハンス? お客さんかい?」

そう言いながら手探りで扉から顔を出した女性は、目が見えていないのか、入り口の段差で躓き倒れそうになる。


慌てたララは駆け寄り、手を添えた。

「大丈夫ですか? ハンスは仕事に行きましたよ」


「あら、ありがとう。目が見えなくてね、助かったわ」

そう言うと顔をララに向けて口角を上げた。しかし、視線は定まらずどこか遠くを見ている。


「突然お邪魔してすみません。私はララといいます。ハンスと話がしたくて尋ねました」


「ご丁寧にありがとう。ハンスのお友達かしら? よかったら、入ってくださいな」

ララの挨拶にそう返した女性は、ハンスの母親だと名乗ると、室内を手で示した。


質素な部屋の中は、庭とは違って綺麗に整えられているが、家具はかなり年季が入っている。

手探りでテーブルと椅子まで移動する母親の後をついていくララ。


「ここに座って。目が見えなくてお湯が沸かせないから、お茶は出せなくてごめんなさいね。たぶん、テーブルの上にクッキーが置いてあるでしょう? 良かったら食べてね」

座面の位置を確認しながら、ゆっくりと腰を下ろす母親にララは話しかけた。


「昨日、集会所でハンスを見かけて」

そう切り出すと、母親は嬉しそうに言葉を被せた。


「あら、あの子ちゃんと参加できたのね。良かった……、学校に行かせてあげられなかったから……。そう、集会所の魔法の学校は行けたのね」


「あの……昨日は参加はしていなくて……、来週参加できるか聞きに来たところなんです」

ハンスの母親の期待を裏切るような内容を、戸惑いつつも伝えた。


「そう、先走っちゃってごめんね。あの子簡易学校に行けなかったの」

悲しそうな表情でそう話す母親にララは声をかけた。


「少し事情を伺っても?」


「ええ、あの子が学校に入学する年に、私が事故にあって目が見えなくなってね……。その数年前に、ハンスの祖父が足を骨折した事で寝たきりになって介護が必要になったのよ……。今までの生活が一変して、どうしようもない状況だったわ……」

焦点の合わない母親の目には涙の膜が張っている。


「それであの子が言ったの『僕、学校行かないから。その時間で仕事見つけるよ』ってね……。それからずっとハンスは仕事を掛け持ちして、帰ってきたら家事と介護……。そんな生活をもう4年近く続けているの」

話し終えた母親の頬は涙でいくつも筋ができていた。


「私たちの為に、いつも明るく振る舞ってくれるんだけど、目が見えないとね、他の色んなものが見えるのよ……、声のトーンや間の取り方。それって表情を見るよりわかりやすくて……。あの子の悲しみや諦めもしっかりわかっちゃうの」


ハンカチで顔を拭って、ゆっくりと立ち上がると角の棚目掛けて歩き出す。何かを取り出して、また戻ってくるとララの目の前に差し出した。


「これを売ってくれるかしら? このペンダントは亡くなった主人からの最初で最後のプレゼントなの。小さいけれど宝石が付いているから、ご飯代の足しになるでしょ? そうしたら、ハンスは仕事休んで魔法の学校に行けるわよね」


ララの目の前には、花のモチーフのペンダント。繊細な銀細工の中央には小ぶりなルビーが嵌め込まれている。


きっと大切な思い出の品。

それを手放してでも、守りたい子どもの笑顔。

痛いほど伝わってくる母の思い。


共感できるがゆえに、込み上げてくる感情を抑えて話し始めたララ。

「これを売るのは、少し待ってもらえますか? 他に方法がないか考えたいの。一週間後にまたきます」


静かに話し、母親へ退席を告げた。

見送ろうと席を立つ母親に、「ここで大丈夫」と伝えると足早に外へ出た。


今にもこぼれ落ちそうな涙。

強く噛んだ唇が震える。

庭の先に見慣れた黒髪の護衛騎士。


思わず走り出し、その胸に飛び込んで彼の服を強く握りしめる。


とめどもなく溢れ出る涙。

噛み殺した嗚咽。

自分で自分の感情がコントロールできないもどかしさと、今まで彼らの現状に気づけなかった苛立ち。


そんなララの背を包み込む温かい腕。

背中を優しく撫でて、乱れた呼吸を助ける。

何も聞かない、でも全てを察したような抱擁に、ララは少しずつ思考を取り戻した。


「……ハンス、あの子一人で全部背負ってた……。こんなに苦しんでいる民がいるのに、気づけなかった……」

しゃくり上げながらも言葉を紡ぐララの話に、静かに耳を傾けるランゼル。


「あなたが、ただの一人の女性なら『ララの責任ではないよ』って言ってあげられますが、あなたも私も王族。その責務がある……。でも、これだけははっきり言えます。あなただけの問題じゃない、アルマティアを導くもの全ての責任。だから、皆で考えましょう。周りを頼って」

そう告げると、ララの両頬に手を添えて視線を合わせる。


「大丈夫、私が全力であなたを支えるから」

射抜くようなランゼルの黒い瞳が、ララの心の奥底までも見つめる。


傾き始めた太陽は、二人を優しく包み込んだ。

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