第49話 夜の手紙と、朝の散歩
リーゼルが帰国したその夜──
王妃セリーヌの私室に隣接する小さな居間で、国王ヨハンは眉を下げ、深く息を吐いた。
「はぁ……困ったな……どうしたものか……」
ヨハンはノルフェリア国王からの手紙を、もう何度も読み返していた。
セリーヌは赤ワインのグラスをゆるやかに揺らし、困った子どもを見るような目で夫を見つめる。
「何度読んでも内容は変わりませんよ。ほら、そんなに考え込まないの」
差し出されたグラスを受け取ったヨハンは、手紙をテーブルに置き、また重たげに息を吐く。
「そうは言ってもな……返事は出さねばならんだろう?」
ワインを一口含み、喉をゆっくりと潤す。
「返事は急がなくていいと書いてあるでしょう」
「いや……でも……セリーヌ、どうしたらいいと思う?」
問いかけに、セリーヌは微笑んで肩をすくめた。
「今、あなたが悩んでも仕方ないでしょ。それに……決めるのは、あの子よ」
その瞳には、不思議な光が揺れていた。
まるで全てを見通すようでもあり、ただ面白がっているだけのようでもあった。
***
カーテンの隙間を縫って差し込む朝の光が、ララの頬にやさしく触れた。
ゆっくりとベッドを降り、テラスへと向かって窓を開け放つ。
透き通った空気がすっと流れ込み、体を包み込むと、ララは両腕を高く掲げて大きく深呼吸した。
テラスに出て眼下を見下ろせば、夏の花々が色とりどりに咲き誇り、中央の噴水は朝日を受けてきらめいている。
その縁に腰掛けて庭を眺めていたのは、兄リーゼルだった。
「おはよう、お兄様。いい天気ね」
声をかけると、リーゼルが顔を上げ、少し驚いたように微笑んだ。
「おはよう、ララ。いい天気だから、庭を歩こうかなって思っていたところだよ」
「いいわね。私も一緒に歩いていい?」
リーゼルは嬉しそうに目を細め、大きく頷いた。
「もちろん。久しぶりに兄妹だけで歩こう」
「じゃあ少し待ってて。すぐ着替えて降りるわ」
ララは手を振って部屋に戻り、クローゼットから水色の簡素なワンピースを取り出す。
薄い布地が夏の風に揺れるそれを身にまとい、髪を高い位置で結い上げると、勢いよく扉を開けて廊下へ飛び出した。
ちょうど起こしに来たレネと鉢合わせる。
「あら、王女様。おはようございます。どちらへ?」
「兄様と中庭を散歩するの。三十分ほどで戻るわ」
軽やかに告げると、小走りで廊下を抜けていった。
***
ララが中庭に降り立つと、リーゼルが噴水の淵から腰を上げた。
「普段のドレスもいいけど、今日のワンピースは涼しげで似合ってるね」
微笑む兄に、ララは少し頬を染めながら応じた。
「ありがとう。中庭を歩くなら、ドレスよりこっちの方が動きやすいの」
二人は並んで小道を歩き出す。朝露に濡れた石畳が、陽の光を受けて淡く輝いていた。
「聞いたよ、ララ。……中枢施設のビス炉を改革したんだって?」
「ビスの無駄遣いをちょっと減らしただけよ。それに、私ひとりの力じゃないわ。ランゼルやバートン、他にもたくさんの人が協力してくれたからこそ、できたことなの」
ララは目を輝かせながら答えた。
「それでも……並列版、だっけ? あれはすごい発想だよ」
「ちょっとした思いつきが形になったのも、バートンが協力してくれたからなの」
「ああ、そうか。……あの時の魔道士のことだな」
リーゼルは一瞬考え込み、すぐに思い出したように頷いた。
ララは楽しそうに歩調を弾ませながら、並列版の仕組みや準備の過程を、次々と兄に語っていった。
リーゼルは最後まで耳を傾け、やがてふっと表情を和らげる。
「そういえば……あと数日でノルフェリアの魔道士団が到着すると思うよ。その中には、僕たちの従兄弟もいるみたいなんだ」
「従兄弟……?」
ララはきょとんと目を瞬かせた。
どこかで聞いたような気もするが、どうにも思い出せない。
「……まあいいわ。会えばわかるでしょうし」
そう言って肩をすくめ、花に視線を移すララ。
けれど、この何気ない会話こそ――新しい騒動の幕開けだった。




